第1話 望みをなんでも叶えましょう
僕の恋人だった、片瀬莉奈が死んでから1か月が経っていた。
未だに、あの頃の思い出の欠片が頭をよぎる。
当然だ。最初で最後だと誓った人だったんだ。忘れられるわけがない。
彼女は、昔から体が弱かった。しかし、10万人に一人しか発症しない病気が発症するなんて、だれも思わなかった。
彼女が余命宣告を受けたのは、余命1か月に迫った時だった。
もちろん一番悲しかったのは彼女自身だったと思う。だけど、それ以上に僕も悲しかった。
でも、彼女は弱気なところは一度も見せなかった。僕と会うことのできる最後の日以外は。
◇
『今日で、最後だね。』
そう言った莉奈の目には少し涙が浮かんでいた。
きっと、今までずっと我慢していたんだろう。今にも、大切にしまっておいた何かが崩壊しそうだった。
その日、彼女は初めて泣いた。僕と出会ってから、最初に見せた涙だった。
『ご...めんね...最後の日くらいは笑顔でいようと思ってたのに。』
聞いているこっちが悲しくなってしまいそうな声だった。
「そんなこと言うなよ...莉奈は今まで頑張ってきたんだからさ。最後くらい...泣いてもいいと思うよ...」
僕は俯くことしかできなかった。
『あーあ。あと2日後には死んじゃうんだなあ。』
見え見えのやせ我慢をする彼女にどう反応すればいいのか分からず、返事が遅くなってしまう。
「やっぱり、死ぬのは怖い...?」
『死ぬのは怖くないけど、智くんに会えなくなるのが。嫌だな。』
名前を呼んだ後、僕の髪の毛に触れた。
『今までありがとう。幸せになってね。約束だよ。』
言ってほしくなかった言葉だった。でも優しい彼女ならば、言いそうだと思っていた言葉だ。
「そんなの無理だよ。他の人を好きになるなんて。」
最初で最後などと偉そうなことを言ってしまったのだ。今更、嘘にする気はない。
『ダメだよ。そんなのは絶対ダメ。私のことは、すぐに忘れて。そうしないと、過去をずっと引きずって生きることになっちゃうよ。』
少し悲しそうな目だった。
莉奈以外じゃ意味ないだろ。そう、心の中で叫んだ。
時間が過ぎれば忘れてしまうんだろうか。そんな気は全然しなかった。
結局、その日の2日後、予告通りに彼女はいなくなった。
命の終わりを予言できるような世の中に、僕は苛立ちを覚えた。
もしもこの僕が神様ならば。全てを決めてもいいなら。罪のない人間から先に命を奪うような真似は絶対にしないのに。
そして、1か月が経った。
僕は高校に行かなくなっていた。
莉奈と一緒だったから輝いていた学校生活も、今では意味をなさなくなっていた。
担任は諦めたのか、最近は全然電話してこない。
ただ、無感情に。そして植物のように生きていた。
親は心中を察してくれたのか、最初の方は何も言わなかったたが、最近はやたらとうるさく、「学校に行け。」と言ってくるようになった。
もう、どうだっていい。世界に疲れた。僕にはもう無理だった。
死にたい。とは何度も思った。しかし、そんな勇気がない自分が、より一層憎かった。
猛烈な喉の痛みで目が覚めた。時計は午後4時。窓の外から小学生の集団下校の声が聞こえる。
顔を洗おうと洗面所に行って鏡の前に立つと、久しぶりに見た自分の顔はなんとも哀れだった。
「どう…するかな…」
とりあえずお腹が空いたので、近くのコンビニに行こうと決め、数日ぶりに服を着替え、数週間ぶりに外に出た。
いつの間にか風が冷たい季節になっており、自分だけがあの時のまま置き去りにされているような感覚に囚われた。
いつまでも引きずってちゃダメなんてのは知ってるんだけどな。それができたら苦労しないっつーか…
そもそもなぜ僕はのうのうと生きているんだろう。
自宅からコンビニまでは100メートルほどなので、すぐに着いてしまう。もう少し歩きたい気分だったのに。と、何から何まで智をイライラさせる要因となり得る。
結局、智は何も買わなかった。というか、買えなかったのだ。莉奈と一緒によくこのコンビニにも来ていたので、悲しい死別を思い出してしまい、買おうにも買えなかったのだ。
気づけば、この街は随分住みにくい街になったなぁ。
帰り道で、下を向いていた智司は、突然、目の前のなにかにぶつかってしまった。
「痛ってえ…なんなんだ…」
久しぶりに出す声は、かすれていた。
目の前には、高身長で笑顔がかっこいいイケメン。といった感じの紹介文がピッタリの、モデルらしき男が立っていた。まだ20歳くらいに見える。
「あ、、、ごめんなさい」
そしてそのまま通り過ぎようとすると、
ガシッ
いきなり強く腕を掴まれた。
な!?なんなんだ!?
まさかこの歳になって誘拐?!
と思ったが、それは違った。
「智くん。君にチャンスをあげよう」
笑ったままの表情で言うので、笑顔を貼り付けたみたいだった。
なぜ僕の名前を…?
「す、すみません。どなたでしょうか…」
「詳しいことはいいじゃない。君は今、悩みを抱えている。実現不可能なね。条件を達成してくれさえすれば、君の望みを叶えるよ」
この人は、いったい何を言っているんだろう。とりあえずヤバイ人ってことはわかる。こうなった時の選択肢は一つ。
逃げるのみ!
が、それも無理だった。掴まれた腕は、ビクともしない。
「なぜ逃げる?望みを叶えると言っているんだぞ?」
「一体全体どういうことです?あなたは僕の何を知っているんです?!」
「何って、君の全てさ。僕が知らないことなんて、この世には存在しないのさ。なにせ、僕は、
"悪魔"
だからね」
もう意味がわからない。何が目的なんだろう。
「君が条件を飲んでくれれば、死んだ彼女を生き返らせることもできる。どうする?」
「莉奈が!?本当ですかそれは!」
「ああ。もちろん本当さ。証拠として、"悪魔の証明"を、してあげよう。いくぞっ、それ!」
その男が指を鳴らした瞬間、世界が全て白黒になり、自動車、人の動きが全て止まった。
「あわわわわ!?一体どういう…」
「これで信じてもらえたかな?これは、世界のもの全てから魂を抜き取って、時間が止まったような体験ができる魔法さ。もちろんまた指を鳴らせば、」
パチン
そして、止まっていた自動車は走り出し、鮮明な色達が目の中に飛び込んできた。
「…」
智は言葉も出なかった。
「ね、わかってくれた?僕はこうやって魂を奪って、またいれることができる」
「なにをすればいいんですか?」
「簡単さ。今から1週間、智史くんには別の世界に行ってもらう。と言っても、そっくりそのままこの世界と同じさ。ただ、君以外に人は1人しかいない」
「つまりその1人って言うのが…」
「そう。君が生き返らせたい莉奈さんだね。1週間後の0時までに、2人が出会うことができれば、条件達成。君の望みを叶えよう。でも失敗したら...」
智は息をのんだ。緊張の色が伝わってくる。
「悪いけど、命をもらうよ」
実は、予想通りだった。悪魔は活きのいい命が好物だと何かの本で読んだことがある。
「わかりました。今からですね?」
「ああ。今すぐでもいいよ。その世界では人はいないけど、車も電車も飛行機も勝手に動いてるからね。好きにするといい。お店のものを奪っても犯罪にはならないよ」
そして、男はもう一度こちらに向き直った。
「それじゃあ、君をあちらの世界に送るね。頑張ってくれ」
体が熱い。燃えているみたいだ。そのまま、僕の意識は深い闇に放り込まれた。
目がさめると、そこは僕の部屋だった。
「ああ。夢か」
汗をびっしょりかいている。
まあ、でも一応確認をね...
いつものコンビニ。向かいの家のおばあちゃん。この時間には集団下校しているはずの小学生。そのどれもが、智史は見つけられなかった。
「本当だったのかよ...」
どこからか、時計が動き出すような、カチッという音が聞こえた。
終了まで6日と23時間45分