表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

⑩ think

 ゴウさんの店を出た僕は、ヤンから渡された封筒を持って歩いていた。繁華街は完全に夜の顔になっていて、とてもにぎやか。ここぞとばかりに仕事をするネオンや、すっかり煤けてしまっている看板。それに、もう冬だというのに、街を歩く人の顔がぎらぎらと脂ぎっているように見える。

 あぁ、ここが僕の場所だ、と実感する。ルイの自宅に招待されて、少し毒気が抜かれたいたらしい。この雑多な、下品な空気。この中に紛れてこそ、僕は生きていける。

 でも……。

 ひとつだけ、気がかりなことがある。それは、あのコールガールがカナコの知り合いだったということ。今までは見ず知らずの他人が相手だったけれど、銃弾を撃ち込んだ相手の知り合いに会うことは、これが始めてだった。

 少し、胸がざわつく。

 これは、罪悪感だろうか。

 たぶん、そうなんだろう。でも、人間は生きていれば誰かに迷惑はかけるし、どこかで他人に損害をかぶせている。今回は、それがたまたま近しい人で、たまたま殺した相手のことを僕が気に入っていたというだけ。

 単なる偶然。

 そう、思うことにした。

 でも、手にも持った封筒を意識すると、カナコの言葉が頭に浮かぶ。彼女は僕の仕事のことを、詳しくは聞かなかった。それでも、心配してくれた。

 コールガール……いや、ユキさんの実家の事件と、今回の家出少女誘拐事件。その二つに関わっているであろう黒幕と、僕が接点を持つのを憂慮してくれていた。

 でもね、カナコ。たぶん、もう手遅れなんだ。僕に仕事の紹介をしてくれている男は、少なくとも今回の誘拐事件について、確実に何か知っている。もしかしたら、そいつは全ての黒幕と直接コンタクトを取れるのかもしれない。僕はもう、後戻りができないところに来ていると思うんだ。

 だから、この手に持った封筒の中の情報をもとに、僕はまた人を殺す。ユキさんのときみたいに、無感情に、下品に、引き金を引く。

 こんな僕は、もうカナコとドライブをする資格なんて無いのだろうか。誰もいない砂浜で、二人で足をとられながら歩くことはできないのだろうか。

 それは、少し寂しいな。

 あぁ、でも、一つだけ素敵な想像を働かせることはできる。僕がこのまま仕事を続けて、それがいつか公になったとしたら。

 そのときは、カナコに手錠をかけてほしいな。

 カナコから貰った手紙の連絡先に電話をするときは、きっと僕が捕まるときだ。

 そんな予感が、繁華街の喧騒に漂った。

 


 細い道を何度か通るうちに、誰かに尾行されているのに気が付いた。あえて人通りが少ない道を選び、相手の出方を窺う。

 誰だ? 僕を尾行して、何になる?

 ヤンの地下に入ったことがばれたのだろうか? でも、それなら彼の部屋を訪ねたときに僕を殺せばいい。僕の死体をあの地下に放り込んでおけば、露見する可能性は低いだろう。

 じゃあ誰が僕を追っている?

 間が悪いことに僕は今、銃を持っていない。相手が武器を持っていたら、おしまいだ。でも、殺すつもりならチャンスはいくらでもあるだろう。わざわざ、こうして人気のない道を選んでいるのだから。

 そのとき、背後から声がかけられた。男性の声だけど、少しトーンが高い。

「リン、気づいているんだろ? 俺だよ、サメジマだ」

 驚いて、振り向いた。暗闇の中に、筋骨隆々とした男が立っている。夜なのに帽子を目深にかぶり、ポケットに両手を入れている。

「サメジマ? 本当に?」

 僕がそう言うと、彼は帽子を取った。坊主頭で、眉毛がほとんど無い。

「あぁ、本物だ」

 サメジマは、ナツメが僕と組む前にコンビを組んでいた相手だ。ナツメが僕を拾ってからはコンビを解消し、サメジマは殺し屋稼業からは足を洗ったと、ナツメから聞いていた。

「久しぶりじゃないか! どうしたんだ? 急に現れるから……」

 サメジマは照れくさそうに頭をかき、大きな身体に似合わない、ハイトーンボイスで言った。

「少し、ナツメに頼まれごとをされてな……それで、こうして出てきたんだ」

 心臓が、びくんと跳ねた。

「ナツメ? ナツメと会ったの?」

「少し前にな」

「いつ? どうして僕に教えてくれないんだ!」

 自分でも驚くほど、大きな声が出ていた。

 サメジマは視線を下げて、道の先を指差して言った。

「少場所を変えないか? 話さないといけないことがあるんだ」




 サメジマが先を歩いて、僕はその後に続いた。彼は、僕が今まで歩いてきた細い道とは違って、広くて人気が多い道を選んで歩いた。きょろきょろと左右を見て、さりげなく人の中に紛れるようなコースを選んでいる。その様子を見て、僕は確信した。

 誰かに追われているのは、サメジマのほうだ。

 やがて僕らはとあるビルの横から階段を下り、地下に入った。その先にはバーがあり、入り口をくぐると、サメジマは出入り口が見えるところを選んで座った。丸いテーブルに、少しガタつく椅子。煩い酔っ払いはいないし、無粋な観葉植物も無い。髪を後ろになでつけた男性のバーテンダーは、僕らに何の興味もないような顔で、真摯にグラスを拭いている。彼の天職なのかもしれない。

 店内は客がまばらで、誰かが入ってきたらすぐにわかる。たぶんこれが、サメジマが求めたシチュエーションなのだろう。

 天井のスピーカーからは、女性のソウルシンガーの歌が流れていた。これは、僕でも知っている曲だ。

「アレサ・フランクリンだ」天井を指差して、サメジマが言った。「さすが、腹から声が出てるな」

 それがジョークなのか、ただの寸評なのかわからなかった。でも、僕は三割くらいの笑顔を見せておいた。この先の話をスムーズに引き出すための、先行投資。

「それで……ナツメは今どこにいる? 何をしていている? どうして僕の前に姿を現さない?」

 僕は思わず丸いテーブルに肘をついて、サメジマに詰め寄る。彼は戸惑ったように顔を歪め、身体を縮めた。

「リン、これから話すことはとても危険で、あまり大きな声では話せない。本当ならもっと別の場所が良かったんだが、時間が無いからここにしたんだ」

 でも、僕は引かなかった。ナツメがまだ生きていて、この繁華街にいるのならば、どうして僕の前から姿を消したんだ。

 納得できない。

 そんな僕の態度と表情を見て、サメジマは降参したように肩をすくめた。あの有名小説家の登場人物ように、やれやれ、とでも言いたげだった。

「そもそもどうしてサメジマが出てくる? 僕が話を聞きたい相手はナツメなんだけど」

「それも、事情があってだな……」

「どんな事情だよ!」

「お、落ち着けよリン……」

「僕は落ち着いてる。サメジマこそ、早くナツメに連絡でもして、ここに連れてきてよ」

 彼は小刻みに首を振った。残念ながら、左右にだ。

「それは出来ない」

「どうして? サメジマ、さっきお前は誰の尾行を気にしてたんだ? 下手にきょろきょろして、逆に目立ってたぞ。何がどうなってるんだ?」

 サメジマはうんざりしたような顔。

「勘弁してくれよ……俺はもうそっちの世界の人間じゃないんだ。頼まれて、仕方なくだな……」

「何を頼まれた? どうしてナツメはここに来ない?」

「何から話せばいいのか……とても複雑なんだよ。これはリン、お前のためでもあるんだ」

「どうして話し渋る? なに? 場所が悪いっての? じゃあ、ラブホテルにでも行こう。あそこなら二人っきりになれるし、誰も聞き耳は立てない。僕は聞きたいことさえ聞ければ、何をされてもかまわないんだから」

「おい……俺はそんなつもりは無いよ」

「じゃあ、どうして……!」

 サメジマが、観念したように口を開いた。

 ゆっくりと、しかし確かに、

「ナツメは……死んだんだ」

 と言った。

 僕は、言葉が出なかった。

「いいか、リン。ナツメは死んだ。殺されたんだ。だから、ここには来れない。俺だって本当は今日リンに会う予定は無かったんだ。でも、ナツメが死んで、俺だってどうしていいのかわからなかった。だから、こうしてだな……」

「……サメジマ」

「なんだ?」

「ナツメは、本当に死んだのか?」

 サメジマは少し間を置いて、こくりと頷いた。

「……どうして?」

「それは……今は言えない」

「なんでだよ!」

 勝手に僕の右手が動いて、サメジマの胸ぐらをつかんでいた。

 口の中がひどく乾燥する。

 店内にいる少ない客が僕らを見ている気がした。実際、見ているだろう。

 かまうもんか。

「それを知れば、リンも殺される」

 サメジマは僕の手をつかんで、ゆっくりと下ろした。

「殺される? 僕も? ナツメは……何を知ったんだ……」

「とりあえず、何か飲もう」

 サメジマはバーテンを呼び、大きな声を出してすまないと謝罪した。そしてメニューを眺めて、ひとつを指差して注文した。僕にもメニューを見せてきたけれど、とても選ぶ気にはなれない。僕が片手を振ると、サメジマが何か適当に注文してくれたみたいだった。

「いいか、リン。これはとても複雑で、やっかいな話だ。その真ん中にナツメは首を突っ込んだ」

「どうして……どうしてナツメはそんな危ないことに?」

「リン、お前ナツメのことは、どれくらい知ってる? つまり、あいつの過去についてって意味だ」

「どれくらいって……」

 考えてみると、何も知らない。僕がナツメについて知っているのは、ブルースが好きで、ギターが弾けて、それで……僕に親切だったということだけだ。

「……知らない。ほとんど何も、知らない」

 サメジマはテーブルを中指を叩いた。

 こつ、こつ、と。

「実は俺も、ほとんど知らなかった。あいつが殺し屋として仕事をし始めたのは、確かあいつが……十四歳くらいの頃だったはずだ。俺と組んでから、色々な話をしたけど、あまり自分のことを話したがらないやつだった。ナツメって名前だって、本名なのかどうなのか、あやしいもんだった」 

 僕は何も言わずに、ただサメジマの指を見ていた。

「ナツメと俺は六年くらいコンビでやっていた。でも、お前がこの世界に入って、俺は入れ違うようにして足を洗った。それから俺は繁華街を出て、建築現場で見習いをしていたんだ。少しでもマシな人間になろうとしてな。そこに……ナツメが来た」

 僕は顔を上げた。

「どうして?」

「頼み事があるっつーんだよ。殺し屋から足を洗った俺にしか頼めないことだ、ってな」

「何を頼まれた?」

「ここからが入り組んでくるんだが……お前、少し前に金持ちの女を仕事で殺しただろ?」

 ユキのことだ。

 僕は頷いた。

「その金持ちの女が持っている書類を、回収してきてくれってさ」

「書類? じゃあ、あのときの……」

「ああ」

 サメジマは頭を下げ、秘密の話をするような顔をした。

「あのときお前から封筒を受け取ったのは俺だ。全然、気付いてなかっただろ?」

「……まったく」

「でも、びっくりしたんだぜ。頼まれて行ってみれば、お前がもう女を殺してるんだからな。俺は咄嗟にヤンの名前を出して、何とか書類を回収したわけだ」

「あの書類はナツメと関係があるものなのか?」

「と言うか、あれはナツメが女に預けてたものだ。自分が持ってると危ないって言ってな。でも、書類が必要になったから、俺に回収を頼んできたってわけだな」

「ナツメが自分で取りにくればよかったんじゃないのか?」

「いや、その頃のナツメはもう命を狙われていた。隠れ家を用意して、そこから極力出ないようにしてたんだ。だから、俺に雑用を頼んだんだよ」

「でも、どうしてサメジマに……僕に頼めばよかったのに」

「それがな……ここからが重要なんだが、その書類はオギノメ・グループのトップに関わるものなんだよ」

「なんだって?」

「つまり、殺し屋稼業をしているやつがその書類を手にしたら、やっかいなんだ。だから俺に……」

「待って、待ってくれ。そもそもどうして僕ら殺し屋が、その書類を持つとやっかいなんだ? それがわからない」

 僕の言葉を聞いて、サメジマは不思議そうな顔をした。

「お前……知らなかったのか?」

「だから、何を?」

「お前やナツメや、昔の俺みたいな殺し屋に報酬を出していたのは、オギノメ・グループのトップ、オギノメ・コウゾウだぞ」

「オギノメグループが……? いや、そんな話は全然……」

「ナツメから聞いてなかったのか?」

「あぁ……何も」

「それはたぶん、あれだな……まあ、今はいいか。とにかく、俺はその書類を回収して、別の人間に渡したんだ」

「どうして?」

「それがナツメの指示だったからだよ」

「待ってくれ……よくわからないんだけど、ナツメは何をしようとしていたんだ?」

「あぁ……それが肝だな。うん、たしかに。いいか、ナツメはオギノメ・グループを壊そうとしていた」

「壊す?」

 思わず、眉根を寄せた。

「もっと正確に言えば、オギノメ・コウゾウを失脚させたい、かな。あの書類には、それだけの効果があったってことだな」 

「でも、僕たちに報酬を支払ってくれていたのは、そのコウゾウなんだろ? いわば雇い主だ。なぜそんなことをする?」

 そこで、注文していた飲み物が来た。僕は喉が渇いていて、グラスを一気に傾けた。

 サメジマも同じだったらしく、美味そうにアルコールを喉に流し込む。

「あぁ……うまい。えっと、話の続きだけどな、ナツメが殺し屋になる直前に、あいつの両親が殺されたことは知ってるか?」

 僕は首を左右に振った。

「あいつの両親を殺したのが、オギノメ・コウゾウだ」

「なんだって? どうして……ナツメの両親も殺し屋だったのか?」

 今度は、サメジマが首を振る。大型の鳥類みたいだ。

「ちがう、ちがう。あのな、ナツメの両親、と言うか父親は、腕の良い医者だったらしい。それで、ある日コウゾウが、ナツメの父親にとある処置を頼んだんだ」

「処置? なんの?」

 サメジマは再び、喉を鳴らしてアルコールを飲んだ。もうグラスの中は空に近い。

「それは聞いてない。というか、教えてくれなかったな。ま、とにかく、その処置はコウゾウ側からしてみれば、けっこうマズイ部類のものだったらしい。少しでも、誰かに知られる可能性を消しておきたかった。だから、コウゾウ氏は関係者を殺した。つまりナツメの父親と、母親だ。そして、証拠が残らないように家に火をつけた」

「どうして母親も? 医者は……つまり処置のことを知っているのは、父親だけなんだろ?」

「それがな、ナツメの実家は開業医なんだ。母親も看護婦として処置に立ち会ったらしい。たしか……スズムラ医院、だったかな」

 どくり、と鼓動が高鳴った。

「スズムラ医院? その名前は確かなのか?」 

「あぁ。ナツメの本名は、スズムラ・ナツメだからな。確かに、病院の名前はそれで合ってる」 

 どういうことだ? スズムラ・ユキさんの実家と、ナツメの実家が同じ病院? それに、両親が殺されたという話も同じだ。

 もしかして、これは。

「……サメジマ、ナツメに姉さんがいるって話、聞いたことない?」

 彼は、ゆっくりと頷いた。

「ああ、いるぞ。いや正確には……いた、だな」

「いた?」

「そうだ。いいか……よく聞けよ? ナツメは実家で両親が殺されて、家に火をつけられた後、燃え盛る実家の中に飛び込んだんだ。そして両親を殺したコウゾウ氏につながる書類を持ち出した。その後身寄りがなくなったナツメは殺し屋になって、自分の雇い主であるオギノメ・コウゾウに復讐を誓った。それには持ち出した書類が必要不可欠だったわけだ。そこで、自分が持っているよりも安全だろうと、あいつはその書類を姉に預けたんだ」

「その姉って……」

 サメジマは視線を下げて、大きくため息をついた。

「そうだ。お前が仕事で殺した、金持ちの美人。彼女がナツメの姉だ」

 視界が狭まり、気が遠くなりそうだった。

 僕は……。

 カナコの大切な人だけではなく、

 ナツメの姉さんまで、殺していたんだ。

「……サメジマ、話の続きはまた今度にしても良いかな?」

「……ナツメの姉さんを殺したことがショックなんだろ? だから、慎重に話そうとしてたのに……」

 僕らは会計を済ませ店を出て、地下から地上に出る階段に足をかけた。先にサメジマが歩き、その後ろを僕が歩く。

 額が痛んだ。これはアルコールのせいではないだろう。

 頭ではサメジマの話の続きを聞きたいと思っているけれど、とても冷静には聞けない。

 そうだ、サメジマの連絡先を聞いておかなければ。今度はいつ会えるのかわからないのだから。

 そう思って上を向き、サメジマに声をかけようとしたときだった。

 

 狭い階段に、一発の銃声が響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ