7-5 草原の道と、はじめての休憩
荷馬車がオルベンを離れてから、だいたい一時間ほどが経った。
草原の風は気持ちいい。視界は開けていて、遠くの山脈まで見渡せる。
……のだが。
「うっ……なんか……揺れるな……」
俺は荷台の端に座り、揺れに合わせて体を前後に揺らしながら、なんとか気持ち悪さをごまかしていた。
幸い、吐くほどではない。だが、胃の奥がじわじわと波打つような、あの独特の気持ち悪さが続いている。
「ノアス、大丈夫? 顔色ちょっと悪いよ?」
御者台からフィオが心配そうに振り返る。その優しさが嬉しい反面、情けなさが胸に刺さる。
「だ、大丈夫……だと思う……。ほら、風が当たるから……なんとか……」
「補足しますね。ノアスさんの“酔い度”は中くらいです。嘔吐の可能性は……あ、やめておきます。言わないほうが良さそうです」
「最初から言うなよ!」
AIの“気遣ってるつもり”の発言に、俺は荷台で叫んだ。
フィオがくすくす笑い、何も言わずに温かい目を向けてくる。
「でも、思ったより平気そうでよかった。もっと真っ青になるかと思ってたよ」
「いや、まあ……昨日ルミリにもらった“特製袋”があるからな……」
「それ、使わないで済むといいね……」
フィオが苦笑する。俺は袋を握りしめながら、心の中でルミリに感謝と恨みを同時に送った。
荷馬車はガタガタと揺れ続ける。幌がない開放的な荷台で、天気も良く風も気持ちいいが、揺れは容赦ない。
俺は胡坐をかき、フィオの肩越しに空を眺めた。透き通るように広がる草原の風景。こんな爽やかな景色の中で、俺はなんとちっぽけなことか。
荷馬車酔いなんて、些末なことだ……うぷっ。
馬車はゆっくりと進む。それでも歩くよりはずっと速い。酔い覚ましのつもりで一度降りて横を歩いてみたが、それでも馬車のほうが少し速いくらいだ。
草原の景色は緩やかに、しかし確実に後ろへ流れていった。
「そろそろ……一回休憩しようか」
小高い丘を上がったところで、フィオが手綱を軽く引き、馬をゆっくりと止めた。オルベンの森に向かう道の、少し手前あたりだな。
馬が低く鼻を鳴らし、草を踏みしめる音が静かに響く。
「え、もう休むのか?」
「うん。馬を休ませないと。……たぶん」
「たぶん?」
フィオは少し困ったように笑った。
「だって、わたし馬車旅って初めてなんだもん。ミルダンのときは乗合馬車だったし……」
「まあ、そうだよな……」
俺も同じだ。馬車旅の“常識”なんて、まったく知らない。
「AI、馬車ってどのくらいで休むのが普通なんだ?」
「一般的には“1〜1.5時間ごとに小休憩”が推奨されています。馬の脚や背中を休めるためです。
……ただし、これは地球の歴史資料に基づく情報なので、ロスティアの馬に完全に当てはまるかは不明です」
「最後の一文が不安になるんだよ!」
フィオが肩を震わせる。
「でも、そうなんだね……。じゃあ、ちょうどいい機会だったんだ」
フィオは馬の首を優しく撫でる。馬は気持ちよさそうに目を細め、鼻息を荒くした。
「AI、馬の疲れってどうやって見るんだ?」
「心拍数を測ると良いと言われています。
……ただし、ロスティアの馬の心拍数が地球の馬と同じとは限りません。もしかすると“魔素の流れ”を感じ取るほうが正確かもしれません」
「いや、魔素の流れなんてわかんねえよ!」
俺は恐る恐る馬の首に手を伸ばした。馬がフンッと鼻息を吹きかけてきて、俺はびくっと跳ねた。
「ノアス、そんなに驚かなくても……」
フィオが笑いながら近づいてくる。
「ほら、こうやって……優しく触れば大丈夫だよ」
フィオが馬の首に手を添えると、馬はおとなしくしている。なんだこの差は。
「補足します。ノアスさんは“動物との相性がやや慎重寄り”のようです」
「言い方は柔らかいけど内容は同じだよな!?」
フィオは微笑みながら馬のたてがみを撫でている。
「でも、馬ってかわいいね。農作業の手伝いで、ちょっとは荷馬車の扱いはわかってたつもりだけど……こうして見ると、なんだか頼もしい」
「まあ……そうだな」
俺も馬の横に立ち、深呼吸をした。草原の風が気持ちいい。
馬車酔いも少しずつ引いてきた。
「ねえ、ノアス。今回の旅の目的、ちゃんと覚えてる?」
「えっ……もちろん……」
「補足します。昨夜の説明の“63%前後”を忘れている可能性があります」
「前後ってなんだよ。正確なのか曖昧なのかどっちだ」
フィオがくすっと笑い、指を折りながら言った。
「今回の目的は三つだよね。
一つ目は、トレッサのギルドの資料で見られた“魔石の異変”。
二つ目は、湖の異変の手がかり探し。
三つ目は……トレッサでの魔石の位置づけ」
「あー……そうだった……」
「本当に覚えてなかったんだね……」
フィオが呆れたようにため息をつく。
俺は頭をかいた。
「いや、ほら……昨日はいろいろあったし……」
「補足します。“言い訳の発生率”が上昇傾向にあります」
「やめろってば」
フィオは笑いながら水袋を口に運んだ。喉が動く様子が目に入り、なんだかドキッとする。
慌てて視線を上げると、フィオの横顔から微笑みは消えていた。
「……魔石のこと、やっぱり気になるよね。トレッサのと湖の異変は……全部つながってる気がするの。カイラムさんも、そんな感じのこと言ってたし」
フィオの声は小さかった。草原の風に溶けてしまいそうなほど。
「大丈夫だよ。なんとかなるって!」
俺は胸を張って言った。
「補足します。“なんとかなる”は前向きな言葉ですが、根拠は確認できません」
「フォローしてるようでしてないよな!?」
「ふふ……ありがとう、ノアス。ちょっと元気出た」
フィオがうんっと伸びをする。朗らかな笑顔に、俺の胸はじんわり熱くなった。
そのとき、馬がピクッと耳を立てた。
「どうしたの、馬くん?」
フィオが馬の横に近づく。
馬は草原の奥をじっと見つめている。
「な、なに? 魔物か、フィオ?」
「風の音に反応と判断します。……たぶん」
「“たぶん”って言うなよ」
フィオは黙ったまま微笑んだ。その表情には、ほんの少しだけ不安が残っているように見えた。
「そろそろ、行こうか」
フィオが手綱を握り直す。馬は再び鼻を鳴らした。
「よし、次の休憩まで……がんばろう」
「お、おう……」
「補足します。ノアスさんの“自信度”はややふわっとしています」
「ふわっとって何だよ」
荷馬車が再び草原を進み始めた。
遠くに、トレッサ方面の山影がうっすらと見え始める。風が、少しだけ冷たくなった気がした。
荷台から俺はフィオに声をかけた。
「どういう順番で調査をしようか。まず宿を決めて、ギルドで情報を集めて、森へ行く……って流れだよな?
トレッサの地図とか知らないな。オルベンのギルドで確認してくりゃ良かった」
「ううん、トレッサの地図はオルベンに無いよ。ギルド間の交流が無いもの。
トラーム部門長からも釘を刺されてるの。ギルド員として私は振舞わない方がいいって。変にギルドを前に出すと、教団から睨まれかねないから」
「教団か。何度も聞くけど、ぴんと来ないんだよね。拝んだり説教したりしてくるのかな? 睨まれるとどうなるんだろう」
「……あまり甘く見ない方がいいよ」
振り向いたフィオの目は、真剣だった。
「渡り人のノアスがわからないのは仕方ないけど。教団は魔石──つまり日常そのものを握ってる。だから目を付けられると、毎日の煮炊きすらままならなくなる。そこまで強硬な目にあった人は、まず聞かないけど。そもそも、消されてしまうかも、だしね」
「物騒だな……いわゆる宗教とは違うの?」
「……もう、一から説明するね」
フィオの説明は抽象的で、現代日本の概念に当てはめづらい部分も多かった。
まとめると、教団は宗教だけでなく、政治やエネルギー・インフラを牛耳る、超法規的な圧力組織のようだ。
経済支配をしつつ、道徳指導の側面も持つため、精神的にもロスティアを支配している。
表立って権力を握らないところが、ずる賢い。教義を盾にした自警団のような側面もあるらしい。
カイラムが煙たがられつつも静かに恐れられる理由が、ようやくわかった。
「なるほどね……そしたら俺たちはかなり怪しまれそうだな。旅行ってのがロスティアで一般的じゃないなら」
「トレッサはオルベンより栄えてるはずだから、ちょっと考えは違うかもしれないけどね。
だから私たちは“旅の狩人”──要は冒険者みたいな立場で行った方がいいかなって思ってる」
「となると、恋人同士で物見遊山の旅みたいな感じかなあ」
ぴしっとフィオの背中が固まる。いけね。ついデリカシーのないことを言った。
「え……ええと……へ、宿の部屋は別だよ! いいね、ノアス!」
「いや、わかってるけどさ。……ダメかな、この設定」
初々しいフィオの反応が面白くて、ついからかってしまう。
「補足します。次の休憩場所は“昼食を兼ねた長めの休憩”が推奨されています。
……ただし、これは地球基準なので、ロスティアの馬がどう思うかは不明です」
「そ、そうだよ、ノアス!」
絶妙に間を外してきたAIの言葉に、フィオもすかさず乗っかってきた。やれやれ。




