†6 獣の野望
先に言ってしまえば、坊主は実はアスコルビンに仕える身で、獣人を増やそうと暗躍していたのだ。
辛い人の世界から獣に生まれ変わり、法律も学校も国境も権力も貧乏もない、自由で気楽な桃源郷。アスコルビンに囚われた者は、そこで暮らす事を選択出来る、彼女の能力によって、姿を獣へと変化させて。
拒否すれば死、などと言われた訳でもない。むしろ、どうして断る必要があるというのか。
僕は何もかも忘れて猫耳を生やす事に決めた。
肉球の浮かび上がった手のひらを舐めて顔を洗い、気持ち良さそうに伸びをする。
アスコルビンは美しく、すり寄ればいつも頭を撫でてくれる。
彼女の城は快適だ。外飼いだったので自由に抜け出し、お腹がすけば餌は自分で狩りをする事も出来る。
猫は過去を振り返ってうじうじしたりなんかしない。激しい戦闘に負け、捉えられた事なんてもう記憶の遥か彼方だ。僧侶も、一緒にいた冒険者たちの事も。
目の前のねずみや小鳥を、捉えるためだけに一生懸命になればいい。毛づくろいをしながら怠惰にあくびをしながら。
そして可愛い雌猫と出会い、二匹はすぐに恋に落ちた。
にゃあにゃあと日が暮れるまでじゃれあい、遊びまわる。そしてこっそりと草陰で愛し合う。ーー毛づくろいをしたりだとか。
僕はとうとう安住の地を、見つけられたのだ。
〜〜 完 〜〜
番外編
幸せな結末がお望みならば、別にそれで構わなかった。
今日もドブネズミの巣食うほら穴を、散歩がてらに探索していた。
暗闇の中、瞳孔を縦に見開いて気配を探る。ヒゲが通る隙間なら、関節を外し、抜ける事が出来た。
襲い掛かってくる斥候のネズミを、鋭い爪で引き裂いた時、前にも似た体験をした事を、思い出した。
一緒にダンジョンを探索した、誰だったか柔らかな感触の持ち主。
はっと心が切なくなった。
ほら穴を抜け出し、すっかり暗くなった夜道を駆け抜ける。
城に着くと、僕はアスコルビンの姿を探した。
「にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあ」
まとわりつき、切実に訴える。人の発声器官のない猫には、意志を伝える方法が他にない。
「にゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあにゃあ」
しかし、アスコルビンにはそれだけで通じたようだった。
「仕方ありませんね。でも、本当にいいの?」
部屋の猫用入口の隙間から、愛する雌猫が顔を覗かせていた。とても、不安そうに。
「ニャア…」
彼女は本当に大切だ。ここで別れるなんて、心が引き裂かれる思いだった。
尻尾を噛み、腹毛を掻き毟りながら僕は迷った。そして、とうとう顔を上げる。そばに寄り、愛猫の和毛を優しく舐めながら。
「にゃにゃんにゃ。にゃにゃにゃにゃあ、にゃにゃにゃにゃあにゃにゃにゃい、にゃにゃにゃにゃ。にゃにゃっにゃにゃにゃにゃ」
そしてアスコルビンに向きなおり、言った。
「僕の心は決まりましたにゃ」
アスコルビンは頷く。僕の体は既に、人ににゃっていた。
「人に戻りたいなんて言われたのは、この国が出来て以来初めてだわ。皆ここが気に入っちゃって、誰も帰ろうとしないのよ」
「はい、ここは一つの理想でした。僕は貴女に救われた。本当に癒やされたんです。嘘じゃありません」
アスコルビンは優しく微笑むと、何か決意したように頷いた。
「あなた、面白いわ。この先どうなるのか気になっちゃった。旅を続けるなら、私もついて行くわ」
「ちょっと待つにゃー」
唐突に、背後から跳び掛かられる、愛猫は、にゃんと人に戻っていた。
彼女はいつかの魔法使いの女だった。
「浮気にゃんて許さにゃいにゃ、私も行くにゃ」
「今日はなんという日でしょう。この国から二人も脱落者が出るだなんて!」
三人目の脱落者、アスコルビンはそう言って高らかに笑うのだった。
つづく