二、宴の後(一)
どうにも信じられなかった。親方には目の前にいる三十半ばほどのこの男が、かつてフリーズと師弟の縁を結んでいたとは思えなかった。なによりも人を戸惑わせるのは、ワルターの一見して農夫のような泥臭くそして穏やかな風貌ではないか。その彼が演技とはいえ、かつての師に斬りつけたことさえイメージに合わない。ましてや、彼がアンドロメダ星雲近郊に位置する惑星パルジのヴァーン王朝で武術師範をやっていたというのだ。もはや話としては夢物語に近い。
(だが、この男どこか先生と同じ匂いを漂わせている。おまけに見かけによらず隙がない。これはひょっとすると……)
気のせいか次第にこのワルターという男の話ぶり、あるいは何気ない仕草から、親方は只者ではないと思うようになりつつあった。心境の変化ということも手伝ってか、その後彼は頼まれもしないのに酒を注いでやったり、ワルターの連れであるマリア・ウィドウと名乗った例の老婆をからかう連中を、頭を思い切り殴りつけて黙らせるという行動に明け暮れた。
「政権交代か……。そういえば半年くらい前に、武力革命でそのパルジの国王が退位させられたという話はニュースで聞いた覚えがある」
「ええ、ですが実際には民衆が望んで行われた革命ではありません。国王の弟君にあたるマイスター公爵が、御自ら帝位に就かんがために軍隊を煽動したクーデターです。あの方は以前から弱体化しつつある王室に我慢がならなくなり、名も無き民に滅ぼされるのを待つよりはと行動を起こしたのでしょう」
「要するにありがちな権力闘争ってとこだろう。そんなことに、何故お前ほどの男が首を突っ込む。名誉や地位のためか?」
フリーズは半分飲みかけのグラスを手の中で弄びながらつぶやいた。なにか引っかかる態度といえた。店先での弟子との再会で見せた、やや興奮気味の体で手を握ったり熱い抱擁をしてみせたのが嘘であるかのようにさえ見える。当然師の変わりように、ワルターは戸惑いを隠せない。しかし、その理由は彼には十分わかっていた。
「私が先王に見込まれて王室の武術顧問となったのは、まだ三年前のことです。それまでパルジになんの縁もなければ、王室にコネもない私を大抜擢してくださいました。仕官の道が開けただけでもありがたいことだったのに……まったく身に余る光栄でした」
「恩義ってやつか……」
「そうかもしれません。だからこそ私は、陛下の御為に命を捨てるべきところを、御自ら姫を頼むと私やこちらにいらっしゃる守り役であるマリア・ウィドウ殿などに託された時それに従ったのです」
「いい話だな。涙が出そうだぜ」
「まったくでさあっ!」
言葉とは裏腹にフリーズの表情は冷め切っていた。対して第三者であるべきの親方のほうは感極まって泣き出してしまい、まあ、若先生飲んでくださいとワルターに酒を勧める始末。ワルターのほうはというと、師がなかなか話に乗ってこないことにさすがに焦りを感じていた。
「昔のよしみでお頼みするのは酷かもしれません。あるいは失敗すれば待っているのは死かもしれません。すべてを承知の上でお願いいたします。先生どうか、先王救出の計画お手伝いしていただけませんか!」
親方はアッという顔をした。少なくとも彼には、話がこのような展開になるとは予想できなかったらしい。あわてて周囲を見回してももう遅い。すぐ近くのテーブルに座していた連中が、なにを話しているのかと聞き耳をたてていた。
「コッ、コラ、てめえら見世物……いや、バカヤロウッ!とにかくテーブル他へ移して行っちめえっ!早くっ!」
「よせ、親方。別にやましい話をしているわけでもない。聞かれてもかまわないはずだ。そうだろう、ワルター」
「その通りです。少なくとも敵方のスパイがここに潜んでいない限りは」
その時ワルターの視線がカウンターへと移る。マスターのほうを見据え、グラスを振りながら水を注文した。フリーズはというと、相変わらずグラスを弄んでいた。一番気まずかったのは親方で、自分がかえって足手まといになっている気になり、頭を掻いて黙り込んでしまった。
一方そんな彼らの一挙一動とは関係なく、酒場の盛り上がりは最高潮に達していた。ゲラゲラ笑いながらバカ話に花が咲く者たち、ちょっとした行き違いで口論となり今にも摑み合いをしそうな男が二人、客の品定めをしているのか、カウンターの隅で水割りをチビチビやりながら店のあちこちに目を配っている娼婦と思われる年増。さまざまな人たちがこの舞台で喜怒哀楽を演じていた。
「へい、お冷やお待ち!」
マスターがグラスと水差しを置いていく。と、その時、
「プッ、おい親父、なんだその横っ面は。真っ赤にお手々の跡がついているじゃねえかっ!」
先程までショボンとしていた親方が、そう言ってマスターの顔を指して笑った。
「あっ、ああこれか。ちょっとな、焼きもち焼かれちゃってよ」
不機嫌な顔がからかわれたことでますます渋くなり、彼はそう言って顎でカウンターのほうを指し示した。見るとそこには一組のカップルが座っていた。男は四十前後と思われる中年で、自分よりは二回り以上は歳の離れていそうな娘とくっつくようにしていた。むろんここからは、その男女の顔形を捉えることはできない。が、このマスターが見とれるくらいだから娘は美人であろう。
「あのネエちゃんに見とれて女房にビンタを食らったか。まったく好きな男だね」
「見たっていったってほんのちょっとだって。それもオーダー取ろうとして話かけただけだっていうのに、あんにゃろ変に勘繰ってそのまま休むって言って裏口から出て行きやがった。扱いにくいったらありゃしない」
ブツブツつぶやきながら、マスターは今にも泣きそうな顔をしてきた。
「まあ、大体おめえは昔から節操がなさ過ぎるんだよ。かれこれ四人もの女房に愛想尽かされたのは、他の女にすぐ目がいくその……」
「少し静かにしてもらえませんかっ!」
終わりそうにない雑談に痺れを切らしたのか、ワルターがテーブルを叩いた。それですべてが収まった。親方とマスタ-はあまりの見幕にただ固まるしかなかったのだ。
「あ、いや、すいません。私としましても、話をまとめなくてはならないものですから、つい……」
「い、いえ、あっしのほうこそつい悪ノリしまして……。コラ、ハゲ、いつまでそんなとこ突っ立ってんだ。ホレ、商売だろ、あっちのほう行けって」