5-2 森へ──違和感の始まり
ふと目が覚めたとき、窓の外はすでに明るかった。頭の重さはまだ残っているが、昨日の地獄に比べれば天国みたいなものだ。しかし食欲は全くない。
「ノアス、起きた?」
宿の食堂に降りると、フィオが飲んでいたコップをテーブルに置いて手を振ってきた。お茶かな? ハーブの香りがうっすら漂う。
「もう、ひどいんだから。夕ごはんも、朝ごはんも一人だったんだよ」
「……すまん」
怒っているようで、目の奥には心配が残っている。
その視線が妙にくすぐったい。
「まあ、元気になったならいいけど。何か食べる?」
「いや、やめとくよ」
「推奨しません。空腹状態での長距離歩行は、あなたのような虚弱体質には致命的です」
お前には血も涙もないのか。そうか、なかったなあ。
苦笑しながら、フィオは俺の手を取った。
「なら、ギルド行くよ。ボウガン借りないと」
と言いつつ、フィオの肩にはすでにボウガンが下がっている。俺が寝ている間に、一通り仕事を済ませていたようだ。ごめん、役立たずで。
ギルドの受付に顔見せをして、ボウガンを借りる手続きを済ませた。すべてフィオが段取りは済ませていたようで、すんなり借りられた。
「ありがとう、フィオ」
「どういたしましてっ。今日はへろへろだね、ノアス」
「本日のノアスは省エネモードですね。性能低下が著しいので、無理は禁物です」
おや、優しいな。血が通ったじゃないか、AI。フィオはころころと笑っていた。
まずはミルダンの森へ行こう。フィオはすたすたと歩いていく。足取りは軽い。
まだ少しふらつく足取りだが、俺も歩を進める。
こういうとき、若い身体がありがたい。五十五歳のままだと、今日一日は使い物にならなかったかもしれない。
ミルダンの町を出て、緩やかな坂を下り、畑の脇を抜ける。
森まではおよそ八キロ。歩くにはちょっと遠いが、フィオは軽い足取りで進んでいく。
「昨日の馬車よりマシでしょ?」
「……歩くのは平気だ」
「三半規管が弱いのですね」
「冷たいなあ」
AIがすかさず口を挟む。優しくしてくれよ、さっきみたいにさ。
「優しさは有限資源です。無駄遣いされると供給が停止しますので、ご注意を」
「うーん、冷たさと温かさのバランスがわからん」
「バランス調整は自動最適化されています。問題がある場合は、まずご自身の言動を見直すことを推奨します」
楽しそうだね、とフィオがくすっと笑った。
森に入ると、空気がひんやりして、土の匂いが濃くなる。オルベンの森と似ているようで、どこか違う。木々の間を抜ける風の音が、少しだけ高い。
道々に、昨夜から今日までのことを、フィオから教えてもらった。
フィオは昨夜に夕飯を食べたあと、そのまま就寝。カイラムとは別行動。
今朝も一人でミルダンのギルドに挨拶を済ませ、俺が起きるのを宿の食堂で待っていたらしい。
「ちょうど、ノアスが下りてきたの。そろそろ様子を見ようかなと思ってたときに」
「ありがとう。どうせなら、寝込んでた方が良かったかな」
「えー。だらしなーい」
「同意します。寝込んでいたほうが、周囲の負担は確実に軽減されていました」
いかん、話を変えよう。
「となると、カイラムとは全く別行動なんだ」
「そそ。何のために同行か、よくわからなくなってきた」
「まあ、俺はフィオと二人だから嬉しいけどな」
何も言わず、顔を背けて肩をひっぱたくフィオ。
「軽口の精度が低すぎます。フィオさんの反応は、統計的には“当然”の範囲です」
冷たい。どちらが、とは言わん。わかってるだろ。
「じゃ、まずはウサギ魔物ね。二匹くらいはすぐ見つかるはず」
森に入って奥へ踏み込む。他の狩人の姿は見えない。俺の魔物引き寄せ体質を見られたらまずいので、人気がないのはありがたい。
少し奥に入ったところで木陰にしゃがむ。さすが俺、あっというまにウサギ魔物が現れた。
無言でフィオはボウガンを構える。手つきは慣れており、迷いがない。
俺も真似して構えるが、どうにもぎこちない。軽く俺を制して、フィオは矢を放つ。
ウサギ魔物は矢を受けて倒れ込んだ。ヘッドショットをさっくり決めるあたり、さすがだ。
魔石を拾ってきたフィオは、布で包んだ魔石を腰の袋にしまう。
「よし、一匹目。ノアスもやってみる? ちょっと構えてみて」
「……やってみる」
「こうだよ、こう。腕をもっと上げて。そうそう。ノアス、意外と筋はいいかも」
「期待値はフィオさんのほうが上です」
「黙っててくれよぅ」
もちろんたいして待つことなく、次のウサギ魔物がひょっこり現れた。大きさはオルベンとあまり違わない。
二匹目は俺が仕留めた。ぎこちなかったが、なんとか当たった。
「やるじゃん!」
フィオが嬉しそうに笑ってくれた。俺も嬉しい。
「個体差の範囲内。オルベンのウサギ魔物と大差なし」
「……やっぱり、そうなんだ」
フィオの表情が曇る。期待していた“違い”が見つからない。
俺が拾ってきた魔石を受け取ったフィオは、腰の袋からさっきの魔石を取り出した。
「ね、ノアス。“声”で分析してもらえるかな?」
はい、よろこんで。俺は胸元からAIスマホを引っ張り出した。魔素を今日は吸わせられないから、カメラで撮影してみる。
「どうだ、AI。何かわかるか? オルベンの魔石との違い、とか」
「外観データを比較中……結論。色調・輝度・魔素残量、いずれも誤差範囲。分類上は“同一種”として扱われます。期待された差異は検出できません」
「前の書類分析では、違うって言ってなかったっけ?」
「書類上の“違い”は、あくまで報告者の主観的記述です。実物データのほうが信頼度は高いので、そちらを優先しました」
「そんな……でも、この程度で“ミルダンは魔物分布が違う”なんて報告があったの? オルベンと変わらないじゃない」
フィオの声に焦りが混じる。研究者としての直感が、何かを求めているのがわかる。
「……行けるところまで行ってみよう」
しばらく黙り込んでいたフィオが顔を上げた。
その目は、もう森の奥ではなく、もっと遠くを見ている。
「湖まで行ってみたい。魔素の揺れが違うなら、あっちのほうが何かあるはず」
「大丈夫か? 距離あるぞ」
「平気。ノアスも歩けるでしょ?」
俺はうなずいた。フィオの背中は、もう迷っていなかった。
森を抜け、湖へ続く道へと足を踏み出す。心なしか、風が少し冷たくなった気がする。
――この先で、何かが待っている。
吹く風の変化は、何かを語っているかのようだった。




