ナイショの話 其の七
一
私が内弁慶なのは周知の通りですが、この欠点がここまでマイナスに働くとは思いませんでした。
教室では嫌われたらどうしようと、なかなか本心を出せないで相手の顔色ばかり伺って過ごしました。一度嫌われると袋叩きに合うんじゃないかと、悲観的な想像ばかりが働いたのです。
幸い一年生のクラスでは陰湿なイジメみたいなもの発生せず、私は何とか日々をやり過ごしていました。
アイコとマイは別のクラスで早々と友達を作り、私も混ぜてもらいましたがやっぱり馴染めません。
私の高校デビューはこんなはずじゃなかった。もっと……?
もっと何だろう。私は別に大それたことを望んでいたわけじゃないんですよ。なあなあでいいかなって。
普通生きてても、大志が育まれるわけがないんです。私は物語の主役って柄じゃないですから。つまんなくてごめんなさい。
そんな私が飛びついたのが恋愛だったわけですから、退屈な結果になるのは想像に難くありません。
でも、誰にも手が届かないものが、一つでいいから欲しかったのです。
二
四月中頃になっても、私は教室内のグループに上手く馴染めませんでした。
このままじゃいかんと、クラス委員に立候補しちゃいました。後先考えないのは私の悪い癖でしたが、停滞する方が苦痛なのです。
自分でも無謀だとわかっていましたが、立候補した以上使命を全うしなければと息巻いて前に出ました。
クラス委員は男女二人で務める決まりです。私の相方はというと。
「寺田幸彦です。皆さんとよりよい一年を過ごしたいと思い、立候補しました。がんばります」
教壇の前で所信表明演説をそつなくこなす少年を私は横目でにらみました。二ヶ月前、将棋で喧嘩別れした相手が今まさに同じクラスで同じ職務を果たそうとしているとは因果なものです。
しかし、進んで人前に立ったことで良かった面もあります。クラスメートとのコミュニケーションが増えて孤立を感じることが少なくなりました。
とはいっても雑務はほとんど幸彦君任せです。自分から立候補しておいて、それはないだろうと思われるでしょうが、これまでの経緯を踏まえたら彼と上手くやるのは無理だと理解して頂けるでしょう。
だから一学期の間、ほとんど口を利かなかったし、向こうも私の態度を察してか距離を取ってくれていました。
その膠着状態が崩れたのは、夏休みの少し前だったと思います。
クラス委員の仕事で、私と幸彦君は居残って作業していました。例に漏れず、必要最小限の会話しかしないわけですからおもしろいはずもありません。早く終わらないかなと、時計ばかり見上げていました。
ようやく終わる目処が立ったため、椅子に座ったまま伸びをした私は教室の入り口に人の気配を認めます。
一際背の高いきれいな少女が扉を背にして立っています。髪を真ん中で分け、灰村香澄と違って裏表のなさそうな印象を受けました。リボンの色で二年生なのはわかりましたが、知らない顔でした。彼女の潤んだ目は私を通り越し、幸彦君に注がれています。
「もうじき終わるからちょっと待ってて」
幸彦君は指図するように彼女に言い渡しました。彼女は小さく手を振ります。ただならぬ関係に見て取れました。
私は声を落とし、二人の間柄に探りを入れます。
「あれ誰? あんたの姉ちゃんじゃないよね」
「恋人」
冗談半分の私の問いに、彼は真顔で答えました。
耳を疑うような事実に、私は椅子から転げ落ちそうになりました。
言っちゃ悪いですけど、全く釣りあってなかったんですよ。モデルのような大人っぽい先輩と、冴えない目の前の少年が恋人だなんて。
作業が終わると二人は間を少し開けて、廊下をしずしずと歩いていきました。
彼女は来栖未来。幸彦君の初恋相手でした。
二人の交際は秘密のようでした。未来ちゃんが言い出したことらしいですが、詳しいことは知りません。
未来ちゃんは、私に対して先輩風を吹かすことなく気さくに接してくれました。
幸彦君の前で見せる甘えた表情と、普段の彼女のギャップがすごいんです。
私の前ではわざとがさつに振る舞うんですね。そっちが素だと聞かされても、初めは信じられませんでした。彼女も無理しているのがわかってきた時は辛かったな。
自然、幸彦君と未来ちゃん、三人で遊びにいくことが多くなりました。よく考えれば、私をカモフラージュに使っていたんですね。
楽しかったから腹は立ちません。
夏休みは、三人で江ノ島に日帰り旅行に行きました。
帰りの電車で、未来ちゃんと私の間に幸彦君が座りました。
夕日の濃い光が車内を照らす中、未来ちゃんは泳ぎ疲れたのか眠ってしまいました。
私は幸彦君の指と指の隙間に自分の指を絡ませ、未来ちゃんに気づかれないように握りました。
彼の汗ばんだ手はあまり触りたくありませんでしたが、私は電車を降りるまでそうしていました。
握り返してこなかったけど払いのけなかったし、これはいけるかなと確信しました。
ショートケーキの苺っておいしそうですよね。私はケーキが嫌いですけど、苺は大好きなんです。
三
私が幸彦君にちょっかいをかけた動機ですか?
未来ちゃんを面倒な恋愛のイザコザから解放してあげようとか、そんな殊勝な動機からじゃないですよ。
恋とはどんなものかしら。つまり単純な好奇心からくるものでしたけど、他人のものに手を出す当たり誰に似たんだか。
初対面の悪印象は拭えなかったし、彼の鈍感なところは好きになれません。
でも不器用な優しさは伝わってきて、じょじょに打ち解けていったんです。やっぱり本当に嫌いな相手とは一秒でも長く一緒にいたくないですから。まあそれでも暇つぶしでしたけど。
灰村香澄は私と違って本気でした。
彼女が幸彦君に懸想しているのに気づいたのは、一年の秋頃だったかな。
灰村さんは一人暮らしでしたけど、片づけが全くできないため幸彦君に頼んでいたらしいです。
幸彦君はそれを口実に、二年の二学期から彼女のマンションに転がり込んでいました。家出の理由はお父さんとの不和だそうです。
二人がどういう風に関係を深めていったのか、私は知りません。人に言えない悩みを抱える者同士、通じ合うところがあったのかもしれませんね。
あとは、そうだなあ。私も暇を持て余していたわけじゃないんですよ。
受験で中断していた習い事を再開しました。つまり、絵を描かなければいけなくなったんです。
ブランクもあるし、誰にも言われなければそのまま絵筆を捨てたいと思っていました。手も服も汚れるし、画材にだってお金がかかります。それだったら、洋服や遊興費に充てた方がずっといい。
でもお父さんが、
「陽菜、また絵を描いてくれよお」
少し酔っぱらっていた時だったんですが、私に甘えるように懇願してきたのです。
一度断れば、お父さんは無理強いしないでしょう。でも私は努めて良くできた娘を演じてしまいました。
「うん! がんばるよ」
お父さんが母に絵を見せたがっていることを知っていました。私の姉は絵が得意だったそうですから。きっとお絵かき程度だったんでしょうけど、私は比較されるのが苦痛でしかたなかった。絵は嫌いです。
お父さんの母に対する思いは純粋で、嘘偽りがなくて、無碍にできなかったんです。私が断ったら大事なものが砕けてなくなってしまう。どうしようもありませんでした。
ですが、ピンチをチャンスに変えようと、駄目元で嘉一郎君に連絡してみました。彼は謙遜していましたが、絵の腕前はプロ級で、以前教わったこともあったのです。
彼が西野家を去って半年が経過しています。彼の声がどうしても聞きたくてこれまで何度も連絡を試みましたが、全くの音信不通でした。
それが、この時ばかりはワンコールで繋がったんです。歓喜と恐慌がない交ぜになり、思考が真っ白になってしまいました。
「……、はい」
少しくぐもった声の彼は、寝起きのようでした。実際、家で暮らしていた時と似ていたんです。
「もしもし?」
放置すれば電話を切られるとわかっていても、唇が動いてくれません。
「西野さん、ですか」
沈黙を読まれた私は足をバタバタと踏みならし、失神寸前でした。でもここで倒れては今までの苦労が水の泡です。息を整え、生徒のお手本のようにはきはき答えます。
「はい、そうです。西野陽菜です。お久しぶりです、先生」