娼館の歌姫 (3)魔剣と不死者と少女
「この剣……立派だな」
幼女はそっと柄に触れ、持ちあげてみる。
だが身長百四十センチそこそこの彼女が百三十センチはあろうかという長剣を完全に持ち上げる事は出来ず、鞘の端は地面についたままだった。
「それに触るなっ! ぐっ!」
ラルフは思わず身を乗り出して取り上げようとするが、肩に剣が貫通しているのを忘れていた。
彼のうっかりした行いは、より傷を深くする事となる。
(さっきから、こればっかりだ)
うんざりしながらラルフは自由になる右手で自分を貫いている剣を抜こうとした。しかし、いまいち体の自由が利かず上手く抜けそうにない。
「お前、これを使いこなせるのか」
首が痛くなるんじゃないかというくらい、顔を上に向け磔のラルフに話しかける幼女。
「まぁ、その身の丈なら可能だな」
ラルフの背丈はニメートル少しある。確かにその長剣は彼に合っていた。
「無駄だよ」
柄に手を触れ剣を抜いてみようとする幼女を見ながら、彼は言った。まぁ、彼女が聞く耳持たない事も容易に想像はできたが。
(好きにするがいいさ……どうせ、その剣は抜けないのだから)
――決して抜けない剣――
もちろんラルフも何回も試したし、周りの人間も試した。だが、一度としてその刀身を拝んだ者は無い。骨董品だから中で錆びついてるんじゃ?と半ばあきらめていたりもする。
そのせいで剣の用途は刃物としてではなく、鈍器の扱いであった。
「なっ!?」
だが、予想に反して剣は鞘から抜けていく。当り前のように剣を抜く幼女を見て、ラルフは目を見開いた。
(嘘だろ、おい……)
抜けない剣が抜けた事にも、確かに驚いた。
だが、それよりももっと信じられないものを見る事になろうとは。
抜けた刀から蛍火のような光が沸き、幼女の周りに立ち昇っていく。それに反応したのか、彼女の額にある雫の形をした紅玉が深紅の光を放った。
そして――
幼女の姿も変わっていった。
赤茶色の髪は、ぬばたまの艶やかな黒髪に――
はしばみ色の瞳は右が黒、左が深紅の違う色彩を持つ瞳に――
絹のように白い肌はそのままだったが……その姿は十六、七歳の美しい少女へと成長している。
(魔族の血を引いているのか?)
漆黒の髪に瞳、そして白い肌。そんな色素を持つ種族はこの世界広しと言えど魔族しかいない。
ただ深紅の瞳を持つ者は――
(しかも炎の神の血族でもあるのか……そういえば、昔語りに聞いた事がある。炎の神の血を引いていたという伝説の神官・ガルアード。まさか彼女は彼と魔族との間の……?)
魔族と炎神の血を引く娘、そうだとすれば彼女もこの世界では稀有な存在である。
(この少女が俺の探していた『運命』なのか?)
一瞬の間に色んな思考がラルフの脳裏を巡った――身体は磔で動けないのだが――。
少女は色違いの左右の瞳に剣呑な光が浮かべながら、ラルフを見た。恐らく、見られたくない姿を見られて口封じを考えているのであろう。少女から立ち昇る殺気を肌で感じながらも、彼はそっちを正視できずにいた。
(逃げ出したい! こういうのが一番困る! だが、この肩の剣がっ!)
ラルフの思考に連動して、剣は砕けた。剣が抜けた事で発動した能力なのか。鋼で出来た剣が硝子細工のように高く澄んだ音を立て、一瞬で砕けたのだ。
(なぜ、俺まで……)
今まで、彼には一切そんな能力は無かったのに。
「っ!?」
霧散する破片から身を守るために、少女にためらいが生まれた。その隙をラルフは見逃さず、素早く背中のマントを剥ぎ取ると少女に差し出す。
「これを着て下さいっ!」
予想外のラルフの行動に彼女は完全に止まる。
「いいから! 早くっ!」
手で顔を覆いながら、ラルフはなおも叫んだ。
なぜなら彼女の急な成長の負荷に衣服が耐えきれず……かなり際どい部分を残してほとんどの素肌が露わになっていたからである。
「お前、殺されるとか危機感は無いのか? それとも俺程度なら勝てると余裕見せてるのか?」
彼女は呆れながらも、ラルフからマントを受け取り身に巻き付けた。猫を被る必要も無しと判断されたのか、元からなのか、板についた男言葉で詰問してくる。
「死にませんから。いえ、死ねませんから、と言った方が正しいでしょうか」
「不死者か……?」
――不死者――それもまた、稀有な存在。そして、普通の人間からは疎まれる存在。
(本来なら絶対に打ち明けたくないが。まぁ、この人の秘密も知ってしまった事だし、お互い様というやつか)
一般人なら絶対に言えない自分の秘密。だが、正体を隠して生きたいのは彼女も同じだろう。でなければ、わざわざ自分の姿を彼女も隠したりしまい。
「ついでに『不老』のおまけ付きみたいですがね」
ラルフは自分の存在意味を考えると、自然に苦い笑みが浮かんだ。
「私はラルフ。その剣の守人。それを抜く事ができた貴女は我が主」
恭しく跪きラルフはとっさに口からでまかせを言う。たぶん、自分の知りたい事の鍵はこの少女が握っている。何としてでも、これから一緒にいる口実が欲しい。
「俺の名はリィネシア。では、お前はこれから俺の従者になると言うのだな?」
信じてなどはいないとばかりに、リィネシアは軽く片唇だけ上げて、跪くラルフを見下ろした。