第二章・告白 2
「なんとか、ならないの?」
「うーん…君、名前は?」
名前を聞かれて、少年はアリスを見るが、すぐに馬鹿にしたように顔を反らし、これにはさすがのアリスも笑顔が一瞬曇った。おまけにこれ見よがしに芽生の腰にまとわりついている。それを見て笑っているまま、アリスが持ち上げたものに思わず目を疑った。見間違いでなければジャングルジムだ。避けたところで即死しそうなレベルの攻撃物に、芽生が思わず慌てた。
「ちょちょちょちょストップ!!」
「…っ、ねぇ兄ちゃんさぁ。何それ、ヤキモチ妬いてるつもり?」
「なっ」
何言ってるの、上手く口が回らなくなってしまった芽生が口ごもっているが、アリスは表情を変えず、ただ静かに少年を見ていた。
「それで好きぶってるつもり?このお姉ちゃんは分かりやすいけどさ、あんたは全体的になんか胡散臭いんだよね」
「君こそ何を言ってるの。彼女が僕なんかを好いてくれるわけ」
あ。ばれてると思ったらばれてないんだ。
おまけに絶対ないと。
思っていやがってあそばせてらっしゃったんだ。
感情の爆発というものを、始めて知った。
「…っ、好きよ」
「………え?」
「惚れてるわよ、ラブよ、フォーリンラブよ、何か文句ある!?どうせ私は単純馬鹿よ!ちょっと助けられて優しくされたくらいで好きになるし、あんたの態度で勘違いして自惚れて、ヤキモチだって妬いてもらいたいわよ!馬鹿でガキよ、何か文句ある!?」
一瞬だったような気がしたし、永遠のような気もした。とにかく一番知られたくないことを一気に吐き出してしまい、芽生は顔に一気に熱を集中させ、次に一気に熱を放出しすぎて、青くなってしまった。
告白するだけして、帰れと叫んでしまった。動かない少年の周りを、芽生はほぼ自棄のように掘ってまわっていた。
「…何してんの?」
「いや…動かすのが無理なら土ごと掘り上げようと思って」
「無茶するなぁ」
彼の周りの土は掘れることには掘れるのだが、彼の足元だけ、不自然に何も出来ない。足元を囲うように綺麗にそこだけ何も出来ない。我ながら考えた奇策も通じないようだ。
さてどうしたものかと芽生は少年を見た。少年はあいかわらず、自分の名前どころか、どうしてここから動けないのかをしゃべる様子はない。
「さっきの、ちゃんと告白にカウントされたのかなぁ」
そのくせ、人の触れられたくない話はたくさんしてくる。
「もう一度、好きなら好きって言っておいた方がいいよ」
「余計なお世話」
「僕は、言えなかったから」
始めて彼の弱々しい声を聞いたような気をして、再び少年を見たが、見たときにはもう強気な目になっていた。彼は何かを後悔して、ここから動けないのだろうか。それならばその後悔の元を絶つか、もしくは開き直らせればここから動けるのではないだろうか。
話を聞けないから、後悔の元を絶つのは不可能だ。それならば、もう開き直らせるしかない。
「よし、お姉ちゃんとお話ししようか」
「はぁ?」
「話すと案外、楽になるぞ」
人というのは結局単純なもので、何か不満や怒りを体内に溜めていたらそれが爆発し、砕け散り、ろくでもない形で体内に残る。それならばいっそ言葉にして、あるいは何かして体外に出した方が、彼にも、きっと地球にも優しい。
六時になった。少年は変わらず帰る気配はないし、迎えに来るものも誰もいない。公園は少しずつ寂しくなり、とうとう芽生と彼だけになってしまった。暗くなってきた公園は少し不気味だが、今は怖がる前に自分の力に頼れることが、かなり嫌だが、ありがたくもある。
「名前は?」
「凜」
「いくつ?」
「来年、中学校に入れる」
「どうして家に帰れないの」
「…ふんっ」
「あ、鼻で笑いやがった」
ほら、こうして肝心なことは話さない。しかし話しているうち、砂遊びをやっているうち、彼は確実に笑顔が多くなってきた。動けないのに、こういうことは出来るようだ。
「僕も質問していいかな」
「うん、何?」
「お姉ちゃん、セックスしたことある?」
手から砂という砂がこぼれ落ちた。小学生男子が誰もが通る下ネタには割と耐性があったつもりだが、これはさすがに強烈だった。
「…ないんだ。ってことは、バージン」
「そんな言葉どこで覚えてくるのよ!自慢じゃないけど、私高校入る前くらいまで、子どもの作り方なんてまともに知らなかったわよ!」
「それ、本当に自慢じゃないね」
だって、と言いながら、凜が砂山を更に高くさせた。
「僕はそうして出来たんでしょう。好きな人同士がするやつで」
「まっ…まあね」
「でも、僕のお父さん、いないんだ。お母さんだけなんだ。僕が生まれる前は、好き合ってたんでしょう?だから僕が生まれたんでしょう?」
「え?」
「僕がいたから、お母さん、お父さんのこと嫌いになったのかな」
今更、彼が名字を名乗っていないことに違和感が生じた。彼は名字を知られたくなかったのだ。恐らく、そうなりたくなってなった名前ではないから。
「離婚、したの?」
言葉を選びたかったが、自分にはそんな余裕がなかった。思わず出してしまった言葉は後悔させるには十分すぎたが、凜が無言で頷いてくれておかげで、結構救われた。
「…なるほど」
大体状況は分かった。彼はきっと、帰れないんじゃない。帰りたくないのだ。その願いが強すぎて、この公園に縛られてるのだとしたら、自分に解決する問題として重すぎる。
「アリス!いるんでしょう、アリス!」
「…っ、何言ってるの。いるわけ」
ぼすんっ!
「はぁい」
「うひゃああああ出たぁ!!!」
いきなりアリスが木の上から逆さで現れ、凜が涙目で尻餅をつく。さすがの芽生も驚いたが、トイレ使用中に現れたときの衝撃よりよほど軽かった。
「ちょっと話、いい?」
「どうぞ」
先ほどの告白がまるでなかったことのような空気なので、最初の気持ちは助かっただったが、次にやってきたのは、どうしようもないやるせなさだった。気にしてもほしかったらしい。本当に、本当に恋というのは面倒だ。
「なるほど…子どもらしい理由というか何というか、だからこそ厄介だね。大人のようにごまかしはきかないし、ましてや、開き直るほど心も成長していない。それで芽生はどうしたいの。復縁させたいの?」
「出来るの?」
「出来ないことはないけど、人の感情を操るのは無理がある。彼の記憶に新しいのは、離婚した両親だ。それがいきなりラブラブになっていたら、彼はもう家どころか、世界そのものを捨てるかもしれないね。かといって仲が悪いまま復縁させても、それは見ていてお世辞にも幸せには見えないだろう」
「その通りね。どうしたらいいと思う」
「本当は、彼もきっと分かっているんだと思うよ。もうどうにもならないこと。けど、どこかで納得がいってないんだ。仲が良かったころの両親が忘れられなくて、ちょっと反抗してるんだよ。それがとんでもない力を産んでしまったようだけど」
「そう、ね」
凜に気づかれないように、遠くで待たせている彼を見た。一人にしたところで、そわそわしている様子も、帰りたそうな様子にもならない。ただじっと砂を見て、時間が過ぎるのを待っている。
時間、ふと時間が気になって時計を見上げると、七時半を回っていた。恐らく仕事をしているだろう父親も、帰ってきてもいい時間だ。しかし、迎えに来るとは限らない。少なくても自分は、父親には夢を持てない。それでも、子どもには、小さいものには、気を使ってしまう。
「アリス、ちょっとここにいて、あの子見てて」
「どこに行くの?」
「ちょっとご飯取ってくる」
本当にうちの母親は、その辺の勇者よりよほど勇者なのではないだろうか。比較的遅くなってきた娘に軽く怒るだけで終わり、夕ご飯一式を持って行きたいと言ったら、理由も聞かず、あっという間に弁当箱に詰めてくれて、なおかつ水筒まで用意してくれた。
「はい、どうぞ」
「…っ」
凜は嬉しそうに顔を上げるが、すぐに顔を沈めてしまう。
「あ、後で食べる」
「今、食べなさいよ。冷めるから」
「人に見られて食べるの、好きじゃないんだ」
なるほど、それはどうしようもない。一回家に帰って明日もう一度会いにくることも考えたが、いくら動けないとはいえ、子どもをここに置いていくのは出来そうにない。
アリスに視線だけで助けを求めるが、相変わらず笑っていた。とりあえずナプキンで包んだ弁当箱を凜の足元に置いてやったその時だっただろうか。
ナプキンの下に妙な感触があり、石が何かだろうか、バランスが悪いからどけてやろうと、思った。
そう思った、だけだったのだ。
「…何、これ」
最初に見たとき、それは鳥の骨か何かだと思った。しかしゆっくりと撫でていき、暗闇に目が慣れてくると、それはやがて人骨だと理解させて、思わず落としてしまった。
「…なっ、なんでこんなところに…っ」
こんな、ところに。
恐る恐る凜の顔を見上げると、彼はぽろぽろ泣いていた。
「やっとあった…あったよ、お父さん。僕が、いたよ」
「…凜、君」
「ありがとうお姉ちゃん、ありがとう」
それから。
警察が来て、公園は軽く騒ぎになった。警察がしばらく行き来している中、マスコミや野次馬をかきわける中で、てこでも動かないような老人が妙に印象的だった。長い足、強気な目で、彼が誰なのかすぐに分かった。
「もう、おじいちゃんになっちゃってるじゃない。あの子、どのくらいここにいたのかな」
「どうだろう」
「あんた、知ってたんでしょう。どうして教えてくれなかったの」
「言ったら、芽生が泣くかと思って。もう、泣いちゃったけど」
泣いてしまった自分を抱きしめてくれる相手は、いる。自分にはいる。彼にはいるんだろうか。いたのだろうか。どうかいてくれたらいい。いなかったら、いつか現れたらいい。そう勝手に願わないと、涙がとても止まりそうになかった。
涙で視界がぼやけていると、我ながら下手な言い訳だった。アリスに手を引いてもらわないと、何だか落ち着かなかった。暖かい。ああ彼は生きている。生きていて、くれている。
「しかし困ったなぁ。君が彼を見えているのは、かなり驚いた。僕と一緒にいることで、不思議な力が身についたかもしれないね」
「もう十分不思議だけどね。この怪力に加えて、あんたみたいなウサ耳と一緒にいるんだから」
「あはは、それもそうだ」
「それで?」
多くは語らなかった。それで全てを聞いたつもりだった。先ほどの告白の答えを。もう恥ずかしすぎてあんなこと言えないならせめて、答えを必ず聞く。彼が遺してくれた助言なのだから。
「…んー…」
一瞬だけ彼が普通の少年のように困ったような、照れたような顔をしてくれていたのが、なんだかたまらなく愛しかった。本当に彼が好きでたまらないのだと実感できた。ここで断れたら、自分はどれだけ絶望したらいいのだろう。受け入れられたら、どれだけ舞い上がればいいのだろう。どちらでも、何だか、嫌だ。けどだからといって答えが出ないのは、もっと、嫌だ。
ああもう一体、どうしてほしいんだろう。
「正直に言うよ。僕は恋がよく分からない。人間じゃないし、考えても分からないんだ。君と恋をしようとしたし、まねごとをしようとキスしようとしたけれど、それじゃあ君が喜ばないだろう、それくらいは、分かるつもりだ」
「うん」
「だから」
「うん?」
「引き続き、僕に恋をしてくれると嬉しい。いつかその感情が僕に分かったら、その時君に本当にキスをしたくなったら、言うから」
「私じゃない相手に恋してもいいなさいよ。気ぃ使ったら殺すわよ」
「芽生に、したいんだ」
「…そう」
じゃあ、頑張ろう。私が笑うと、彼も笑ってくれた。今はそれだけで十分だった。
いつかそれで不満になった時、改めて、気持ちを問おう。
恋は理不尽だと誰かが言った。なるほど、理不尽だ。こんな答えで跳び上がりたくなるほど嬉しいし、例え彼の答えが全て嘘でも、私は彼を心から怒れないのだろう。
なるほど、なるほど。