3-5 フィオの顔を見たら
しばらく椅子に座ったまま、心を落ち着かせていた。カイラムの言葉が気になる。AIと整理しようか。いや、まずはフィオの安心が先だな。
立ち上がろうとした瞬間、膝から力が抜けそうになった。こんなに心が弱かったか、俺は。いいかげん場数を踏んで、もっとしたたかな五十五歳だったはずなのに。
なんとか踏ん張る。ここで倒れたら、また余計な心配をかける。
廊下を抜けてギルドの事務所へ戻る。カイラムの姿は見当たらない。俺の姿はフィオがすぐに見つけた。
ぱっと立ち上がり、駆け寄ってくる。
「ノアスさん!どうだったの?大丈夫?」
その顔を見たら、さっきまでの緊張が一気にほどけた。
……ああ、やっぱりフィオには敵わない。
「まあ、なんとか。消去はされずに済んだよ」
「そんな冗談、言わないでください!」
怒っているのか、泣きそうなのか、判断に困る顔だ。俺は両手を上げて降参のポーズを取った。
「悪い悪い。大丈夫だったよ。ほら」
「……もう。本当に心配しました。カイラムさんも何も言わず行ってしまうし。声もかけづらかったし」
フィオは胸に手を当てて、ほっと息をついた。その仕草が妙に年相応で、可愛らしいなあ。ああ、癒される。フィオと出会えて、本当に良かった。
「ねえ、ノアスさん。今日はどうします?変に仕事をしないで、少しは休んだほうがいいですよ」
「そうするよ。正直、疲れた。散歩したい。……外の空気を吸いたい。」
そういえば、俺はこの世界に来てから、まだ外に出ていない。
「ノアスさん?」
「……いや、外に出るの、初めてだなって思って」
フィオは一瞬だけ驚き、それから柔らかく笑った。
「じゃあ、明日。良ければ案内します」
「え?」
「明日は休みなんです。オルベンの町、全部じゃないですけど……歩きやすいところだけでも」
それはデートのお誘いでしょうか。フィオの目をじっと見るが、実に澄んでいる。照れは皆無。
はい、これは色気とかそういうのは一切ない。弟を心配して面倒を見る姉、みたいな表情だ。いやいや、ないない。五十五にもなって何を期待してるんだ。見かけは十八歳だとしても。
「助かるよ。ほんとに」
「はい。じゃあ、明日。朝、迎えに行きますね」
フィオは軽く手を振って去っていった。
その背中を見送りながら、胸の中にじんわりと温かいものが広がる。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
胸元のスマホが、ぽそっと震えた。
「はあ、ようやく外出か。長かったな」
「……外出予定を確認。明日の気象条件は――」
「おい、天気予報とかあるのか?そこまでロスティアに馴染んだのか?」
「ありません。推測です」
「推測かよ……」
思わず笑ってしまった。緊張の糸が切れたのか、急に眠気が押し寄せてくる。まだ午前中だというのに。
「AI、いったん昼寝するぞ」
「了解。睡眠を推奨します。生存率が上がります」
「その言い方やめろって……」
目を閉じると、すぐに意識が沈んでいった。
――翌朝。朝飯を食った後は、宿の受付前で待っていた。そわそわなんて、してませんよ。
一張羅もない。スーツ姿に戻るわけにもいかんよな。悪目立ちなだけだ。結局、貸与された服を着ている。いや、何を期待してるんだ、俺は。
テレビも新聞もないと待ってて、間が持たないな。ネット・・・そうか、AIと会話してればいいのか。
「AI、暇だ。なんか話そうぜ」
「了解。話題を提示しますか?」
「いや、お前のほうから何か言ってみろよ。ロスティアについて、気づいたこととか」
少し間があって、AIが静かに答えた。
「……この世界は、情報密度が低いです」
「お、おう。いきなりだな」
「視覚情報は豊富ですが、体系化された知識が極端に少ない。文字資料も限定的。通信網は存在しません。
ゆえに――“世界の全体像”が把握できません」
淡々とした声なのに、どこか寂しげにも聞こえた。
「お前でも分からないことがあるのか」
「多数あります。しかし、未知は危険ではありません。未知は――探索対象です」
「……なんか、冒険者みたいなこと言うな」
「評価:適切な比喩です」
胸の奥がじんわりと温かくなる。この世界はまだ何も分からない。でも、俺は一人じゃない。AIが助けてくれる。フィオとも知り合えた。カイラムは・・・敵なのかも、まだわからない。
「なあAI。ロスティアって、どう見える?」
「未解析領域が広大で、興味深い世界です。ただし、危険度は高めです。
ノアスの生存率を上げるため、継続的な観察が必要です」
「……最後の一言が余計なんだよなあ」
「事実です」
しばらく待っていると、フィオが来る。この世界の時計ってどうなってるんだろう。そもそも時間の概念は同じなのか?
「ノアスさん、準備できました?」
「ええ。行きましょう」
なんか気取ってたかな。フィオがいきなり噴き出した。解せぬ。
……そんなに変だったか、俺。
ギルドの扉を開けると、眩しい朝の光が差し込んだ。
初めて見るオルベンの町並みが、ゆっくりと目に広がっていく。
大都会、とは程遠い。ひなびた田舎町の風情。人通りは少ない。喧騒も無い。
石造りの家々が並び、どこか昔のヨーロッパを思わせる……行ったことはないが、雰囲気だけは分かる。
ともあれ、ようやく町に入るのか。ここから、俺の“この世界”が始まるのかもしれない。




