第一章・アリス襲名 1
始めに言っておく。私が悪かったわけではない。私が悪かったわけではない。私が悪かったわけではない。大事なことだから三回言った。
「芽生ちゃん…」
「何も…そこまでしなくても…」
止めて。止めて止めて止めてその目は止めて。
悪いのは、馬鹿と、男と、そしてやっぱり、私も悪いんだろう。
なんちゃって。あーなんちゃって。
+アリス襲名+
私立和多見学園。蓋を開ければ不良だらけのとんでも高。生徒の八割男子で、残りの二割の女子はレディースか登校拒否といった具合だ。校舎は荒れまくり、窓ガラスは割れ、あらゆる施設は教師そっちのけで生徒たちに占拠されている。正に絵に描いたような不良高。
偏差値の高低はもはや算出不可能、真面目にテストを受ける学生なんてここにはいない。当然進学率もいいわけがない。それどころか、まともに卒業する者の方が少ない。病院送りになるか、警察にお世話になるか、辞めてしまうか。
若さ故、自分の強さを誇るが故、生徒たちは暴れ、暴れ、そしてまた暴れる。
今日も教師をたたき出した後、生徒達が教室内で好きに暴れていると、ある生徒が登校した途端、水を打ったかのように静まりかえる。
「芽生さん!」
「芽生さん、おはようございます!」
「おはよう」
長い黒髪、冗談のように整った顔、身長160センチ、体重秘密(だがどう見ても軽い)、性別女子。名は続木芽生。彼女こそが入学してわずか二週間で、この高校の頂点に立ったのだ。
彼女が登校してきた途端、教師が助かったとばかりに半泣きで帰ってきて、まるで何事もなかったように授業が始まった。一般的にはどこの学校でも風景のようにある状況だが、和多見の中では珍現象に近い。というか、芽生のクラスに限ってのことだ。最強ではあるが、別に不良でもなく、どちらかといえば真面目に授業を受けたい彼女の為に、芽生のクラスだけは静まりかえって、利口に授業を受けている。
中には寝てしまったり、耐えられず屋上や保健室に逃げ込む者もいるが、そういう者に関しては咎めない。とにかく静かに授業を受けらればそれでいいのだ。
久しぶりにまともな授業が出来て嬉しいのか、少し元気になった教師が手前の男子生徒を指した。
「では、この問題を…君」
「ああ!?」
「-ひいっ!!」
調子に乗りすぎた、男子に睨まれ、教師が思わず顔を覆うと、次の瞬間に信じられないことが起こった。男子生徒の机が、真っ二つに割れたのである。
日々暴れる生徒たちのためにというのも変な話だが、机は鉄製だ。さすがの生徒も驚いていると、目の前には怒りに目を燃やした芽生が立っていた。こんなことが出来るのは彼女しかいない、男子が慌てて頭を下げた。
「答えは」
「す、すいません!分かりません!」
「…先生。こいつは阿呆ですから、私が答えます」
「-う、うん!そうしてくれるかな!」
教師がへこへこと頭を下げてる向かいで、芽生はすらすらと英語の和訳を答えた。その後ろで、先ほどまで眠そうにしていた男子たちが色めきだっていた。
(姉さん恰好いい…!)
(結婚して!)
不良といえど男子は男子だ、可愛い女子がいれば恋もするし、強い女子がいれば憧れもする。しかし拳にしか頼れない彼らには、それが彼女に敵わないとなると、もう頼る手段がなかった。強さが否定されてしまえば、揃いも揃って奥手なのである。
「どけ!芽生さんのお通りだ!」
「道を空けろ!」
だからというか何というか、学校から家まで芽生を送るのが、男子達の唯一の楽しみとなっている。護衛選抜は醜くジャンケン大会、おまけに二人きりは絶対に御法度。不良集団というよりは女子校のファンクラブ(おまけに昭和)のようなやり取りがこっそり行われてることは、芽生はまさか知らない。
芽生の家は、学校とは正に目と鼻の先である。だから護衛は正直必要ないのだが、女としての身で和多見最強になってしまった芽生にとって、外に出れば七人の敵、七人で終わらないこともあったからたちが悪い。
不良というのは基本的に頭が悪いが、数に頼ろうとするところは賢いといえなくもない。護衛がいれば、少なくても、芽生の一人を狙おうというものもいない。
おかげで芽生の登下校は今のところ平和に終わっている。
しかし距離が近い。会話もろくに出来ないまま別れの時になってしまう。
「…じゃあここで」
「今日もご苦労さんっした」
なんだかものすごく残念そうな男子三人を見て、芽生はあることを思い出した。
-あんた友達いるの?
-今日ケーキ焼くから、友達呼んだら?
あーと呟き、芽生が少し気恥ずかしそうに、男子たちに向かって顔を上げた。
「君たち、よかったら上がらないかね」
「…っ、ええ!?」
「い、いいんすか!?」
「まあああみんな可愛い!はじめまして!芽生がいつもお世話になってます!」
「は、はじめましてお母さん!」
「馬鹿、この人は俺のお母さんになる人だ!」
「まあ、もてもてね。芽生」
「気のせい、気のせい」
この全身不良男子を三人も家に呼んで、可愛い呼ばわりするなんてさすが我が母だ。芽生は妙に感心しながら、皿を配っていると、慌てるように男子たちが立ち上がった。
「お、俺が運びます!」
「こっちですか、お母様!」
「まあ、ありがとう」
男子二人は鉄砲玉のように飛び出していってしまい、やれやれと芽生が座ると、出遅れた男子の一人が、真っ赤な顔で、向かいに座ってきた。
「え、えーと…っ、いっ!いい家っすね」
「そうかな」
「俺、可愛いなんて、実の親にもあんまり言われたことないっすから」
人の家庭の事情など、家庭の数だけあるだろう。文句を言う権利もないし、怒るほど彼らと親しいわけではない。不良は今でも嫌いだし、馬鹿にしてるし、乱暴だとも思う。けど、こんな顔をして、こんなこと言って、美味しそうにケーキを食べていると、嫌いではないと思ってしまう。
「美味い!おかわり!」
「馬鹿!どんだけ食うんだよ!芽生さんの分がなくなるだろう!」
「そうだよ、俺等一生芽生さんについていくって決めたからな!」
「あはは」
笑いながら、芽生は、ぎゅっと自分の拳を抱いた。
-壊したい壊したい壊したい壊したい壊したい
芽生はぎゅっと拳を握りしめ、努めて笑顔で立ち上がった。
「私ちょっと外の空気吸ってくる」
「ヤニっすか?」
「いってらっしゃい」
いってきます、も言い終わらないうちに、芽生は慌てて外へと飛び出した。走って走って、なるべく人気のいないところまで走っていった。そして吹き出す汗を拭き捨て、芽生は壁を殴りつけた。コンクリート製の壁が粉砕した。
「はぁっ…はあ!はあ…っ」
-壊したい壊したい壊したい壊したい壊したい
「ううっ…」
『声』が聞こえ続ける頭を押さえつけ、芽生がへたりこんだ。壁を殴っても殴っても、壊しても壊しても、拳から血が出ても、その衝動は収まらなかった。
「もうやだ…もうやだよ…」
泣きながら自分の拳を抱いていると、ふと、後ろから拍手が聞こえてきた。
見られた-振り返った瞬間、芽生は呆気にとられ、口をあんぐりと開けて驚いた。
年の頃は18ぐらいだろうか。スーツ姿で、長身。顔は美形ではないが、なんというか、映画で見たら忘れられないような、妙に気になる顔つきを-いやこの際顔つきや服装はどうでもいい。どうして頭からウサギの耳が生えているんだ。
「あなたっ…何?」
思わずそう聞いてしまうと、男は気にした様子もなく、にっこりと笑った。
「おめでとうございます。あなたは二十二代目アリスに襲名されました」
「…はい?」
アリスって何。つうかあんた誰。ていうか二十二代目ってなんか縁起悪いよ。
言いたいことが山ほどあるが驚きすぎて何も言えない。混乱状態が続いていた芽生が、ようやくあることを思い出した。そうだ、こいつは『目撃者』だったんだ。
「おい、お前」
芽生は不良顔になり男を思いきり睨み上げた。
「言っとくが、今の誰かに言ったら」
「放送室で待ってるよ。僕のアリス」
「…なっ」
男は芽生の手を取り、甲に軽く口づけると、そのまま踊るようにいなくなってしまった。悔しくも赤くなった芽生が思わず殴りかかる。怒りよりも後悔が走った。芽生が思わず小さく叫ぶと、男は、笑っていた。倒れないどころか、かすり傷一つなかった。
殴ったのに。今、『私』が殴ったのに。
「なん、で…」
「それでは」
男が去っていき、芽生が再びへたりこんだ。
見られた。手に口づけられた。私のって言われた。そして『私』に殴られたのに、傷一出来ない。
何あいつ。何あいつ。何あいつ。
ぐるぐる、ぐるぐる、どこから悩んでいいか分からない芽生が、そのままその場にそうしていると、ほどなくして級友たちが迎えに来てくれた。
「芽生さん!?」
「どうしたんすか!」
「…なん、でもない」
なんでもないことはないが、今はとりあえず、一刻も早く家に入りたかった。この場所に長くいたくなかった。
その夜は、男の顔が永遠と頭の中を回り続け、眠れたものではなく、目覚めは最悪だった。そんな様子を見て母が。
「あらあんた、好きな子でも出来たの?」
なんて言うから、気がついたら玄関の扉が跡形もなかった。怒られたのはまぁ仕方がないにしても、往復ビンタはあんまりだろう。
まだ痛い頬を撫でながら、芽生が家から出ると、昨日とは違う男子が二人、頭を下げて待っていた。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
「おはよう」
「今日の一限目は、姉さんの好きな英語ですよ!」
よかったですね、と二人が笑ってくれるが、とても授業に出られる心境ではなかった。今は、あのウサギ男に会って話をしないと、どうにかなりそうだった。
「ちょっと今日は…行きたいところがあるんだけど」
「え?芽生さんがさぼり?」
「どこっすか…あ!いよいよ他校に討ち入りっすか!」
「いやいやいや」
私は武将か、慌てて手で否定した芽生が、決意を固めて校舎を見上げた。
「放送室って、どこ?」
授業さえまともに受けていないのに、部活を一生懸命しているものはまずいない。しかしそれでも部室だけは一応あるが、全て使い物にならないか、不良のたまり場になっているかどちらかだ。
どうしても送ると言って聞かないので、芽生は近くにいた男子を二人、適当に指名し、三人で旧校舎へ向かった。
旧校舎は怪談に出て来そうな木造校舎で、未だ取り壊されていない。そこまで予算が回らないのが本質だろうが、中には昔の怨念どうのこうの、騒いでいるものもいる。
「姉さん、こんなところに何の用っすか?」
「根城にするなら、いっそ学校乗っ取るとか」
暗い校舎、いちいち歩く度に音がする床、妙な風、芽生が思わず足を止め、呟いた。
「…もっとゆっくり歩いて」
「え?」
「隣に歩いて!」
「は、はい!」
いいのかな、嬉しそうに男子二人が隣に並んだ。しかし芽生はといえば、小刻みに震え、顔が真っ青だ。
「め、芽生さん?どうしたんすか?」
「…なんか、声がしない?」
「声…?ちょ、止めて下さいよ」
「ああでも、そういやここ、昔墓場だったか戦場だったか」
「きゃああああああああああ!!!!!!!!」
「うわああああああああ!!!」
いきなり芽生が抱きついてきた。夢にまで見た芽生の抱擁だったが、その怪力に、男は赤くなるどころかどんどん顔を青くしていった。
「めっ、芽生さん!光栄ですけど、く、苦しっ」
「芽生さん、どうしたんすか!?」
妬くのも離すのも忘れ、抱きつかれてない方の男子が素で心配していると、芽生が震えながら指さした。
「い、今そこ、何かいた!」
「ええ!?」
「何かって…」
「こら」
こん、と頭を軽く叩かれ、芽生が我に返ると、一緒にいた男子二人は突然倒れてしまった。何事かと慌てた芽生が顔を上げると、そのまま見入ってしまった。昨日のウサギ男が、そこにいた。
「浮気しちゃ駄目だぞ」