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娼館の歌姫 (1)不死者は安らかな死を夢見る

――炎神えんしんガルが守護する地、バーミリオン。その首都バーガンディ――

 都と森の狭間にある野原を、ラルフは今夜の宿に決めた。短いが柔らかい下草も生え、夜風を防ぐには、おあつらえ向きの廃墟もある。屋根は落ち、壁のみが残る元は民家と思しきものだが、『無いよりはマシ』であった。

「雨は降りそうにないな。夜中に濡れる心配はしなくて済みそうだ」

 ラルフは息を吸いこみ、鼻腔に入った湿度と匂いを確認する。湿り気も、これから降りそうな雨の匂いも感じない。そして、薄い雲一つ見えない漆黒の空には、青白く冷たい三日月が地上をかすかに照らしていた。

「まだ、盛り場は賑やかだろうし、今日はここで眠るか」と誰に聞かせるでも無く、ラルフは呟く。

 夜の帳が降りるまでは、都の端にある街に入るかどうかを彼は悩んでいた。旅人も多く訪れるバーガンディ付近の街には、宿屋も料理屋もある。温かい食事にも、柔らかい寝床にもありつけたはず。ここ最近、野宿ばかりの彼の身には、かなり魅力的な場所だ。

 ただし、旅人を癒す宿場は歓楽街も兼ねている。

――娼館の呼び込みに、街角に立つお世辞にも上等とは言えない娼婦達の客引き――

 それらのかなりしつこい洗礼も、ラルフは受ける破目になるだろう。

「苦手なんだよなぁ」

 白粉の匂いも、もちろんその元である女性も彼はあまり得意ではない。と言うより、女性に限らず人間全般が苦手なのだ。あまり人の多い場所には行きたくない。

(ひきつりながら必死で断る労力と、野宿を天秤にかけるなら……いっそ朝まで此処で過ごしてから街に入ろう)とラルフは心を決めて、野営の準備に取りかかりだした。

 人としては、かなり情けない決意である。

 ラルフが女性を、いや、他人全てを避けるには訳があった。

 彼はこの世界でも珍しい存在、不老にして不死なる者。 

 その特異体質のせいで一つ処には留まれず。はるか昔、自分を拾って育ててくれた養い親を亡くした時、彼は故郷を捨てあての無い旅に出た。


――不老不死者。何かに呪われている者、忌み嫌われる者――

(不老不死など、正直迷惑なだけだ。長く生きているからと言って、良い事など何一つ無いのに)

 溜息一つ、彼は火にくべるための小枝を手早く集めだした。

 死ぬほどの大怪我をしても、不死の呪いは彼の体をすぐに治癒した。だからといって、ラルフに痛みが無いわけでは無い。文字通り『死ぬほどの激痛』を、彼は何度味わった事か。

 周りの人間が老いさらばえていく中で、いつまでも彼は年を取らず死ぬ事も無い。

 二十五歳を過ぎた頃――もう二千年程、遥か昔の事だが――彼は己の成長が止まった事を自覚した。そしてラルフは痛いほどに思い知った、こんな自分は誰かの記憶や人生に深く関わってはいけないのだと。

 

 ラルフは小枝を集め終わると、親指の先くらいの紅い炎晶石えんしょうせきを使って火を熾した。

――炎晶石――水晶や紅玉などに炎を封じ込めた簡易の発火道具。封じ込めるのには独特の術式と魔導を必要とする。ただ、数十から数百回も使えば砕け散る。製作者にとっては良い収入源で、旅の必需品とも言えよう。魔導の素質皆無な彼は、もちろん購入したのだが。 

 しばらくしてラルフが革製の水筒を出し喉を潤す頃には、炎も勢いを増していた。 

「炎の国とはいえ、やはり夜は冷えるものだな」

 一年中暖かいバーミリオンの地。だが、陽が落ちた後に野宿するには少し厳しいものがある。

(義父さん、貴方が亡くなってからは、『俺』の話相手は『俺』だけです)

――孤独は人を寡黙にするか、独り言が多くなるかである――

 ラルフという男は、明らかに後者のようだ。

 ニメートル少しはある長身痩躯に、腰まで届く長い灰色の髪。旅でくたびれたラルフと同じくらい、くたびれた丈の長い神官服。

 綻んでいる袖口を指先で摘みながら、彼は本日、十五回目の溜息をついた。

『長い旅に出たズボラな神官』

 立ち寄った村の人間が言った言葉が、ふと脳裏に浮かびラルフは苦笑する。

「そう間違ってはいないな。義父さんの跡を継いでいれば、俺も神官になっていた訳だし……」

 伸ばしきった前髪は彼の瞳を隠し、表情がわかりにくい。わずかに見える口角だけが、彼の感情を垣間見せる。

 ラルフは腰から外し傍らに置いた長剣に触れながら、カイオス神の神官だった養い親の言葉を思い出していた。

 金銀細工で出来た柄の部分には、大粒の黒曜石(こくようせき)が埋まり、地・水・火・風の四大神を象った見事なレリーフ。その他、大小の宝石も散りばめられた立派な物だ。鞘は上質な黒い鞣革なめしがわで作られ、純金の箔押しで葡萄と絡まる蔦の模様が描かれている。

『ラルフ、お前の『運命』にはその剣が引き会わせてくれる』

 そんな気がする、とだけ養い親は彼に何度も語った。

 幼いラルフを見つけた時にただその剣のみをひきずるように抱え、瞬きもせず養い親を見つめていたのだ……と。

『運命』とはなんだ?

(それに出会えば、この不老不死などと言う無意味な存在が有意義に変わるのか? それとも……)

 剣を握る彼の手に思わず力がこもる。

(憧れて、こいねがってきた『普通の死』を、手に入れる事が叶うのだろうか?)

 全てを変える『運命』に出会う刻が迫って来ているのを、彼はまだ知らなかった。



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