娼館の歌姫 (6)爽やかな朝ほど、目覚めは悪い
(なんて夢を見るんだよ……)
窓からは陽が射し、小鳥が歌う爽やかな晴れた朝。辛気臭い夢で目覚めたリィネシアの気分は複雑だった。
(あれがあいつの過去か)
リィネシアは木綿で出来たひざ丈の寝間着姿で娼館の自室にいる。ベッドの上で胡坐をかき、幼女は軽く伸びをした。
(俺、夢見の能力なんて無かったのにな。これも剣を抜いたせいか?)
寝癖のついた栗毛色の髪を掻き上げ、リィネシアは頭を左右に振った。昨日、あの剣を抜いてからおかしな事ばかり起きる。
(他人の夢に入り込むなんて……絶対、またあの男はうじうじしそうだし)
ラルフと夢を共有したであろう事実に、リィネシアは頭が痛くなってきた。
たかがちょっと彼の着物を剥いだだけで、あの反応である。夢で過去を見られて、共有したとなると、また彼が挙動不審な態度を取る事はリィネシアには想像がついた。
(めんどくせぇ)
片膝を立て頬杖をつきながら、リィネシアは片眉を吊り上げた。
「おはよう、リィネシア。鏡台の前に座って。髪を結ってあげるわ」
難しい顔のリィネシアに、隣のベッドから同室のフィーナが声をかけた。
「おはよう、フィーナ。そのくらい自分で出来る」
フィーナは今年十八歳。肩より少し長い栗毛色の髪が緩やかに波を作り、同じ色をした瞳は優しい。透きとおるように青白い肌や、痩せた手足、病魔は確実に彼女を蝕んでいくのを、リィネシアは苦い想いで見届けるしかできない。
「嫌よ、私の楽しみを奪わないでよ。それに今日は気分がいいの」
起き上がって上着を羽織り、鏡台の前で櫛を持つフィーナ。
不治の病に全身を侵されながらも、過ぎていく時や周りの人間を愛おしみ、懸命に生きている兄の恋人をリィネシアは敬愛していた。傭兵であるリィネシアの兄・ジンはとある国の戦争に出兵し、一年経った今では生死がわからない。そしてリィネシアを連れて行けないと判断したジンは、フィーナに彼女を預けた。ここ一年以上ジンからは便りは無いが、二人は彼の帰りを信じている。
「ジン……どうしているのかしらね?」
リィネシアの髪を編み込む手は休めず、フィーナは呟く。
「どこかで暗躍でもしてるんだろ。殺しても死なないよ、ジンは」
「もう、またそんな口きいて――でも、本当にそうね」
鏡の中のフィーナは、白い手を口に当てて優しく笑う。
(みっともなくても足掻く『生』の方が俺はいい)
フィーナがジンに一目だけでも会いたいと―― 一日、いや一瞬でも長く生きたい――強く望んでいる事をリィネシアは知っていた。
(早く自分の生を終わらせたいなんて……。もっと生きていたくても死ぬ者もいるんだ。あの野郎、甘えた考えしてるんじゃねぇ)
鏡の中には険しい顔をした自分――リィネシアはフィーナに気付かれてはまずいと、表情を緩める。
人の過去や内面を勝手に視てしまった気まずさというのはある。だが、やはりリィネシアには簡単に生を手放したがる人間は許せないのだ。
(まぁ、夢の件に関してはすっとぼけよう)
こういう繊細な話は苦手とするリィネシアであった。それが一番いい方法と、リィネシアは満足気に頷く。
(知りたい事は他にある)
髪を編んでもらう間、手持無沙汰なリィネシアは鏡台の上にある色とりどりの髪留めをつついていた。
(あの剣を抜いた事で、夢見以外に俺自身の能力に変化はあるのか? それにしても、魔剣に囚われている不死者か、しばらくは退屈しないで済みそうだ)
「何かいい事有った?」
フィーナに声をかけられリィネシアの思考は止まった。鏡で確認すると、髪はもう綺麗に編まれている。
「ん?」
「さっきから楽しそうに髪留め選んでる。リィネシアあまりそういうのに興味無かったでしょ? もしかして、恋でもした?」
「あはは……さぁ、どうかな?」
フィーナの見当違いに、思わず乾いた笑いが出るリィネシア。単にリィネシアは自分の好奇心を満たす謎が出てきた事で、笑みが浮かんでしまっただけなのだが。
「どれにしようかな? これなんか良いんじゃない? つけてあげるわ」
白い小さな花を模した髪飾りを選び、フィーナはリィネシアの髪に挿した。
「うん、かわいい。やっぱり、歌の練習してる時に出会ったの?」
「いや、そういうのじゃないから」
「うんうん、照れくさいもんね。いつかその人、私にも紹介してね」
「――ありがとう」
すっかり勘違いして嬉しそうなフィーナをがっかりさせるのもなんだしと、リィネシアは諦めた。後、変に言葉数が多いと照れてるのだと、フィーナは勘違いする事だろう。気を取り直して、女将に言いつけられてる用事を済ますためリィネシアは娼館を後にした。
買い物、水汲み、その他……素敵に人使いの荒い女将の用事だが、リィネシアにはその他に歌を練習するという自由時間も与えられている。女将が彼女の歌に感動した訳でなく、ただ単に『金になる』という理由からだった。
昨日の野原に向かい、ラルフと合流すると複雑な表情をしている。しかももとから不審な彼の態度が、なおさらおかしい。
(やはり、同じ夢を見たな……)
予想通りなのだが、気を使うものだとリィネシアは軽く眉を顰めた。
他人の夢だし、ただ傍観を決め込むつもりだった。だが我が身を呪う少年姿の彼が痛々しくて――思わず喝を入れてしまった迂闊さを、少し後悔しているリィネシアである。
(まだまだ俺も修行が足りない)
「どうせ暇なんだろ? 歌うのに、聞き手がいた方が気合いが入る。嫌でも聞け」
こういう場合は相手の言葉を遮るに限るとばかりに、そうラルフに言い捨てて、いつもの練習場所である森の奥の泉へと彼女は向かった。