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椅子取りゲヱム



翌日、目を覚ました私はしくじりを認め、天井を仰ぎました。


ホテルの部屋が滅茶苦茶になっていました。枕は壁際に落ちて、シーツも皺だらけ。念のため言っておきますが、服は着ています。

 

自分の寝相の悪さが原因だとすぐに気がつきました。一人の時は仕方ないですが、誰かと一緒だと被害は甚大です。同じ部屋に泊まるのを渋ったのは、こういう理由もあったんです。


嘉一郎君はベッドとベッドの隙間に転がっています。私に蹴りとばされても、ぐっすりなのはさすがです。


釈明のしようもない醜態でしたけど、彼は何事もなかったようにシャワーを浴び、朝食に行こうと誘いました。


触れられないのも、きついものがあります。謝る機会を失ったじゃないですか。 

 

レストランでは外国人観光客が大声で話していました。 彼らから少し離れたテーブルに私たちは座ります。


私も嘉一郎君も、朝は控えめに済ますタイプなので、もそもそとトーストをかじりました。会話のきっかけがつかめません。


寝相の件を知られてしまったことで最悪、関係が終わることも考えられました。

 

「どこか行きたい所はありますか? なければもう」

 

ここは正念場だ。


彼も私が退屈していると気づいていたのでしょう。見透かすような彼の言葉に、私は可愛い顔でとぼけておきます。


「嘉一郎君と一緒にいられれば、どこでもいいから。そんな悲しいこと言っちゃやだな」


彼は安堵するように笑いました。


こういう朝も悪くないと、昨日の憂鬱を払拭させてくれるような笑顔です。


一つ屋根の下で暮らしていた時期もあるのに、未知の領域に足を踏み入れたことがわかります。


二人きりで明かした朝は、特別な色彩を帯びていたのかもしれません。

 

予定通り、二日目の観光を終えた頃には私たちの絆はさらに深まり、破局の危機を乗り越えました。

 

ばんざーい。


ばんざーい。


何が足りなかったんだろう。


私たちの間には。



私は誰かに必要とされて当たり前だと思って生きてました。普通そうですよね。仮に不要であることを受け入れて生きていける人なんてそんなにいない。というかほとんどいない。

 

ラブラブ秘密旅行を無事に終えて一ヶ月後、新学期が始まりました。


数学に苦戦しつつも幸彦君を便利に使い、乗り切っていきます。


放課後は、美術準備室で嘉一郎君に絵を教えてもらい、忙しくも充実した日々を送っていました。


じゃあ何が問題だったのかって? 


予兆は小さな小さなものでしたが、ずっと前から存在していたんです。


「あなた、だあれ? うちの子じゃないでしょう。帰りなさい」

 

お母さんは、昔から何度も私に同じことを言います。気にしないようにしても、年に二回は我が家で顔を合わさないといけません。


私には、娘というポジションが初めから存在しませんでした。お父さんはいるけれど、お母さんはいません。


「ねえ、教えて、クソババア。私は何になればいい?」


「鏡になりなさい」


こんな風にあべこべなやり取りをする親子がどこにいますか。

 

家で幸せを掴めないなら、外で掴めばいい。そこで恋愛にしがみつくしかなくなったのです。


あの旅行が終わって、嘉一郎君が私との将来をどう考えているのか知りたくなりました。


私が高校を卒業すれば、堂々と交際できる。後一年半ほど待てばいいと悠長に構える余裕は、残念ながら私には備わっていなかったのです。

  

ある日、幸彦君と、ゲームの話をして盛り上がっていると時間が押し迫ってきました。絵を描く時間がなくなりそうなので、お別れをして準備室に向かいました。


ひそひそ声が漏れ聞こえてきました。

 

嘉一郎君と、女子生徒の声だとすぐにわかりました。

 

教師と生徒が会話するのは当たり前です。でも私の心はざわつきます。


彼が盗られるんじゃないかと、勘繰っていました。


そのたびに激しく問いつめることも増えていきました。


感情が押さえきれないんです。彼も母みたいにある日突然、私にそっぽを向くんじゃないかって疑ってしまうんです。


「浮気してもいいから。隠れてするのは絶対やめて」


こんな譲歩、一体何の意味があるんでしょう。彼も馬鹿らしいと取り合いませんでした。


私が不安になったのには理由があります。


あの旅行から程なくして、私たちは男女の中になりましたけど、相性がよくないのか、どうにも上手くいきません。痛かったし、しばらくこういうのはよそうと決まってしまいました。


客観的に見て、プラトニックな関係に見えるかもしれませんが、淡泊な彼の態度と弱腰に歯がゆい思いをしていたのも事実です。


自分から誘うのははっきり言って無理です。抱きついたり、キスをするのは自然にできるのに、そこから一歩進むのは困難でした。


「もしかして君のこと妹みたいに思ったりして」


核心をつかれた気がして、私は翔君の腕を殴りました。


翔君と初めて出会ったのはいつだったか、忘れてしまいましたけど、この女たらしのことは、まあどうでもいいです。

 

「俺だったら放っとかないけどな。こんな風にさ」


そう言って、車の中で無理矢理キスされそうになったことがありまして、鼻血が出るまでぶん殴ってやりました。

 

女なら誰でもいいみたいな最低な野郎ですけど、憎めないところもあるんですよ。


翔君が風邪を引いたとある日連絡がありまして、知らねえよと突っぱねたかったんですけど、死にそうだから来て欲しいと言われて断れませんでした。


「陽菜ちゃん、俺は君がいないと死んでしまうよ」


翔君の場合、本当にそう思って言ってるんですよね。たぶん、私が看病しなかったら本当に死んでしまうと思わされてしまう。それが幸彦君や嘉一郎君と違う所です。


翔君の馬鹿正直な所が、二人にもあったらと考えてしまいます。物事は上手くいかないようにできているんですね。


十二月、私の前に最後の使者が訪れます。


カヲリ=ムシューダという妙ちくりんな名前の女の子が転校生としてやってきた時は私の不調もピークだったこともあり、つい辛く当たってしまいました。


ところがカヲリは要領悪く見えても人当たりがよく、暫くすると私の友達と親しくなっていました。

 

友達の友達は友達なんて理論を私は信じていませんから、カヲリを友達だと認めるわけにはいきません。


カヲリは幸彦君とも距離を縮めていました。幸彦君が時を同じくして何かこそこそとしているのを知った時は嫌な予感がしたものです。


カヲリは、打算抜きで人の懐に入り込む力を持っています。


 普通は、相手とどういった関係を築きたいかが念頭にあるわけですけど、あの子の場合はそんな駆け引きが通じない。 


だから苦手っていうか、私にはそういう器用な考えができません。友達は友達、恋人は恋人としか見られないんです。

 

認めたくないですけど羨ましかった。


取り残される気がして、カヲリに幸彦君のことを聞いてみました。

 

初めは口が堅かったですけど、問いつめると白状しました。


幸彦君は妹さんのために猫を探してあげていたようです。


苦労した割に大したことはないと思いました。ですが、幸彦君に直接訊ねようとしても、はぐらかされるばっかりで埒が明きません。


どうして私に知られたくなかったのか、程なくしてわかります。


学校の敷地で、子供がよくうろうろしているなと目に付いたんです。


頻度が結構多くて、多い時には一日何度も目撃したんですけど、私以外にはその子は気づかれていないようでした。


「おい!」


私が掃除当番で、ゴミ捨て場にいた時に後ろからぞんざいに呼ばれました。


私の背後に、ぶかぶかのパーカーをすっぽりかぶった子供が立っています。腕を組んで偉そうにしていますが、小学生くらいでしょうか、マッチ棒みたいにか細い。


寝不足で相手するのも面倒なので、無視して脇を通ろうとしますが、邪魔されます。袋小路なので押し通ろうとがんばります。


「何よ、どけって!」

 

「いやじゃ!」


子供のくせにものすごい力で、私を突き飛ばしてきました。


「お前ずっと兄ちゃんを見とったじゃろ。知っとるんじゃぞ」   


ゴミ捨て場で、わけのわからない言いがかりをつけられ、困惑より怒りを気持ちが強くなります。割れた瓶の欠片を無意識に掴んでいました。


「おい! 何してるんだ」


叱責するような声を上げ、幸彦君がゴミ捨て場に飛び込んできました。


唖然とする私の前で、彼は子供に強く言い聞かせます。


「暴力を振るうなって何度言えばわかるんだよ」


「そいつが勝手に倒れただけじゃ。私悪くないもん」

 

ばしっと甲高い音を立て、幸彦君は子供の頬を叩きました。

 

子供は歯を食いしばって耐えていましたが、涙をあふれさせ、嗚咽を漏らします。


「人は玩具とは違うんだ。すぐ壊れるんだぞ。もう一度よく考えてみろ」


「幸彦君、もういいから」


私はガラス瓶の欠片を隠すと、無関心を装って二人の前に立ちました。


「その子は?」

 

幸彦君は泣きじゃくる少女の顔を隠すようにパーカーのフードを被せました。


 「妹が迷惑かけたね。ごめん、西野」


以前から幸彦君に妹がいることは聞いていましたが、この子がそうだとはにわかに信じられませんでした。

 

 「ふんだ! ぺちゃぱい! 二度と私たちの周りをうろちょろすんじゃねえぞ」


 子供は悪態をつくと、校舎の壁に手をついて登っていきました。念のため言っておきますが、取っ手になるようなでっぱりはありません。垂直な壁です。


 「え? 何あれ?」


 私が驚きのあまり、子供が校舎の二階の窓までたどり着くのを口を開けて見上げるしかありません。


 幸彦君はしばらく頭を抱えていましたが、

 

 「黙っててくれると助かる」


 手を合わせて私におうかがいを立ててきました。


あの子供は妹ではなく、名前もわからない迷子らしいです。


家もわからないため面倒を見ているそうですけど、どうして妹と偽るのでしょうか。

 

「あの子は僕を兄ちゃんって呼んで慕ってくれる。家に帰りたくないみたいだし、もう少しこのままで」


あの子供と私、少し似ていると思いました。


人生って椅子取りゲームに似ていると思うんです。

 

嘘をついてでも居場所が欲しい。


寄りかかる場所が欲しいのは誰でも同じなのです。


「西野……?」


私は幸彦君の胸に額をつけました。彼が女の子の扱いを忘れたように狼狽していたのが、おかしかったです。


同時に自分の惨めさがどうしようもなく嫌になりました。


灰村香澄のように、蜃気楼を追いかけるような無様な真似はすまいと心に決めていたのに。


恋なんてするんじゃなかった。


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