ナイショの話其の二
そうは言っても嘉一朗君と同じ家に寝起きしていると、まるで家族になってしまったようで、初めの頃のようなドキドキが薄れるのではないでしょうか。嘉一郎君に確かめることにしたのです。ドストレートに。
「先生、私と付き合って」
試験に受かっても、どうせネズミのランドで関係が終息するって理解してました。年の差もあるし、諸々の恋の障害が私を燃え上がらせたのでしょう。今のうちにいっちょ切り結ぶのも悪くないって勇み足をしてしまったのです。
彼が何と返事をしたか、ご想像にお任せします。私は息が止まりそうなほど苦しくて、自分の鼓動の音だけが蝉の鳴き声のように耳に響いていました。
結果から言うと、私の初恋はあっけなく散りました。ここまでは甘酸っぱい青春の一ページで終わりそうでしたが、そうは問屋が卸さないのが物語の怖いところです。
振られた後も、彼は家に居続けるわけですから気まずいことこの上ないです。
彼には普段、離れの和室で寝起きしもらい、食事と勉強を教わる時だけ本宅に来てもらいます。
大抵、リビングで勉強を見てもらいますが、お父さんがいない時に限り、自室にこっそり招き入れることもあります。
建前は勉強ですけど、部屋でするのはゲームや雑談が主です。小娘の他愛のない愚痴を、彼は辛抱強く聞いてくれました。聞き上手なんですね。それもできなくなってしまいました。世界が急に終わった感じです。
西野家のだだっ広い西洋屋敷では、工夫すれば行動半径が被らないように生活できます。
トイレは三つありますし、バスルームは二つ。私はそのうちの一つのバスルームに近づかないようにしてきました。理由はおわかりだと思いますが、そこは私の姉が亡くなった場所だったのです。
嘉一郎君は、三階にある例のバスルームの近くの書斎で本を読むのが好きだったようです。ガラス張りだから部屋の外からでもわかります。そこは父の書斎でしたが、嘉一郎君は自由に出入りしていいことになっていました。
仮に書斎を迂回したとしても、私の生活に影響はないと考えました。
よくよく考えれば、彼は私の勉強を見てくれるために、家にいるので本末転倒なんですよね。
何であのタイミングで告白なんてしたんだか。
暖炉のあるリビングで勉強するだけの関係を継続させ、言葉数は最小限に押さえるように努めていました。
意識しっぱなしだった私と対照的に、彼の態度は以前と変わりません。何だ、私の一人相撲だったのか。これからは受験に集中しようと決意を新たにしたものです。
ところが、真人間になろうという私の決意を揺るがす事件が起きます。
お菓子をもりもり食べながら、深夜まで勉強していた私でしたが、ついに眠気に勝てなくなり、歯を磨いて寝ようとしたのです。
十五年暮らした家でも、夜は別世界のように暗く静まり返っていてあまり出歩きたくありません。まるでゴシックホラーの舞台みたい。
部屋にもっとも近い洗面所に駆け込むと、鏡をのぞき込みました。おばけが映り込むから気をつけないといけないと本で読んだせいでびくびくです。
信じられないことに黒い大きな影が、私の背後から覆い被さるように、映り込んでいました。
「きゃー!」
悲鳴を上げ、尻餅をつきそうになった私を、影は支えてくれました。この腕の感触を私は知っています。
電気のスイッチが点けられ、ぱっと影を照らしました。
嘉一郎君が、タンクトップ姿で立っていました。しかも汗びっしょり息を切らせいます。
「君でしたか。驚かせないでくださいよ」
それはこっちの台詞です。深夜に薄着で何をしているんでしょう、この変態は。
突然のことで私は口が聞けなくなってしまいました。沈黙を紛らわすように金の蛇口から勢いよく水を出します。
「僕は、体を鍛えていました。お父上のご厚意に甘えてトレーニングルームを使わせてもらっています」
私はほとんど使いませんが、ダンベルなんかの器具が置いてある部屋が同じフロアーにあるのです。作った父本人ですら放置していて、折りを見て私が衣装部屋にするつもりだった部屋です。嘉一郎君はそこで体を鍛えていたのでしょう。
鏡に映る彼の胸板をちらちらと盗み見してしまいました。普段の寡黙な彼と男らしい筋肉のギャップに、ムラムラもといドキドキしておりました。
おもむろに側にあった歯ブラシを持って、嘉一郎君に無遠慮がちに突き出します。
彼も心得たように私の要求を受け入れました。
鏡には口を少し開けた髪の長い間抜けな少女と、美しい死神みたいな男が微笑んでいるんです。うわー、きしょ。
「もう寝た方がいい。体を壊したら元も子もないから」
低い声で囁かれたら、体の力が抜けてしまいました。
彼の腕に掴まって部屋まで連れていってもらい、部屋の前でどうでもいい英語の質問をして時間を稼ぎ、結局またお手伝いさんに見つかり、怒られて。
でもこの頃の私はとても幸せでした。それだけは嘉一郎君に感謝しています。
もう、この辺でやめておきますか。
ああ、はいはい、そういえば、幸彦君の話をしてませんでしたね。
忘れてなんかいません。私は彼のことが好きだったみたいですから。