娼館の歌姫 (5)流浪の民は希う
荒野を彷徨う。
疲れて立ちつくし、独り帰るべき場所を探してる。
何処へ帰ると言うのだ。
いったい、何が癒すというのだ。
飢えのように、渇きのように、満ち足りることないこの孤独は。
いっそこの身が朽ち果てればと、希うのに
長い年月が蝕むのは我が心……。
――あれは遠い昔――
鬱蒼とした森の中、木々の幹や梢は陽光を遮り、茶褐色に変色した落葉が地を隠す。神官服を着た中年の男は、そんな森で齢十歳程の幼子を見つけた。
自分の身の丈よりも長い剣を引きずるように抱える幼子を眺め、その男は眉を顰め顎をさすった。濃い灰色の長い髪、それと同じ色の瞳は特に何の感情も映さない幼子。そしてもう血は乾いているようだが、額に傷を負っていた。
「どうした? 坊主、怪我してるじゃないか。それにこんな森の中一人で、親父さんやお袋さんは?」
傷の様子を見て、ほとんど治癒している事がわかると、男は辺りを確認した。だが、幼い子供の両親らしき姿は見当たらない。腰に手を当て、困惑したように頭をかきながら、男は幼子に言った。
「お前の親が見つかるまで俺と暮らすか? 坊主」
頷きもせず己を見る幼子を、男は自分の家に連れて帰る。
そして『ラルフ』と名付け、育てた。
――それから十年程、月日は過ぎ――
「不死者ってのはなぁ」
出会った頃より年老いた養い親は、陶器製のグラスに並々と注がれた度数の強い蒸留酒をあおりながら語った。
痩せた体にくつろいだ衣装で、彼は胡坐をかいている。空になったグラスに琥珀色の液体を再び注ぎ、彼は飲み干そうと伸ばした手を止めた。そしてその手で不精髭がところどころに生えた顎をさすり、彼は傍らを見る。
その視線の先には大きな瞳を見開き、かしこまって座っている齢15歳ほどの利発そうな少年。
「『呪われた者』っつうより『何かに囚われた者』だな。たぶん、お前が囚われてるのはその魔剣なんだと俺は思う。なぁ、ラルフ」
「僕が崖から落ちても、死ななかったのは、その魔剣のせいなのですか?お義父さん」
「まぁ、確かな事はわからん。抜けない剣だしな。ただ、普通の剣じゃないのは確かだろうな」
その数日前に、ラルフは養い親と薬草取りに山へと入った。ぬかるんだ地面に足を取られラルフは崖から落ちてしまったのだ。数箇所に裂傷、骨折を負い、彼の息は一時止まっていたらしい。
「ひどい有様だったしな。俺はまた息子を失っちまうのか、と思ったさ」
しばらく呆然としてたら、見る間に治っちまったと養い親は豪快に笑った。
「……僕が気味悪くは無かったのですか?」
おずおずと問う少年。
「はっ!お前、馬鹿だなぁ」
皺の増えた顔を歪めて、苦笑いする彼の養い親。
「一番の親不孝は親より先に死ぬことさ。その点、お前は絶対に俺より先には死なねぇ。世界中探したってお前以上の孝行息子はいない。そうだろ?」
過去に実の息子を亡くした男は、死なない少年の頭に手を置いて力強く撫でた。少年が見上げると、男は目を細めている。その瞳には畏怖や嫌悪の色は無く、親としての愛情しか見えなかった。
――旅の一団が魔族に襲われた日も――
「ラルフ、その馬はもう駄目だ。楽に眠らせてやる事も優しさなんだ」
「でもっ!足しか怪我してないっ! 殺さないで!」
足に傷を負った馬。大きな黒い瞳で自分の最期を見ているような哀れな馬に、ラルフは泣きながら縋りついた。
魔族に負傷させられると、そこから呪いがかかる。たとえ、治癒魔法、医療の知識に長けた冥界神の神官ですら治療は無理だ。そして、自分の体重を支えられなくなった時点で馬は死の床に就く。
「苦しみが長引くだけなんだ」と、養い親はラルフを引き離し、馬に止めを刺した。
「どうして僕の事は楽にしてくれなかったのですか?」
荒野には少年だけが、残された。涙が頬をつたっても、拭う事もしない。
「独りで永い時を彷徨うくらいなら、どうしてあの馬のようには楽にしてくれなかったのですか?」
養い親の死を看取り、その後何千年経っても朽ち果てない不老不死のラルフの身体。
彷徨っても、彷徨っても、異形の身には安住の地など何処にも無い。疲れ果てた少年は、その場に膝をついた。
「教えて下さいっ! お義父さんっっ!!」
魂を振り絞るように叫び、少年は荒れた地を何度も拳で叩く。
「お前は俺の従者だろ? 主の命無く、その身傷つける事は許さない」
凛とした美しく厳しい声は、彼の激しい慟哭すら止めた。思わず少年が顔を上げると、目の前には、長い黒髪をたなびかせる美しい少女。彼女は黒と深紅の瞳に冷ややかな光を湛え、立っていた。
『な?俺の言った通りだったろうが?』
ラルフには、風音に混じって養い親の声が聞こえたような気がした。
『ラルフ、お前の『運命』にはその剣が引き会わせてくれる』