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⑨ 海とウミネコ

 雲が出て陽射しが遮られると、寒さに少し震える。もう季節は秋から冬へと表情を変えているようだ。空気がぐっと乾燥して、振動の伝達率が高くなったように感じる。

 僕は来る時と同じように黒のセダンに乗り込んだ。最初と違うのは、今度は助手席だということ。

「安全運転をするのですよ。お客様をお乗せしているのですから」

 ヨリコさんがそう言って、運転席のカナコを睨む。

「リン、お姉様が飛ばしすぎるようでしたら容赦なくクレームをつけてください」

 ルイはヨリコさんの横に立ち、両手を胸の前で組んで心配そうな顔。

「大丈夫。飛ばす人は、だいたい運転が上手いから」

 僕がそう言うと、カナコがハンドルを持ったまま笑った。

「今日は本当にありがとうございました。また、いつでもいらしてください」

 そう言うダイスケ氏にあいさつを済ませ、カナコに視線を送る。彼女は黙って頷いて、ギアを入れた。

「それでは、また」

 セダンは力強い音を響かせ、閑静な高級住宅街を出た。

 途中で気が付いたけれど、カナコは来る時と違う道を選択している。どうやら、本当にドライブが好きらしい。頻繁にギアを入れ替え、次々に車線変更をする。

「少し、寄り道しても良い?」

 カナコの問いかけに、僕の答えはひとつだけ。

「もちろん。ハンドルを握っているのはカナコだ」

「なんか、気取った言い方」

 ふふっと、カナコは笑った。

 

 どれくらい走っただろう。窓から外を見ると、街の様子はどんどん変化していった。高層ビルが減り、代わりに中規模のオフィスビルのようなものが増えてきた。やがてそのエリアも抜け、道が広くなる。都会から離れている、と感じた。

「どこに向かってるの?」

「そうだね……デートの定番、かな」

 それから更にしばらく走り、カナコは広い駐車場にセダンを停めた。ドアを開けて外に出ると、強い潮の香りが鼻を刺激した。

「海?」

 カナコが頷く。

 駐車場に他の車は無い。カナコはセダンをロックして、背伸びをした。

「今の時期は寒いね」

 僕らは広い駐車場を歩いて抜けて、防波堤まで来た。左右にコンクリートの壁がずっと続いていて、その先が海だろう。壁はそこまで背が高くないので、僕でも背伸びをすれば向こうが見えるかもしれない。

「少し歩こう」

 カナコはそう言って歩き出した。どうやら、防波堤のどこかに切れ目があり、そこから海へ降りることができるらしい、ところどころにウミネコのフンがあったり、釣り人が残していったであろう、缶コーヒーの空が転がっている。

 ずっと先に、灯台も見えた。

 僕らは無言で歩いた。でも、それは寒さで口が動かなかったわけではない。それに、海の香りを堪能していたわけでもない。

 やがて防波堤の切れ目が見えてきた。カナコは振り返って僕を見て、首を少し傾げた。ここから降りよう、のサインだろう。

 砂浜は歩きにくく、注意が必要だった。砂浜はさっきの駐車場よりも何倍も広く、強い風が吹き抜ける。今の時期は、釣り人には辛いだろう。

「ねぇ、リン。煙草をくれない?」

 カナコは砂浜の途中で立ち止まり、目の前に広がる海を眺めながら言った。

 僕は上着のポケットから箱を取り出し、カナコに差し出す。

「ありがとう」

 手でライターを覆わなければ、うまく火がつけられない。僕も一本咥え、二人で寄り添うようにして火をつけた。

「あたしね」

 煙を吐いて、カナコは歩きながら話し出した。

「中学の頃、大好きな先輩がいたんだ」

 僕は少し後ろを歩く。

「好きって言っても、あくまで人としてだよ。その人は女だし。でも、とってもきれいで優しくて、素敵だった。頭の回転が速くて、お喋りが楽しかったな。うちの中学はエスカレータ-式だったから、高校も同じだった」

 カナコは僕の方を振り返ることなく話し続ける。

「それで、十八の頃、あたしその人と同じ大学を受験したんだ。けっこう難関だったんだけど、がんばって勉強した。どうしてもどうしても、その人と同じ大学に通いたかった。少しでも一緒にいたかったから」

 僕は久々に口を開く。

「それが、警察学校?」

 カナコは首を振った。

「警察学校は、後から入りなおしたの。初めに通ってた大学を辞めてね」

「どうして大学を辞めたの? その人と、何かあったの?」

 カナコは煙草の煙に目をしかめた。

「まぁ、そうだね。と言っても、何かあったのは先輩のほう。彼女、途中で大学を辞めたから」

「どうして?」

 カナコは足を止めた。少し先に目をやると、砂の色が変わっている。あのあたりまで波が来るのだろう。

「先輩が二年生のとき、彼女のご両親が殺されたんだ」

 ウミネコが鳴いている。

「殺された?」

 カナコは黙って頷く。

「誰に?」

「まだ捕まっていない。犯人は先輩のお母さんとお父さんを殺して、家に火をつけた。先輩はそのとき一人暮らしだったから助かったんだけど。でも、それから先輩は大学を辞めた」

「どうしてそんな……強盗とか?」

「わからない。先輩の実家は確かにお金持ちだったけど、金品を取られた痕跡はなかったし、ご両親は開業医だったらしいけど、患者から恨みを買っているような話も聞かなかった。真相は今でもわからない。先輩には弟もいたんだけど、彼も行方不明」

 煙草はもう短くなっていた。でも、カナコはかまわず吸った。

「あたしは、忘れられない。あれだけきれいで、優秀で、魅力的な先輩が落ち込んでいた様子が。事件が起きてから大学を辞めるまでの間、先輩はまるで別人みたいだった。話しかけてもぼんやりとしていて返事は無いし、ごはんもろくに食べてなかったのか、どんどん痩せた。それからすぐに、先輩は消えるようにして大学を辞めた」

 僕は何も言えなかった。今の話がカナコにとってとても大切な話だというのはわかるけれど、どうしてそれを僕に話すのかがわからない。

「だから、あたしは警察学校に入りなおした。警官になって、先輩をあんな風にしたやつを、悪いやつを捕まえたくて。ほんと、ルイと同じようなもんだね」

 カナコは笑って、僕の方に振り返った。

 風が吹いた。

「さて、あたしの話はこれくらいかな。今からは、リンのこと」

「僕のこと?」

「そう。リンのことだけじゃ不公平だから、こうしてあたしのことを先に話したんだ」

 カナコは僕に近づいてきた。そして、おもむろに右手を上げて、僕の胸を触った。

「な、なに」

 思わずカナコの手を振りほどいて、一歩下がった。

 僕の反応を見て、カナコはゆっくりと頷いた。

「リン、あたしが言いたいことは一つだけ」

 もう、ウミネコは鳴いていない。

「どうして男のフリをしているの?」

 





 僕らは砂浜から引き揚げ、駐車場に戻った。途中の自動販売機で温かいコーヒーを買って、座席で飲んだ。

「おかしいとは思っていたんだ」

 カナコは缶を持ったまま僕を見た。

「自分のことを僕って言うのも、無理矢理ムネを小さく見せようとしてるのも。それ、ムネにサラシ巻いてるよね?」

 僕は窓の外に視線を張り付けた。

「ルイから聞いんだけど、ゴミを片付ける仕事をしてる……って。繁華街に住んでいて、ルイに絡んできたような連中の扱いに慣れていて、女であることを必死に隠していて……可愛い妹の友達だからね、少し気になって」

 僕がカナコの方を見ると、彼女はまっすぐに僕の目を見た。

 強く、鋭い目だ。

「ルイは、僕が女だってことを……」

「知ってるよ。さすがにあの子も、見ず知らずの男の家には泊まらないよ。リンが女だから安心したんでしょ」

「そうか……」

「詳しいことは聞かない。どうして男のフリをしているのかも、話さなくていい。でも、もし繁華街で危ない仕事をしているのなら……足を洗ってほしいな」

「どういうこと?」

「警察にいるとね、色々なことがわかる。一般人には知らされないことも、捜査の過程で知ることがある。さっき話した先輩のご両親が殺された事件なんだけど、あたしが警官になってから個人的に調べたら、ほとんど捜査なんてされてなかったことがわかった」

「捜査されてない?」

「そう。はっきりとした理由はわからないけれど、肝心なところで力を抜いている。いや、抜かざるを得ないように、指示が出ていたんだな」

「それは……」

 カナコは缶を傾け、ぎゅっと握った。

「そして、今回も」

「今回?」

「そう。繁華街の家出少女誘拐事件。あれも、目撃証言はけっこうあるのに先に進まない。犯人の候補すら上がらない。これはおかしい」

「捜査は難航してると、ニュースで見た」

 空になった缶を置いて、カナコはルームミラーで自分の髪型を整えた。

「モノは言いようだね。でも、現場にいると明らかに感じるんだ。警察の上の方は、この事件を解決しようとはしていない」

「でも、ルイとカナコのお父さんは」

 カナコは僕の言葉を遮る。

「問題は親父より、更に上の連中だよ。どこかからの圧力なのか、捜査が進まないように采配されてるね」

「でも、何のために」

 僕はまだ開けていない缶を握りしめた。もう、ぬるくなっている。

「事件が解決したら困る連中がいて、そいつらと警察のお偉いさんが仲良しなんじゃないかな」

 これは、ゴウさんが言っていたことと同じだ。

「もちろん、そんなこと許されていいはずがない。あたしはなんとしても解決してみせる。もしかして、先輩の事件と今回の事件で、同じやつが関わっている可能性が高いからね」

「同じやつ?」

「そう。先輩のご両親が殺された事件、少なくとも二人の人が死んでるのに、ほとんど捜査はされなかった。そして今回、複数の未成年が短期間に誘拐されてるのに、本腰を入れて捜査しないのは明らかにおかしい。二つの事件は、同じやつが裏にいると思ってもいいのかもしれない。もしリンが危ない仕事をしていて、例の、裏にいるやつと関わるようになってしまったら、あたしもルイも悲しい。それに」

 そこで彼女は少し間を置いた。

「あたしは、リンを逮捕したくない」

 車内に沈黙が降りる。もう一本煙草を吸いたかったけれど、他人の車の中だと思うと、遠慮してしまう。

 カナコは声の調子を変えた。

「今話したこと、内緒だよ? 結構な機密事項だから」

 悪戯っぽい笑顔。

 僕は無言で頷く。どうやらいつものカナコに戻ったらしい。

「さて、この話はこれでおしまい。真面目に話して疲れちゃった」

 カナコは腕を回してストレッチをした。

「あの、結局僕の話は何もしていないけれど……」

「いいのいいの。言ったでしょ? 言いたいことがあるって。別に答えを聞きたかったわけじゃない」

「でも……」

「もう、いいんだって! 女々しいなぁ。あ、女だからかな?」

 くすくすとカナコは笑う。

 僕も、話を変えよう。

「カナコは、自分の仕事を決めてしまうくらいに先輩のことが好きだったんだね」

 僕がそう言うと、カナコは優しい笑顔のまま答えた。

「まあね。聞いてよ、あたし先輩に憧れて口元にペンで黒子かいたりしたんだよ。おかしいでしょ。……でも、素敵でさぁ……真っ白い肌に、口元の黒子。なんだか古い海外の音楽もよく聴いてたな」

 カナコはすっかり昔を思い出しているような様子。でも、僕はある言葉が引っかかった。

 真っ白い肌に、口元に黒子……? 僕の中に、一人の人物が浮かんだ。

 いや、でも。そんな偶然があるわけがない。

「カナコ、その人って、名前は?」

「え? どうして?」

「知り合いに、特徴が似ててさ。もう、その人とはずっと会ってないんだけど」

 嘘とも真実とも言えないような言い訳。

「えっと……先輩の名前はユキ。スズムラ・ユキ」

 鼓動が、急に速くなった。

 手には汗がにじむ。

 なんてことだ。

 どういうことだ。

 遠くなりそうな視界の中、カナコが口を開く。

「もしかして、リンも知り合いなの?」

 僕はやっとのことで、

「いや……人違いだったみたい」

 とだけ言った。


 



「これ、何かあったら連絡して」

 そう言ってカナコが手渡してきたのは、一枚の紙を何度も折りたたんだ手紙だった。

「パソコンと、ケータイのアドレス。それに電話番号も。暇なときにでも、またデートしよう」

 走り去るセダンを見送って、僕はアパートのドアの前に立った。

 太陽は傾いて、地平線でとろけそうな形になっている。僕は道路に突っ立ったまま、カナコと砂浜で話した内容を反芻した。

 なんてことだろう、僕が銃弾を撃ち込んだ相手は、カナコの知り合いだった。それに、その相手の家族は過去に殺されている。カナコによると、その事件の捜査は意図的に妨害され、今でも解決はしていない。今起きている誘拐事件も、同じように捜査は難航。二つの事件の裏には、事件が解決すると都合が悪い人物の存在を感じる。前者の事件も後者の事件も、誰かが警察の上層部に圧力をかけているか、取引をしているのかもしれない。そして、それら二人の人物は同じかもしれないと、現役の警察官が言っていた。  

 一体、何が起きている? この符合はなんだ? 僕は知らない間に何に巻き込まれているんだ?

 ヤンは、今回の誘拐事件に絡んでいるであろうヤンは、何を知っている?

 ドアの前に立ち、しばらく考える。でも駄目だ、考えるには材料が少なすぎる。僕はカナコのように捜査能力があるわけでもないし、そちらの組織に属しているわけでもない。

 ドアを開けて、玄関に入る。すると、下の一枚のメモが落ちていた。どうやら、ドア下の隙間から入れられたものらしい。

 メモの内容は、日にちと時間のみ。それは今から数時間後。

 支度をして、指定の時間に間に合うように、部屋を出た。


 ここに来るのはどれくらいぶりだろう。しばらく遊んで暮らしているうちに、印象が薄くなったかと思ったけれど、暗い階段を一歩上るたび、暗闇に飲み込まれていくような気分になる。頭ではなく、肌があの気味悪さを覚えているようだ。

 鳥肌がたつ。

 時間は、二十二時半。

 階段を上り切り、突き当りの扉を開ける。相変わらずの暗闇の中に、微かに人の気配。

 暗闇の中に声をかける。

「ヤン、何の用?」

 暗闇で、何かが動く気配。

「ヤン?」

「あぁ……はやかったのね、リン」

 ヤンの声は枯れていて、ひどく消耗しているような感じがした。それに、部屋の中には嗅ぎ慣れないにおいも漂っている。

「ヤン? どうした?」

「なんでも、ないのよ」

 ぎし、とソファーがきしむ音。僕はいつもの椅子に腰掛け、床の一部を見る。

 地下室への入口は、あのあたりだろうか。

「リン、充分に休めた?」

 たっぷりと時間を置いてヤンは言った。

「あぁ。自分がまっとうな人間だと勘違いするくらいには、休めた」

「それは、なにより」

 布がすれる音。どうやら、ヤンは煙草を取り出して咥えたらしい。

 シュ、という音。

 一瞬、闇がオレンジ色にかき消される。

「ヤン、お前……また痩せたんじゃないか?」

 オレンジに染まったヤンの顔は、以前よりも痩せこけて見えた。それだけではなく、眼窩はくぼみ、シワも深い。普通の人よりも早く年をとっているように見える。

「ふふ、歳をとるとね、あまり食べなくなるから」

 煙草のにおいが部屋に充満する。

「リンは、ちゃんと食べないと駄目よ。若いんだから」

「そう言えば、初めて自分で料理をしたよ」

「あら、ぜひごちそうになりたいわねぇ」

「今日は、仕事の話?」

 そこで会話は途切れ、ヤンはデスクの方に向かっていき、何かを用意していた。

 僕も煙草を取り出して、火をつける。

「悪いんだけど、休暇は今日でおしまい。これから、また仕事を頼むわ」

「仕事? 報酬はまだばいぶ残っているんだけど……」

「人手不足なの。頼むわよ」

 ヤンはそう言って封筒を手渡した。感触では、それほど厚くはない。

「次は、なに? 風俗嬢? デリヘル?」

 僕の軽口に、ヤンは何も答えない。

「そう言えば……誘拐事件、捜査がなかなか進まないらしいね」

 僕がそう言うと、ヤンは暗闇の中で僕をじろりと見たような気がした。でも、これは気がしただけ。今日も、ヤンの部屋には明かりがついてはいない。

「あら、興味があるの?」

「ゴウさんの店で、いろいろ話を聞いたよ。あの人は解決するわけがないって言ってたけど……」

「どうして?」

「警察の連中は、繁華街には犯罪があって当たり前だと思ってるから……って言ってたな」

「ふうん……」 

 ヤンは煙草を吸う。オレンジの光が、一瞬だけ強くなる。

「そう……確かにそうかもね」

 僕は暗闇の中にいるはずのヤンを見ていた。痩せすぎて、指には刺青をしていて、長髪を後ろで束ねているはずのヤン。僕の生活は彼に支えられているのに、僕は彼のことは何も知らない。

 そう、何も。

 ヤンはゆっくりと、自分の言語能力を確かめるように言った。

「解決は、しないと思うわ。絶対にね」


 

 ヤンの部屋から出て、階段を降りた。外は風が強く、僕は上着の襟に首を埋めた。

 そろそろコートが必要だ。

 今日も繁華街には様々な人種が闊歩していて、それぞれが自分の欲望を叶えてくれる相手を探している。酒を飲んでいる人、路地裏に佇む外国人に魔法の粉末の値引き交渉をする人。なんとなく街の様子を見ながら歩いていると、最近よく見かけた占いの老婆が今日は店を出していないのに気が付いた。

 まあ、無理もない。そもそもあんな占いが仕事として成り立つのがおかしいのだ。

 カシワギ家で食事をごちそうになってから時間があいて、少し空腹を覚えた。でも帰っても、カレー風味のお湯があるだけ。

 無意識に足はゴウさんの店に向かっていた。

 ネオンに照らされたゴウさんの店は、まっとうな飲食店にはとても見えない。トカゲとかスズメとかサソリとか、そんなものを出しそうな雰囲気。

 珍しく明かりがついているので、油で汚れた窓から店内の様子を窺う。すると、またも珍しく客がいた。

 扉を開けて、中に入る。

「いらっしゃい……なんだ、リンか」

 店内には二組の客がいて、一組は背広の男性で、もう一組は若いカップルだった。僕は心の中でカップルに向かって、「かわいそうに」と言った。

「なんだ、ちゃんと働いているじゃないか」

 僕がカウンターに座ってそう言うと、ゴウさんは顔をしかめた。今日は煙草も咥えていない。

「夜は稼ぎ時なんだよ。リンこそ、一日に二回もくるなんて珍しいな」

「自分で料理をしたら、腹が減ってさ」

 眉根を寄せるゴウさんに料理の注文をして、水を飲んだ。待っているうちに若いカップルが会計を住ませて店を出ていった。

「おまちどおさん」

 食事を口に運んでいると、ゴウさんがテレビを見ながら口を開いた。

「そう言えば、あの占いの婆さんの話聞いたか?」

「占いの? 何かあったの?」

「殺されたらしい」

「え?」

「路地裏で倒れてたんだと。頭を、撃ち抜かれて」

 ゴウさんは手で銃の形をつくり、自分の頭に向けた。

 僕がそれを見ていると、彼は続けて口を開いた。

「最近、本当に物騒になったなぁ。誘拐は起きるし、ただの占い婆さんは殺されるし……あぁ、あの婆さんからもっと話聞いときゃよかった」

「話って、なんの?」

「あれ? 知らねぇのか?」

 ゴウさんはカウンターから身を乗り出して、客である背広の男性には聞こえないような音量で言った。

「今回の誘拐事件、連れ去り現場を見た唯一の目撃者だよ、その婆さんが。警察もあの婆さんに色々聞いてたんじゃねえのかな」

 僕はあえて何の反応もせずに、ただ料理を口に運ぶ作業を再開した。

 ゴウさんのカレーは、やっぱり僕のものとは違って美味い。

「あれ、あんまし興味ない?」

 口角を上げているゴウさんを上目遣いに見て、僕は言った。

「このカレー、つくりかた教えて」

 



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