一、居酒屋ウインザー:前編
惑星タンホイザーは、かつてゴールドラッシュで湧きかえった土地柄だった。近隣の大小合わせて八つある星々にも、石炭や鉄鉱など天然の恵みともいうべき資源が湯水のように溢れていた。そのため、自然と近くの各太陽系から進出してきた移住民によって、鉱山は掘り尽され町が開拓されていった。
特にその動きがめざましかったのは、第七太陽系の中心星地球からの移民であった。彼らの星は、この星々から約五千光年と最も近く、宇宙暦百年前後を皮切りに異常なまでの経済進出に目の色を変えた。この星からの流れ者たちは、地元の住民と婚姻関係まで結び永住するという熱の入れようであった。それも星単位でのことで、個人で好き勝手に流れ着いた他の星の者たちはいつしか肩身の狭い思いをすることになった。
よほど面白くなかったのだろう。事態を重く見た近隣の太陽系に位置する先進文明諸星は、経済制裁と政治舞台から地球を完全に締め出すことによって、彼らの移民を制限させた。後進の立場である地球にしてみればこれには泣く泣く従わざるを得なく、移住民活動そのものも廃止という形を取った。
地球政府のそんな挫折とは裏腹に、移住民の精神はたくましくかつしたたかだった。彼らの大半は、地球から下された引き上げ命令さえも無視し、
「オレにはここに家族がいるから」
と、のらりくらりとかわして居座ることが常だった。それはたとえば、現在のタンホイザー人にも受け継がれている。地球人との混血が全体の八割強を占めるこの星の人々の口癖は、
「政府のお偉方とか、そんなのは関係ありゃしねえ。オレたちゃ、自分たちの生きたいように生きているんだ」
こうつぶやいて縛られることを好まないのだ。おかげでこの星には、銀河連合政府の基準に達するだけの政権は遂に今日に至るまで一度も現れていない。すなわち、星全体を統治するだけの強力な中央集権政府を生み出せなかったのだ。やむなく連合政府は、宇宙暦二八十年にこの星の管理を移住民の割合が飛び抜けて多い地球に命じた。長い歳月を経ての勝利といえた。
現在の惑星タンホイザーは、かつての政争の具にされたのが嘘であるかのようだった。地球によってその管理が任される以前から、金鉱の大半は空っぽとなり、その収入の大半は地球政府からの最低限の援助金、近隣の星々への出稼ぎ、そして時々訪れる物好きな観光客を当てにした観光業と、細々とした生活を余儀なくされていた。それでも物事を楽観的に捉えるタンホイザー人たちは、時が止まってしまったかのようなこの星で、それぞれのんびりとした生活を楽しんでいるのだ。その日暮らしが当たり前のせいか、ここでは居酒屋が繁盛していた。
「オ~イ、親父いるかあっ!いきなりで悪いけんどよお、ライン酒を十本ばかりすぐに頼まあ。みんな、今夜はオレの奢りだ。呑み潰れるまで呑ませてやる!」
居酒屋“ウインザー”の店頭でそう怒鳴りながら入ってきた者があった。一見してガタイの良さが伝わってくる体格の男だ。腕といわず、首回りや胸、そしてだいぶガニ股となっている足腰にしても鍛え上げられた鋼のように引き締まっている。汗や泥で黒ずんだ半袖のシャツや、左右に懐の深いポケットのついた作業ズボンといった身なりから、肉体労働者だということがすぐ知れる。
彼に続いて入って来た連中も同じ格好をしていた。十人以上はいると思われるそれらの男たちは、埃や汗をないまぜにした独特の臭いを漂わせながら、互いに笑い声をたてつつさて、どこへ座るものかと物色していた。
「親方ァ、まあたそんな恰好で店にさ来るなって。ウチはこう見えても、ちょいと高級な店なんだからよお、たまにゃあネクタイくれえ締めてこいってば」
先程までカウンターで常連と談笑していた額の抜け上がったマスターが、困ったもんだと首を振りつつ近づいてくる。もっとも歳にして五十は優に超えているこの主人は、口ぶりとは裏腹にニヤついた表情を湛えている。いつものことなのだろう。その証拠に、
「な~に言ってんだ、このドスケベハゲブタが。店の亭主がしょっちゅう若い女のケツ追っかけていて、どこが高級だってんだ。おめえはま~ったくガキの頃から変わっちゃいねえな。あのころおめえが女の子の着替えを覗いて追い回されたことが、今でもありありと思い出されるぜ」
いたずらっぽい笑みを浮かべつつ、親方と呼ばれた男は返してきた。さすがにシャレにならなかったのか、ハゲの亭主はギョッとした顔で親方の口を押えつつ、
「オイオイ、かみさんがカウンターで聞き耳たててんだ。滅多なこと言わんでくれよ。今夜の酒のつまみはオレの奢りだ。それで口つぐんでくれよ」
どうやらこの一言を待っていたらしい。親方はクククと笑い、相手の手を握り返しながら、
「昔のよしみだ。その辺で商談成立ってことにしとこう。おい、みんな、食いもんはマスター様の奢りだっ!いくらでも好きなもんを頼めやっ!」
たちまち歓声が湧き上がり、親方に連れられた子分共は、
「ゴチ~ッ!」
「マスター、いつも悪いねえ!」
「持つべきものは友だよ、まったく」
めいめい好き勝手に叫びながら、やがて彼らは店の真ん中に残っていた二つのテーブルを陣取っていった。
「面倒くせえから、テーブル二つくっつけとけや」
親方の指示に従い男たちがテーブルを重ね合わせるなか、すごすごと引き下がったマスターに彼の女房が食ってかかった。歳にして、三十前後であろうか。豊満なからだつきが、いかにも男好きしそうな雰囲気だ。その女房が、どういうつもりなのよと責め立てているようだ。
「やれやれ、お気の毒に」
したり顔で首をすくめながら、この騒ぎの張本人はチラと子分たちに視線を走らせていたが、
「オイ、お前らまだ勝手に座るんじゃねえっ!まずは先生から先にだ!先生、どうぞ上座のほうにお座りください」
先生、と呼ばれた男はまだ三十前後の若さだった。親方など、他の労働者に比べれば大きくはなかったが、尋常ではない鍛錬のせいか全体的にバランスの取れた身体をしていた。ただ、ひときわ目立つのは、右目に黒いが所々赤茶けた金属製の眼帯をしていることだった。隻眼ということらしい。
「もう、その先生というのはやめてもらえないかな。おれもいい加減、親方のところで世話になって久しい。他のみんなと同じ釜の飯を食いながら働いているんだ。そろそろ、フリーズと呼び捨てにしてもらえないかな」
他の男共に半ば無理に上座に座らされながら、先生ことフリーズは苦笑いを浮かべた。
「なにを言うんです!他の奴らはともかく、あっしにとっちゃあやはりあんたは生涯先生でさあ。今日はそのことをつくづく思い知らされました。なあ、みんな!」
「そうですとも!今日の御活躍はたいしたもんでしたよ!」
「いつもウチの仕事にケチをつけてくる、あのザックスグループの奴ら用心棒を大勢連れてきたのはいいが、先生の一睨みだけで逃げ腰になっちまいやがった」
「おまけに力自慢のバカな野郎が殴りかかったのはいいが、先生が軽~く投げ飛ばしただけでノビちまいやがった。しょせん敵じゃねえってことです」
「先生がいる限り、ウチらは安心して働けるというもんでさあ。先生バンザイ!」
子分たちのほうもさも愉快げに、口を揃えて先生を褒め称えた。おかげでフリーズのほうは、照れ隠しのためかますます身体を小さくさせた。
「ということでさ。まあ、こうなったらおあきらめになってもらって、先生と呼ばれ続けてくだせえ。お、マスター早速持ってきてくれたか。酒がなければこの場は丸く収まらねえからな、ハッハッ」
終始楽しげな親方を横目で睨みながら、マスターはまずライン酒のボトルを三本、グラスを十数個ばかり他に水差しや氷をテーブルに置いていった。アルコール度数六十度以上の安価なこの酒は、口あたりの良さから昔から大衆に好まれていた。ただし、お湯割りにした時の匂いは人によって好みが分かれてはくるが。
「せっかく楽しい夜になりそうなんだ。もうちっと景気のいい顔をしろやっ!」
ブツブツつぶやきながら去りかけたマスターの背中を、そう言って思いっ切り張り倒してきたからたまらない。あまりの勢いに、このハゲ親父は二、三歩よろめいて倒れてしまった。たちまち店内にドッと笑い声が上がった。
「バ、バカヤロウッ!おかしくなんかねえぞ!」
さすがに亭主、顔を真っ赤にしながら精一杯声を荒げたが、それも湧き上がった歓声にかき消されてしまった。そのため、ちょうどその時店に入ってきた一人の人物にすぐには誰も気がつかなかった。