娼館の歌姫 (4)破天荒な歌姫
ラルフは元の場所に戻ると消えかけていた焚き火に小枝をくべ、炎を強くした。
静寂の中、野に座る二人の姿を炎が照らしている。
「勘違いして悪かったな、絡まれて気が立っていたんだ。傷の具合を見てやるから脱げ」
「へ?」
素直に詫びながらも、とんでもない発言をする少女である。ラルフは思わず間抜けた返事をしてしまった。
「『へ?』じゃない。傷を見るから衣を脱げ、と言っている」
「けっ、結構です! もう、ほとんど治ってますから!」
「遠慮するな。怪我をさせたのは俺だし」
「ちょっ、ちょっとっ! 何をする気ですか!?」
不穏な笑みを浮かべ、リィネシアはラルフに近づく。後ろずさりで逃げようとするラルフに、リィネシアは足払いをかけた。
「やめて下さいってばっ!」
仰向けに転んだ所を彼女に、ラルフは押し倒される破目になる。まさかか弱い(?)少女に本気で抵抗する訳にもいかず、彼は前空きの衣を肩までひん剥かれてしまった。リィネシアはそのまま、手の平でラルフの肌についた血を拭う。衣と肩に少し血は付着しているが、先ほど剣で貫かれた傷は見当たらない。
「もう、治っているのか。不死者と言うのは本当のようだな」
「だから、いいって言ったじゃないですかっ!」
「ふむ。お前、案外鍛えているな」
ラルフの抗議には耳を貸さず、傷痕一つ見つからない彼の肩をリィネシアはまじまじと眺めた。長身で痩身な印象のラルフだが、広い肩幅に、理想的な筋肉の付き方をしている。
「まぁ……人並み程度には。でも、貴女とやりあって勝てるとは思いませんけどね」
確かにラルフだって、養い親に一通りの剣術や武術は叩きこまれてきた。剣に関しても、そう悪い腕前では無い。ただ、それでもリィネシアの戦い方には遠く及ばないと彼は感じていた。今だってあっさり足払いをかけられたあげく、上に乗られているのだから。
「もう、いいですか? 傷の確認もした事ですし、早くどいて下さいっ!」
まだ興味深く観察しているリィネシアを引き剥がし、ラルフは着衣の乱れを素早くなおした。
「ちっ、不死者の現物見るの初めてだし。まだ色々調べたかったのに……」
「なっ!? 人を研究対象にしないで下さいっ!!」
舌打ちするリィネシアから、ラルフは距離を置いて座る。
「見た目は二十五歳前後ってところか。ま、不死者の年齢など考えても無駄だろうがな」
「そう……ですね。ちょうど、その頃に成長が止まりました」
不死者というのに好奇心をそそられたのか、彼女はなおもラルフの観察を続けている。ラルフはいつでも逃げ出せるよう、警戒は怠らない事にした。
(こんなに綺麗な少女なのに、口を開くとすごい毒舌。しかもやる事が破天荒すぎる)
物怖じしない漆黒と深紅の瞳に見つめられ、ラルフは居心地の悪さを感じた。彼女の瞳を縁取る長い睫毛、うっすらと紅をさした唇、通った鼻筋、絹のようにきめ細かい白い肌、しなやかで均整の取れた肢体、どれを取ってもリィネシアは掛け値なしの美少女である。普通の男ならこんな美少女に密着されたり、一緒に話す機会があれば有頂天になる事だろう。だが、ラルフにとっては苦手とする女性の一人である。まだ、彼女の男っぽい言動のおかげで、意識せずには済んでいるが。
「さっきから気になっていたのですが、年頃の女性が男に『脱げ』だの、自分の事を『俺』だの言ってはいけません。後、押し倒して男の衣を剥ぐような真似も」
生来の気真面目さで、ラルフの口からはついつい小言が出てしまった。
「なぜ?」
「なぜ?って……そりゃ、恥じらいとかですね」
「必要があれば、そうする。だが、従者相手に恥じらいが必要なのか?」
「それから、その……男によっては誤解しますよ?」
「お前、何か誤解したのか?」
「……私が悪かったです、すみませんでした」
口からでまかせとは言え、主従関係を結んだのはラルフの方である。この仮の主人には、戦いだけで無く、口の方でも勝てそうには思えなかった。ラルフがやけくそ気味に非礼を詫びると、リィネシアは笑いを噛み殺して肩を震わせている。
「無理せず、笑った方がいいですよ?」
「だって、お前の方が乙女みたいな反応してるっ! ぶっ! あっはっはっはっ!」
「そこまで笑わなくても……」
堰を切ったように笑い転げるリィネシアを見て、ラルフは憮然としながら頬杖をついた。
(こうしてると、あの戦いが嘘のようだ)
無邪気に笑う様は、さっきの戦う彼女からは想像できない姿である。
「それにしても、お前よっぽど腹が減っていたんだな」
ひとしきり笑い、呼吸を整えると、リィネシアは口を開いた。笑いすぎたせいで瞳にうっすら滲んだ涙を、彼女は指で拭っている。
「……すみません」
騎士が姫君に跪くように忠誠を誓ったはいいが、あの後に鳴り響いたのは楽団の演奏ではなくラルフの腹の虫だったのだ。
彼の顔が赤いのは炎の照り返しのせいだけではあるまい。先ほどリィネシアから食糧を分けてもらい、何とか食事にありついたラルフは申し訳なさそうに俯いた。
「何せ、人里付近に降りて来たのは久しぶりだったもので……。携帯食料も持ち合わせが底をついてまして……」
「お前は、冬眠から目覚めた熊か?」
「……」
辛辣な皮肉に、ラルフは返す言葉も無い。
「でも、すごい御馳走でした。良かったのですか? 私が全部食べてしまって」
「宴の残りだ。気にするな」
「宴?」
「普段は娼館で歌姫をしている。今日は金持ちの家で歌わされたんだ。これでも、この辺じゃ有名な歌い手なんだぞ?」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せるリィネシア。
「しょ、娼館!?」
「街で『鳥籠の館』と言えば、すぐに教えてもらえる。何なら今度来るか?」
「謹んでご遠慮申し上げます。ま、まさか……」
「あの姿で客が取れる訳が無いだろうが。普段の俺は十歳の姿だぞ?」
さすがに十歳の子供に客を取らせるような事があれば、その娼館は役人に営業停止を申しつけられる。なんとなく眼の前の少女が娼婦で無かった事に、ラルフは安堵した。 この少女の性格では、客の方がいくつ命が有っても足るまい。
「まぁ、いい。そんな話がしたいんじゃない」
例の剣を鞘に収めた途端、彼女の姿は元の幼女に戻った。今は髪や瞳の色も元の赤みを帯びた茶色になっている。
「ラルフと言ったな? この剣は一体何だ? 抜いた時、俺の姿が元に戻る程の強い魔力の波動を感じた」
ひとしきり装飾や刃の状態を確認した後、ラルフに返した剣をリィネシアは指した。
「誰にも抜く事が出来なかった魔剣です。私は剣の守人として、抜ける方を探していました」
「魔剣か。だが、四大元素の波動では無かったようだ。一体、どんな云われが有る剣だ?」
世界には希少だが魔剣と呼ばれる剣が存在している。だが、そのほとんどが地・水・火・風の四大元素の力を宿した物しか、確認されていない。素質ある者でも使えるのはそのどれかのみ。どの魔力にも属さないこの魔剣も、また稀有な存在と言えよう。
「さぁ、私もそこまでは。ただの守人ですし、私自身が扱える訳ではありませんので」
「いい加減だな」
「ところで、間違っていたらすみません。先ほどの姿、貴女は魔族と炎神の血筋を引いているのでは? あまり詳しく追及されるとぼろが出ると判断し、ラルフは話題を変えた。そんな彼の問いにリィネシアは眉をひそめる。炎神はともかく、魔族は畏怖の対象。あまり、そこには触れられたくないのであろう。
「あの姿を見られて隠しても無駄か。俺の兄が言うには、俺は魔族と炎神の血を引いているらしい。この世界じゃかなり歪な存在だな」
「それを言うなら私も不死者ですよ?」
「長く生きているだろうに、全く風格とか重みの無い奴だな。お前は」
呆れて頬杖をつくリィネシアに、ラルフは「元の性格なんて、そうそう変わりませんよ」と薄く笑う。
(枯れ葉を隠すなら森の中、羊を隠すならその群れの中――無駄に人と違う存在だと思わせる事など、何の得にもならないんですよ?)
それは心の中で呟くに留めた、永年生きていく中で培ってきた彼の考え。処世術とも言える。長く同じ場所に居続ける事は出来ないまでも、流浪する今ではそう不自由を感じなくなっていた。
「では額の石で、仮初めの姿を維持しているのですか?」
「そうだ。この額の石は時を止め、真の姿を封じ込めるためのもの。兄が施した術だ。お前、魔導にも詳しいのか?」
「……いえ、自分そっちはさっぱり……知識がある程度で」
「術式も使わずに、剣を砕いたのにか? ま、その後の行動は間抜けだったが」
「間抜けって……。たぶん、剣が抜けた事で力が発動したんでしょう、って、嘘じゃないですよ!?」
言い訳する彼をリィネシアが胡散臭い目で見ると、「本当に今まで使えなかったんですって……」等とぶつぶつ呟いている。
「そう言う貴女こそ血筋を考えれば、かなり強い魔力をお持ちなのでは?」
「いや、今の俺には魔法を使う事は出来ない。魔剣も持っていないしな。せいぜい、ちょっとした術式までだ」
人の身で魔法を使うには、素質も必要だが術式と魔剣も必要になる。素質と言うのは、神の血を引いている事。本来ならリィネシアも炎の魔法を使う素質は充分だ。だが、魔剣も持たない身のため、今は簡単な術式しか使えない。
「だからと言って、お前の剣は異質だな。炎の属性では無いし、俺が扱える物では無さそうだ」
「そうですか……」
(一体この剣は何なのだろう? 抜く事が可能なこの人でさえ、扱えないとは――そして魔剣が抜けた事で発動した、あの力は……俺にも魔力が有ると言うのか?)
魔剣が抜けた途端に、物質を破壊したラルフの能力。術式を使わずに剣を砕くほどの魔力を持っていたという事に、彼自身も戸惑っていた。
そして己の存在理由の一端に近づいたようで、まだまだ遠いのだと彼は強く思い知る。
勢いの衰えた焚火の側で――――
ラルフは一人、寝転がっている。リィネシアを街外れまで送り、気持ちが緩むとさすがに疲労が出る。色んな意味で規格外な少女に疲弊させられたのだが、彼はあえて考えない事にした。
そして、封印石に触れた事で出た、彼女の兄の話題。
彼女の兄が魔導、剣技にも長け、傭兵をしている事。ある程度の年齢になるまで兄と2人で諸国を旅して廻っていた事。そして彼女の男言葉は、その兄の影響である事……。
(それにしても、成長の抑制や真の姿を隠したからって、実の妹を、しかも年頃の娘を、娼館に預ける兄貴って……)
睡魔に襲われながらも(教育上悪いんじゃないか?)と憤るラルフであった。
結局、こういう形での改稿となりました。
まだまだ修正部分は出てきそうで、読んで頂いてる方にもご迷惑おかけしそうです。
思ったよりも無茶振りな性格になってしまったこの二人に振り回されながら
拙い筆を進めていきたいと思います。