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前半 ① コールガール

 秋晴れの夜で、月がとてもきれいだ。空気が澄んでいて、呼吸をする度になんだか懐かしい気分になれる。 

 左右に視線を向けると、大きな家が並んでいた。新築住宅のショールームみたいな規則正しい並びを眺めながら、これから向かう先を頭の中に思い描く。

 

 目的の場所にたどりつくと、そこはオートロック付きの豪華なマンションだった。本来ならば僕のような人間には一生縁のない、ブルジョアが住むような建物。建物が外からライトアップされ、まるでお城のようだ。

 

 上着の裏地に仕込んでおいた銃を指でなぞり、呼吸を整える。目の前のマンションがお城だとすれば、僕は粗暴なテロリストなのかもしれない。これから城の中にいるお姫様を殺しにいくのだ、と想像してみる。

 でも、それはあまり良いストーリーラインでは無いと思う。

 

 入り口で部屋の番号を入力し、宅配便だと名乗った。すると大げさな自動ドアは開かれ、薄い金色の明かりが灯る中廊下を進んでエレベーターに乗り、ボタンを押した。

 音も無く上昇するエレベーターは、まるでベテランの執事のように僕を七階まで連れてきてくれた。

 足音を気にする必要がないくらい上等な絨毯が敷かれた廊下を進み、目標がいる部屋の前で立ち止まる。

 呼び鈴を鳴らして相手の反応を待つと、中から上品な女の声が聞こえた。

「はい」

 施錠が解かれる音がして、扉が少しだけ開かれる。僕は素早く間に足を挟み込み、女に向かって小声で指示を送る。

「騒ぐな。書類を用意しろ。何もしなければ、殺しはしない」

 消音機付の銃をちらりと見せると、女は口を開けて一瞬固まった。そのまま部屋の中に入り、女をベッドに座らせる。

 見ると、女はとびきりの美人だった。事前に渡された情報の中にあった写真でもそうだったけれど、実物はもっと美しさが研ぎ澄まされていると感じた。大きな瞳は少し潤んでいて、頬には少女のようにあかみがさしている。それとは対照的な、雪のように白い肌。口元にある黒子が、アクセントになっている。

 部屋の中には高級そうな家具が揃っていた。大きなソファーや、天井まで届きそうな観葉植物。それに隅の方には、大型のレコードプレイヤーもある。それのどれもがシンプルで、手間と金が十分に掛けられているということがわかる。

 ベッドの奥の窓から横目で外を見下ろすと、僕が住んでいる薄汚い街がはっきりと見えた。下品なネオンが光源になっていて、ネズミが地べたを這いつくばっているような、有機物にまみれた街。

 まったく、持っている人間というのは本当になんでも持っている。僕がこの部屋に住もうと思ったら、一体ひと月に何人を殺せばいいのだろう。でも、殺し屋なんかしている僕のような人間が、この部屋に住むことはできないだろう。きっと、審査が降りない。この部屋に住むことができるのは、僕のような人間を使う側の人間だろう。

 考えるとうんざりする。

「書類はどこにある?」

 意識して声を低くした。この仕事は、相手になめられてはおしまいだ。

 女は怯えたような顔をしていたが、気品は保ったままだった。大きな二重瞼をしっかりと開き、ベッドに座ったままで僕を真っ直ぐに見上げている。その姿は素晴らしく絵になる。

「なんのことか、わからないわ」

 薄い唇を動かして、確かに女はそう言った。

「とぼけるな。君が書類を持っているのはわかっているんだ。おとなしく渡せば、命は保障する」

「あなた……あの書類の内容を知っているの?」

 女は眉根を寄せた。

「知らない。わかるだろう? 僕みたいな人間は、君とは住む世界が違う。君たちが発展途上国のために寄付なんかをしているときに、僕は明日の食事も用意できるかわからないんだ」

「書類を渡せば、明日の食事は用意できる?」

「たぶん、ね」

「そう」 

 女はベッドから立ち上がり、背筋を伸ばして部屋の奥へと歩いて行った。堂々としたその立ち振る舞いに、思わず僕は銃口を下げそうになってしまった。

 前情報とは違う、と感じた。

 僕が受けた依頼は、彼女が持って逃げた書類を回収しろというものだった。彼女が書類の中身を見た可能性も考えて、銃弾を撃ち込んで来い、というおまけもついている。情報によると、彼女はある一定の金持ちだけを相手にする高級コールガールで、持ち出したのは顧客リストだということだった。顧客の中には名前が流出すると都合が悪い人間がいて、今回の依頼はそんな人間からの要請だということも聞いていた。

 部屋の奥から女が戻ってきた。手には茶色い封筒を持っている。

「それが?」

 僕が聞くと、女は小さく頷いた。

「渡してくれ」

「その前に、お話をしましょう」

 女はにこりと笑って、僕の横をすり抜けた。再びベッドに座り、横に封筒を置く。脚を組んで膝の上に手を乗せ、白くて細い首筋を見せつけるように、僕を見つめた。

「あなた、殺し屋?」

 黙って頷く。

「どうして今の仕事を?」

「他にできる仕事が無いからね」

 部屋の中に沈黙が降りる。でも、それはどことなく心地いい。

「音楽をかけても?」

 彼女が立ち上がろうとしたので、僕は銃口を彼女の眉間に向けた。

「駄目だ。早く書類を渡せ。そうすれば……」

「良いじゃない。最後に音楽くらい聴かせてよ」

 僕のことも、銃のこともまるで気にしていない様子で、女はレコードプレイヤーまで歩いていき、壁に埋まったレコード棚を物色していた。まるで普段からそうしているように、女は丹念にレコードを選んだ。やがて一枚のレコードを手に取り、プレイヤーにセットして針を落とす。

 部屋の中に、錆ついた弦の音が響いた。音はとても小さく、かなり古い録音なのか、音質も悪い。それでも、その曲は僕の胸の中に入り込み、内側から刺した。

「最後に聴く曲がこれ?」

 封筒を両腕で抱くようにして立っていた女は、こちらを振り返り、首を傾げて笑った。

「こういうの、嫌い?」

 僕は首を左右に振った。

「悪くない」

 そう、全然悪くない。こうしている間にも、豪勢な部屋の中にはくたびれたギターの音と、しゃがれた男性の歌声が流れている。その対比が、とても素敵だと感じる。

 女は口元に手を当てて笑いをかみ殺す様にした。

「その返しは、映画の観すぎね」

 僕は再び銃口を上げ、照準を女の眉間に合わせた。ゆっくりと引きがねにかけた指に力を込める。

「なぜそんなものを持ち出した?」

 どうしてそんな質問をしたのか、自分でもわからない。いや、この女とはもう少し話がしたくなったのだ。曲のセンスも、ユーモアも、立ち振る舞いも、全てが魅力的だと思えたからだ。

「持ち出した訳じゃないわ」

 つまらない絵画でも観るような顔で、彼女は言った。そんなの決まっているじゃない、とでも言いたげだった。

「あなた、誰に何と言われてここまできたの?」女は手に持った封筒を揺らした。「つまり、これと私についてってことなんだけれど」 

 僕は一瞬考えた。もちろん、依頼の内容は絶対厳守だ。殺し屋なんて仕事はろくなものじゃないけれど、唯一徹底しなければならないのは、依頼主の情報を漏らさないということだ。もしこれを漏らしてしまうと、もう仕事がなくなるだけではなく、別の殺し屋が僕の脳みそに穴を開けにくるだろう。

 まあ、それも良いかもしれないけれど。

 無性に煙草が吸いたくなった。僕が何か考え事をするときの癖だ。でも今回は、煙が無くても頭は働いてくれた。

「依頼主は言えない。けれど、君が持ち出した書類は顧客リストだと聞いている」

「顧客? なんの?」

「君は……高級コールガールだと」

 それを聞いた女はみるみる表情を崩し、最後にはお腹を押さえて大声で笑った。

「大きな声を出すな」

 僕は銃で威嚇する。

「ははは……ごめんなさい。でも、私がコールガールなんて……おかしくて。もっと若い子ならまだしも、ねぇ」

 女は涙を細い指でぬぐい、それから佇まいをなおしてこちらを向いた。

「でもまぁ……ふうん……そういうことになっているのね」

「まあ、なんでもいい。僕はとにかく、その封筒を取り戻しに来ただけだ」

「そして、私を殺すのでしょう?」

 僕が何も言わずにいると、彼女は言葉を続けた。

「ここはね、私の隠れ家なの。いつくかあるうちの、一番のお気に入り。だからここで死ぬのは嫌じゃないわ」

 女は封筒を床に放り投げた。それはばさりと音を立てて落ちた。でも、僕の興味はもうそんな封筒には向いていない。

「あなたがここにきたときから、もう死ぬ覚悟はできていたのよ」

 女は穏やかな目をしている。

「どうして……」

 僕がそう問うと、彼女はなんでもないように答えた。

「言ったでしょう。ここは隠れ家なの。隠れ家に宅配便は来ないわ」

 少し俯いた彼女の姿はとてもセクシーだった。

 そろそろ、終わりだ。僕はいつものように仕事をして、ケチな報酬をもらって、またねぐらに帰るだけだ。

 引き金に掛けた指に、力を込める。

「……ねぇ、あなた。この封筒の中身、見ないほうがいいわよ」

 心の中でカウントダウンを開始した。三、二、……。

「……ずっと、思い出さない方が良いわ」

 一。発砲。

 少しの手応えと、吸気が抜けるような音。

 目の前に立っていた女は、ゆっくりと後ろに倒れ込んだ。最後まで優雅で、映画のワンシーンでありそうな最後。

 彼女が身に付けている深緑色のドレスが、少し血で汚れた。

 あぁ、せっかく似合っていたのに。

 倒れた彼女の横に立って顔を覗き込むと、彼女の額には丸い穴が開いていた。その穴から、彼女の思想や感情が流れ出してくるような気がして、少し待ってみた。出来ればこのままの状態で連れて帰りたかったけれど、おしゃべりができない彼女は魅力が半減してしまう。

 しばらく待っても、当たり前だけれど彼女の額の穴からは何も出てこなかった。仕方がないので僕は封筒を拾い上げ、部屋から出ようと歩き出した。途中で窓から再び街を見下ろし、これからあそこに戻っていくのだと考えたら吐き気がした。

 まぁ、仕方がない。僕のようなドブネズミが、こうして天空の世界に足を踏み入れることができたのも、この仕事のおかげだろう。それに、とても刺激的な女性とも話ができた。これは、とても貴重な体験だ。

 それにしても、と思う。こうして命を落として、床に倒れているのが美しく魅力的な女性で、彼女に向けて引き金を引いたのが僕だというのが、なんとも皮肉だ。

 いつもこの世では、薄汚れて恥知らずな奴が力を持つ。そして美しく知的な存在は迫害されてしまう。きっと薄汚れた連中は、自分が美しくはなれないと自覚するのが怖いんだ。だから、野蛮で粗暴な手段を駆使して勢力を広げる。それがどんなに下品な行為か、自覚もないままに。

 でも、僕は薄汚れた連中の仲間として生きることを選んだ。

 くだらない力にでも頼らないと生きてはいけないからだ。

 

 部屋の出口に向かうと、戸口に人が立っているのに気が付いた。もしかしてこのマンションの住民だろうか。もしそうならば、目撃者は殺さなければならない。

 体格から察するに、おそらく男だろう。帽子を目深に被り、オイルで汚れた作業着を着てる。その容姿を確認して、このマンションの住民ではないと確信した。

 作業着の男は僕の方へ近づき、何も言わずに右手を差し出した。僕と握手でもしたいのだろうか? 

「書類」

 立派な体格には似合わない、意外と高い声だった。しかし全身にまとうその雰囲気で、彼は僕の同業者だと悟った。

「誰に頼まれた? これは僕の仕事だ」

 銃を構え、少し距離を取る。

 男が武器の類を持ち出す様子はない。

「ヤンからだ。それでわかるだろう」

 男は口元を斜めにしている。

「ヤン……?」

 ヤンは僕にこの仕事を依頼してきた紹介役だ。今回に限らず、僕に来る仕事はほとんどがヤンを経由している。ヤンよりも上の存在を僕は知らないし、興味も無い。僕は彼から殺す対象についての最低限の情報を受け取り、その相手に銃弾を撃ち込んで報酬を貰う。つまり、ヤンはドブネズミの親方と言える。

 今回僕にきた依頼は、書類を回収して女を殺せというものだった。ならば、この男は回収した書類をどこかへ運ぶ役目なのだろう。

「わかった」

 封筒を差し出すと男は黙ってそれを受け取り、何も言わずに去って行った。

 それにしても、こんな高級マンションで人が殺されたというのに、隣の住人すら出てこない。きっと信じられないくらいに壁の防音機能が優れていて、僕が大声で歌っても、隣の住人は何も聞こえないのだろう。

 僕は部屋の中を振り返り、女の死体がそこにあることを確認すると、部屋を出た。

 

 最後にと言って、彼女がかけたレコードは、『Boom、Boom、Boom、Boom』と歌っていた。

 

  

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