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③ 夢と少女

 夢を見た。大抵の夢がそうであるように、この夢はとても理想的で、ふわふわした好意的な内容だ。それでも、僕にはこれが夢だとすぐにわかる。なぜなら、僕にはこの夢であった出来事の記憶なんてまるで無いのだから。

 

 だからこれは、自分に都合が良いように作り上げた、妄想のようなものだろう。




 

 吹き抜ける風は軽やかで、空は抜けるように青い。僕は制服を着て、学校の中庭、青々とした芝生の上に座っている。

 あぁ、なんて気持ちが良いのだろう。

 今は休み時間で、周りにはボールで遊んでいる男子がいれば、ベンチに座ってお喋りをしている女子もいる。みんな制服を着ていて、女子は胸元のリボンの色、男子はネームプレートに入っている線の数で学年がわかる。

 僕は何年生なのだろう。

 中庭からは長い石畳の道が続き、その先へ行くと大きな校門がある。そこから先は所謂外の世界で、乱雑で雑菌に満ちた世界。外の出界では道理が通じず、理屈は曲げられて、下品な感情論と損得勘定だけで運営されている。そのように、お父様から聞いた。

 だから、ここに通う子達はあまり外に出ない。学校の中にいれば厳格な規律の中で生活ができるし、そうしているうちは理不尽なことも無い。つまり、『ルール違反』なんて存在しない、近代的な空間が用意されている。

 ここに通えるのはごく一部の子供たちだけだ。

 受験生はその家柄や持つ資産、それに本人の能力などでふるいにかけられる。入学が選ばれた人間はその時点でエリートで、卒業後の人生も約束される。

 僕らは中学生だけど、だから普通の中学生とは違う。

 右を見ても左を見ても品行方正な子たちしかいない。しっかりと折り目のついたハンカチを持っていて、すれ違うときにはお互いに軽く目配せをして頭を下げる。下級生にとって上級生は憧れの存在で、彼らのようのなりたいと、皆が本気で思っている。

 ここではまだ、年上に対する「尊厳」というものが生きている。


 僕は芝生に手をつき、身体を後ろに傾けて空を見た。

「リン」

 横を向くと、くしゅっとした癖っ毛が印象的な男子が座っている。どこかで聞いたような声に、どこかで見たことがあるような顔。

「どうしたの?」

「お前、家を出たいと思ったことは無いか?」

 僕が首を傾げると、彼は唸るような声を出した。

「つまり……家出ってことだ」

「どうして?」

「そりゃぁ……いろいろあるけどよ」

「いろいろって?」

「一言じゃ言えねぇよ」

 そう言うと彼は立ち上がり、癖のある髪は風に揺れた。

「最近何となく、そういうことを考えるんだ」

「家で、何かあったの?」

 彼は首を振る。

「逆だ。何も無いから嫌なんだよ」   

 僕はなんて言っていいのかわからずに俯いた。すると、彼は明るい声音で言葉をつづける。

「リンは……そのままで良い」

「どういうこと?」

「つまり……俺が言ってることはその……辻褄が合わないっていうか……えっと」

「矛盾」

「そう、矛盾してるんだ」

「ふぅん」

「親父にも言われた。お前はロクな大人にならないって。うちの病院なら、姉さんが継ぐんだろうし、俺は好きにやりたんだけどな」

「何かしたいことがあるの?」

「まあ、な」

「教えて」

「嫌だよ」

「どうして?」

 彼は乱暴に腰を下ろした。

「恥ずかしいから。笑われる」

「笑わないよ」

「駄目だ」

 僕が口を開きかけたとき、校舎の方から声がかけられた。

「スズムラ!」

 見ると一階の窓から、ふっくらとした一人の女子生徒が、身を乗り出す様にしてこちらを見ている。ロールケーキみたいな腕を元気に振っている。

 もちろん僕はその女子生徒に見覚えは無いけれど、彼女のほうは僕をまっすぐに見ているような気がした。

「呼ばれたな」

 横に座っている彼はそう言うと、すぐに立ち上がった。きっと、会話から逃げる口実ができて喜んでいるのだろう。

「今度、聞かせてね」

「何を?」

 彼は振り返る。

「えっと……さっき言ってた、したいこと? ううん……夢?」

「そんなんじゃねぇって」

 それだけ言うと、彼は歩き出してしまった。

 僕も立ち上がり、校舎の方へと向かう。相変わらず風が気持ち良くて、見上げた空は子供が書いた絵画みたいに青かった。






 目を覚して時間を確認すると、深夜の一時すぎだった。

 ヤンのところから自宅に戻った僕は、服を脱いでベッドに潜り込み、そのまま眠ってしまっていたらしい。

 窓に当たる音に気が付いて、外を見ると雨が降っていた。毒々しい色のネオンの光が、雨粒に拡散されている。全てがぼんやりと滲み、境界線があいまいになっている感覚。まだ完全に覚醒していない僕の頭には、この景色が心地良い。さっきまで見ていた夢の世界とは対照的に、今この世界では雨雲が空を覆っている。

 この世界が、僕の住む世界。

 良く晴れた空も、少しナイーブな男友達も、育ちの良い子どもだけが入学を許される学校も、現実の僕には無関係だ。きっと、ペンギンと白熊ほどの関係も無いだろう。

 そういえば最近、よく夢を見る。その内容は様々だけど、どれも同じ世界を切り取った場面のようだ。夢の中で僕は中学生くらいで、例のエリート学校に通っている。友達と言える友達は少なくて、一人でいることが多い。そこは、現実とあまり変わらない。

 初めは奇妙な感覚に慣れなかったけれど、今では夢を見るのが少し楽しみになった。自分とは正反対の人生を歩んでいる、もう一人の自分を垣間見れているようで不思議だ。気の利いたB級映画を観ているような気分になる。

 シーツと毛布をどかし、ベッドから降りた。部屋の中はずっしりと冷えていて、空気は澄んでいた。僕はキッチンへ行って、頑丈さだけが取り柄の椅子に座った。

 煙草を取り出して火をつける。空気が澄んでいる寒い時期は、他の時期よりも煙草が美味しく感じる。

 そう教えてくれたやつとは、もうしばらく会ってない。

 あいつは、僕の師匠であり親友だった。僕にリンと名前をつけてくれて、繁華街の裏路地をうろついていた僕に温かいコーヒーを飲ませてくれた。

 懐かしい。

 まだ半分以上残っている煙草を揉み消して、冷蔵庫を開ける。でも、ろくなものは入っていない。ミルクは賞味期限切れだし、野菜は諦めたようにしなびている。仕方がないので部屋に戻り服を着て、ヤンから受け取った札束の中から一枚を抜き取り、ポケットにねじ込んだ。

 玄関から出てみると、思っていたよりも強く雨が降っていた。傘に当たる雨音を楽しみながら、僕は深夜でも営業しているスーパーを目指した。

 僕の家は繁華街から徒歩五分くらいのところにあり、周辺は夜でも騒がしい。窓からは下品なネオンの光が入り込むし、喧嘩の怒号もよく聞こえる。ビジネス街とは違い、昼間は寝ていて夜に起きる街だ。太陽の下を歩けないような連中がうろうろしている。

 見慣れた道を進むと、目的のスーパーが見えてきた。ここで働くアジア人は、近くで人が殺されても怯まずレジを打ってくれるだろう。

 暖房が効きすぎている店内を見て回り、適当に野菜と飲み物を選んだ。ドレッシング代わりの塩も手に取り、ほとんど日本語が通じないレジ係に礼を言って店を出る。

 

 さて、しばらくは仕事をしなくても、遊んで過ごせる。それだけの報酬の割に、仕事が簡単過ぎたのが引っかかるけれど、それでも仕事は仕事だ。でも、遊んですごせると言っても何をすればいいのだろう。遊ぶって、何をして?

 もう深夜なので書店は閉まっているし、ゲームセンターも明かりが消えている。まだ営業しているのは飲み屋や、いかがわしい店だけど、そんなところに行く気にはなれない。

 雨のせいか、肌寒い。それに、心なしか人通りも少ない。普段は呼び込みのため、道に立っている女性も、今日はいない。なんとなく、街全体が喪に服しているような気配。

 仕方がない、帰ってもう一眠りするか。

 右手にスーパーのレジ袋、左手には傘を持って歩き出す。足は自宅では無く、逆方向へと向いていた。

 少し散歩でもして帰ろう。

 深夜の繁華街というのはとても素敵だ。大きいだけで中に人がいないビルや、手入れをする人間がいなくなって荒れた看板、それに、道端に捨てられた煙草の吸殻や酒の空瓶。あんなに人間のにおいと熱気で溢れていた街から、ごっそり中身だけを抜きとったようだ。身軽になって、少し戸惑っているような街の雰囲気が可愛らしい。

 ざあっという雨の後に包まれて、人通りの少ない道を歩いた。人のためにつくられた街なのに、人がいないなんて素晴らしい。こんなに贅沢な散歩があるだろうか。ずっとこうならいいのに、と思う。

 適当に二、三回ほど角を曲がり、ガラクタが積まれている路地裏を覗き込む。今日は酔っ払いも倒れていない。反吐は雨に流されている。やらしい目付きでパトロールをする警官もいない。

 誰もいない街って、どうしてこんなにも心躍るのだろう。世界中から人間がいなくなってしまえば、どれだけ気分がいいか知れない。でも、あのスーパーのレジ係だけは残ってもらわないと困るな。僕に野菜を売ってくれる人がいなくなってしまうから。

 次の角を曲がったところで、どこかから声が聞こえた。雨音にかき消されそうな程に弱々しい声だったけれど、たぶん女性の声だ。

「酔っ払いかな」

 歩を進めるにつれて、はっきりと声が聞こえるようになった。女性の他に、何人かの男性の声もする。雰囲気から察するにモメているらしい。

 もしかして、噂で聞いた誘拐の現場かもしれない。

 それとなく横目で路地裏を見つつ進んだ。でも、もし誘拐の現場を見つけたところで僕はどうするつもりなのだろう。まさか助ける訳でもあるまいし。

 争うような声がだんだんはっきりと聞こえてきた。道を変えてもよかったけれど、そのまま進むことにする。どうしてそう判断したのか、自分でもわからない。もしかしたら、面倒なことに巻き込まれるかもしれないというのに。

 いくつ目かの路地裏を横目で見ていたら、逆方向から何かがぶつかってきた。僕は少し驚いて傘を落としたくらいだけど、視線を向けると相手は地面に倒れている。相手はフリル付のドレスのようなものを着ていて、せっかくのきれいな生地が雨で濡れていた。

「大丈夫?」

 僕が手を差し出すと、相手は顔を上げて言った。

「助けてください」

 大きな瞳が特徴的な少女だ。15歳くらいだろうか。声は鼻にかかったように甘ったるい。長い黒髪は雨に濡れて、顔に張り付いている

 僕の返答を聞く間もなく、彼女は僕の手を取って立ち上がった。そして背後の、彼女が飛び出してきた暗闇を見つめた。

「変な人に追われているのです。助けてください」

 口調こそお願いの形をとっていたけれど、ほとんど強制だった。でも、それほど切羽詰った様子は無い。

 不思議な子だ。

「何があったの?」

「あとで説明します。ひとまず今は」

 暗闇から足音が聞こえる。たぶん、二人だ。

「逃げましょう」

 言うや否や、彼女は僕の手を握ったまま走り出した。これじゃあ、どっちが助けられているのかわからない。

 しかし彼女には土地勘が無いらしく、曲がり角に来るときょろきょろと左右を見渡した。そうしている間にも、追跡者は確実に近づいてくる気配がする。

「こっちだ」

 今度は僕が彼女の手を引き、先導して走った。誰かからはわないが逃げているのなら、少しでも人通りが多いほうに向かったほうが良いだろう。

「もう少し……ゆっくり」

 荒い息遣いで彼女が言った。見ると、すでに肩で息をしている。それに、ヒールが高い靴を履いている。それは赤いエナメル素材で出来ていて、雨に濡れて光っていた。

「どれくらいなら走れる」

「逃げ切れるくらいの速さで……なるべくゆっくりお願いします」

「オーケー」

 それからは、出来るだけ複雑な道を選んで走った。小道や路地裏、廃業した店舗の中を通っての近道。これは土地勘が無ければ選択できない道だ。追跡者がこの辺に詳しければ大した効果はないけれど、そうでないことを祈るしかない。彼女の靴が鳴らす軽快な足音は、雨音が消してくれるだろう。

 どれくらい走ったのかわからない。でも、見慣れた道に入っていた。もう少しでスーパーがある通りだ、というところで、彼女が体勢を崩して転んだ。ヒールが折れて、もう走れそうにない。

「おぶろうか?」

 僕がそう言うと、彼女は顔を歪めて左右に振った。そしておもむろに靴を脱ぎだし、二つとも地面に置いた。

「これで、まだ走れます」

 先を急ごうと立ち上がると、追跡者の足音が聞こえてきた。

 かなり近い。

「こっちだ」

 僕が彼女の手を引いて入ったのは、小さなラブホテルだ。ふてぶてしい老婆が店番をしているタイプの、衛生管理に文句をつけたくなるようなところ。

 入口のドアを閉めて、追跡者をやり過ごせるか待つ。やつらがもしここに踏み込んで来たら、その時はその時だ。

 しばらく待つと、二人分の足音が聞こえた。

 思わず僕は舌打ちをした。

 彼女の靴を置いたままだ。あんな特徴的な靴が、そうそう落ちているはずはない。やつらがあれを見つければ、確実にここを怪しむだろう。

 どうする? この建物の裏口を使うか? そうするならば、早く動かないと。

「大丈夫です」

 何とか逃げ道の算段をつけていると、彼女が僕の手を強く握って言った。視線を向けると、手に持った赤い靴を二つ掲げている。

「ね?」

 彼女はにっこりと笑った。

 思わずその顔を見つめていると、足音が止まることなくホテルの前を通過した。

「やるね」

「自己管理ですから」

 僕は一息つこうと煙草を探した。でも手に取ってみると、走っている最中に雨でやられてしまったらしい。

「お二人さん」

 しわがれた声に振り返ると、受付には老婆が座っている。戦前からそこにいるような雰囲気で、建物の一部だと言われても信じてしまう。

「休憩? 宿泊? トラブルは困るよ」

 老婆がまくしたてるように言う。すると僕の手が引かれて、横を見ると彼女が顔を近づけていた。

「ここは一体、何をするところなのです?」

 小声でそう聞く彼女に、少し考えてから、

「服を乾かせて、靴を直せる場所なら良いね」と答えた。


 彼女は首を傾げ、僕をじっと見つめるだけだった。

 

 



 

 


 


 

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