第3話 タイムスリーパー俺
目覚めれば朝となっている。タイムスリープを発動して一瞬の後の出来事だった。
カーテンの隙間から漏れる日差しが部屋の中へふりそそいでいる。
「お前、茶イコフスキーとか名乗っていたなあ。あと5千字弱で10万字オーバーなんだぞ。おまけに人間の魂の在り処を、尊厳をテーマとした純文学なんだぞ。それを今更、異世界テンプレへの路線変更など……出来るわけがないだろう」
既に冷たい骸と成り果てているティーカップの中身へ、元ホット紅茶へ俺は静かに語りかけた。
応じる声はあがらない。
茶イコフスキーの仲間であり同属でもあったティーポットの中身たちも、皆が死に絶えている。
熱い紅茶属だったからなあ。紅茶属というだけであれば、温度の変化など何でもなかっただろうに。
喉を通り胃の中へと、冷えた紅茶が染み入っていく。
「沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす、か」
平家物語の冒頭における有名な一節を口ずさんでいると、お腹がグウと鳴った。
寝て起きれば腹が減る。自然の摂理というやつだ。
「ハッ、いい気味よね! たかがドリンクの分際で調子に乗っていたからですわ!」
板チョコ属である由美の声を聞いたのはそれが最後となった。
わずかの後には俺の口の中へと旅立っている。
「わ、わたしは何も言っていないのに。ヒドイ……」という悲鳴が口中から頭へと伝わってきた。
愛美は巻き込まれ事故のようなものとなっている。
由美と同属だったからなあ。悪いとは思ったが、こればっかりは仕方のないことだろう。
茶イコフスキーの骸と由美。腹の中では仲良くしろよ。ああ、愛美もな。
そう俺はささやき、瞑目しながら胸中で祈りを捧げた。
胃や腸の中で揉めると面倒なのだ。下痢か便秘の二択になる。どちらもキツイ。
つらつらと思うに、茶イコフスキーのアイデアそのものは悪くはなかった。なろうサイトへの投稿小説の王道といえば異世界&転生&チート能力&ハーレムだろう。
だが、実のところ神様から力を授かっている。持っている能力について書いても面白くもなんともない。だからこその、純文学なのだ。
惜しいかな、茶イコフスキーはそこのところの理解が足りていなかった。
俺のチート能力、それは……。
タイムスリープ。
ああ、誤解を受けるかもしれないので、あらかじめ言っておくべきだろう。
時を駆けるなんちゃらなタイムリープではない、タイムスリープだ。
おっとすまない。いきなり横文字で説かれても戸惑うに違いない。隠そうとしても隠し切れない、ほとばしる知性の発露には困ったものだ。
日本語で説明するなら、睡眠。
その場で、すぐに。時間を指定して眠れるのだ。
ハハハ、ビビってしまったかな?
まあ、無理もない。
偉大すぎる、神のごとき叡智を目の前にしてしまえば、人は無力と成り果てる。
膝を折り頭を垂れて奇跡のおこぼれにすがるくらいしか、出来ることなどない。
なお、他者を眠らせる力は全く有していない。
付け加えれば。
この力を使ったからといっても、いわゆる寝貯めが出来るわけでもない。
他人から見れば、異常に寝付き&寝起きの良い人。それが俺の、神より与えられし恐るべきチート能力。
フッ。自慢ではないが、寝坊による遅刻をしたことなど人生において一度たりともない。
選ばれし者、タイムスリーパーとしては当然だ。
……不満がないわけでもない。タイムリープと間違われることだけは、しゃくに障る。
別に羨ましいわけではない。ないが、能力を交換してくれるというのならば、すぐにでもチェンジしてやっても良い。
重ねて言うが、羨ましいわけではない。別の能力に興味がある。ただ、それだけだ。他意はない。
ちなみにタイムスリープは様々な場面で、状況で威力を発揮する。
例えば、眠た過ぎる2外の講義など。
ああ、そうだ。大学3年生にもなって一般教養である第2外国語基礎を履修している。大好きなのだ、フラ語が!
……すまない、嘘を付いていた。
調子に乗りタイムスリープしまくってしまった結果、だ。
1年生に混ざり講義を受けるというのは、とてもとても恥ずかしい。サークルの後輩達への威厳も何もあったものではない。
むしろ逆。「先週の課題レポート見せて」と頼む立場。
だが、石にかじりついてでも今年こそは単位を落とすわけにはいかない。
必須単位。
実に恐ろしい響きである。般教の分際でナマイキなやつめ。
だがコイツを舐めてはイケナイ。
たとえ総単位数が足りていても卒業不可となってしまう。……知らなかった。入学早々のガイダンス時にタイムスリープを用いていたからだった。
さすがに、猛反省している。
……コホン。
最も活躍するのは年に1~2度の地元への帰省時だろう。
新幹線乗車率200%前後という、ニュースとかで目にする朝7~8時の通勤電車並みな、ふざけた状況でもヘッチャラ。
心身ともに全く疲れることはない。
自由席車両の通路にまで人があふれ、トイレへの席立ちですら「スミマセンスミマセン」の連呼で道を空けてもらってやっとという込み具合だとしても。
学割を使っても安くは無い、往復だと諭吉が何枚も消えていく乗車料金を払っているにもかかわらず連結通路で虚しく立ちんぼという不条理扱いでも。
俺には関係ない。
「タイムスリープ」
そうつぶやきさえすれば、あっという間に地元のターミナル駅へたどり着いているのだから。
指定席? グリーン席? ハッハッハ、鼻で笑っちゃいますよ。
事前予約? 朝起きて今日帰ろうかな、と。そう思った日が帰省日なのだ。
まさにチート能力!
まあこれは……一人暮らしの部屋から実家までのドアtoドアで最低5~6時間は当たり前な地方出身者にしか理解し得ないのかもしれない。
ああ、そうそう。もう1つ能力があるにはある。
ただまあ、その。こんなものはチートでもなんでもない。
日本全国津々浦々。京都で石を投げれば坊主に当たる。神社で引くおみくじで吉以上が出る確率。
うん、その程度なけっこうな割合で大勢の人たちが持っているワケで。
あまりにもありきたり過ぎて、それっぽい系のオサレな名称すら付けられていない。
片手で持てる程度の重量と大きさのモノへ意志を与え動かせる。更には会話も出来る。
……文字にしてみてもなんというか、うーん、ダメだなあ。
当たり前すぎて面白くも何ともない能力としか言いようがない。
きっと、このしょうもない能力を持つ多くの人たちにしても、俺と同意見だろう。
もちろん世の中は広い。
モッテイナイ人もいる。よって、人前で安易に披露して良いものではない。かれらからの無用の反感を買ってしまう。
こんなつまらないパワーなんて有っても無くてもどうでもいいだろう。
とは思うものの人間とは不思議なもので、モッテイナイというただその一点のみで嫉妬心を抱いてしまうらしい。
他にも、下手をするとただの、春先によく湧いている頭の中に花が咲いている人に見られてしまう恐れもある。
一応の確認は簡単に出来る。
平面丸型のコードレス掃除機の有無だ。
これをわざわざ購入している人は”確実に”モッテイナイ。
だってそうだろう。能力がある人にとっては意味のない機械なのだ。
キャスター付きだろうがスティックタイプだろうが「留守の間に、掃除しておいて」と命じればそれで事が済んでしまうのだから。
おっと、平凡でありふれている能力の話をしている場合ではない。
俺の、なろうサイトへ投稿している小説情報のチェックをしなければならない。1日に1度のドキドキタイムだ。
「やれ」
俺は短くそう命じた。
「ドリュリュリュリュリュー、ジャジャーン♪」
ミニチュア楽器隊によるほんの数秒の演奏が終わる。
……ブックマーク0人、評価0点、感想0件。
そっとサイトを閉じた。略して、ソットジ。
見なきゃ良かった。でも、見てしまうのだ。奇跡を信じて。
けれどもよくよく考えてみれば、そもそもアクセスがないのだ。ブクマや評価、ましてや感想が増えるわけもない。
このままでは10万字超過でブクマ0、評価0、感想0な真の三冠王となってしまう。
なお、10万字以内ならば暫定三冠王に過ぎない。
ポイント・オブ・ノーリターン。引き返し限界点である10万字以内ならば、セーフ。それが俺基準。
……かつては、投稿し始めた当初は限界点を1万字と見積もっていた。
さすがに短すぎたか。すぐに反省をする。
何せ1話だけで1万字を超えていたから。
3万字に基準を改めた。
……5万字にまで伸ばした。
純文学なのだ! 5万字なんてほんのさわりではないか! そもそも5とかキリが悪い!
中途半端過ぎる!
俺の心がそう叫んでいた。
10万字という俺基準はこのような経緯で誕生し、今日に至る。
一刻も早く手を打たなければならない。
取り返しのつかないことになってしまう前に!