恐るべき子供たち
「何してるの?」
幸彦君が私の背中に手を回そうとした所、ふいに声をかけられ飛び退くように離れました。
現れたのは カヲリ=ムシューダです。得意そうに胸を張っています。
「寺田君、灰村先輩が来て欲しいって」
「……わかった」
言伝を聞いた幸彦君は逃げるようにその場を後にしました。
「何してたの?」
今度は私一人に向かって堂々と訊いてきました。まるで後ろめたいことをしていたと決めてかかるみたいに。
「スキンシップ」
「やり過ぎじゃない? 私にはもっと親密なものに見えたけど」
「あんたに関係ないじゃん」
そう、カヲリは何も知らないのに横槍を入れてくる女なのです。
「寺田君は駄目だよ、西野さんきっと駄目になっちゃう」
もうとっくに駄目になってるよ、恋をした時点で。
結局、嘉一郎君の助力を持ってしても、母が満足する絵は完成しませんでした。彼女の求める絵は私の姉が描いたものなんですから。いくら技量を磨いても無駄なんです。
私は一体何のために生きてきたんでしょう。亡くなった姉のためにお稽古ごとをして絵を描いて、言われるがまま生きてきました。
自分の人生を選ばなきゃって段階になると指針がわからなくなります。
嘉一郎君はそのままでいいって言います。
そのまま? ずっとそのままじゃいられないのはわかってるくせに。どうしてそんなこと言うんだろう。大人ってずるいなと思いました。
早く大人になりたい。でも大人になるってどうすればいいんだろうって、ずっと悩んでいました。
自立するという考えはだいぶ前からあったんですけど、お父さんは猛反対しました。母には私が必要だからって。
私が家を出るには、嘉一郎君がどうしても必要だったのです。
でも体のこともあって、二人でやっていけるか自信が持てません。
それに、嘉一郎君には白井亜矢子さんがいます。部屋で額入りの絵を見た時に説明を受けました。
何だ、私、一番じゃねえじゃん。バッカみたい。
「僕らは遠くに行こうと思う」
学校では見せないような勇ましい顔で、幸彦君は嘯きます。私たちは学校帰りに堂々とゲームセンターに向かいました。クレーンゲームに四苦八苦する彼は普段とは打って変わり余裕がありません。こういう手先を使うゲームは苦手なのでしょう。
どこへ?
「わからない。でもこの子と一緒にいると楽しいよ。今まで縛られていた常識が馬鹿らしくなってくる」
幸彦君は、迷子の女の子と旅立つ用意をしていました。
本当の妹はどうするのかと訊ねると、
「知らないよ、あんな奴」
本当の所はどうなのかわかりませんが、幸彦君は妹を嫌っていました。
丸岡に入学したのも、妹が小学校で騒ぎを起こしたせいで、本命の高校を受験できなかったためであるというのです。問題の根は深そうでしたが、部外者の私にはそれ以上はわかりませんでした。
とにかく幸彦君は全てを捨てて逃げ出そうとしていました。そのためにお金が必要だったのです。
その割に、私が軽い気持ちで欲しいとねだった指輪をクレーンで懸命に取ろうとしているのが、不思議ですよね。
ようやく指輪を手に入れ、私に手渡した時の彼の心底ほっとした顔に虫酸が走ります。優しくしないで、不安になるから。
彼にとっては私も手段でしかなく、自分勝手な恋人、自分勝手な家族を断ち切るのに絶好の機会だから言い寄るのです。私に出来ないことを平然とやってのけようとする彼を妬みました。
私も連れてってと言いたかった。
不思議な子供と、ボーイミーツガール。まるでジュブナイル小説の筋書きにぴったりじゃないですか。
私は手に入れた安いリングをはめ、光にかざしてみます。
「女の子は幸彦君が思うよりチープかもしれないよ。それでもいいの?」
幸彦君はそんな私の手をぎゅぅっと掴んで引き寄せました。
「西野は安っぽくなんかない。絶対」
久しく絵の具のついていない私の指は、自慢じゃないけど、それなりに冬の灯りに映え、めらめらと彼の心に火をつけていました。
「ありがとう、幸彦君のそういう優しい所、好きだよ」
そうです、私たちは物語を生きる子供だった。
恐るべき子供たち。
四
嘉一郎君と大喧嘩してしまいました。
学校で私との仲を疑われたそうで、しばらく距離を置きたいと言われた時は感情的になり、物に八つ当たりしたり、彼の胸をぶちました。
私と別れる口実だったのではないかと疑うし
かありません。
嘉一郎君が疲れた顔をして、大人しく殴られていたことで、さらに怒りに火をつけました。
「私、幸彦君のこと好きになったから」
幸彦君からもらったリングを見せびらかし、最期の脅しをかけます。
嘉一郎君が私のことをどれだけ愛しているか、試したのです。彼は、そうですかと、私から弱々しく目を背けて終わりました。
その態度が許せなかった。
「……、私のどういう所が好きだった?」
彼はさほど悩むことなく答えます。
「有り体に言えば、平凡な所でしょうか」
私は力一杯彼の体にしがみつき泣きました。
良かった、この人を愛する事ができて。
十二月の半分程度は嘉一郎君のマンションで暮らしていましたけど、いよいよ家に帰ることになりました。帰り際、ドア前まで送りに出た彼の額は深い皺が刻まれていたのをよく覚えています。
幸彦君と喧嘩したと思っている脳天気なカヲリをあしらうのがおっくうで学校に行くのも嫌気がさしますが、行くところもありません。
雨降りしきる中、沿道の正面に立ちはだかる人がいます。
「おい、どこに行くんじゃ」
知らない子供に呼び止められました。
「丁度いい。私はこれからパパの所に帰る」
一皮むけたようなさっぱりした表情で子供は大志を語ります。誰かと思ったら、あの迷子か。猫は見つかったのでしょうか。
「兄ちゃんや、カヲリに教わった。人は自分で生き方を選べるんじゃと。私もこれからどうしたいかパパと話し合ってみようと思う。学校に行ってみたいしな」
「あ、そう」
私にとってはどうでもいい。他人の人生なんて。
「お前も、自分で選べるといいな。生き方」
選択肢なんて初めから私にはなかったのです。それを思い知らされました。
イカロスが燃え尽きるとわかっていて蝋の翼で飛んだように、私もなるべくしてそうなった気がします。
鉄柵の向こう側の狭い地面に足を下ろした時、遺書を用意してなかったなとぼんやり考えました。
八階のマンションの屋上から見下ろすと地面に吸い寄せられるように視野が狭くなり、目眩がします。
ここから飛び降りれば嘉一郎君の人生を滅茶苦茶にできる。母からも解放される。
その時、以前嘉一郎君に見せられた亜矢子さんの絵を思い出しました。永遠に彼の中で生きる女性。羨んだけれど、同じ土俵に立って本当に良いのだろうか。
駄目だ、これ。やめよう。
後ろ手で柵を掴み一端思いとどまりました。
やはり私には死のうとする勇気も出ないらしい。それまでリストカットをしたことはあったけど、本気じゃなかったし。
嘉一郎君に謝り復縁し、幸彦君と口を利くのもやめよう。どうせ何でもないんだから。
カヲリはクリスマス会のサンタ大使になったと言ってました。気分転換に、今から顔を出すのも悪くない。
雲間から一条の光が差しています。手を伸ばせば届きそうな場所に。あれはきっと私が知らない温度を持っている。そう思ったら、手を伸ばさずにはいられませんでした。
その時、予期せぬ出来事が襲いました。雨は既に上がっていましたが、柵が濡れて滑るのです。
冊を掴んでいた右手が離れ、前のめりに宙に投げ出された私はくるりと向きを変え、頭から地面に落ちていきました。みるみる下へ。
これが事の顛末。
あまり大した話でもなかったでしょう。
でも、死んだ人間が自身の死の客観的に見つめるなんて機会普通ないですから、私、打ちひしがれています。
幸彦君に慰めてもらおうっと。
だって彼の心には私が生き続けているんだから。
私たちは恐るべき子供たち。
でも何にもなれない子供はどこに行くのでしょうか。それは誰にもわかりません。




