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二、宴の後(三)

 フリーズは微動だにしなかった。むしろ自分の命が危ういこの状況を楽しんでさえいるようだった。

 「撃つなら撃ってみるがいい。その代り仕損じたら、お前をオレは殺す。どちらにせよ、生きてこの店からは二人とも出られん。それだけの覚悟をもって撃て!」

 みるみるうちに紳士の顔が蒼白となった。彼にしてみても、却って自分たちを追い詰める結果となり引っ込みがつかずただ空しく銃口を床へ下ろしていった。

 「オーケー、物分りがいいようだな。そういうわけだ、娘さんよ。今からオレがあんたの恋人に決まった」

 そして女の肩に手をかけた。恐怖のためか彼女は震えていた。黒のシルクスカーフを覆っていたため、まだ顔形の程は知れぬが二十歳前後の娘だということは察せられた。

 「せっかく恋人になったんだ。後で二人きりになる前に、口づけだけ交わしていこうか」

 右手で女の頭を撫でながら、左手でシルクスカーフに触れ、フリーズはそのまま相手の唇へと向けて近づけていった。

 「こ、こいつめ!」

 たまりかけた紳士が再び銃口を向けたその時、

 「無礼者っ!」

 次の瞬間、心地良いほどの音をたててフリーズの頬が打たれていた。娘の仕返しである。その時、近くにいた酔客たちの間から、

 「おお~っ!」

 とため息混じりの声が洩れた。娘の美しさに対する反応であった。顔を覆っていたスカーフは、相手に平手打ちをした反動で床に落ちてしまっていた。肩までかかったブロンドの髪に、茶色の挑戦的な瞳、そして顔の中で唯一愛嬌のある丸みを帯びた鼻、意志の強さを思わせる一文字に結ばれた口元と、美しくはあるが同時に気品の高さを感じさせる雰囲気が、その顔には表れていた。

 「まだ男とキスをした経験はないと見えるな、クンドリー姫さん」

 フリーズのその一言に、女はハッとした表情となった。そして紳士がおずおずと床からスカーフを拾い上げていると、ほぼ同時に動きを示した者がある。

 「先生っ!」

 ワルターであった。立ち上がった彼はあわてて師の前まで来ると、いきなり土下座をした。

 「申し訳ありません!隠すつもりはなかったのですが、姫が是非とも先生の人となりを直に見たいときかないものですから、こちらのゴブリン伯爵を護衛としてつけ、離れて様子を窺っていた、こういう次第です!」

 見ていて気の毒になるくらい、ワルターの謝り方は滑稽だった。話す度にその頭は床を打ちつけるように上下をし、そばにいた彼の仲間をも呆れさせた。

 「なにもそこまでしなくても」

 伯爵と呼ばれたあの髭の紳士だった。こちらはさすがに不快の念を隠そうとはせず、自慢とみえる髭をしごきながら舌打ちした。

 「先生、もういいです、およしになってください!」

 そう言って駆け寄ったのは、あの娘だった。その瞬間、彼らの関係は決定的に明らかとなった。

 「すべては私がいけないのです。わがままを言って先生を困らせたばかりに、こんなことに……」

 「もう、いいだろう」

 いつしか涙を流しながら頭を下げているワルターと、そんな彼を慰める役に回っている王女に、フリーズは一言浴びせた。二人の動きが止まり彼を見上げると、

 「悪いがオレは帰らせてもらう。田舎芝居の続きはその後でゆっくりと頼む」

 クルリと背を向けて立ち去ろうとする彼に、

 「お待ちください、先生!どうかどうか私共にお力をお貸しください!是非とも是非とも!」

 なおもワルターはあきらめなかった。這うようにして師の前に進み出、幾度となく頭を下げるのであった。駄目だった。フリーズが無言で、そのまま這いつくばっている弟子の横を通り過ぎようとすると、

 「お待ちなさい、この卑怯者っ!」

 王女クンドリーの鋭い叫びにも似た一言が浴びせられた。フリーズの足が止まる。

 「あなたは弟子にこれだけ頼まれてもなんとも思わないの!それは昔はどれだけ強かったか知れないけど、困っている者の言葉に耳を傾けもしないなんて最低の人間よ!」

 周囲がざわついた。無理もない。ここにいる連中には、フリーズの力量の程を知る者が少なからずいるからだ。彼がもしも怒りでもしたら……。が、フリーズは振り返りさえもせず、

 「ワルター、あのお姫さんにはお前が武術の稽古をつけたのか」

 なぜか傍らの弟子に話しかけた。ワルターは平伏しながら、

 「お恥ずかしい限りですが、王女の身でありながら根っからの武術好きですので、基本的なことだけは学ばせました」

 「どうりであのビンタは効いたはずだ。少なくとも、自分の身だけは守れよう」

 皮肉たっぷりに薄笑いを浮かべたが、すぐに顔を引き締めて、

 「今後は礼儀作法を学ばせるほうがよかろう。さもないと、嫁の貰い手がなくなる」

 そして何事もなかったかのように、潜り戸を潜って出て行ってしまった。

 「なんだ、もう終わりかよ」

 「ガッカリさせやがるぜ」

 後に残された者たちは拍子抜けという感じである。興奮から醒めながらも、未だに酔いきれないという殆どの客は、再び各々が場所に落ち着いていく。

 親方はポツンとただ一人取り残されたかのように突っ立っていた。むろん周りのテーブルには子飼いの荒くれ共が浮かれ騒いでいたが、それらは今やいないに等しい。老女マリア・ウィドウももはやそばにはいない。若い女主人の元へと駆け寄ったためだ。王女は肩を震わせながら嗚咽しているところを老婆に抱き締められ、その胸に顔を埋めた。店の入り口ではあの騎士ワルターが土下座をした姿勢のままだった。彼も泣いているのか、その身体は小刻みに震えていた。

 (いやはや、なにがなんだか……)

 まったくのところ混乱の極みであった。一陣の風のように起こった出来事を整理しようと、彼が拳でコツコツと額を叩いていると、

 「おい、どいてくれどいてくれ~!おれの、おれの一千ルテはどこへ行った!チキショー、おれの金だ、どこへ行きやがったんだ!」

 伯爵から貰った金をなくしたらしい。マスターが青い顔をして肩をぶつけてきた。こちらは放心の体で目が虚ろだった。その顔を見た途端、親方の頭はカーッと熱くなった。

 「バカヤロウ、元を正せば全部てめえが悪いんだっ!」

 哀れな酒場の主人の頭に、意識を失うに足る拳が飛来したのはそれから間もなくであった。


                    ※


 ホテルエリザベートは、ニュータンホイザー空港から西南十三キロに位置するこの辺でも数少ない高級ホテルだ。築百五十年という歴史の古さは、ゴールドラッシュ時の賑わいを僅かながらも今に伝えている。ホテルのロビーには当時の様子を伝える展示場があり、いくつかの鉱石、ホテル創設時の写真、かつて訪れた有名人の写真や署名などが一応の目玉となっており、物好きで訪れた観光客の退屈をいささかなりとも紛らわせる種となっている。

 このホテルの最上階に位置するロイヤル・ルームに、クンドリー姫たちは泊まっていた。ロイヤル・ルームを利用されることは実に十数年ぶりとのことで、ホテル側は一行に対し下にも置かない歓迎ぶりだった。現につい先程までオーナーと支配人が、揉み手をせんばかりの態度で部屋を訪ねたりしたくらいだ。

 「帰りましたか」

 ドアの閉められる音をベランダで聞きながら、王女クンドリーは口を開いた。首をすくめながらワルターが歩み寄っていき、

 「再び当地を訪れた際には、くれぐれも我がホテルエリザベートを御利用くださいませとのことです。連中、何度も何度も頭を下げておりました」

 「まったくプライドのない人たちだこと。いくら接客業とはいえ、支配人はおろかオーナーまでしゃしゃり出るなんて。よほどこのホテルは経営が苦しいのかしら」

 汚いものを見せられたかのように、クンドリーは眉をひそめた。それでも自分にペコペコする人間がいることに対しては満更でもないらしく、口元には微かに笑みが浮かんでいた。

 「星そのものに、観光客を呼べるだけの名所の類が殆どないですからね。たまにやって来る我々のような存在は、彼らにしてみれば貴重なのでしょう。ここでは唯一の老舗とのことですが、伝統があるという体面上思い切ったこともできず、年々顧客も減ってきているとか……」

 話しながらワルターは女主人の顔色を窺った。どうやらこの人の良い男は、オーナーたちに頭を下げられて同情に似た気持ちを持ち始めたらしい。しかし、姫の言葉は素っ気なかった。

 「最初から滞在は十日間と決めておりました。それ以上は長居するつもりはありませんし、二度とこんな所には来たくもありません。それどころか、明日にでもここから出て行きたいくらい」

 最後の一言を特に強調したのは、やはりまだ胸に含むものがあるせいだろうか。聞いていたワルターは申し訳なさのあまり、冷や汗が出る思いであった。

 「ところで、ばあやとゴブリン伯爵はまだバーに入り浸っているの。先生、よろしければ後で電話で呼び戻していただけます。まったく、ばあやもばあやだけど、伯爵も飲み足りないなどと言って一緒に行くんですもの。若い娘を置いてどういうつもりかしら」

 今夜の彼女はやけに饒舌だった。日頃は高貴なる身分ということを弁えているが、なにか面白くないことがあると半ば自分を慰めるように話し出したら止まらなくなってしまう。ワルターがおずおずと次の言葉を出すまでに、それからクンドリーは一人で人の二倍も三倍も余計にしゃべっていたかのようでさえあった。


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