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後半 ① 階段、銃声、喪失

 突然の銃声に、思わず頭を下げる。ここは狭い階段で、逃げ道の選択肢は多く無い。いや、選択肢自体が無いに等しい。銃声は頭の方、つまり階段の上から聞こえてきたのだから、相手は上にいる。左右に気が利かない壁が並ぶこの状況では、逃げ道なんて後方にしかない。

 しかし僕はその唯一の逃げ道に、意識を向けることすらしなかった。だって、僕の前を歩いていたサメジマは、僕よりも身体が大きい。たぶん、海外にアニメーションを発注したら、彼は熊で僕はリスになるだろう。聞こえた銃声は、熊の後ろにいたリスを狙ったものではない。リスの存在なんて、銃を持ったオオカミは認識すらしていなかったのかもしれない。見えていたのかすらも怪しい。

 つまり、初めから狙いはサメジマだったのだろう。

 僕の少し前を歩いていたサメジマが、ゆっくりと倒れてくる。彼の背中に手を当てて踏ん張ってみたけれど、体重差がありすぎる。

「サメジマ!」

 僕の問いかけに、彼は唸り声あげた。 

 まだ、生きている。

 階段の上、ネオンの光の中に立っている人物は、逆光でよく見えない。

 誰だ? 

 一瞬だけ、目が合ったような気がした。しかしその人物はすぐに走り去ってしまい、後には僕とサメジマだけが残された。

 階段の外から、悲鳴が聞こえる。きっと、通行人が目撃したのだろう。誰かが通報すれば、救急車がくるかもしれない。

 僕はサメジマを階段に座らせ、彼の頬に手を当てた。顔は白く、目の焦点は合っていない。

 胸に穴があいている。彼の上着が、赤黒く染まっていく。それは徐々に広がり、サメジマの体温もそれに比例して低くなっている。

「おい、大丈夫か? すぐに救急車がくる、それまでがんばれ」

 僕の問いかけに、サメジマは首を動かすだけで答えた。

 サメジマをその場に残し、僕は階段を駆け上がる。上がり切った先は、人通りが多い繁華街の真ん中だ。

 こんなところで銃を撃つなんて……どうかしてる。

 周囲し視線を向けると、銃声を聞いたであろう通行人がこちらを見ていた。中には階段の下をのぞき込み、血痕やサメジマの姿を見て逃げ出すやつもいた。

 でも、誰も救急車を呼んでいる気配はない。

「誰か、救急車を!」裏返りそうな声をなんとか抑え、必死に叫んだ。「知り合いが撃たれたんだ! 早くしないと手遅れになってしまう!」

 しかし、僕の声に反応を示す人はいなかった。いや、反応自体は示すが、誰も行動には移さない。そそくさをとその場を去ったり、僕と目を合わせないようにしたるするやつばかりだった。

「くそっ!」

 忌々しい思いを吐き出して、階段を下る。サメジマを横目でちらりと見て、それまでいたバーの扉を再び開いた。

 バーテンダーがいるカウンターまで走り、彼に向かって声を張り上げた。

「おい、救急車、救急車を呼んでくれ! すぐそこで、知り合いが撃たれたんだ!」

 しかしバーテンダーは僕に向かってこう言った。

「申し訳ございません、オーナーから、お客様同士のトラブルには関わるな、と言われておりまして」

 僕は力の限り、カウンターを叩いた。

「馬鹿野郎! そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 早くしないと死んでしまう!」

「申し訳ございません」

 バーテンダーは僕を見ることもせずに、同じ言葉を何度も繰り返した。

「わかった……じゃあ、電話を貸してくれ。僕が電話をする」

 バーテンダーは、僕から視線を外したまま、「あいにくですが、当店には電話がございません」と言った。 

 思わず、カウンターに左手をついた。そして右足で地面を強く蹴って、前方に飛び出した。

 すまし顔でグラスを拭いているバーテンの頬を、思いっきり殴ってやった。

 彼は後方に倒れ込み、いつくかのグラスがその上に落ちてきた。それまで彼が拭いていたグラスは床に落ちて割れた。

 床に手をついて倒れているバーテンは僕を睨んだ。

「警察を呼ぶぞ」

 僕はそれを見下ろし、意識して言葉から感情を抜いた。

「どうやって?」






 何とかサメジマを立たせ、階段を上り切った。彼の右腕を僕の首の後ろに回し、僕の左手を彼の腰に回す。そうしている間にも、血は絶え間なく流れ出していた。

 通行人が僕らを見て道を開ける。血を流した大男を、僕みたいなやつが支えてい歩いている光景は、相当愉快だろう。きっと、明日の話のタネにでもされのだ。

「サメジマ、大丈夫だ、これからゴマ爺のところに行く」

 僕の言葉を聞いて、サメジマは弱々しく口を開いた。

「あの……ヤブ医者か……もう……助からないかもな」

 よく見ると、口元は笑っていた。

「そうだ。お前がしっかりしないと、せっかくまともな人間になれたのに、ゴマ爺に殺されるぞ」

 サメジマのふらつく身体を支えながら歩くのは簡単ではなかった。彼の意識は途中で何度も途切れそうになったので、その度に声をかけて意識をここにつなぎとめなければならなかった。僕は彼が繁華街を出てからの生活ぶりを尋ね、彼に恋人がいることを知った。そして、数か月後には子供が生まれることも。

「おい、ここで死ぬなよ。赤ん坊の顔をみなくちゃいけないんだからな」

「全く……その通りだ……」 

 彼の言葉はどんどん弱々しくなっていく。

 やがて、自分の体重を支え切れなくなったサメジマは倒れ込んだ。

「おい! しっかりしろ!」

 僕も一緒に倒れ込んだ。

 大男を仰向けに寝かせ、大声を張り上げる。

「サメジマ!」

 彼の顔はどんどん青白くなり、辺りには血だまりが広がっていく。必死に胸にあいた穴を押さえたけれど、もうどうにもならないことは、僕にだってわかる。

 遠くの方らから、サイレンの音が聞こえた。

 どんどん近くなる。

 ようやく、あの馬鹿野郎どもの誰かが救急車を呼んだのか。

 舌打ちをした。

「サメジマ、聞こえるか? サイレンだ。もうすぐ助かるから、しっかり……」

 僕の言葉を最後まで聞かずに、サメジマは腕を上げた。そして僕の服をつかみ、僕の頭を、自分の口元に引き寄せた。

 小さな声で、耳打ち。

「ヤンに……気つけろ……あいつはコウゾウに近すぎる……それに」

 似合わないハイトーンボイスが、弱々しい。僕は涙を拭い、サメジマの言葉に耳を傾けた。

「俺を撃ったのは……ヤンだ」

 その言葉を最後に、サメジマの手から力が抜けた。見ると瞼が半開きのままで、口も完全に閉じてはいない。

「サメジマ……おい! サメジマ!」

 いくら呼びかけても、もう何も言わない。

 こいつの大きな身体は、もう動かない。

 僕は立ち上がり、目から溢れるものを強引に拭った。

「ごめん……サメジマ」

 そこで、急に思い至った。手に持ってた封筒を、バーに置いてきてしまった。あれには、次の対象の情報が入っている。

 探りを入れるとしたら、そこしかない。

 僕はしゃがみ込んで、サメジマの瞼を閉じてやった。

「サメジマとナツメが何をしようとしていたのかはわからないけれど……僕がそれを引き継ぐよ」

 全ての話を聞いたわけではないので、事の真相はわからない。でも、オギノメ・コウゾウがナツメとユキさんの両親を殺したのはわかった。そして、ナツメがその復讐のために動いていたのも知ることができた。

 生き残った僕ができるのは、その思いを叶えてやるくらい。

 サメジマに失礼な態度を取ったことに対する埋め合わせのために。

 ユキさんへのせめてもの罪滅ぼしに。

 そして、僕を拾ってくれたナツメへの、せめてもの恩返しに。

 



 ヤンに仕事の依頼をしているのは、オギノメ・コウゾウだ。ならば仕事の対象となる人物は、コウゾウ氏にとって不都合になる、なんらかの行動を起こしているはず。コウゾウ氏失脚のために動いていたナツメのように、そして、そのために必要な書類を所持していたユキさんのように。

 となれば、次の対象も何かの行動を起こしていたり、何かを知っているはずだ。それを聞きだせば、次の一手がみつかるのかもしれない。

 コウゾウ氏は、次に誰を消そうとしている?

 急いでバーの入り口に戻ると、人だかりは消えていた。狭い階段を降りて、店内に入る。サメジマと一緒に座っていたテーブルに上に、封筒はそのまま残っていた。

 カウンターの中では、バーテンが割れたグラスを片付けていた。僕と目が合うと、一瞬だけ怯えたような顔をして、すぐに目を逸らした。

 僕はそれを無視して、封筒の中の書類を出す。相手の名前と住所、年齢や勤め先を頭に落とし込んだ。

 対象の名前は、アオキ・ユノ。年齢は二十一歳。職業はジャーナリスト。

 一緒に添付されていた写真を見る。髪は耳の上あたりで切り揃えられ、目付きが鋭い。仕事ができる女性、といった印象。

 彼女は何を知っていて、どんな行動を起こしているのだろう。

 書類を封筒にしまい、バーを出る。階段に足をかけたあたりで、さっき聞いたサイレンの音が急に近くに聞こえた。

「遅いんだよ、馬鹿野郎」

 そう呟いて、上を見上げる。もう、ここにはサメジマはいない。救急車が来ても、医者が来ても彼は助からない。もっと早く誰かが通報していれば。もしくは、あのバーテンが電話を貸してくれていれば。

 何人かの足音がこちらに近づいてくる。やがて、階段の上から二人組の警察官が下りてきて、僕とすれ違った。二人組はそのままバーの店内に入った。

 警察? どうして……。救急車じゃないのか?

 でも、その後サイレンの音は聞こえなかった。通行人はサメジマを助けるためじゃなく、撃った犯人を捕まえるために通報したのか?

 どちらにしろ、今の僕にはもう関係ない。一刻も早く次の対象と接触し、彼女がどうして狙われているのかを聞きださなければならない。

 階段を上る僕の後方で、数人の足音。それは慌てているようにせわしないものだった。

 振り向くと、殴ったバーテンが僕を見ている。その両脇には、先ほどすれ違った二人組の警察官。

 バーテンは僕を指差し、二人組の警察官に向かって言った。

「あ、あいつです! あいつが俺を殴って、男の客を銃で撃ったんです!」

 それを聞いて、僕は顔をしかめた。

「はぁ? おい、それは――」

 しかし二人組の警察官は僕の言葉を最後まで聞くことなく、極めて業務的に詰め寄って来た。

「さっき、通報があったんだ。ゴロツキ同士が喧嘩をして、片方を銃で撃ったと」

「違う、僕は――」

 二人組の片方が僕の右腕をつかみ、もう一人が僕の左腕をつかんだ。

「詳しい話は、署で聞こう」

「おい! 離せ!」

「暴れるな! 公務執行妨害になるぞ!」

「くそ……僕はこんなことに付き合っている余裕はないんだよ!」

 左右を警察官に挟まれ、僕は階段を上る。

 どうして……こんなことに……。

 階段を上りきると、道の向こうにパトカーが停まっていた。僕はそこまで歩かされ、後部座席に押し込められた。

 周囲の野次馬が、興味と嫌悪の視線を僕に向ける。

 こいつら全員、殺してやりたい。

 今すぐに。

 警察官の一人が僕の隣、もう一人が運転席に乗り込んで、パトカーは走り出した。車内では一切会話が無く、僕はただ夜の繁華街と、仕事を終えて電気が消えたビジネス街を眺めていた。

 パトカーは大きな建物の半地下に入り、そこで停まった。僕は後部座席から下ろされ、コンクリートがむき出しの床を歩いた。年代もののエレベーターに乗り込み、上に向かう。次にエレベーターの扉が開いたときには、目の前に殺風景な通路が広がっていた。

 天井の蛍光灯は所々切れていて、光が点滅している。通路の右手には窓があり、建物の入り口が見える。何台かのパトカーが停まっていて、スーツを着た人の出入りが確認できた。高さから言って、ここは二階だろう。

 左手には簡素な扉がいくつか並んでいて、複数の部屋があることがわかる。それぞれの扉には番号がふってあり、番号の後には『取調室』と表記されていた。通路の突き当りは左右に別れていて、右にはトイレの標識。

「歩け」

 後ろから小突かれ、僕は前に進んだ。いくつかの取調室を通り過ぎ、『第三取調室』と書かれたプレートの前で止まった。

 僕の左側に立っていた警察官が扉を開け、もう一人が僕を中に押し込んだ。

 部屋の中は六畳くらいの空間で、真ん中と隅にデスクがある。それに、椅子が四脚。壁は長年の湿気やカビや、煙草の煙がみしついたような景気の悪い色で、見ただけで気が滅入ってしまいそうだった。真ん中のデスクの上には灰皿があり、隅のデスクの上にはペン立てが見えた。中には数本のペンが入っている。

「向こう側に座って、待ってろ」

 僕は部屋の中央にあるデスクに向かっていき、腰を下ろした。二人組は一人を残して、もう一人はどこかへ行ってしまった。残った方が、僕の見張り役なのだろう。その見張り役は、部屋の入り口に立ったままで僕を見ている。

「それを寄越しなさい」

 部屋の入口あたりで立っている警察官は、僕が持っている封筒を見てそう言った。

「……これは大切な書類なんだ」

「いいから」

「嫌だ」

「寄越しなさい!」

 見張り役は僕の手から強引に封筒を取り上げようとした。抵抗したけれど、結局は取られてしまった。

 警察官は呼吸を乱し、まるで汚いもでも見るような目で僕を見た。

「全く……繁華街のゴロツキはロクなやつがいない。ケンカをして相手を殺すなんて……」

 良く見ると、その警察官は若かった。きっと、まだ正義感に溢れているのだろう。

 僕は意図的に呼吸を落ち着け、一度目を閉じた。そして自分の中に冷静さが戻ってきたことを確認してから目を開けた。

「僕はやってない。誰も殺してない」

「じゃあどうして抵抗した?」

「お前らが僕の話を聞かないからだ」

「やったから逃げようとしたんだろ?」

「違う!」

「目撃者がいるんだ」

「何だって? それは良い。僕がやってないことの証拠になる」

「目撃者によると、お前が男の客と喧嘩をして、そのまま銃で殺したと」

「なんだって?」

 僕は眉根を寄せて、正面にいる警官を睨んだ。

「そんな話は嘘だ!」

 警官は感情を殺した顔で僕を見た。

「それは、これから決める」

 それからしばらく待っていると、扉が開いて二人の男が入って来た。一人はパトカーを運転していた制服の警官で、もう一人はスーツ姿の男性。

 スーツの方が僕の前に座り、デスクに肘をついた。深いしわが刻まれ、浅黒い顔。彼は鬱陶しそうに顔をしかめて、僕のことを横目で見た。

「お前さん……人を殺したんだって? あんな人通りの多い所でよくもまあ……」

「だから、違うと何度も言って……」

「いいか、よく聞け」

 僕の言葉を遮って、スーツの男は顔を近づけた。

「最近マスコミを騒がせている誘拐事件の捜査がな、なかなか進まねぇんだ。世間の批判は俺ら警察に集まる。俺らだって、毎日必死にやってんだ。目ん玉ひん剥いて、落ちているかもしれない証拠を探して地面に這いつくばったり、アル中でろくに喋れねぇやつ相手に目撃情報を聞き出したりな。でもよ、一向に何も出てきやしねぇ」

 男はスーツの胸ポケットから煙草を取り出して、口に咥えて火をつけた。煙を空中に吐き出し、ゆっくりと視線を僕に戻す。

「そんな中でよ、殺人事件なんて起こされちゃあ困るんだよ、こっちはよぉ。でも、まぁ……」

 スーツの男は顔を遠ざけて、後ろに控えている、制服を着た二人の警察官にこの部屋から出るよう指示を出した。

 二人は敬礼をして部屋から出ていった。

 二人の足音が徐々に遠ざかる。

 スーツの男は僕に向き直った。

「でも、まあ……悪いようにゃしねぇからよ」

 こいつが何を言っているのか、僕にはわからなかった。

 ただ、下品な予感だけは感じる。

 スーツの男は煙草を灰皿に置いて、デスクの上で手を組んだ。

 そして、

「お前さんがこのまま、殺人犯として逮捕されれば、すべては丸く収まるよなぁ? なぁに、今はまだ調べてる途中だが、相手もどうせゴロツキだろ? すぐに出てこれるからよ」

 と言った。

 銃を持っていないのを、これほど後悔した日はない。

 今すぐ、こいつも、さっきの警官も、バーテンダーも、

 撃ち殺してやりたかった。


 

 


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