表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

憩いのバイト 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 卒業アルバムのネタ作りとはいえ、実家から小さい頃の写真を持ち寄る、というのは、なんとも気恥ずかしいもんだ。

 ……あー、これなんか弟がケンカできるくらい、大きくなってからの写真だよ。

 見てみ? マットレスを屏風みたいに広げちゃって、お互いに砦扱い。中から頭をぴょこぴょこ出しては、クッションの投げ合いさ。雪合戦みたいな構図だね、こりゃ。

 こうさ、自分の城みたいなのを持つと安らがないか? 生き物って、豪華か粗末かの違いこそあれ、いこいを求めていると思うんだよな。

 それを感じた体験談があるんだけど、聞いてみないか?

 

 俺がまだ小さい頃、近所に苦学生のお兄さんがいた。一軒家の俺んち、その裏手にあるアパートの一室へ、春先に引っ越してきた一人暮らし。

 おふくろが時々、おすそ分けしに行くもんだから、俺もお兄さんとは顔見知りになっている。近所で会えば、声を掛け合うけれど、それ以外の時は意識してそばにいようとは考えなかった。近所のコンビニでバイトしている姿を見た時には、なんだか見ちゃいけないものを見ちゃったように思えて、以降、その店を利用しようという気になれなかったねえ。


 そんなお兄さんなんだけど、半年が経つ頃には、コンビニのレジを打っている姿を見ることはなくなった。

 バイトを変えたのかな、とぼんやり考えつつ、その日も、お兄さんの住んでいるアパート前を通る。当時、メインの遊び場だった公園や友達の家があるのは、そちらの方向だったからだ。

 二階のど真ん中が、お兄さんのいる部屋。遮るものもないから、俺の立っている道路からでも、部屋前の手すりがついた廊下も丸見え。出入りする人の姿も、時々、見受けられる。

 今回はお兄さんの部屋の真ん前に、黒いトレーナーと青色のジーンズ、野球帽を身に着けた背の高い男の人が立っていた。

 宅配業者にしてはラフな格好。お兄さんの友達かも知れない。

 ピンポーンと、呼び鈴が鳴らされる。前にお兄さんが話していたところによると、故障しているらしくて、音がだいぶ遠くまで響くのだと。知っている人だったら、ドアをノックするはず。

 何度か呼び鈴を鳴らした後も、部屋から反応はない。トレーナーの人影はごそりと、ズボンのポケットから小さいハガキを取り出して、ドアポストにはさむ。

 トントンと、こちらにも聞こえてくるほど、大きな音を立てながら階段を下りた人影は、俺とは反対方向へ去っていく。ちらりと見えた横顔は、白いマスクに隠されて、かろうじて目元をうかがえる程度。男か女か区別できない。

 あの人影、ポスティングにしては、それに使うであろう袋は持ち歩いていなかった。ポケットのハガキは、お兄さんのみをターゲットにしたものじゃないか、という見当はつく。

 興味は湧いたけど、友達と約束した時間が迫っている。背を向けかけた時、お兄さんのドアに挟まっていたハガキが、するりと内側へ連れ込まれるの見えた。

 

 それからというもの、お兄さんを近所で見かける機会が増える。同時に、今までなら絶対にやらないようなことをし始めた。

 朝早くに起き出すと、ビニール袋を持ちながらゴミ漁りをしていたり、排水溝の蓋を外した上で、虫取り網ですくったりしている。

 それだけでもかなりのものだけど、さすがに散歩中の犬がマーキングした電柱を、乾ききらないうちに、ハンカチで拭き取っていくのを見た時には、鳥肌が立っちゃったぜ。

 学校にはちゃんと通っているらしく、昼間にアパート近辺を歩く機会があっても、気配は感じられない。けれど日が暮れてからは、またジャージ姿で町中を徘徊している姿を、何度か見かけた。朝にも見かけた、ビニール袋、虫取り網、軍手にハンカチを装備して。

 明るく、健全な街づくりにご協力……といった殊勝な空気は見えない。たまたまそばを通りかかった時のお兄さんの顔には、なんとも不快感がにじんでいたからだ。

 

 ――あの日、ポストのハガキに何が書かれていたんだろう。


 怖さを感じながらも好奇心がくすぶり出す俺は、家の裏手を通ってアパートを過ぎ去っていく時、ついお兄さんの部屋を見上げるようになっていた。

 

 そして、ある日曜日。久しぶりに行った図書館からの帰り道。昼をどこで食べようか考えあぐねていると、例のお兄さんに出くわした。ちょうど先が見えない曲がり角から現れたものだから、避けることができずに、軽くぶつかってしまう。

 あの掃除用具一式は持っておらず、見慣れた制服姿にショルダーバックを掛けているあたり、俺と似たような過ごし方をしていたのだろう。

 何か言おうとするや、「ぐぐう〜」と腹の虫が盛大に鳴く。お兄さんは笑うと、「なんかおごろうか?」と提案してくる。

 お兄さんがお金にあえいでいるのは、俺も知っていた。本気か、それとも年上の見栄か?

 しかし、限られた小遣いでやりくりし、懐の寒さに苦しんでいるのは俺も同じ。目の前にぶら下げられた提案に、思いっきり飛びつくことにした。

 

 空腹の導くままに、次々とメニューを追加する俺だが、お兄さんはニコニコしたまま表情を崩さない。「臨時収入があったから、気にすんな」と、先手を打って、こちらに釘をさしてくるほどだ。

 胃袋が満たされて、警戒心の薄れ始めた俺は、ついあのハガキと、このごろの所作について突っ込んじゃったんだ。

 ハガキに関しては「見ていたのか」と、少し驚くお兄さん。一方のゴミ拭いの件に関しては、多くの人が目にしているためか、たいしたリアクションはしてくれなかった。

 お兄さんは注文したホットコーヒーをひとくちすすりながら、答えてくれる。「実は、新しいバイトを始めたんだ」と。

 ゴミ掃除のこと? と尋ねたら、首を横に振られた。「あれは材料集めに過ぎない」と。

 一体、どのようなバイトをしているのか。俺の顔がよほど「?」マークを張り付けていたらしい。お兄さんは笑って「部屋に来るか?」と提案してくる。

 

 男のひとり暮らし。それも急な来客にも関わらず、お兄さんの部屋はそれなりにきれいだった。せいぜい空のペットボトルが数本転がっているくらいなんだが、俺はそれ以上に部屋に漂う香りが気になった。

 消臭剤、それも噴射するタイプの殺虫剤に近い臭いだ。親父やお袋だったら平然としているところだが、俺はどうにも嗅ぎ慣れない。ゴホゴホせき込むと、お兄さんは脇にある冷蔵庫の上から、個包装された使い捨てマスクを一枚、手に取って渡してくる。

「ついてきな」と、キッチンを抜けた奥の部屋へ通される。そこで俺は、六畳の部屋の向こうにあるベランダに、赤い寝袋が転がっているのを見た。

 マミー型のそれは、ファスナーをすっかり下ろされて、中身を原っぱのように広げている。けれど驚くべきは、その原っぱの上に並べられているものだ。

 

 ペットボトル。200ミリから2リットルまで、左から右へと背丈を伸ばしていくように並べられたそれは、上半分辺りを切り取られていて、大きく口を開いていた。

 それぞれのペットボトルには、底から数センチ前後のところまで、黄色い液体が溜まっており、中央にはほとんどふやけた状態の固形物の影。喫煙所に置いてある、筒型灰皿の中身に似ていたけれど、お兄さんの今までの所作を知っている人なら、もっと別の想像にたどり着くだろう。


「『オアシスづくり』とでもいおうか」


 あっけに取られている俺の横で、お兄さんは足元に転がっている、空の500ミリペットを拾い、ポンポンとお手玉し始める。


「あのペットボトル、いわば休憩所なんだ。テレビとか映画で見るだろ? 砂漠を横断する様子をさ。あれ、いかにも喉が渇きそうだろ?

 この地球にもさ、いるらしいぜ。俺たちがこうして生活している場を通るだけでも、消耗しちまう生き物が。そいつら対象に、休めるオアシスを作っているのさ」


 お兄さんはペットボトルの蓋を開けると、キッチンへ。冷蔵庫の上に横たわっているハサミを手に取り、ペットボトルの口に刃をあてがった。

 よほど慣れていると見えて、さほど時間をかけずに、ペットボトルは外に並んでいる奴らと同じく、輪切りの刑に処される。ハサミを置いたお兄さんは、今度は冷蔵庫を開けて、何やらごそごそ中身を漁り始める。

「あの得体の知れない中身、作るの?」と俺が怪訝な顔をした時、背後のベランダから音がした。


 見ると、一番大きいペットボトルが、地震に遭っているかのごとく、ひとりでにグラグラと揺れている。

「わっ」と声をあげると、お兄さんもこちらを向く。


「こいつはラッキーだな。ちょうどお客が来た。よく見とけよ」


 言われるまでもなく、釘付けの俺の視線。

 2リットルペットボトルが、内側から「べこり」と、外側へひしゃげる。中の黄色い液体は、しばしチャプチャプと音を立てて揺れていたけど、じきにそのかさが減り始める。

 時々、水の中であぶくが浮かぶ。潜っている際、鼻とかから出るものにそっくりだ。それでいて、俺の視界に飲んでいるものの姿は全く見えない。

 やがてペットボトルの中身が、すっかりなくなる。風もないのに、ペットボトルが横倒しになると、残滓が寝袋の腹を汚す。

「ケーッ」と甲高く、短い声だけが響くと、それっきり静かになった。


「お行儀が悪い奴だな。新入りか、よほど飢えていたか……あんまり続くようなら、考えないとな」


 そう告げて、俺の脇をすり抜けベランダへ向かうお兄さんの手には、今しがた吸われていったものと同じ、黄色い液体とふやけた固形物の混じり合った中身をたたえる、ペットボトルが握られていた。


 翌日以降も、彼はやはりゴミ漁りを繰り返していた。

 ハガキを押し込んだ人影については、あれから何度か、お兄さんの部屋の前に立っていたのを見たよ。分厚い封筒をドアポストに突っ込んでいたから、あれがお兄さんのいうバイト代かも知れない。

 それから3年後。お兄さんは引っ越して、あの部屋は空きになったのだけど、おふくろの話じゃ、不思議と新しく入る人が現れないんだとか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                      近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ