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④ 接近、戯言、同伴

 太陽は完全に傾き、街はオレンジから紺色へとその色を変えていた。もう少し時間が経てば、繁華街には見慣れたネオンの光が灯るだろう。

 僕はコートを着こみ、ズボンの腰、背中側に銃を挟んでアパートを出た。

 見上げると、空の雲が動いている。地上はほぼ無風だけれど、上空は強風が吹いているのだろう。空の上にいる知り合いが、寒い思いをしていなければいいけど。

 ダッフルコートの前をしっかりと合わせ、少しだけ首をすくめる。繁華街とビジネス街を隔てる国道を渡り、住み慣れて汚れた街から、白々しくも清潔な街へと入る。頭に叩き込んだ住所を探して、道の標識や、街角の地図を眺めて歩く。

 ビジネス街は主に、企業の事務所などが入っている大きなビルが立ち並ぶ区域と、そこで働く社員が住む区域の二つに分かれている。

 つまり働く区域と、住む区域。

 僕はその二つのうち、住む区域を目指して歩いている。

 目的地は、アオキ・ユノの自宅。

 背後に忍ばせた銃は、護身用。それと、いつでもコウゾウ氏を撃てるように、取りやすい位置に配置した。街中で身体検査でもされたら、そこですべては終わる。でも僕には根拠の無い自信があった。コウゾウ氏の護衛やヤンに撃たれる以外、僕がこの仕事を失敗する可能性は低いだろう。

 いや、違うな。

 これはもう、仕事ですらない。僕がこれからすることは、万事上手く完結できたとしても、誰からも報酬は支払われない。むしろ、失敗したケースの代償が大きすぎる。ビジネスとしては間違いなく愚策であり、生き方としては無謀だ。

 成功しても一銭の得にはならず、

 失敗すれば死ぬ。

 なんて、うま味が無いことだろう。僕がつくったカレーのほうが、まだうまい。

 繁華街を出る前に、ゴウさんの店に寄って来た。本物の料理をしっかりとお腹に入れて、下らない話もたっぷりとしてきた。もう会えなくなるのかもしれないと思うと、彼の無駄話も悪くないと思える。結局人間に一番大切なことは、自分の残り時間を正確に知るということだろう。そうすれば、何が必要で何が不要なのか、嫌でも見えてくる。それさえ見えれば、ベテランの清掃婦のように、簡潔な動きで自分をきれいに掃除できる。

 できればルイとも会っておきたかったけれど、それは高望みだろう。彼女は僕という人間について今だに勘違いしたままだし、僕は彼女に失望されたくはない。アパートに置いたままのルイの服は、悪いけれど返せない可能性の方が高い。

 陽が暮れてきているというのに、ビジネス街を歩いている人々はみんなきびきびとした歩調だった。誰も酔っぱらってないし、どこでもケンカは起きていない。歩道はきれいに掃除がされていて、街路樹にすら気品を感じる。

 この街の端に、アオキの自宅がある。

 どうやって彼女から話を聞きだすのかは、まだ決めていなかった。彼女が何を知っているのか、上手いこと聞き出せれば良いけれど、それが駄目なら脅すしかない。でも、警察に通報するのは少し待ってもらわなければ。なんて、贅沢な要求。

 ふと思ったけれど、僕がもし逮捕されたら、きっと死刑になるのだろう。今まで殺してきた人数から考えると、検討するまでもない。それを含めてみると、僕が死ぬ確率は極めて高いことになる。逆にこの先も生きていられたら、それはとんでもない奇跡だということか。

 街中にある地図で、現在の位置を確認した。確実にアオキ宅に近づいている。

 しかし考えてみれば、人間はいずれ死ぬのだ。それが多少早まったところで、そんなもの誤差の範囲なのではないだろうか。

 これは単なる言葉遊びだと自覚しながら、僕は交互に足を動かした。

 ビジネス街ですれ違う人はみんな、どこかさっぱりした顔をしていた。でもそれは清潔だとか、潔白だという意味では無い。ぼんやりとして何にも執着を持たない、人形のような顔。彼らは一体、何を考えているのだろう?

 地図で見つけた目印のディーラー・ショップを右に曲がって、そのまま真っ直ぐ進む。すると小奇麗な三階建てのアパートが見えてきた。全体的に小ぢんまりとしているが、清潔そうな建物。裏手には目隠しなのか、数本の木が植えられている。建物を正面からみて右側が、歩道に面している。ポストは集合ポストで、住民の名字がプレートに書かれていた。

 アオキが何号室に住んでいるのかは資料で確認済みだった。それでも一応ポストを見て、彼女の部屋が一○三号室だと確認する。彼女のポストには広告の類が何枚も押し込まれていた。

 一瞬だけ、深呼吸。

 自分に、今僕は落ち着いていると暗示をかける。

 一○三号室の前に立ち、呼び鈴を押す。部屋の中にベルが響く音が聞こえ、しばらく待つ。

 しかし、何の返答も無い。

 人が動く気配すらしない。

「仕事か……」

 小さく舌打ちをして、頭の中にしまい込んであるもう一つの住所を引っ張り出す。それはアオキの自宅から歩ける範囲にある、ビルが集まっている区域だ。僕はそちらに向けて歩き出した。

 でも会社に行っても、どうすればいいのだろう。もちろんアポなんて取っていないし、どうやって取り次いでもらおうか。大きな企業が入っているビルは、それだけ警備も厚い。入口で門前払いされるだけかもしれない。

 しかし、考えても仕方がない。とりあえず行ってみよう。

 


 目的の住所に近づくにつれて、建物は住宅よりもビルの割合が増えてきた。徐々に雰囲気も変化していき、やがて完全なビル街に僕は足を踏み入れた。

 周囲のビルを見ると、やはり入り口にはガードマンが最低でも二名はいる。それに、ビルへ出入りする人間は、すべて首からカードのようなものを下げている。きっと。それが通行証代わりの社員証なのだろう。それを持っていないと、ビルの中へは入れないのだと想像がつく。

 さて……どうしよう。この辺りのビルは比較的新しい建物ばかりで、どこかから忍び込むのは難しそうだ。壁には無駄な隙間なんて無いし、裏口があるところは、そこにもガードマンを配置している。

 ビジネス街をただうろうろしている僕は、少々浮いていたのだろう。街を歩く人に見られているような気がして、どこかで落ち着いて対策を練ろうと決めた。見ると、道の端に喫煙所があった。それに、近くには飲み物の自動販売機も。僕は缶コーヒーを買って、ひとまず喫煙所で煙草に火をつけた。

 さて……。

 アオキが働く会社は、住所でいえばこの辺り。でも、目的の会社が入っているビルの名前や、実際に働いている階数などは、資料に書かれていなかった。となると……アテになるのは会社名だけだ。しかしどのビルにどの会社が入っているのか、すべてが看板などに明記されているわけではない。ビルによっては何の情報も開示していないものもあり、もしそこにアオキの会社が入っているのだとすれば、僕が知る手だては無い。

 やはり、彼女の自宅前で待つのが無難か……と考えていると、後から喫煙所にやってきた男性が僕に話しかけてきた。

「あの……すいません」

「はい?」

「ちょっと、貸していただけませんか? オイルが切れちゃって……」

 男性は三十代半ばくらいで、腹が突き出ていた。

 彼は苦笑いを浮かべて、ライターをつける仕草。

「あぁ……どうぞ」

 僕がライターを差し出すと、彼は受け取って煙草を咥えた。そして、大事そうに火をつけた。

「いやぁ、助かりました。最近はオフィスが禁煙なもので……肩身が狭いですね」

 男性は煙を吐き出して、照れたようにして言う。

 ええ、とかそうですね、とか適当な相槌を打っていると、男性は「そう言えば」と切り出した。

「道に迷っていらしたんですか?」と男性は聞いた。

「……どうしてですか?」と僕は質問を返した。

 男性は煙を吸い込み、少し肺にためて、吐き出してから口を開いた。

「この辺りをきょろきょろしていらしたんで……ライターのお礼に何かお手伝いしましょうか?」

 彼は人の良さそうな笑顔を浮かべる。

 これは、丁度いい。

「ええと……探している会社があるのですが、どのビルに入っているのかがわからなくて……」

「あぁ、この辺りはわかりにくいですから。新入社員なんかも、よく迷って大変らしいですわ」

「ええ。お恥ずかしいのですが……」

「それで、どの会社をお探しで?」

 僕はアオキが働いている会社の名前を彼に告げた。

 すると、彼の顔は気が抜けたような表情に変化した。

「あぁ……その出版社ですか。それなら……こっちの大きなビルの間を探しても無駄ですわ」

 彼はそう言うとくるりと振り返り、立派なビルが立ち並ぶ区域に背を向け、少し先を指差した。

「あれがそうですわ。警備員も施錠もあってないようなものの、零細企業ですからな」

 そちらを向くと、確かにビルがあった。しかしそれは老朽化が進んだ雑居ビルで、外壁にはヒビが目立つ。入り口の蛍光灯は割れていて、玄関を飾る植物は枯れ果てている。このビジネス街に似つかわしくない外観だ。

「あそこ……ですか?」

「そう。あそこの三階に、お探しの出版社が入っております」

「はぁ……あ、ありがとうございます」

 僕は頭を下げ、煙草を消した。

「助かりました。それでは」

 教えられたビルに向かって歩き出すと、男性も煙草を消して後ろからついてきた。

「あの……もう大丈夫です。さすがにわかりますから」

 しかし男性は笑顔のまま、軽く首を左右に振る。

「いやいや、別に道案内のつもりではないですわ。俺はただ職場に戻るだけですのでね」

「え?」

「吹けば飛ぶような出版社に、どんな御用で? ま、約束なんて無くてもオフィスまでお通ししますから大丈夫です」

 そう言って、彼は絞り出す様に笑った。

「あの……あそこ社員の方なんですか?」

 はいはい、と男性は頷く。

「社員と言われるとムズかゆいですがな、まあ、記者ですわ」

 そう言って彼は歩き出した。

 僕も慌てて後に続く。

「うちの会社は、べっぴんさんの受付嬢もいないし、事務の女の子も今日はもう帰りました。残っておるのは記者や編集だけです。それで、もう一度聞きますがどんなご用件で?」

「えっと……アオキさんに会いに」

「アオキ?」

 彼は眉を寄せた。

「在籍してますよね? アオキ・ユノさんです」

「確かにおりますが……一体なんの……いや、それはちと失礼な質問でしたな。申し訳ない」

 僕は蛍光灯が割れている入り口から入り、植物が枯れ果てたエントランスを進んだ。

 エレベーターは無く、階段で三階まで上がる。建物は全体的に薄暗く、室内だというのに肌寒い。外壁のヒビから、すきま風が入り込んでるような気がする。

 三階につくと、明るい部屋はひとつだけだった。他の部屋はガラスが外されたり扉がなかったりして、ちょっとした廃墟のような印象。それは、三階にくるまでに通過したフロアにあるどの部屋も同じだった。唯一の例外が、一つだけ蛍光灯がついている、あの部屋。

「汚いところですが、まあ待っていてください。本人を呼んできますので」

 男性はお茶を出してくれて、その後は奥に引っ込んだ。

 僕はパーテーションで仕切られた一角、好意的に解釈すると、応接室だろうなと思われるエリアの椅子に座っている。しかし、フロア内の話し声がすべて筒抜けで、ほとんど意味はない。僕の視界を制限するパーテーションだって、気持ち程度の働きしかしてはいない。

 目の前には大きめのテーブル。そのうえには何冊かの週刊誌が乗っている。その中の一冊を手に取ってパラパラとめくると、どうやらこれは、この出版社が発行しているものらしい。内容はよくある芸能や政治家のスキャンダル、それに健康食品の特集やスポーツ選手の移籍話。巻末には、通信販売のカタログも記載されている。

 手を動かすうちに、とあるページで目がとまった。それは、大企業が躍進する上で世間に流れた黒い噂を検証する、というコーナーだった。シリーズもので、僕が持っている号では『第十六弾』と銘打たれていた。シリーズを通して扱っている企業は、オギノメ・グループ。アオキはこの記事を書いているジャーナリストだった。記事の最後にはアオキの名前が書かれていて、彼女がシリーズの全ての記事を担当しているとの紹介文がある。

 なるほど、そういう接点があったのか。

 しかしこの手の記事は、大手の企業にはつきものだ。その大半は、まともな裏付けもとらずに衝撃的な記事を載せて、責任は取らない。記事の文章も何かを特定するものではなく、『~だと、関係者は話している』という形で締められるものが多い。世間には溢れかえるほどこの手の雑誌があるのに、どうしてアオキだけが狙われたのだろう……それとも、同時多発的に複数のジャーナリストが狙われているのだろうか。 

 時期を流し読みしながら、男性が出してくれたお茶を飲んいると、パーテーションの隙間から一人の女性が顔を出した。

 写真で見たよりも、髪が少しだけ伸びている。でも、目付きは実物の方が鋭い。細身で、思っていたよりも背が高い。カナコよりも長身だろう。服装はラフなものだ。動きやすさを優先しているような感じ。

 アオキ・ユノが鋭い視線を僕に向けていた。

「あれ……ごめんさない、私に御用があるとかで……」

「あ、そうです」

 僕は立ち上がり頭を下げ、身体の前で両手を組んだ。

 自分の中にある礼儀を全てかきあつめ、アオキに警戒心を抱かせないように心掛ける。

「ええっと……何の用? 失念してるのかな……覚えがなくて」

 アオキは申し訳なさそうな表情になり、こちらへ入って来た。そのまま椅子に座る。

 僕も会釈をして腰を下ろし、彼女と向かい合う。

「えっと……それで、何でしょう?」

 アオキは少し猫背になり、僕を見た。

「えっと……実は僕、ジャーナリスト志望なんです。アオキさんが書いた記事がとても興味深くて、こうして直接会いに来てしまいました」

 僕は先ほどまで読んでいた週刊誌を手に持って言った。

 自分の口だとは信じられないくらい滑らかに嘘が出る。

「あぁ……記事を読んでくれたのね、それは、うん。ありがとう」 

 彼女はにっこりと笑い、軽く頭を下げた。

「えっと……どうすればこんな記事を書けるようになるのか、少しでも教えてほしくて……その、これから先のために」

「失礼ですけれど、学生さんですか?」

 アオキの質問に、僕は頷く。

「はい。大学生です」

「それで、卒業後は記者になりたいのね?」

「ええ、そうです」

「なるほど……」

 アオキはしばらく、視線をテーブルの上に落とした。

 考え事をしている様子。

 やがて視線を僕に戻し、はきはきした口調で言った。

「私の記事、どこが良かった?」

「えっ……と」

 口ごもる僕にかまわず、アオキは言葉を続ける。

「こう言ってはなんだけど、世間にはああいう記事はたくさんあるじゃない? ということは、それだけ同じようなことを書く記者が多いってこと。でも、その中でどうして私を選んだのかなって、気になって」

「それは……その、アオキさんはずっと一つの対象を追いかけていらっしゃるからです」

「と……言うと?」

「確かに世間にはああいった記事が多くありますが、そのほとんどは様々な企業の失態や、タイムリーな話題を追いかけるだけです。なので取り扱う企業はバラバラで、続報も確認できない。しかし、アオキさんの記事は違う。ずっとひとつの企業を追いかけていて、なんだか……執念を感じるんです。そこに、とても惹かれました」

 これは口から出まかせだった。アオキが他の企業の記事を書いている可能性もあるし、そもそも彼女には執念なんて無いのかもしれない。たまたまオギノメを追いかけるのが、良い飯の種であるだけなのかもしれない。

 アオキの目を見れず、僕は少し視線を下げた。ここで嘘が露見したら、平和的に話を聞き出すことができないかもしれない。

 しかしアオキの口からは意外な言葉が飛び出した。

「ねぇ、君。一応聞いておくけど、成人してるよね?」

 僕は視線を彼女に戻した。

「え、ええ。はい」

「よし、それなら大丈夫。これから時間ある?」

 アオキは腕時計を確認した。

「そうだな……二、三時間くらいなんだけど」

「あ……はい、あります」

「よし、決まり」

 アオキは勢い良く立ち上がり、パーテンションの向こう、オフィスエリアだと思われる方向に声をかけた。

「今から出てきます。帰りは出先から直帰になります」

 それに対して返ってきたのは、了承の言葉。

「よし、じゃあ、行こうか。えっと……君、名前は?」

「リン、といいます。……あの、アオキさん、これからどちらへ?」

 アオキは機嫌が良いのか、表情が明るい。素早くパーテーションから出て、私物をまとめて戻って来た。

 そのまま帰り支度を整えながら、僕に向かって言った。

「決まってるじゃない。飲みにいくんだよ」

「え……でも、あの……」

 アオキは僕の腕をつかみ、笑顔のままで部屋から僕を連れ出した。そのまま、一階に向かって歩き出す。

「まあ、これも弟子の勤めだと思いなさい」

「で、弟子?」

 階段を下りながら彼女は口を開いた。

「そう。記者の仕事の半分にはお酒がつきものだと、まずは教えないとね」

 彼女はとても楽しそうに言った。



 




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