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② ネオンタウン

 一仕事を終え高級マンションから出た僕は、立派な家が立ち並ぶ高級住宅街を縫うように歩いている。等間隔にある街灯が、道に白いひかりを落としている。

 少し風が出てきて、肌寒い。空を見上げると、ここに来るときに出ていた月が、今では半分隠れている。

 僕は上着のポケットに手を突っ込んで、下を向いて歩く。途中で窓に映った自分を見たら、のびた髪が風でなびいていた。

 なんだか、女みたいだ。

 どうして髪なんて伸びるのだろう。こんなもの、邪魔でしかないのに。何の役にも立たないし、前髪が目に入るととても痛い。いっそ、丸刈りにでもしてやろうかな。

 

 金持ちが住む街はとても静かで、誰ともすれ違うことはない。消音機付の銃を持っている今なら、この辺の誰かを撃って、金を奪っても騒ぎにはなりにくいだろう。生粋の金持ちというのは、自分には悪いことが起きないと信じている連中だ。やつらは純粋に、世界は平和で満ちているべきだと考えている。そんなやつらから奪うのは、どんな気分だろう。彼らは何もわからないまま命を落とすのだろうか。それとも、間際になってこの世の不条理を知るのだろうか。

 教えてやりたい。この世は力の有るものが支配し、無いものは奪われるだけだということを。命も、金も、大切な何かも。

 でも結局誰ともすれ違うことなく、金持ちの街を抜けた。

 これは幸運だろうか、不幸だろうか。

 

 大きな国道を前にして信号を待つと、向こう側に汚れた街が見える。コールガールの部屋から見下ろした、ネオンで溢れかえっている街だ。所謂繁華街である。正式な名称や住所などもあるけれど、もう誰もその名前では呼ばない。あそこは繁華街であり、この国のブラックボックスでもある。

 あそこにいる金持ちは金メッキで覆われていて、いつ自分の足元がすくわれるか、びくびくしながら生きている。金メッキの下を見られないように、自分たちは生粋の金持ちだと信じて生きている。その様は滑稽だけれど、どこか憎めない。

 

 目の前の国道を車が何台も通り、巻き起こる風に目を細めた。


 信号が青に変わり、横断歩道を歩いた。ついさっき人を殺してきた僕が、こうして社会のルールを守っているというのが奇妙だ。こうして、僕も上手く金メッキを施している。

 ネオンの街に入ると、においが変わった。人間とアルコールと、なんだか腐ったようなにおい。

 布が少ない服を着て道端に立つ女や、占いの看板を出している老婆。酒だけを出すわけではないバーもあるし、看板を出していない賭博場もある。それぞれが、人の欲求に直結する分野で、少ない金を稼いでいる。

 僕が知る限り、ここで生きている連中の思考回路はとてもシンプルだ。自分に得があるのか、無いのか。それだけが物事の判断の基準であり、それ以外のことは優先順位が低い。無駄な見栄は張らないし、余計な趣向も持たない。この街で眉を顰められるようなやつは、シャレにならないくらいに危ないやつだ。

 

 たとえば、この辺ではよく未成年の少女がうろついている。家出をしてきたのか、もっと複雑な事情があるのかは知らないけれど、彼女達は決していなくなることは無い。常にゲームセンターやカラオケボックス、ネットカフェなんかでたむろしていて、金が無くなると路上で自分の身体を買ってくれる男性(時には女性)を探す。

 それでもここに住む大人は、彼女達に説教をしたりしない。そんなことをしても、自分の自尊心が満たされるだけだ。空腹も心も満たされない。中途半端に世話を焼いて面倒を見ようとすれば警察に誘拐を疑われるし、何よりも自分が食べていくだけで精一杯なのだ。誰かを養うなんて、誰も考えない。

 しかしここ最近、そういった少女たちが次々と消えている。警察が頻繁に出入りして聞き込みをしてるのを、僕も見たことがある。ここの住人が少女たちを誘拐していると疑っているのかもしれない。でも、そんな考えは馬鹿げているとしか思えない。

 ここの住民が少女を誘拐して一体何になる? 売春や人身売買が横行していたのはもう昔の話だし、そんなことをして警察に捕まるリスクを冒すくらいなら、自分の手が届く範囲でつつましく生活をする。ここには、そういう連中しかいない。

 なので、身元不明の少女たちをさらっているのは、ごく一部の金持ちではないか、という噂が流れている。その噂によると、姿を消している少女には共通した特徴があり、十代半ばで髪が黒く、そして肩まで髪を伸ばしているという。そういった外見の少女に執着を持つ金持ちが、身元不明の彼女たちを監禁しているのだろうと。

 もちろん、真偽のほどは確かではない。誰も真面目に考えてはいないのだ。

 しかし、もしそれの噂が本当のことならば、犯人は相当危ないやつだ。

 金持ちは、高級コールガールを買える。身元も確かで、サービスも容姿も高水準を保っている高級品だ。それなのに、わざわざ繁華街の路地裏で彷徨っている少女をさらうなんて、正気じゃない。趣味が悪いとも言える。まさか家出少女の身元引受人になっているわけでもあるまいし、何の目的があるのか、考えたくもない。その場面を想像すると、胃の中に重たいものがせりあがってくるような感覚になり、手近なものを何でもいいから殴りつけたくなる。

 何よりも僕の感情を逆撫でするのは、金持ちが少女達をさらっていた場合、それは確実に自身の趣味のためだということ。生活のために金を稼ぐ手段でもなく、ただ自分の欲望を満たすためや、暇つぶしのために少女をさらうのだ。まるで犬や猫を拾うみたいに。


 やめよう。考えても仕方がないことだ。


 顔を赤くして歩く仕事帰りの人や、手をつないで歩く男女とすれ違って、僕は路地を曲がった。

 薄暗くて物に溢れている雑多な道を進むと、潰れた飲み屋の入り口が見えてくる。入口横の看板は既に文字が読み取れないくらいに風化していて、ビールケースの黄色だけが闇に映えていた。

 入口に足を踏み入れ、その先の暗い階段を上る。壁には様々なポスターが貼ってあり、髪を派手な色に染めた若者や、眼鏡をかけた学生風の若者が楽器を持ってこちらを見ていた。

 

 階段を上り切り、突き当りの扉を開けた。すると、ほとんど廃墟と化している外観からは想像がつかないくらいに、生活感にあふれた空間がぼんやりと広がった。電気が付いていないので、暗闇の中で目を凝らすと、吸い殻で溢れている灰皿や、所々破れて中綿が露出しているソファーの輪郭が浮かび上がる。レコードは床中に散乱しているけれど、僕はこの部屋で音楽を聞いたことがない。

「リン、早かったのね」

 声の方を見ると、暗がりの中にヤンが立っていた。とても背が高くて、そして病的に痩せている。暗闇の中で彼を見ると、まるで骸骨と話をしているような気分になる。しゃがれ声の女口調で話す骸骨なんて、他にいないだろう。

「簡単な仕事だった」

 僕が手近な椅子に腰かけると、ヤンもソファーに腰掛けたようだ。

「でしょう? だから言ったのに、あんなに警戒しちゃってぇ」

「当たり前だろ。あの額なんだから」

 今回の仕事の報酬額は事前に知らされていた。その額は、ちょっと信じられないくらいのものだった。その通りの額がもらえるなら、数か月は働かなくてもいい。

「おいしい仕事を回してあげたんだから、感謝してもらわなくっちゃね」

「してるよ」

「言葉では何とでも言えるじゃない」

 向こうからマッチをこする音がして、火が灯る。オレンジ色のあかりに照らし出されたヤンの頬はこけていて、長い髪は後ろで縛られている。煙草を挟む指には刺青が入っているけれど、何の文字かわからない。

 部屋の中に煙草のにおいが漂う。

「それで、報酬なんだけど……」

「わかってるわ」

 闇の中を煙草の火が動く。何かを探し出す音がした後、僕の足元に紙の束が落ちる音。

「確認してちょうだい」

 それを拾い、目を凝らして枚数を確認する。

「暗くて数えにくいんだけど」

「電気、止まってんのよ。やぁね、こうしてアタシが住んでるってのに。それ、明るいところで見たらただの葉っぱかもね」

 喉を詰まらせるようにして彼は笑った。

「まあ、いいや……とにかく、割の良い仕事だった」

「待って、例の封筒は?」

「封筒?」

「リンが頭に穴をあけたお嬢さんが持っていた封筒よ。どこにあるの?」

「渡した」

「え? 誰に?」

「ヤンに頼まれたって……男が来て」

「男?」

「違うの?」

「……まあ、いいわ。封筒の中身は見た?」

「いや」

「どうして? その札束分の価値がある書類に興味は無かった?」

「まだ死にたくないからね」

「賢明な判断ね」

 ヤンは煙草を消して言った。

 僕は椅子から立ち上がり、暗闇の中でヤンに手を振る。

「じゃ、また」

「仕事があれば連絡するわ」

 僕は手に持ったままの紙の束を握りなおす。

「いや、これだけあれば、しばらく遊んでいられる」

「今も、遊んでるみたいなもんじゃない」

 言えてる。人生なんて、死ぬまでの暇つぶしみたいなものだ。僕は今、銃で遊んでいるってわけ。

 口元を上げてみたけれど、それがヤンに見えたかはわからない。

「そう言えば」

 僕が部屋の扉に手をかけたとき、背中に声がかかった。

「この辺で人さらいが起きてるって話、知ってる?」

「人さらいって……誘拐のこと?」

「やだ、トシがばれちゃうわね」

 ヤンは二本目の煙草に火をつけた。

「噂は聞いた」

「感想は?」

「馬鹿馬鹿しい」

 ふっ、と空気が漏れるような声。

「リンらしいわね」

「どういうこと?」

「他人に興味が無いって言うか……。この辺の連中、最近はその話ばっかり」

「みんな、暇なんだ」

「そんなことないわ。レナちゃんだって、ゴウ君だって、わざわざ私のところに来て話すのよ。仕事の合間をぬってね」

「そもそも、どうしてそんな噂が? 誰か誘拐現場を見た奴がいるわけでもないだろうに」

「いるのよ」

「え?」

「角に店を出している占いのおばあちゃん、いるじゃない? あの人が見たらしいのよ。女の子がさらわれていくところ」

 占いの垂れ幕を下げて道に簡易的な店を出している老婆は、最近よく見かけるようになった。しかし、どこから来てどこに帰っていくのかは誰も知らない。繁華街に住んでいるのか、それとも別の街から来ているのか。占いでどれほど稼げるのかはわからないが、老婆の前に座る客の姿なんて、僕は見たことがない。

「あの人、世間話するんだ」

「珍しいけどね。おばあちゃんが言うのには、男が家出風の女の子を車に連れ込むのを見たって……」

「でも、ここは人が多いし、それなら他にも見た人がいるんじゃないのかな? もしそうなら……」

 他にも見た人がいるならば、誘拐の話は噂話にはならない。目撃談として語られるはずだ。しかし僕が聞いた噂は語尾に『らしい』がつくものばかりで、誰もが他人事として暇つぶしのひとつとして話していた。

「それがね、おばあちゃんが言うには、その女の子は車にのるとき、無抵抗だったらしいのよ。それならデリヘルの送迎に見えないこともないじゃない?ここじゃ、珍しくもなんともない」

 見知らぬ男に恐怖心を抱いて、無抵抗だったのだろうか。

「ふうん……でも、占いの婆さんは『連れ込む』のを見たんだって?」

「そう。女の子は最初、抵抗でもしたんじゃないかしら。それを見たのね、きっと」

「何にしても、最近そのせいで警察がうるさい」

「ほんとよねぇ……ここのみんなは警察が嫌いだからピリピリしてるわ」

「関係ないんだからほっとけばいいのに」

「でもね、聞いてよ。聞き込みに来た警官の中に、レナちゃんのお客さんがいたんだって。レナちゃんのマッサージを受けて、もう二万出すから若い子とさせてくれって言ってきたらしいのよ。それが、ねぇ。若い女の子の誘拐を捜査してるってんだから、笑えるわ」

 そんなものだろう。ここは犯罪すれすれのことで金を稼いでいる人間が多いが、誰かが逮捕されることは少ない。それは、取り締まる側の人間もここを利用するからだ。近年の異常なほどのモラル重視社会が、この繁華街を治外法権地域へと変えていた。この街以外では、万引きでもつるし上げられる。ネットで情報が出回り、肥大化した正義を振りかざす連中が、万引きした少年を殺人犯のように糾弾する。風俗や賭場は大々的な規制こそされていないが、そういった場所を利用する人間は欠陥がある、とみなされる。なので、誰もが表では模範的な社会的行動をとり、夜になるとこの繁華街に来る。ここは様々な娯楽が存在するブラックボックスなのだ。普通の飲み屋の隣に、十代の男の子が身体を売るための紹介所があったり、カラオケボックスの裏手には『シアワセの小麦粉』を売る外国人も立っている。

 誰もがここを使うから、誰もがここを糾弾できないのだ。

「15、6の子なんて、よく相手にしたくなるな」

「リンはカタいわねぇ」


 僕はヤンに別れを告げて、再び暗い階段を降りた。建物から出ると、ネオンが眩しい。ヤンから受け取ったものを確認してみると、本物の札束だった。

 


 

 

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