プロローグ
星々も首をすくめ震え上がりそうな真夜中のこと。
トゥールトゥール……
キタキワミドリの鳴き声が、いつもにも増して寂しげに聞こえる。もう、かれこれ小一時間は囀っているのではないか。惑星パルジにだけ生息するこの珍しい種は、主に夜間活動する。
神話に近いエピソードがある。約一千年前に、現在のヴァーン王朝の創始者であるリングス・ニーベが、戦に敗れて僅か数人を従えて落ちのびた際、この体長五センチ足らずの鳥の鳴き声を頼りに漆黒の闇に包まれた森を通り抜け、敵方の追撃をかわしたという。難を逃れたニーベはその後地方で再起を誓い、近隣の蛮族を切り従えた後ついに惑星パルジに初めての統一王朝を築き上げた。以来キタキワミドリは、王家の象徴的な存在として手厚い保護を受けてきた。いわばこの星にとっては、聖鳥として位置づけられた鳥だった。
「ちっ、うるせい鳥だ。さっきからピーチクパーチクと」
舌打ちと共に男のつぶやきが聞こえてくる。鳥の鳴き声が彼には神経に触るのか、やがて手元でガチャリと撃鉄を鳴らした。
「よせ、ハンス・リック!王家ゆかりの鳥を撃つのは!」
樹の上で囀っている小鳥へと銃口を向ける男に、そばのもう一人が止めた。
「ふん、どうせ今夜の革命で王室は滅ぼされるんだ。鳥の一羽や二羽撃ったところで、どれだけ恐れることがある」
「だが、首謀者の一人であるマイスター公爵は、王の弟君にあらせられる御方だ。無用な騒ぎを起こして睨まれたら、出世どころか首が危うい!」
必死になって腕を掴み止める朋輩に、ハンス・リックと呼ばれた男は嘲笑うように鼻を鳴らし、
「オレに言わせれば、王族とか貴族の類は誰であろうと信用できないね」
銃を握る腕から力を抜いた。そのことで相手は安心し、彼自身もこの強情っぱりの腕から手を放した。その刹那、なにを思ったかハンス・リックは高々と宙へと銃口を向けた。
ズキューンッ!
あっという間だった。銃声に驚いた樹上の小鳥は一斉にワラワラと群れをなして羽ばたいた。
グワゥグワゥキャウキャウ……
危険を知らせるヒステリックな叫びを互いに交わしながら、キタキワミドリは四方八方へと散り散りになっていく。あまりのやかましさに、夜の森はさながら喧騒の舞台へと様変わりした。
「馬鹿野郎、なんてことを仕出かすんだっ!オレたちの役目は、森の正面で守備をしている近衛兵に気づかれぬように陽動作戦を行うことだぞ。それを台無しにするなんて」
掴みかからんばかりの相手を振り放しながら、ハンス・リックは駆け出していた。
「やかましい、命令通りにやるばかりが戦じゃねえんだっ!」
叫び走るハンスはいつの間にか、腰の剣を抜いていた。約百五十年前に名高き刀工によって鍛え上がられたという逸品だった。長く続く平和によって陽の目を見なかった彼の自慢の得物が、ようやく役立つ時が来たのだ。
(農民を追い払うのと訳が違う。こいつは正真正銘の戦なんだ。抜け駆けをしなくてなんの戦だっ!)
やがて彼の視界には幾十もの松明の灯が飛び込んできた。間違いない。近衛兵団のものだった。王城の裏に位置するこの広大な森林は、まさしく敵が身を隠して城へ攻め上るに絶好の場所だった。王室はむろんそれは百も承知の上で、森を伐採することをしなかった。王家のシンボルであるキタキワミドリの居住を守るためでもある。代わりに常時三十ほどの近衛兵師団が、森林の正面へと据えられた。今ハンス・リックは、単身その手強い壁に挑もうとしている。
(が、しょせん烏合の衆さ。日夜地方で、農民蜂起を片づけてきたオレの敵ではない。なによりもまず頭を潰すことだ)
ゴクリと唾を飲み込む。やがて松明の陰から人影がいくつも見え隠れしていたが、まだハンスの存在に気づいていないようでその動きは散漫としている。
(近衛兵団を指揮しているワルターを一撃で斬り伏せるんだ!そうすれば、奴らは手足をもがれたも同然……)
三百…………二百…………やがて百メートル先まで近づいた時、ようやく気配に気づいたのか森を窺うようにキョロキョロし始めた者が数名出てきた。一刻の猶予も許されない。
「ウオオオオ~ッ!」
不審に思って森へと近づいた一人が最初に聞いたのは獣のような咆哮だった。その瞬間、彼は飢えたマゴナシオオカミが残飯を狙ってきたのかと思った。
(しょうがないな。ちょっと餌をやると調子づいて来てしまう。追っ払ってやれ)
腰に掛った拳銃を抜き、空に向かって発砲しようとしたその時、彼の運命は決まった。
「ウワッ!」
目前に迫った凄まじい形相の男の姿、それが彼の視界に残った最後の映像だった。
ゴフッ……
頭蓋骨を打ち砕く鈍い音がしたかと思うと男の意識は完全に途絶えたが、拳銃を握っていた腕にはにわかに力がかかり、
ズダーンッ!
と、地面を抉るように銃弾は発射され、すべての視線がそこへ注目された。
「やっ」
「貴様、何者だ!」
「我々を近衛兵師団と知ってのうえでか!」
次々と罵声が飛びかったが、誰一人としてすぐに行動を移さなかったのは、虚を突かれたとはいえ彼らの迂闊さであった。パニックの興奮を引きずっているこの集団は、ただ一人の男に翻弄されるだけでまったく収拾がつかない。気がつけば、一人、また一人ときらびやかな黄金色の軍服をまとった近衛兵が地面に倒れ伏していった。兵士たちがようやく悪夢のような呪縛から醒め、攻撃に転じた時には既に半数近い十数名もの者たちが血祭りに挙がっていた。
「死にたくない奴は引っ込んでいろっ!ワルターだ、騎士ワルターはどこにいる、出て来いっ!」
押し包むようにして、襲撃者を仕留めようとする近衛兵団であったが……。それでも猛る鬼神のように、剣を振り回し拳銃を撃ちまくるハンス・リックの敵ではなかった。完全に受け身に回ってしまった兵士たちは、やがて敵わじと次々と蜘蛛の子を散らすように逃げていった。最後の一人が城へ向かってその後ろ姿を闇へかき消した時、息が上がったハンスは追撃もできず立ち止まった。
「…ハアッ…クソッ、肝心のワルターはいないときたか。せっかくこの機に決着をつけようとしたのに……。まったく、ついて…」
忌々しげにつぶやいたハンスは、小高い丘にそびえる城へと目を転じた。息を呑んだ。城郭の一郭に炎が挙がっていたのだ。
「オ~イ、ハンスよ、やったぞ、やったぞ~っ!ハッハッハッ!」
背後から声がした。置いてきぼりにしてきた先程の仲間だ。同じように薄汚れた緑と黒の迷彩服のその男は、そばまで近寄ると息を整えるため膝に手を当ててあえいでいたが、
「い、いま無線で連絡が入ったのだが、革命軍が見事に城へ潜入して王を拉致したとのことだ。ハッハッ、これで時代が変わる。オレたちは地べたを這いずり回る農民兵から、革命政府を守る政府軍のお偉方に昇格だ。まったく革命バンザイだ。愉快じゃないか。なあ、そうだろう」
心底嬉しくてならないらしい。喜色満面のこの男は、同意を求めるようにハンスの肩に手をやった。
「やかましいっ!」
だが、血に飢えた同僚が返してきたのは、怒号と一発の拳だった。モロに顔にめりこみ、勢いよくふっ飛ばされた男はそのまま樹木の幹に頭を打ちつけ動かなくなってしまった。倒れ伏した仲間を気遣うことさえもせず、ハンス・リックは炎上する城を眺めながら、悔しそうに歯ぎしりしていた。
「なにが革命バンザイだ。弟が兄貴の寝首を掻き取っただけじゃねえか。なに一つ変わりゃしねえ……」
醒めきった男のそんな心情を嘲笑うかのように、炎は更に勢いを増していき四百年近い歴史を刻んできた城を、次第次第に紅蓮の渦へと呑み込んでいった。
※
宇宙暦三九八年一月十五日、M三十二銀河の中心星パルジで起きたこの武装クーデターのニュースは、瞬く間に近くのアンドロメダ銀河などに位置する先進諸星に広がった。