5-4 揺らぐ三者
「おい、お前たち。ここにいたのか」
いきなり声をかけられて、驚いた。目を開けると、カイラムが立っていた。いつのまに。
フィオも固まっている。ギルド員としての立場、研究者としての好奇心、そしてカイラムへの距離感──すべてが一瞬で交錯しているのがわかった。
「そろそろ戻らんと、ミルダンへ着く前に日が暮れるぞ」
カイラムは無造作に告げ、腕を組む。
「なんで、ここに? 俺たちについてきたのか?」
「いや、そこまで暇ではない。ギルマスの指示もあるからな。ミルダンから直接森に来て、調べていた。ほれ、あの山のほうだ」
指さした先には、遠くにシカ魔物がいた。こちらをじっと見ている。しかし近づいてはこない。やがて身をひるがえし、森の奥へ消えていった。
「……なんで?」
「お前に答える義理はない。ギルマスに報告する内容だ」
「私にも、話してはもらえません?」
フィオがようやく口を開いた。声がわずかに震えている。
「ふむ……そうだな。夕飯でも一緒にどうだ、フィオ。二人きりで話せば、教えられることもある」
その言い方は、あまりに“含み”があった。
フィオの肩がぴくりと跳ねる。視線が一度だけ俺のほうへ流れ、すぐに湖面へ落ちた。
その目は揺れていた。研究者として知りたいという力と、警戒の影がせめぎ合っている。
フィオは下唇を噛む。喉が小さく上下した。返事をすれば情報が手に入る。
けれど──その誘いに乗れば、別の意味で失うものもある。
そんな葛藤が、沈黙の中から透けて見えた。
「なあ、フィオ」
俺は声をかけた。何とか話をそらそうとしたが、その前にAIが発言した。
「提案します。フィオさんの判断力は現在“混乱状態”です。意思決定を迫るのは非推奨です」
フィオがハッと目を開く。俺が声をかけるまでもなく、冷静さを取り戻したらしい。
「そうだな、ミルダンに帰る時間かもしれない。その前にカイラムさん、この現象はなぜかわかる?」
俺は立ち上がり、湖へ向かう。さりげなくフィオの手首を引いた。フィオは一瞬身体を固くして俺を見る。ごめん、セクハラだよね。頼む、調子を合わせてくれ。
「なんだ?」
カイラムの声を背中に受けながら、俺とフィオは湖へ歩いていく。湖面がかすかに揺れ、つんとした刺激臭が鼻を刺した。
「なんだ、今のは……」
カイラムの声は低い。警戒と困惑、そしてわずかな不安が混じっていた。
カイラムも足早に湖へ近づく。しかし変化は見られない。眉をひそめる。
「お前たち、いったん下がれ。そして、もう一度こちらへ来てみろ」
俺たちは湖から五メートルほど離れ、ゆっくりと近づき直す。俺はフィオの手首を握ったまま。
近づくと、やはり湖面は揺れた。今度は揺らぎだけ。
カイラムは腕を組んだまま、表情を読ませない。
「魔素が……揺れてるの。ノアスが近づくと強くなるみたいで」
「ノアス、お前……何をした?」
「何もしてない」
フィオのつぶやきを、カイラムが鋭く拾う。俺は本当に何もしていない。
「AI、解釈できるか」
「……解析不能。情報不足。再解析中」
AIの声は、いつもより冷たく、そしてどこか震えていた。
湖面の揺れはゆっくりと収まっていく。
しかし胸の奥のざわつきは、消えなかった。
――何かが、始まっている。
そんな予感だけが、湖の静けさの中に残った。
しばらくの沈黙。俺はフィオの手を引き、陸へ上がり始める。
「む? ノアス、どこへ行く」
「帰るんだよ、ミルダンに」
「ええ?」
声を上げたのはフィオだった。もっと調査したい気持ちはわかる。だが、今じゃない。
カイラムは俺をにらむ。腹積もりはいろいろあるのだろう。しかし夕暮れを控え、帰るという正論は崩せない。
「もう一度、こっちへ来い。今の現象を確認したい」
望むところだ。俺は近づきながら小声で言う。
「AI、喋るなよ。俺は手を湖につけてみる。最大限情報を取ってくれ。カメラで撮影が必要なら、今言え」
AIは何も言わず、ぶるりと震えた。
俺はフィオの手首を離した。俺だけでもいい。しかしフィオも黙ってついてくる。
岸に近づき、しゃがむ。フィオですら触れなかった湖面へ、俺は腕を伸ばした。
「おい、お前……」
カイラムが声をかける。魔物でもいるのか。俺はかなり大胆なことをしているらしい。
手首まで水に触れた瞬間、フィオが息を呑んだ。
同時に、俺の身体に何かが沁み込むような感覚が走る。
「ちょ、ちょっとノアス! やめて、今すぐ手を抜いて! ほら、草で……ううん、これで手をぬぐって!」
フィオは腰から魔石を包んだ布を取り出し、俺に差し出す。魔石が転がり落ちたが、気にしていない。
その魔石が、ぎゅんっと一瞬だけ輝くのが、俺には見えた。フィオはそれどころではない。カイラムも俺に視線を向けていた。
「もう、無茶だよ、めちゃくちゃだよ。毒かもしれないの、この水は! そんなの、いきなり触っちゃダメ!!」
フィオが叫び、俺の手を必死に拭う。フィオの手は暖かい。
「とんでもないな、お前は……。変わったところはないか?」
カイラムも眉をひそめながら、俺に声をかけてきた。
「もう……手を見せて。……うん、大丈夫みたい。よかった。もう、二度としないでね」 フィオがつぶやき、俺の手をもう一度布で包む。
「あきれたな……もういい、戻るぞ」
カイラムは顎で丘を示した。どうやらごまかせたらしい。
「AI、返事はするなよ。何かわかったらバイブで知らせろ」
胸元のAIスマホが、静かに一度だけ震えた。




