† 9 僕には感情が無い
それはまさに完全体だった。
総てのスキルが使用可能。あまねくこの世に存在し得る、通常及びユニークスキル全部に使用可能のビットが立っている。
不老不死はもとより、全知全能最終解脱から効率的選択、全種攻撃無効、…能力強奪などというこの時点で既に無駄なものまで。
「え? は? 何にゃのよ…これ……」
長い沈黙。耐えられずに重い口を開く。
「つまり、そうなんだ」
「にゃ?」
「僕は、転生者なんだ」
「意味がわからにゃい」
声が少し怒っている。
「何言ってるのか全然わかんにゃい」
否。知ったつもりであった人間の、全く予想だにしていなかった面をつぶさに見て混乱し、それがどんな意味を為すかを探り、うすうす勘付いている。そう、本当は不安で僕に怯えているのだ。
「誰も僕を気にしない、田舎にずっと引きこもっているつもりだった」
鑑定の能力を持つ人もいない僻地に。
「………まさか、神様…にゃの?」
「僕は、僕だよ」
「だってそんにゃ能力」
誰だってそうだ。理解してもらえるとも思っていない。
「望んだ全てを与えられてしまっただけ。それをくれた神様とは違う」
「だってそんにゃ事今まで何にも」
「誰にも言ってないし、この世界に来て一度も使った事がない…偽装すらね。だから鑑定も避けられなかった」
どんな危機に陥ろうとも一度も。あの時、シアノだって助けられたかも知れなかったのに。いや今この場所で、目の前に復活させる事だって。
「でも、だったら何で」
「すまない、騙すつもりはなかった」
その気になれば小指一つで魔王どころか世界を何千万回でも破壊出来るような存在などと、どうして彼女に語ることが出来よう。
全てを持つ事は、何も持たないのと一緒だった。
「この事で、どんな反応を取られるかだって、分かりきってるんだよ」
「は? 何を言ってるの」
「仕方ない。でも出来れば、誰にも言わないで欲しい」
打撃耐性でも使えば痛くもないトコのビンタを、僕は正面に受けた。そして走り去るトコを見ながら、僕は悲しいとも思いはしなかった。
そんな風に思う心など、ずっと前に無くしてしまった。
別に嘘をついてもよかったのだ。
何も持たないこの世界の人々にとって僕はモンスターに他ならない。
恐れられ、逆に崇められ、妬まれ、憎まれ、ただそれだけだ。
そして何故か女達には慕われ、勝手にハーレムが出来る。
何も感じない。何も思わない。ただ黙ってそれを受け入れる事しか出来ない。
「トコさん泣かせちゃったんですか?」
「追いかけなくてもいいの?」
名前も知らないさっきの学生たちが様子を見て、喋りかけてくる。
「いいんだ。もういいんだよ本当に」
極力他人と関わらず、何も知らない純朴な土地で静かにこの一生を終わらせるか、もしくは根無し草として世界を放浪するしか、能力を使わずに、まともに生きて行ける方法はなかった。
偽装スキルをずっと使い続ければ、或いは可能かも知れなかった。だがそれでは、能力を使わないで生きる事にはならない。
何も解決せず、ただ面倒事やトラブルから逃げ回る。結局それが本当の自分なのだ。何かを成し遂げたり、実績を積み上げたり、強敵を倒したり、サバイバルをするのにはもう飽きた。
全ては詰まらない繰り返しならば、ただ静かに生きて時間を潰すだけだ。面倒臭い。
しかし、状況に流され、目的も無視し続けてあえてヒロイックになり得ない選択肢ばかり選び続け、結局何の行動もしていないのにこのザマだ。降りかかる火の粉を払う事すら出来ない。この世界もきっとまた、もう終わりだ。
※ ※
この少し前、一人の英雄によって問題の魔王は倒されていた。
王国は一番の敵を失い、かりそめの平和が訪れた。
本当に、名ばかりの平和だった。
既に残党狩りの名を借りた、不穏分子の狩り出しが進められていた。反対に共通の敵を無くした各地方の権力者は中央支配からの脱却を狙い、早くも暗躍を始めていた。魔物に対する備えはそのまま武力となり、互いに牽制どころか小競り合いすら行われた。
気ままな冒険者が魔物を倒してその日暮らしをするような牧歌的な時代は終わりを告げようとしていた。戦力を持つ者はどちらかのグループに属するか、強制的に選択を迫られ、従わない者は魔物の残党として追い詰められ、処刑され、暗殺され、或いは集団で寄ってたかってつけ狙われた。
そして、その余波は学園都市といえども逃れられるようなものではなかった。
※ ※
偉そうに魔法の解説にゃんて、私バカみたいにゃ。
ホントは全部知ってたんじゃにゃい。
否、スキルを一つも使わにゃかったんだから違うのかも。
でも最低にゃ。そんにゃ人だったにゃんて。嘘つき。嘘つき。嘘つき。バカ! 変態! ケモナー!
ううん、でも私は一体にゃんでこんなに怒ってるにゃ?
彼が怖いから? そうじゃにゃい。
彼を信じられにゃいから? 近いにゃ。
彼は私の事を騙していたからにゃ。隠し事をしていたからにゃ。
でもそれは、私の事を信じてくれにゃかったって事じゃにゃいの? それが一番嫌にゃの。
私には受け止められないと、勝手に彼が思っていた事が悔しいにゃ。
そんな薄っぺらな関係だったにゃんて。本当は、もっと信じて欲しかった。
でも、だって私はその為に何が出来た? 何にもしてにゃい。出来にゃかった。秘密を知ろうともしにゃかった。
それは仕方にゃい。今までの事はどうしようも。
でも、彼の抱えているものを、分からにゃいにゃりにも、考えてあげる事にゃら出来る。
きっと何か理由があるんにゃ。
全部のスキルにゃんて想像もつかにゃい。それを使わにゃい理由も。何でも知ることが出来るのに、どうして知ろうとしにゃいにゃ?
世界最強の戦士にも、とんでもにゃいお金持ちにも、ううん王様にだってにゃれるのに。それに沢山のかわいそうな人を救う事だって。
待って。じゃあ、それをすれば彼は絶対に幸せににゃれるの?
否。それはまやかしにゃ。全部のスキルがあって、何もかもが出来ても、きっと満たされなかったんにゃ。
全部を持っているのに、手に入れられにゃいもの。
分かった。
愛にゃ。
彼は真実の愛を探し求めているんにゃ。
※ ※
トコ・トリエリトールはちょっと実家に帰らせていただいていた。
とは言え学園のすぐ近く、スープの冷めない程度の距離にその屋敷は建っていた。お菓子の家という程ではないが、いかにもな作りをしている。
父は人間の学者、母はエルフの魔法使いでどちらも学園の関係者だった。
幼い頃は、あいのこと差別され、悲しい子供時代を送った。彼女が今気丈に明るく振る舞うのは、実はその時の反動に過ぎなかった。辛い過去を乗り越えた経験が、彼女に他人の気持ちを考えるアビリティを与えていた。
突然帰宅した上に猫耳になっていた娘に、母は特に何も言わず、ハーブティーと茶菓子を準備して迎えてくれた。
優しく微笑む母のその気遣いのおかげで、トコは自分を取り戻す事が出来たのであった。
「ママ、ありがとう。私分かったにゃ。もう、行かにゃいと」
「そう? ゆっくりしていってもいいのよ」
「でもきっとアイツ、私の事待ってるから。お菓子美味しかったにゃ。ちょっと持っていってもいい?」
「しょうがないわね、じゃあ包むから先に準備しておいで」
装備を整え、家を出たトコが見たものは、戦火に燃える学園の姿だった。
つづく