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AIスマホは禁忌でした ~なのにチート扱いで受付嬢がやたら優しい~  作者: 本郷カケル
7章

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7-4 旅立ちの朝

 朝のギルド前は、いつもより少しだけ静かだった。どこか遠くで鳥の声がかすかに響く。この近くに高い木はないから、食堂街の並木道あたりだろう。

 まだ陽は低く、空気はひんやりしている。通りを行き交う人影もまばらだ。


 俺の横を、三台ほどの荷馬車が通り過ぎていく。商人だろうか。

 目の前にある俺たちの荷馬車は、さほど大きくない。人が二人横になればいっぱいになる程度。それを馬一頭で引くらしい。

 車輪には昨夜のうちに油が差され、馬は軽く鼻を鳴らして待機していた。革袋、干し草、朝露の混じった冷たい空気、そして馬の強い体臭──旅支度の匂いが胸にしみる。


 そろそろ出発か。オルベンの門番と話していたフィオが、こちらへ戻ってきた。

「お待たせ。ちょっとギルドへ伝え忘れたことがあって、伝言をお願いしてたの」

 フィオを眺めていると、俺の後ろから軽やかな声がした。

「伝言なら、わたしに言ってくれればいいのにー」

 ルミリだ。気配もなく忍び寄るとは、やるな。


「おはよー、二人とも」

「わざわざ来てくれたんだ。ありがとう、ルミリ」

 振り向くと、ルミリはすでにギルドの制服姿で、にこにこと手を振りながら近づいてきた。

「見送りに来たよ。いやあ、いいねえ、旅立ちの朝って。物語の始まりって感じ」

「なによ、それ……?」

 フィオが照れたように笑う。ルミリはその様子を見て、さらににやにやした。


「仲良くなってね。ギルドは任せて。フィオがいない間くらい、私がしっかり働くからさ。帰ってくるのを待ってるよ。子供連れで三人で帰ってきてもいいよ」

「あ、あのねー……」

 フィオの顔が一瞬で真っ赤になる。俺も心臓が跳ねた。

「補足します。ルミリさんの発言は“からかい度:高”です」

「知ってるよ!」

 俺が叫ぶと、ルミリはケラケラ笑った。


「まあ、冗談はさておき……」

 ルミリは少しだけ表情を引き締め、フィオの肩に手を置いた。

「気をつけてね。……いちおう一週間くらいの旅なんでしょ?」

「うん。たぶん……そのくらいで」


 フィオは笑ったが、その目の奥にほんの少し影が差した。荷馬車の横で、手袋をぎゅっと握りしめているのが見える。

 彼女にとっては、初めてづくしの旅だ。先日のミルダン出張ですら大事件だったらしい。オルベンに住んでいると、そもそも別の町へ行く機会がほとんどない。


 なのに今回は、何泊にもなる。帰る日もあいまいだ。

 しかも実質的には二人旅。カイラムも同行するとはいえ、肩を並べて歩くつもりはなさそうだ。


 泊りがけで、初めての町へ。旅客馬車ではない、二人きりの旅。

 俺は渡り人だから、フィオは「自分が引っ張らなきゃ」と気負っているだろう。

 それでも、その横顔はどこか晴れやかだった。その中に、俺と二人で行くことへの期待や安心が少しでも含まれているといい。


 そもそも俺は五十五歳にもなろうという男だ。本来なら二十代前半のフィオを守り、引っ張る立場だ。肉体は十八歳くらいに転生しているから、フィオのほうが“お姉さん気分”かもしれないが。


 なのに俺は役立たず。異世界転生を脇に置いても、先日の知ったかぶり連発の恥ずかしさをまだ引きずっている。

 馬の呼吸だの、ペグの角度だの、火打石の文明性だの……思い返すだけで胃が痛い。フィオの前で格好つけようとした結果、AIとカイラムにフルボッコにされたあの夜。夢だったことにできないだろうか。


「もっと長く、ゆっくりしっぽりしてきてもいいんだよ」

「何を言ってるのよ、ルミリ。ゆっくりなんて。やめてよねー」

 ルミリはフィオの緊張を和らげようとしてくれているのだろう。

 フィオはにこやかに笑いながらも、どこか張りつめている。

 ──もしかしたら、もっと長くなるかもしれない。

 そんな覚悟が、言葉の端に滲んでいた。


 ルミリはそれを見透かしたように、優しく目を細めた。

「大丈夫。帰ってくる場所はちゃんとあるから」

 フィオは小さく頷いた。


 ルミリがぽん、と小さな袋を俺に押しつけてきた。

「はい、ノアスさんに餞別。特別製の袋だよ。皮の内側に油を塗り固めてるようなもの、と思って」

「ありがとう。……でも、なんでこんなの?」

「だって、馬車酔いひどいんでしょ? ほら、いるかなって」


 にっこり笑うルミリ。

 フィオが「えっ」と小さく声を漏らす。

「説明します。ルミリさんの意図は“嘔吐物の受け止め用途”です」

「言うな!!」

 ルミリは悪びれもせず肩をすくめた。

「まあまあ、実用性は大事でしょ? 旅の必需品だよ、これは」

「……気持ちはありがたく貰っとくよ」


 そのとき、馬の蹄の音が近づいてきた。

「ほう、もう準備ができてるようだな。感心だ」

 現れたカイラムは馬に乗ったまま、降りようとしない。朝日を背にして、厳しい顔にさらに影が落ちていた。


「準備はできているか。荷物は積んだな。……ノアス、昨夜のような無茶はするなよ」

「もう忘れてくれ……」

「忘れられるわけがないだろう」

 淡々と刺してくる。朝から容赦がない。


「今夜の野営地はトレッサとオルベンをつなぐだけの場所じゃない。他の町──ミルダンや、さらに遠くの町と行き来する隊列も使う。混んではいないとは思うが、別の狩人や商人に会うかもしれん。

 ノアス、恥はほどほどにしろよ」

 さらりと言ったが、その言葉には妙な重みがあった。最後の一言は聞かなかったことにしよう。


 フィオが不安そうに眉を寄せる。

「カイラムさん、その場所での魔物はどんな感じでしょう?……最近、魔物が増えているとも聞きます」

「そうだな。ウサギはともかく、イノシシ魔物は注意が必要かもしれん。野営地にまでは来ないのが通例だが」

 カイラムの声は、昨夜の皮肉屋とは違う、旅慣れた狩人の声だった。


「俺は先に行く。道の様子を見ておく」

 そう言うと、カイラムは馬を軽く蹴り、単騎で駆けていった。挨拶もなく、あっという間に。

 しばらく俺たちは無言で彼を見送る。背中が遠ざかるにつれ、フィオは小さく息を吐いた。


「……カイラムさん、やっぱり優しいよね」

「優しい……のか?」

「うん。あれでね」

 フィオは微笑んだ。

 俺はその横顔に見とれそうになったが、AIが無慈悲に割り込む。

「補足します。ノアスの“嫉妬度”上昇中です」

「黙れぇぇぇ!」

 フィオがくすっと笑った。


「そういえばノアス、荷物……すごいね。こんなに準備してくれたんだ」

「あ、ああ……まあ、その……」

 昨夜の知識総動員の結果、あれもこれもと宿の売店で買い込んだため、荷物はやたらと多くなってしまった。

 いったん宿を引き払ったので、着替えなど俺の荷物すべてがここにあるとはいえ。

 フィオはその山を見て、ふわりと微笑んだ。


「……がんばったんだね」

 その一言が胸に刺さる。俺は一瞬で顔が熱くなった。

「いや、子ども扱いは勘弁してくれよ」

「補足します。ノアスの“照れ度”上昇中です」

「だから黙れって言ってるだろ!」

 フィオは肩を震わせて笑った。


「ノアス、ちょっとこっち向いて」

 フィオが近づき、俺のマントの留め具にそっと手を伸ばした。指先が胸元に触れ、俺は固まる。ふわりと漂う甘い匂いが鼻をくすぐった。

「ほら、ここ。ちゃんと留まってないよ。……よし、これで大丈夫」

 フィオが微笑む。

 距離が近い。息がかかる。心臓が跳ねる。落ち着け、俺。これくらいで動揺するな。


「補足します。ノアスの心拍数は──」

「やかましい、黙れ!」


 フィオは笑いながら御者台に座り、手綱を握った。

「ええと、手綱を軽く引いて、馬と呼吸を合わせて……だっけ?」

 ニヤニヤと俺を見るフィオ。もう許してくれ。


「見送りありがとう、ルミリ。お土産買ってくるね」

「気にしないで良いってば。ありがとう」

「じゃあ、ルミリさん。行ってくるね。見送りありがとう」

「ふふ。フィオを守ってあげてね」


「じゃあ……行こうか」

 フィオが一言。オルベンの門の前の空気が、すっと変わった。

 旅の始まりの匂いが、風に混じって流れ込んでくる。


「ノアス」

 フィオが小さく呼んだ。振り向くと、彼女はほんの少しだけ頬を赤くしていた。

「よろしくお願いします」

 ルミリにすら聞こえないほどの小さな声。その一言が、胸の奥に静かに落ちた。


 荷馬車がゆっくりと動き出す。俺は荷台に座る。御者台は並んで座るほど大きくはない。

 こちらへ向かって手を振るルミリ。俺も手を振り返す。フィオも御者台から振り向いて手を振っていた。


 オルベンの町を出ると、朝の空気が視界いっぱいに広がった。草原は朝露を受けて、瑞々しく輝いている。

 この道は、これまでオルベンの森へ向かうために幾度も歩いた。ミルダンへ乗合馬車でも通った。だが、速度が違う。視界が違う。

 歩きでは、こんなに速く進まない。乗合馬車では周囲すべてを見通せない。

 窓から見える風景だけ。荷台に座った俺が味わっている、あたり一面から吹き抜ける風は、乗合馬車では感じられない。


 オルベンの草原は、どこまでも続いていた。朝日は昇りつつあり、草原は日に照らされて温かく広がろうとしていた。

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