ナイショの話 其の九
一
「年上の彼氏って、アリ? ナシ?」
学校の食堂は混雑していましたが、私とアイコ、マイは何とか席をキープできてほっと一息ついた所です。
昼食を取る合間に私は話を振ってみました。
唐突だったこともあり、二人は顔を見合わせ黙ってしまいました。
無理もありません。私が二人の立場だったら同じように困惑していたでしょうから。
「まー、相手による。二十代なら全然アリ」
と、カルボナーラを口に運ぶアイコは、とても面食いなため、男を見る目が私より厳しいです。
「ウチはもうちょい上でもいける。価値観が合う人なら」
ただし経済力のある男に限ると、含みを持たせるマイは金銭感覚にシビアな子です。
何様だよって感じですが、つまり相手によるということでした。二人の意見を総合すれば、嘉一郎君は合格と言った所でしょうか。ひとまず安心でした。
「陽菜、どうして急にそんなこと訊いたの?」
アイコの逆質問に、マイが肩をすくめます。
「野暮だな、アイコちゃん。陽菜ちゃんは気になる人ができたんですよ」
不覚でした。勘の鋭いマイでなくてもそれくらい類推できると考えてから喋るべきでした。
「へー、良かったじゃん。上手くいくといいね」
アイコは言葉では祝福してくれましたが、ガチャガチャと大きな音を立てて、食器を片づけていました。内心悔しいんでしょうね。
マイは飄々と態度を変えず、私に絡みます。
「いいないいいな、今度皆でご飯行こうよ。彼氏さんも一緒にさ」
調子のいい友人に苦笑し、私はふと嘉一郎君のことを考えました。
嘉一郎君は真意はどこにあるのだろう。一度振られているし、恋人として付き合うと言われたこともありません。
大人は軽々しく好きと言わないと何かのドラマでやっていました。でも確かめないと不安です。
「嘉一郎君は私のことをどう思っているの?」
奥ゆかしい女だと思われたかったら、訊ねるべきではなかったでしょう。でも私はまだ子供で確かなものを求めるしかありません。
「愛している……と、言ったら納得してくれますか」
「するわけないじゃん。馬鹿なの?」
私は嘘が嫌いです。口先だけの言葉なら、言われない方がましでした。
「僕は態度で示しているはずですが、足りないんですね」
彼とは週一回、土曜か、日曜にデートを重ねていました。
冬には念願だったネズミのランドも行ったし、絵の勉強も一緒に少しずつ取り組んで充足していたはずなんですけど、まだ物足りなかったんです。彼を無性に困らせてやりたくなりました。
「私ね、クラスメートに告られた」
彼が唇を噛む姿は何とも言えず、そそられました。彼は普段、クールに振る舞うけれど、とても焼きもち焼きなんです。その片鱗が現れていました。
「何と、答えたのです」
私は焦らすように間を置き、
「ただの友達でいましょう、って断ったよ」
彼がほっと、肩をなで下ろすのがおかしくて笑いを堪えるのが大変でした。
一回り以上離れた小娘に翻弄される彼の態度に、私は愛されていると錯覚していたんです。
後で重い女だと思われるのが嫌で、幸彦君の話はもうしないと決めました。
二
高校の一年間は終わってみれば大した事もなく、クラス委員の責務から解放されることに安堵感が広がります。
「僕ばっかり働いてた気がするけど楽しかった。一年間ありがとう」
私とは反対に幸彦君は名残惜しそうでした。好かれて悪い気はしないので、二人でクラス委員の打ち上げ会をしました。
二人きりでカラオケに行くのは初めてで、幸彦君の歌声が新鮮でした。似合わないのに洋楽なんか歌っちゃって、でもなかなかの美声で、私を驚かせました。
初対面で毛嫌いしていた彼でしたが、学校で一緒に過ごした時間はアイコたちより長かったかもしれません。
ところが終わりだと思った幸彦君との縁は、これで終わらなかったのです。
二年生になりクラスが変わると、アイコとマイと机を並べることになりました。やはりこの二人が一番しっくりきます。
幸彦君の名前もクラス名簿にありましたけど、お互い特に声をかけあうことはしなかったと思います。ああ、またかみたいな。お互いの顔を見飽きていたのかもしれません(笑)
だってそれどころじゃなかったんですもの。
始業式で見知った顔を見つけて、心臓が止まりそうになりました。
長身の彼が朝礼台に上がると、さざなみのように生徒たちの動揺が広がります。
「今年から、美術を担当することになりました伊藤嘉一郎です。皆さん、美術と聞いて身構えていませんか。巨匠と呼ばれる画家も、身近なモチーフを作品に昇華させてきたのです。ゴッホの代表作は? そうです、ひまわりですね。皆さんが美術に親しみを持てるような授業をしていこうと思います。よろしく」
自己紹介が終わるやいなや、あちこちから黄色い歓声が上がりました。
私は軽い優越感にほくそ笑みます。あれは私の男だぞ、と辺りに吹聴してやりたくなりました。
しかし、この時ばかりは嘉一郎君が魔法使いじゃないかと本気で疑いました。
どうして狙いすましたように私の学校に転任できたのでしょう。お父さんに訊いてみましたが、何の助力もしていないそうです。
嘉一郎君には私がして欲しいことが手に取るようにわかっていた節もあったし、やはり不思議な力を持っていたのかもしれません。
さて、彼との時間が大幅に増えて良かった面もありますが、困ったこともありました。
彼が私の嘉一郎君から、皆の伊藤先生になってしまったことです。
色目を使う女子を片っ端からボコる手もありましたが、きりがありません。いくらでも湧いてきますから。
幸い、嘉一郎君は私にぞっこんでしたから、今まで以上に身なりに気を使い、堂々としていればよかったのです。
この時は余裕がありました。余裕があると思っていたのです。
休み時間は隙あらば、嘉一郎君にハグしてもらっていました。もちろん人気のない所で、十秒だけという取り決めをして。
「西野さん、そろそろ次の授業が……」
「あと五秒だけ。一、二……」
わざと数字を遅く数えたりして、困らせるのが日課になりました。彼が高校教師になってから、会える時間がむしろ減ったのが私を不安にさせていたのです。休みの日も仕事があるからとはぐらかされるようになりました。
「はー、あの野郎、浮気してんじゃねえだろうな」
嘉一郎君がいなくなった校舎裏で、一人毒づきます。飽きられたのかなとか、髪型がよくないのかとか、話がつまんないのかとか、自分の悪いところをリストアップしてみましたが、腑に落ちません。言ってくれれば直そうと努力できすが、彼は絶対に言わないでしょう。そういう人ですから。
砂利を踏む音がしたので、嘉一郎君が戻ってきたのかと思い、勇んで振り返りました。その時、私は笑顔のまま固まりました。
寺田幸彦がいたんです。彼も彼でまずいものを見たように、回れ右しようとしていました。私は前に回り込んで、彼の制服の袖にしがみつきました。
「ね、ねえ、見た、見たでしょ」
「い、いや……」
彼は否定しましたが、目を合わせようとしません。私と嘉一郎君の関係が知られてしまったのでしょう。
「誰にも言わないから」
やがて彼は小さい声で白状しました。校舎の裏手は死角になっており、人が滅多に訪れないので油断していたのです。
「はあ……、まあいっか。ね、どう思った? お似合いだと思う?」
幸彦君は考え込んでしまいました。私は訊ねたことを半ば後悔します。振った相手に、今の恋人を自慢したら、嫌みと取られる危険があります。
「うん、似合ってると思う。西野は大人なんだな」
気を遣ったのが見え見えで、嬉しくありませんでしたが、彼はそれほど動揺していないようです。ちょっと複雑でした。




