二、宴の後(二)
おかげでまた空気が重くなり、親方は再び黙り込みフリーズはなにも発せずそのままの姿勢でいた。今度はワルターがつらくなった。なにかを親方に言いかけようとして言葉にならず、結局空しくテーブルに目を落とした。
「ホッホッ、ワルター殿はまだお若いの。どれ、これから先はこのババが話を進めようぞ。あなたは少し休んでなされ」
「ハ、ハア……」
それまで席に着いてからというもの終始無言だったマリア・ウィドウが助け舟を出した。ホッとしたのか、ワルターは水差しを取りグラスに水を注いだ。その額にはうっすら汗が浮かんでいた。一息に飲み干す弟子の姿を見つめるフリーズに、
「わしはワルター殿のように丁寧な物言いはできんぞ。単刀直入に言えば、フリーズよ、お主はこの話断ることはできん!」
くわっと目を見開いて、こちらもテーブルを叩いた。フリーズは老婆のほうを振り向く。
「よいか、我が姫様にあらせられましては、今回のクーデターは単なる骨肉の争いでは終わらぬと言っておられた。場合によっては、本当に民衆の中からこの機に乗じて革命を起こして王室そのものを潰そうとする不逞の輩が現れるかもしれぬとのこと。そうなる前に、父君であるファール国王陛下を救い出し、王室の健在ぶりを世に示す必要がある。そのためにもぬしの力を借りたいと言うのじゃ!」
話を進めているうちに、マリア・ウィドウも苛立ちを感じ始めてきたらしい。興味を持たせようとすればするほどこの男は距離を取ろうとする。これでは手の打ちようがない。が、しかし老婆はなにか悟るものでもあったのかニヤリとし、
「そうか、そうか、このババとしたことがうっかり失念しておったわ。よかろう、陛下救出に成功した暁には、報酬として百万ゾイ遣わそうぞ。ここでの貨幣単位に直せば、一億五千万ルテにもなろう。お主一代どころか孫子の代まで遊んで暮らせる額じゃ。悪くはなかろう、どうじゃ!」
一億五千万ルテという金額に、親方が顔色を変えた。だけでなく、驚きのあまり椅子から転げ落ちてしまった。それほどの大金なのだ。ちなみに彼が、荒くれ男共を使い回して得られる収入は年間千八百ルテがやっとである。それでも貧しいこの星では高給取りとされ、現に中古の家を一軒、エア・カーと近距離専用ロケット(いずれも解体屋でタダ同然に買い取ったもの)を一台ずつ所有していて、地元ではちょっとした名士なのだ。
(話のスケールがまるで違う!地元の名士どころか、この星や近辺の星の利権全部買い取っても十分お釣りがくるじゃねえか……)
当然断わろうはずがない。そう思いつつ、チラとフリーズのほうを窺ってみると、
「悪くはない話だな。だが、国王を救出しようというのにその程度の報酬でオレを釣ろうっていうのかい」
「なんじゃと」
「金というのはいくらあっても足りないくらいだ。どれだけの大金でもいずれはなくなる」
静かにグラスを傾けると、フリーズは氷が溶けて水っぽくなった液体を流し込んだ。
「見かけによらず欲深い男よ。ならば、ぬしに爵位を与えよう。宮仕えが嫌ならば別に王宮に顔など出さんでもよい。その代わりに年収十万ゾイを食い扶持としてぬしにあてがおう。ぬしがこれから先どれだけ生きるかは知らぬが、仮にあと五十年生きるとして、五百万ゾイの金が懐に転がり込む寸法じゃて。それでも不満ならば、王室と縁の深い貴族の娘をぬしの嫁として……」
ガチャンッ……
後ろで響いた音に、テーブルに着いていた四人の視線がほぼ同時に向けられた。見るとカウンターで飲んでいたカップルのうち、女性のほうがグラスを落としてしまったらしい。
「お客さん、大丈夫ですかい!」
あわてて駆け寄ってくるマスターに、男は手で制し、
「いや、すまなかった。飲み慣れていないせいか、連れが酔ってしまったらしい。そろそろ失礼するよ。勘定はこれで、釣りはいらない」
胸元の財布からピン札を一枚スッと置いていくと、
「さあ、では行くとしますか」
女の肩を軽く叩いて促した。その間娘は一言も発せず、相手に導かれるように立ち上がった。そしてカウンターの奥ではちょっとした出来事が……。
「一千ルテ札だと……。もうかれこれ三十年近くこの商売やってきたが、初めてお目にかかる大金じゃねえか。ウ、ウチの一ヶ月の売り上げよりもあ、あ、ある……」
思わず立ちくらみを覚えて倒れそうになった彼に、
「オイ、親父、今夜寂しいようならアタイが相手をしてやろうかい、えっ」
事情をまったく知らない四十前後の娼婦が機嫌良さげに話しかけると、
「だ、黙れ、てめえみてえなクサレコメオ、金貰ったって願い下げだ!」
取られてならじと、ズボンのポケットに札をねじ込んで怒鳴ったものだからたまらない。
「あんだと、やるってのか、このツルツルタマナシヘナチンッ!」
互いに罵り合う大喧嘩となった。この騒動にたちまち周りは大喜びとなり、けしかけるようにあられもない言葉や笑い声が飛び交った。
「まったく、なんとまあ乱れきった場所よ、ここは」
老女マリアが蔑むような口調で言ったものだから、マスターとつき合いの長い親方としては気が気でおれず、
「すいやせん、ちょっと止めに入りやす。まったくあのバカが!」
「そうするがええ、わしらはその間に商談をまとめるとしようか。なあ、フリーズ……」
親方は怒りで顔を紅潮させながら立ち上がり、マリアは空気さえ嫌な臭いをさせると言いたげに鼻先へハンカチを寄せ、ワルターはただ無言で苦々しげな表情をしたりと、三者三様の反応を示した。そしてフリーズは?
「先生……?」
訳がわからなかった。なぜか親方よりも先に立ち上がっていたフリーズは、手で制してそのままカウンターへと……。
「待て、フリーズ殿!まだ話は終わっておらんぞっ!」
向かわなかった。彼が用があったのはカウンターではなかった。それは……。
「ちょっと待った」
目の前に突然現われ、そう言ってきた隻眼の男にカップルは戸惑いを覚えた。
「なにかね、君は。私たちは急いでいるんだ。そこをどきたまえ」
鼻の下にピンと張った、八の字髭を生やした紳士が睨みつける。穏やかだが、その話ぶりには相手を威圧する含みがあった。しかしフリーズには通じない。
「あんたたちに用がある。この騒動の責任を取ってもらおう」
「なんだと」
「いくら置いていったかは知らないが、恐らくこんな酒場ではお目にかかれない大金を出したばかりに、このような騒動になったのだろう。金持ちであることは悪いことではないが、それをひけらかすのは少し考えものではないのかな」
「だから、一体どうしろと……」
怒気を含んだ口調になった紳士であったが、最後まで言えなかった。相手のたった一つの眼から宿る尋常でない光の鋭さに口ごもってしまったのである。
「見たところ、おたくらはカップルのようだがどうだろう。その娘さんを一晩オレの自由にしていいってことにしては。そうすればこの件に関してはオレが責任を持とう」
などと、フリーズが口元を歪めて女へと視線を注いだものだからたまらない。
「き、貴様、ふざけるのも大概にしろよ!一体何様のつもりだっ!」
さすがに怒り心頭に達したのか、紳士は懐から短銃を取り出し突きつけた。二十八口径の、この辺では見かけない型のピストルだった。
「オレは本気だ」