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三、ワルター再び(一)

 「オイ、シン!その廃材はそっちだ。あのガレキ山んとこへほかしとけや。違う違う、そいつじゃねえ。ほれ、その足元に並んでいるやつだ。たく、トロくせえな、早く片付けちまえ!え、なんだクレーンが動かねえだ?なに寝言抜かしやがる!ちゃんとキーロック解除したのか、フォニー!そうだ、そこ。みろ、動いたじゃねえか。まったくてめえは何年この仕事やってるんだ!たく、どいつもこいつも!」

 ひびの入ったプラスティック製のメガホンを片手に、そのいかつい体格の男は埃まみれの工事現場で何度作業員を怒鳴りつけてきたか知れない。地声が野太く大きいので、別にメガホンを使うこともないのだが、彼にとってはそれが現場監督のシンボルに思えるのだろう。時々、飾り程度に埋め込まれた傍らの鉄棒を自慢のそのタクトで力任せに叩きながら、男は汗をダラダラ溢れさせて油断なく周りの仕事ぶりを監視していた。

 黙って見てはいられない性分のようだ。イラついてきた男は、やがてメガホンを地面に勢いよく叩きつけたかと思うと、

 「なにやってんだ、てめえは!そんなトロトロ運んでたら、明日の朝んなったって終わりゃしねえや!もうちっとパッパッパッとできねえのか!」

 半分オシャカになったメガホンを無情にも蹴飛ばしながら、親方と呼ばれているこの男は筋肉ではちきれんばかりに盛り上がった両肩を前後に回しながら手助けをすることにした。汗でシャツが張りついた背中は、とても六十近くのものとは思えぬほど見事なまでのボリューム感だ。

 「いいかあ、こうやって腰ィ落として肩に担いでゆっくりと……一歩一歩踏みしめるようにしてな、持っていくんだ。てめえみたいに一本一本引きずるような運び方してたんじゃ、仕事になんねえんだよ。わかる?」

 一本だけで十キロ近くある鉄パイプをそういって五つも肩に乗せて範を示した。トットットッと、苦もなく廃材を運んでいく親方の後ろ姿を、檄を飛ばされたまだ二十代半ばの青年は深いため息をつき嫌々ながらも傍らの鉄パイプを三本ばかり持ち上げようと屈んだ。

 「ダメダメ、そんな持ち方したんじゃ腰が使い物にならなくなるぞ!オレがてめえの女房に叱られちまうじゃねえか。そうじゃなくて、腰全体を落とすんだ。どけ!」

 要領の悪い部下に呆れながらも、根がおせっかいなだけに再び腰を落として廃材を持ち上げ始める親方。そこへ……。

 「あの、ここの責任者はどこにいらっしゃいますか」

 背後から部外者と思われる者の声がした。

 「誰だい、昨日募集したアルバイトの申し込みかい。悪いけど今取り込み中なんだ、ちょっとそこで待っててくれ」

 今度は一気に八本も担いだ親方は、さすがに顔を真っ赤にしながらひょいと声のした方向に目が向いていた。すると……。

 「あ、あんたたしか……」

 昨夜居酒屋〝ウインザー〝で出会ったワルターという男が、目が合うとどうもとお辞儀をしていた。あわてて親方も礼を返したからたまらない。前屈みになった際、肩に乗せていたパイプが二、三本ヒョイとすり抜けて傍らの作業員の足元へ……。

 「ギィヤ~ッ!」

                    ※

 「行ってらっしゃいませ」

 エア・タクシーのドアを勢いよく閉めると、そのまま車は軽い音をたてて走り去っていった。まだ二十歳そこそこのドアボーイは、名残惜しげにそのさまを眺めていた。

 「ホラ、いつまでそんなとこに突っ立っているんだ。車が来た時に邪魔だろうが」

 先輩に注意され、帽子を押さえながら元の位置へと戻っていく若者。ホテルの自動ドアの手前で、いつ来るかわからないエア・タクシーを待ちながら、後輩さすがに飽きを感じたのか話しかけてきた。

 「でもきれいというかかわいらしいというか、なんていうか気品のある女性でしたよね」

 「ああ、さっきババアとヒゲの親父と出て行った姫さんか。悪くはねえな」

 「あんなが彼女だったら、オレ毎日がバラ色なんですけどね」

 「でも性格はきついぜ。気に入らねえことがあると、無礼者!なんてんで平手打ちが飛んできやがる。とんでもねえじゃじゃ馬さ」

 「それは先輩が余計なこと言ったからじゃないすか。オレは好きですよ。ああいうタイプ。一緒にいられるなら、なんでもかんでも命令されても従うんですがね」

 「お前マゾッ気があるからな。ああいう、いかにも高慢な女王様タイプに痺れるんだろう。おれはやだね。たとえ大金持ちの令嬢であったとしても」

 どうも私語が過ぎたらしい。少し離れた場所に立っていた白髪混じりのドアボーイ長が、わざと大きな咳払いをした。ほらみろと肘で相手の脇腹を突いて、二人はまた不動の立像のようになった。が、少なくとも入りたての後輩にとってはこらえようのない苦行とみえる。しばらくしてモゾモゾしながら、

 「すいません、迷惑ついでにトイレいいですか」

 「またかよ、お前仕事している時間より、トイレで暇をつぶしている時のほうが長いんと違う。ふんまに、もう」

 やや不安げにドアボーイ長のほうを窺いながら、

 「早くいってサッサとすませてこい。こっちまで怒られちまうんだからよ」

 舌打ちし手を振って促す先輩にニカニカと頭を下げて、後輩ドアボーイは足元も軽やかにホテルへと入っていく。

 「まったく仕事らしい仕事もねえのに、一日中外に突っ立って埃まみれじゃなんのためにホテルに勤めたのかわかんねえや」

 従業員専用トイレがある地下一階へ階段を降りつつ、この新米はくわえタバコをしていた。

 「チッ、ガス欠でやんの。新しいの欲しくてもあいにく金欠も重なってんだもんな。ガス欠、金欠、彼女のいない色欠とホテルマンはケツケツ揃いの稼業ときたもんだ、チクショーメ!」

 自嘲気味につぶやきながら、それでも役に立たないライターをしまい込んだ彼の耳に、ふとガタガタッという音が飛び込んできた。

 「……」

 専用化粧室からだ。ガラッと勢いよく開けてみると、誰かが大便器のところにうずくまりながらこちらに背を向けている。見覚えのある後ろ姿だ。このトイレから向かいの廊下を突き当たった場所にあるバーのバーテンである。真っ赤なチョッキに白ワイシャツと黒ズボンのいで立ちだった。

 「よお、トンちゃん昨夜飲み過ぎたのかい。お昼近くだっていうのにこんなところで吐いているようじゃ、相当詰め込んだようだね。まったく好き勝手に酒ばっか飲んでるから罰が当たるんだぜ。一晩くらいオレが代わりにやってやりたいよ。本当うらやましいよ」

 普段から軽口を叩き合う仲であった。ドアボーイはケタケタと笑いながら、無言で背を向けたままの男の肩に手をかけた。と、次の瞬間、バーテンの身体はまるでなにか支えを失ったかのようにそのまま前のめりに……顔は便器の中へと突っ込んでいった。

 「お、おい冗談はよせよ、トンちゃん。いつからトイレの水なんて飲む趣味ができたんだ。同じSM趣味でも、あんたはスカトロ派だからそういうの平気だろうけど……おい!おいってば!」

 只ならぬ様子に初めて気づいたらしい。若きホテルマンはもはや落ち着きを失い、何度も何度も便器に顔を突っ込んだこの仲間の肩を激しく揺さぶった。だからであろう。その時化粧室の扉が音もなく開けられたことに彼はついに気づくことはなかった。そして静かに忍び寄る者の気配さえも感じられず、夢中で怒鳴っているその後ろから影が覆いハッと振り返った時、すべては終わっていた。

 「!」

 なにかが目の前でキラッと、唸りをあげてきらめいたがあっという間だった。焼けつくような激痛の後、彼の視界には永遠の闇だけが横たわった。


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