†2 偽りの平和
後頭部がズキズキと痛む。
さっきの男の声がする。
「シアノさま、このエロガキ殺っちまいましょうよ」
焚き火が燃えている。縄でグルグル巻きにされて、僕は地べたに転がされていた。
顔面は柔らかくて気持ちいいけど、後頭部は硬くて痛いのなーんだ、というなぞなぞがもしあれば、答えはさっきの状況だ。
この男は道を塞いだ奴に間違いない。背後から気絶するまでブン殴られたようだ、きっと嫉妬だろうと邪推する。
シアノと呼ばれたのは柔らかな豊乳の持ち主、
「馬鹿な事を言うでない、折角苦労して捕まえたとこだのに」
と思えば残念、意外と年増のようだ。火に炙った干し肉を旨そうに頬張る、目元口元に細かな小皺が見え隠れする。本当に少しだけ、垂れている。
ううっ、とうなり声をあげる僕に気付いたようで、
「あら、お目覚めかな。気分は如何?」
「何なんですか、いきなり。てか今それどころじゃないんですよ、ちょっとこれ解いてもらえます?」
シアノは高笑いして僕を見下し、
「知りたくば教えてさしあげよう。泣く子も黙る女盗賊、シアノ・コ・バラミンとは何を隠そう、私の事よ」
「誰だよ」
というか別に聞いてない。
多分、そういう面倒くさい奴なのだろう、勝手に自分の中で完結してしまって、人の話をまったく聞かない。状況はピンチながらも僕は内心小馬鹿にした。
きっと今のは決めゼリフのつもりだ、練習したのだろうか。一人で鏡に向かって、効果的な角度なぞ研究したりなんかして。
シアノは斜め45度に顔を向けて僕を見下している。間違いない。
ここはお調子者の女盗賊たちのキャンプのようだ、下らない連中に捕まってしまったものだ。まあ仕方ない。
話を聞いてあげる以外、今取れる選択肢もない。何せグルグル巻きなのだから。
「…はい、それで?」
彼女の次のセリフでまさかの急展開を告げられようとは、どうしてこの時の僕に想像する事が出来たろう。
「コレ・カルシフェロール、お主は本当はチアミンの血筋を継ぐ者。今は亡き先王のご落胤という訳だ。魔王が動き出したのは知っておろう?」
「えっ……えっ?」
「今の国王リボフラビンは実は正統ではない。よって魔をはらう伝説の力も持たぬ、権力闘争に勝利しただけの成り上がりだ。魔王に打ち克つ者が現れれば、それがおおやけに暴露されてしまう。
つまりお主は魔族からも王家からも追われる存在となったのよ」
「ちょ、待てよ」
「封印の祠を解き、現れた魔物への対処で警備が手薄になった所を狙う。シアノさまの天才的な策略に乗せられたんだよお前らは」
三下が、得意げにシアノを礼賛する。
ええと、どこから説明しようか。おいてきぼり感が半端ない。いやもう少し話に乗ってあげて、分かるまで情報を引き出そうか。
「うーん、ようは僕の首を王様に突き出して、報奨金でも貰おうっていうの? 盗賊のくせに?」
「そんな事、お前が知る必要はない」
三下が吐き捨てる。
「へー、リボフラビン王のイヌなわけだ。泣く子も黙る盗賊が、聞いて呆れる」
「……首領の為よ」
僕の嘲りに、シリアスな顏をしてシアノが身の上話を始めた。
盗賊団の首領が捉えられ、縛り首は免れない。取り引きの材料として、コレが目を付けられた訳だ。
リボフラビン王も、先王の血を引く者がいくら邪魔とはいえ、表立っては行動出来ない。暗殺するにしろ、自分の手駒は使えない。
ざっくり言えばそういう事だそうだ。
成る程、落胤を亡き者にしようというのがリボフラビン王の目的ならば、取り引きのその時まで、この盗賊たちは人質を殺せない。
「お主には悪いが、諦めてくれ」
「いやでも僕、コレ・カルシフェロールじゃないし」
そう告げた時の、彼らの表情は見ものであった。
現実を受け止められず、唖然と干し肉を取り落とす。
シアノは三下に向かって、確認する。
「お前、本人の顏をちゃんと確かめたんだろうね?」
「い、いえ。領主の家にいる男のガキってぇだけで」
「うつけもの!」
張り倒される三下。
「ぐぬぬ、不覚っ。影武者かっ」
あなたが勝手に間違えたんでしょ。
とはいえ嫌な予感がした。カルシフェロール氏は身元不明の僕を、何故こんなにも手厚く保護してくれたのか。こういう場合を見越していたからでないとは、言い切れない。
シアノが僕に向き直り、短刀に手を伸ばす。
「ならば、お主に用は無し。かくなる上は…」
「だから待てってば。コレの居場所だったら知ってるし。自由にしてくれたら、連れて行ってあげない事もない」
盗賊たちは顏を見合わせる。
「早くボスを助けたいんでしょ」
「侮るな小僧!」
シアノは激昂し、短刀を振りかざす。流石に調子に乗りすぎたようだ、禍々しい刃が襲いかかって来る。
思わず目をつぶり神に祈る。しかし痛みは…なかなかやってこない。
見れば、切られたのは荒縄のみ。
「はなから無駄な殺生をするつもりなどないわ」
とドヤ顔で、シアノが言った。
※ ※
「いてっ」
冷たい岩肌が前を塞いでいる。ここも行き止まりのようだ。
と後頭部に、柔らかい感触が当たる。
「ちょっと、立ち止まるんなら先に言って貰えぬか?」
と、文句が聞こえる。
顔面は硬くて痛いけど後頭部は柔らかくて気持ちいいものなーんだ、というなぞなぞがあれば、答えはこの時の状況だ。
という訳で僕はシアノと暗闇のダンジョンにいる。
明かりはまだ使えないので色々と手探りである。
「こ、こら。変な所を触るんじゃない」
何かが空気を切り裂く気配。咄嗟にシアノが覆いかぶさってくる。向かいの壁に鋭いものが突き刺さる音。
「やれやれ。単純な罠だわ。お主、あやうく死んでおったな。これだから素人は…」
「別に頼んだ訳じゃないだろ」
カルシフェロールの子は、祠から出て来たゴブリンたちに捕まって今はダンジョンの奥だ、と盗賊たちに告げたのだ。別に嘘は言っていない。
慌てて祠まで、今来た道をとって返す羽目になったシアノは、念のためにと僕を同行させた。
「…裏切るなよ、小僧」
低いしゃがれ声でそう言い残し、三下はゴブリンの鳴き真似をして(よく知っていたものだと感心した)祠の見張りをひきつける。その隙にまんまと侵入に成功したのだ。
「僕が、ダンジョンに連れて来てくれなんて一度でも言いましたか?」
「捨ておけ」
僕の精一杯の苦言はシアノにばっさりと切り捨てられた。
つづく