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ナイショの話其の四


この時名前すら知りませんでしたが、寺田幸彦の家は、建物と建物の間に挟まれた細い路地に窮屈そうに建っていました。


知らない男にノコノコついてく私の常識を疑うでしょうが、逆らうと何されるかわからないので従ったのです。ぶっちゃけ、ゲームもやりたかったし。

 

幸彦君は、うっかり家の前を素通りしそうになる私の腕を掴んで立ち止まらせました。

 

私は反射的に彼を怒鳴りつけます。

 

「何触ってんだ! 殺すぞ」

 

「口悪いなあ……、黙ってりゃ可愛いのに」


聞き間違いでしょうか。私は人に可愛いと言われたことがほとんどありません。アイコたちのは社交辞令だし、おじいちゃんも陽菜ちゃんは将来美人になるぞと太鼓判を押してくれましたが、それって今は美人じゃないってことですよね。みにくいアヒルの子ってことは自覚していました。

 

この頃の私はいわゆる陰キャという奴でした。目立たず騒がず、少ない仲間内で固まって日陰を生きる。男子に告白されたこともないし、嘉一郎君にも振られています。

 

振られて傷心したせいもあって、不覚にも動揺したことも確かです。でも一時の迷いと切り捨てました。


「ほら、行こう」


「う、うん」


もし、この時、幸彦君の手を振り払って、その場から立ち去っていたとしたらどうなっていたのでしょう。


案外普通の人生を送っていた気もします。同窓会でアイコたちと昔の思い出を語るような穏やかな世界があったのかもしれません。

 

でも不思議と後悔はしてないんですよね。後悔があるとすれば、自分の気持ちに嘘をついたことですかね。その報いは後々顕れます。 


家のドアを上がるとすぐ狭い階段になっていました。そこを上がりきるとまた狭い空間で、冗談じゃなくクローゼットかと思いました。電気をつけても閉塞感は変わりませんでした。


段ボールがいくつも置いてあり、足の踏み場もありません。

 

「来月引っ越すんだ。散らかっててごめん」


聞いてもいないことをぺらぺら喋るってことは私を生かして帰すつもりはないのだと思いました。


今更、逃げだそうとしても無駄だと観念し、彼の導くまま近くの扉から別の部屋に入りました。


雑然としていたさっきの部屋とは違い、入った部屋は整頓されていました。


学習机に少し大きめのベッド。ダブルってわけじゃないでしょうが、単に男の子用だから大きく感じるんでしょうね。


難しそうな文学全集が本棚に散見されます。文学に明るくない私でも、こいつできる……、と一目置かざるを得ないラインナップでした。


彼は段ボールの上に乗っていたテレビにファミコンをつなぎました。 


「何してんだ。座れよ」


フローリングの床はとても冷たい。座るのを躊躇してしまいました。


「あ、そうか」


彼は私の様子から察したらしく一端部屋を出て、数分もしないで戻ってきました。手にはベージュのクッションが握られています。


私は礼も言わず、クッションを受け取りその上に座りました。


ファミコンにソフトを入れるガチャガチャという音が耳障りに聞こえます。


「さ、始めよう」


私は前述の通りゲーマーですから、このゲームに興味津々でした。


ところが、肝心のゲームは期待ほどの出来ではなく、すぐに飽きてしまいました。単調な電子音に苛立ち募らせましたが、帰る口実を述べるには絶好の機会です。


口を開きかけた私より素早く彼が言います。


「次、何しよう」


こいつ……、私を本気で帰さないつもりか。こんなしつこい男に会ったことない。他人の気持ちがわからない奴だと本気で思いました。


「それ、飲まないの?」

 

彼が指したのは、私の脇に置いてあった缶ジュースです。私の前に割り込んで買った奴ではなく、この家の冷蔵庫にあったものです。しかもコーヒーではなく、炭酸です。


「いい。甘いの嫌い」


「甘くなかったらいいのか」

 

彼は部屋を出てまた戻ってきました。


「おまたせ」


彼は牛乳をカップに入れて持ってきました。


「冷たいじゃん。いらない」


「めんどくさい奴だな。ちょっと待ってろ」


次はレンジで暖めた牛乳が運ばれできました。私が飲むまであきらめないつもりでしょう。牛乳も好きではありませんが根負けし、口をつけました。


「君、ゲームめっちゃ強いよな。好きなの?」


彼は私が牛乳を飲んでいる間、ベッドに寝そべって本をめくっています。


「まあね。シューティングとか結構やるよ」


「クラディウスやる?」


「いいね、やるやる」


こうなると私の独壇場です。お気に入りのゲームで腕前を披露すると、さすがの彼も舌を巻いたようでした。


私の悪い癖で、ゲームに熱中すると時間を忘れてしまいます。すっかり塞いでいた気分は一新です。


「あー、楽しかった! 次何しよ」


しまいには私の方から彼を遊びに誘っていました。彼は臆することなく誘いに乗ってくれます。


「アナログゲーとかどう?」


「いいね。花札、ポーカー、神経衰弱ならやれるけど」


「カードもいいけど将棋はいける?」


「おけ」 

 

私は快諾しましたけど、内心は少し嫌だなと思っていました。将棋を誘ってくる相手は大抵自信があるんです。負かすには時間かかるし、疲れるんですよ。


彼は折りたたみ式の将棋盤を広げ、大橋流で並べ始めました。それだけで昨日今日始めた奴じゃないってことがわかります。


案の定、彼は四間飛車を選択し、定跡に則った攻め筋で私の駒にぶつかってきました。


それでも私の敵じゃなかったですけど。


私は小学校高学年まで将棋教室に通っていました。

 

「陽菜ちゃんは女だてらに負けん気が強い。将棋に向いている」


一度我が家に訪れたプロ棋士の方にそう言っていただいたことがありますが、これって失礼ですよね。だからってわけじゃないですけど、将棋への興味は段々薄れて、結局教室には通わなくなりました。やめてからもお父さんや嘉一郎君と時々指しましたが、二人は弱いので平手でやったら絶対負けません。


百手いくかいかないうちに彼が投了しました。


「堅いなー。手に負えないや」

 

「クマちゃん好きなんだもん。そっちこそ攻めが意外と早くてヒヤヒヤしたよ。たとえばここで角を引いて……」

 

和気藹々と感想戦まで始めてしまいました。感想戦とはお互いに対局の悪かった所を検討することです。彼は成る程と前のめりになって素直に聞いてくれました。


「ねえねえ。もう一回やろ!」


将棋がこんなに楽しかったのはいつ以来でしょう。将棋をやめた理由の一つに負かした相手の顔を直視できなかったことにあります。勝負は好きですけど、負かした相手の心情を思うと素直に楽しめないのです。その点、彼の態度は合格でした。負けた相手の言葉に素直に耳を傾けるってなかなか難しいですからね。


「いいけど、穴熊禁止な。しんどい」


「えー、どうしよっかな」 


乗り気だった私でしたが、二局目でおかしなことに気づいてしまいました。 

   

私は居飛車の急戦を選択。彼は再び四間飛車で待ちの態勢に入りました。


彼の駒の動きが悪い。というか、意図的に筋を止めているような気配すらあります。何かの罠か、ミスか一度気になりだすと止まらなくなります。結局終盤に至るまで私の玉の囲いは無傷で優位は揺るがず、またしても彼の投了。


あー、そういうことか。 

 

私は激情に支配され、将棋盤をひっくり返していました。


「なめた真似してんじゃねえよ。さっきわざと負けただろ」

 

彼は私の剣幕を無視し、薄く笑みを浮かべて部屋に散乱した駒を拾い始めました。


「そういうの一番ムカつく。やるんなら真剣にやって」

 

「君って熱い奴だな」


「話そらすな!」

 

彼の手をはたきました。私は一度怒ると手がつけられなくなるんです。特に嘘をつかれるのが許せなくて。


「悪かったよ。君が意外と強くて上手く負けられなかった。女の子を負かすと気分悪いし」


「は? 男とか女とか関係ないじゃん、あーもう」


何でこう男は女を下に見てるんでしょう。痴漢してきたリーマンもそう、こいつも同類だと思いました。


「そうだね。君は女の子みたいだけど中身は男みたいだ。今度は本気で……」

 

反省の色を見せない彼の青白い頬を私はグーで殴りつけました。それから脇目も振らずに部屋を後にしました。


これでおわかりでしょうが、幸彦君は嘘つきだけど、嘘をつくことが下手な人。


嘉一郎君は嘘つきで、さらにその嘘を隠すのが上手い人だったんです。


どっちがいいんでしょうか。どっちも嫌ですけど、大概の人はどちらかに分類されるんじゃないでしょうか。


さて私はどちらでしょう。どちらに分類されるべきだったのでしょう。

 

それは今でもわかりません。



 

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