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†4 宿無しの子供

 どれほど真剣に、切実に願おうと決して叶えられないもの。それは下らない夢物語や幻想と何が違うのだろう。

 

 貧しいけれども温かな村での暮らしが、短かなこの生命の(つい)える迄続く。ただそれだけの事が僕にとっては、身の程知らずの高望みだった。


 果実水をサイド・テーブルにそっと置いたのはアスコルビンだ。



「悪い夢でも見ていたの?」



 僕にじゃれついているエルゴに、多少遠慮しながらアスコルビンは屈み込む。頬に手を触れて様子を確かめてくれる。

 毛布をのけて起き上がり、僕はグラスを口にする。

 ほのかに甘い香りの中に、微かな酸味が立ち上がる。古代の賢者に作られた、レモネードやミントジュレップ等を原型(アーキタイプ)として一次元上昇(アセンション)させた、つまり同時に他の世界にも存在し()るという特殊な飲み物だ。

 とはいえ悪夢を祓う効能のある訳でもない。



「心配させてしまったね、アスコルビンさん。昔の夢だよ。でも、ただの夢」


「お(さっ)し致しますわ」



 と、顔を赤らめる。

 逃亡の果て、彼女と出会った頃の僕を、アスコルビンは思い出しているのだろう、彼女は少しも歳をとらない。

 地下ダンジョンから救い出されたエルゴはカルシフェロール氏や弟と感動の再会を果たした。

 しかし盤面はすでに動き始め、チェスクロックの針は元には戻らない。秘密を知ってしまったあとで、元のようには暮らせない。

 村を投げ出された後の惨めな逃避行。

 だが転生前の日々に比べれば余裕で耐えられた。その事は(ほとん)ど誰にも、アスコルビンにだって話してはいない。



「今日はフィロキノン、メナキノンの演奏会ですよ、まさかお忘れではありませんか?」


「ああ。そうだった」



 ローブを手に取りゆっくりと立ち上がる。

 あの時、僕はゴブリンの言葉を黙殺した。彼らの事は何も知らない。ただ邪魔な、殲滅(ホロコースト)すべき敵として、無視したのだ。



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 逃亡の果てに辿り着いたのは獣の王国だった!!

 道連れは痩せた青い馬一匹。今のうちに魔物を倒しまくってレベルアップだ、あっ強いっ!?

--------------------------------------------------------



 村を出て何日が過ぎただろう。

 伝聞(でんぶん)では、盗賊の襲撃を受けて村は凄腕の用心棒を七人(・・)雇ったそうだ。

 申し訳程度の路銀と青い馬だけを餞別(せんべつ)に受け取り、僕は逃げるようにして村を去った。



「済まない。謝って(ゆる)してもらおうとも思っていない」



 カルシフェロール氏は僕に告げた。冷たい声ではないがその表情は硬い。



「君は戦いに勝利し、エルゴを救ってくれた。感謝している、その気持ちを忘れるつもりはない」


「わかっています」



 殺伐とした世界の中で、この村はただ一つの拠り所だった。

 ことばで言い表せない喪失感を胸に抱えながら僕は旅立つ。当のエルゴに別れの挨拶もなく、宵闇に紛れて。


 いつ迄進んでも果てしなく続く荒野、日照りが続き馬も青息吐息だ。

 泊まる場所もなく、毎夜野宿を余儀なくされる。

 ようやく水辺を見つけて馬を連れてゆく。

 渇いているはずなのに、しかし馬は水を飲もうとしない、何かに(おび)えるように首を前後に揺らし。

 濃いたてがみを撫でて落ち着かせる。鼻をすりつけもふもふすれば、(ほこり)と、汗の匂いがする。



「ドウドウ。おい、どうしたんだ? 近くに何かいるのか?」


偶因狂疾(オウインクゥァンジー)成殊類(チォンシュレイ)



 低い(うな)り声とともに岩陰から現れ(いで)でたのは、年をとった獣人だった。ほぼ全身が虎と化している。

 咄嗟に剣を抜き、向かい合う。しかし敵意は感じられない、むしろ今にも倒れそうなほど衰弱している。



災患相仍ザイファンシィァンロン不可逃(ブークェ゛ァタオ)……」



 彼は、僕の目の前で力尽きた。剣先で(つつ)いても人にもバターにも戻らない、虎のまま、満足そうな顔を浮かべたまま、寿命を全うしたように。最期(さいご)を看取ってくれる者を、彼はずっと探し続けていたのだろうか。一人、寂しく。

 自分の境遇に重ね合わせて、あわれに思った。見開いた目を静かに閉じてやり、見ず知らずの彼の生涯を想像する。

 そして皮を剥いで敷物にでもしてやろうかと()を伸ばす。と、不意に背後から声がする。



「見つけたぜェチビ助野郎」


「お前は、三下!」



 振り返るとシアノの部下であった男。手にナックルクローを付けて、すでに臨戦態勢だ。



「誰が三下だ」



 鉤爪のひと掻きを剣で弾き、後ろに跳び下がる。



「シアノさまは戻らない、夜が明けて見ればどうした事だ。ダンジョンは消えて、屋敷は兵士でいっぱいだ。てめえの姿もない」



 じわじわと歩み寄りながら、三下は言葉を続ける。



「草の根を分け、鐘や太鼓でようやくお前の足取りを探し出したって訳だ、高くついたぜ。手荒な真似は嫌だったんだが、さあコレ・カルシフェロールは何処にいる」


「さあね」



 爪(さば)きは軽く、異様に素早いが短い。間合いにさえ入れなければ戦えるだろうと、切っ先を向けて牽制する。

 今やコレの囮をも兼ねている。彼の身を危険から遠ざける為にも、追っ手はすべからく撃退すべきだった。

 しかし素人剣法では、太刀筋はやすやすと見切られ、またたく間に尖った爪先が喉元ギリギリまで接近する。

 再度跳び下がるも着地する迄にはもう距離を詰められている。

 すわ、危機一髪。



今日爪牙(ジンリ゛ーヂャオヤー)誰敢敵(シュェイガンディ)!」



 咆哮(ほうこう)が響く。死んだとばかり思っていた虎が身を踊らせて跳ね上がり、最後の力を振り絞って三下の脚に(かじ)り付いたのだ。

 咄嗟(とっさ)に馬に飛び乗り、脇目も振らずに駆り立てた。

 窮地を脱し、名も知らぬ虎に感謝しながら僕はこの地を後にした。


つづく

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