第8話
「え?」
やや間を空けてから告げられた言葉に、カイトは思わず気の抜けた返事をしてしまう。
元の表情に戻ったハンナが改めて口を開く。
「冗談ですよね? そう言いました」
再び伝えられた言葉に、カイトは驚くが慌てて言葉を返す。
「い、いや、冗談じゃないですけど……」
カイトの言葉に、ハンナは小さな溜息を返した。
そして彼に説明を始める。
「あなたは昨日パーティーをクビになり、今日からソロという事になります。その場合、以前までのパーティーランクは削除されますので、これからは冒険者ランクに合わせたクエスト受注が可能になります」
彼女の説明にカイトは驚愕といった声を上げ、それを見たハンナが再び溜息を吐いた。
「当たり前です。パーティーとソロでは適正も能力も変わりますから、それぞれでランクを設けなければ見合わない冒険者にクエストをマッチングしたと、依頼主からの評判が悪くなりますからね」
ハンナが伝えた内容に絶句するカイト。
その様子に彼女が目を細めて「……あなた方が冒険者登録に来た際、私の口からしっかりと説明しましたが」と静かな声で告げれば、カイトは咄嗟に目線を逸らす。
あの時は幼馴染達とずっと一緒にやっていくという思いしかなく、ソロに関する話を殆ど聞いていなかったとは、口が裂けても言えなかった。
だが、あからさまなカイトの態度は、ハンナには容易に見抜けた。
だからこそ、再び溜息を吐いてしまう。
「一応、改めて説明しておきますので、そのすっからかんな頭でもしっかり覚えてください」
もし次忘れでもしたら問答無用で剥奪します、僅かに力を乗せたその言葉に、カイトは視線を戻して何度も頷くのだった。
「まずパーティーランク、冒険者ランク共に六つの階級で構成されています。それぞれ下からFランク、Eランク、Dランク、Cランク、Bランク、Aランクです。階級を上げるには、現在のランクでクエストをこなし、評価値を貯めていく必要があります。累積した評価値が上限に達すると晴れて昇格試験を受ける事ができ、それに合格すれば一つ上のランクへと昇格します」
評価値については各ランク毎で貯め直しですが、そう話すハンナにカイトは頷きを返す。
パーティーランクと同様の話の為、この内容については彼も理解はしていた。
「また、クエストに失敗した場合は原則として評価値が差し引かれますのでご注意を。評価値がゼロの状況で複数回クエストに連続で失敗した場合、階級が降格となりますのでこちらもご留意ください」
彼女の言葉に、カイトは頷きを返すだけ。
この辺りの内容も、パーティーランクと同じ説明だった。
「そして今回の能無しさんの状況の様に、パーティーを解散またはクビになりソロへと転向した場合。先程もお伝えしましたが、パーティー在籍時のパーティーランクは削除となり、ソロ用の冒険者ランクへと切り替わります。ソロからパーティーに加入、またはパーティーにメンバーを追加や脱退をさせた場合、それぞれのメンバーの総合値からランクが再計算され、新たなパーティーランクとして登録される様になっています」
ハンナが一枚の皮紙を取り出した。
それをカウンターに置き、カイトへと見せる。
「こちらは見覚えがあるかと思いますが、クエスト完了報告に使用する報告書です」
彼女の言う通り、出された紙はカイトにも見覚えのある物。
だがそれを最後に見たのはいつだったか、それだけは思い出せなかった。
「クエストの内容や出現モンスター、どの様な戦闘がありどの様な経過で終了したのか。また、ギルドの情報収集の為、道中で発見したモンスターや異常の有無等を記入頂き提出の上、ギルド職員が内容を確認し問題無いと判断されれば、クエスト完了として報酬をお渡ししています」
モンスターによっては討伐確認の証として指定した部位の納品もあります、そう言って完了報告書を元の場所へと仕舞いこんだ。
そして視線が、再びカイトへと向けられる。
「一通り説明をしましたが、何かご不明な点はありますか?」
彼女からの問い掛けに、カイトは僅かに逡巡。
そしてハンナへと返す。
「えっと……じゃあ俺は冒険者ランクに変わって、またFランクからやれば良い、って事ですよね……?」
自身の現状を確認する質問。
それを受けたハンナが僅かに目を大きくさせる。
「……良く分かりましたね」
その言葉にカイトはただ、微妙な表情で笑うしかなかった。
金を貯めるのがまた大変になるが、地道にやっていくしかない。
ギルドの規定で仕方ないのだからと、カイトはそう思う事で気持ちを切り替える事にした。
再び表情を戻したハンナが口を開く。
「仰る通りあなたは、パーティーランクから冒険者ランクへと切り替わり、Fランクからとなります」
それはカイトが想像した通りの答えであった。
だがここでハンナが、僅かに目を細める。
「説明が一つ漏れていましたが、パーティーランクから冒険者ランクへと切り替わる場合、ソロになる冒険者の能力値を参考に、冒険者ランクが定められます」
「……え?」
不意の追加説明。
その内容に、やや遅れてカイトが声を漏らした。
「その為、パーティーランクがD以上のパーティーからソロへと転向する場合、ほぼ全ての人は最低でもEランクとして冒険者ランクが定められます」
彼女の言葉に、カイトは返事すら出来ずに絶句するしかなかった。
何故なら先程、自身がFランクだと訊ねた際に、ハンナは肯定したのだから。
何も言えず、ただ茫然とするしかなかった。
「昨日まで加入していたパーティーはCランク。最短でBランクになるだろうと目される、ギルドとしても注目しているパーティーです」
ハンナから告げられた情報に、カイトの中で別の驚きが生まれる。
何故ならそんな事実を彼は聞いた事が無かったのだから。
確かに、パーティーでクエストを失敗した事は無かった。
だからと言って、ギルドの注目株になっている事等知る由もない。
だが、それも仕方ない事。
注目され始めた頃には既に、カイトは三人に守って貰う事だけを考えていたのだから。
カイトの様子を気にする素振りを見せず、ハンナは言葉を続けた。
「ですがあのパーティーは、あなたが抜けて三人になった後の再査定でも、パーティーランクは降格していません」
「……え」
彼女が言った内容の意味。
それを微かに理解したカイトが小さく声を漏らす。
パーティーの人数が減ったにも関わらず、パーティーランクに変動が無い。
それが何を意味するのか。
ハンナが、口を開く。
「つまり、あなたが居ても居なくても変わらないという判定が下された、という事です」
カイトの意識が一瞬、遠退いた。
分かってはいた、自覚はしていた。
カイト自身が役立たずだという事を。
だがやはり、ギルドという公式の見解として役立たずだと認定されるのは、今までとは違う意味で重く心に響いた。
つまりはギルドからして、カイトは役立たずでありお荷物なのだと。
そう言われているのだと、理解してしまったのだ。
「ですので、あなたの冒険者ランクは最低のFランクとなっています」
呆然と佇むしか出来ないカイト。
淡々と喋るハンナの言葉だけが、漠然と耳に届く。
「ただFランクとはご存じの通り初心者向けのランクですので、基本的に初心者を優先にクエストを依頼する様になる為、現時点であなたが受注可能なクエストはありません」
他に何かご用は? その言葉でハンナが閉口する。
ハンナからの説明は終わった。
だが、カイトはすぐには動く事が出来なかった。
頭では彼女の内容を理解している。
しかし心で受け止めきれていなかったのだ。
役立たず。
その言葉が、今までよりもずっと重くカイトの心にのしかかってくる。
分かってはいた、自覚はしていた。
けれど甘かった。
自身が役立たずであるという理解が、認識が、自覚が。
それが今、本当の意味でカイトの頭に心に深く突き刺さっていた。
只々立ち竦むカイトに、ハンナの目が細まる。
「……ご用が無ければ、邪魔なのでお帰りください」
その言葉に、カイトの意識が僅かに戻る。
そして気付けば、口を開いていた。
「…………預けてた、お金……少し、下ろさせて、ください……」
預けていたお金、それはカイトがクエストの報酬を全額受け取らずにギルドにて預金していたものだった。
クエストによっては高額報酬の物もあり、冒険者個人で管理しきれない場合はギルドに預ける事も出来たのだ。
カイトは冒険者になってから必要な経費や生活費を除き、報酬の残りをギルドに預け続けている。
彼としては間違って使ってしまわない様に、銀行の定期預金の様な感覚で預金をしていた。
預けた金をどうするのか、それは彼の夢である、両親が気楽に暮らせる様に引っ越させる為の資金にする為。
カイトの言葉にハンナは一瞬訝しんだ表情を浮かべるが、すぐに元の無表情へと戻る。
「……なるほど、臆病さんを超えて卑屈さんという訳ですか」
一切の温度を宿していない瞳が、カイトを射抜く。
「今まで夢の為だとかで頑なに触ろうとしなかったお金を、自己保身の為に使いたいという事ですね」
その言葉に、カイトの身体が大きく震える。
夢の為。
言われて気付いた。
両親の為に貯めた金、それをホテルを転居した人達に使うのだと。
迷惑を掛けたのは自分自身。
だから、きちんと償いをしなければいけない。
だが、転居を選んだのはその冒険者個人の責任でもある。
ジンクス等気にせずに、そのまま借り続ける事だって出来た筈だ。
しかし今のカイトにはそんな考えが浮かぶ事は無かった。
自分が悪い事をしたのだから。
それだけが延々と脳内を駆け巡る。
ハンナが小さく息を吐き、席を立った。
踵を返し、後ろの壁に設置されている扉を開けて奥へと入る。
それを呆然と視界の端に収めながら、カイトは只立ち尽くしていた。
先程カイトに話しかけてきた大柄の男、そしてその後に大声を上げて自分も被害者だと訴えた人々。
そして両親の顔が、カイトの脳内で交互に切り替わっていく。
やがてハンナが戻ってくる。
彼女の手には一枚の紙が握られていた。
再び椅子へと腰掛け、持っていた紙をカウンターに乗せる。
「現在の預金残高はこちらです。ご希望の金額を仰ってください」
カイトがゆっくりと目線をカウンターに向ければ、そこにはカイトが現在預け入れている金額が記載されていた。
一五九七〇〇〇ゼル。
「…………はは」
気付けばカイトは小さく笑っていた。
何故笑ったのか。
理由は一つだった。
……四年で、これだけか。
心の中でカイトが呟いた。
ホテル代、飲食代、装備の購入やメンテナンス費等々、必要な金額と僅かな予備費以外をカイトは預けて来たつもりだった。
他の三人が報酬を減らした訳では無い。
寧ろ、パーティーをクビになる昨日まで、等分で報酬を貰っていたのだ。
何故これしか貯まっていないのか。
この街で宿泊費は安くて四千ゼル。
飲食は八百ゼル程度から。
そして装備の購入やメンテナンス費用は約一万ゼルからだが、ランクが上がり装備もよりグレードアップしていけば購入やメンテナンス費用も合わせて上がっていく。
ショッピングや、街の外れにある賭場等にも行かず、カイトは節制を繰り返してきた。
だがその結果が、眼前の紙に記載された金額だった。
「それで、ご希望の金額は幾らですか?」
ハンナが催促の声を上げる。
その声を聞きながらカイトの脳内で浮かび上がるのは、先程の光景。
声を上げていたその場に居たのが、約一五人程度だと朧気ながらに思い出す。
昨日までカイト達が泊まっていたホテルは、一泊八千ゼル。
ゆっくりとした思考で人数と宿泊費を大雑把に計算し、ハンナへと口を開く。
「…………三十万ゼル……お願い、します」
力の全く入っていないその言葉に「分かりました、少々お待ちください」と告げ、ハンナが再び席を立つ。
再び奥へと消えていったハンナを視界に収めつつもカイトの頭の中では、先程見た金額が残り続けていた。
あの程度の貯蓄では、田舎の一軒家すら買えないかもしれない。
カイトが当初想定していたのは、親がある程度どの土地を選んでも叶えてあげられるだけの金を貯める事。
冒険者の仕事は決して安くは無い。
けれども、決して高い訳でも無いのだ。
この世界にはモンスターが蔓延っており、それを倒すのがどこか当たり前という様な風潮がある。
だからこそ冒険者は一度のクエストである程度の報酬を貰えるが、貰い過ぎる事は無い。
そして一度のクエストにかかる出費もまた、馬鹿に出来るものでも無いのだから。
カイトの前世である日本と比べれば、命の価値が安い。
同じ四人パーティーで同ランク帯の他の冒険者と比べれば寧ろ、カイトの稼ぎの方が多いまである。
だからこそ冒険者は、死なずに稼ぎ続けなければならないのだ。
そこに、ハンナが戻ってくる。
「お待たせしました。金額をご確認ください」
そう言って両手に持った袋をカウンターに置いた。
少しばかり重量感のある音を立てたその袋の口を開き、カイトへと向ける。
カイトが僅かに視線を向ければ、大量の硬貨がそこにはあった。
この世界の硬貨は全部で八種類。
一番価値が高いのが大白金貨。これは一枚、一億ゼルとして扱われている。
続いてが白金貨。一枚、一千万ゼル。
大金貨。一枚、百万ゼル。
金貨。一枚、十万ゼル。
大銀貨。一枚、一万ゼル。
銀貨。一枚、千ゼル。
大銅貨。一枚、百ゼル。
そして一番価値が低い銅貨。一枚、一ゼル。
三十万ゼルを引き出すという事であれば、金貨三枚で十分。
だがカイトの視線の先には金色の硬貨は見当たらず、ちらほらと見受けられる大銀貨、大多数を占める銀貨だけが、袋の中にはあった。
漠然とその意図に、カイトは漸く気付く。
「……ありがとう、ございます……」
ハンナへと頭を下げ、特に中身の枚数を確認する事無く袋を掴み持ち上げる。
そのまま踵を返そうとすると、先程よりも音量を落としたハンナの声がカイトの耳に届いた。
「クエストの斡旋が出来ないとなると、ギルド外ですと炭鉱で魔石の採掘くらいしかありませんので、もし魔石を採掘しましたら、おまけは何もありませんが是非ギルドでの買い取りをお待ちしています」
魔石。それはこの世界において生活必需品とも呼べるアイテムだった。
室内の灯りや火、水等を使う製品に嵌めてそれらが使用出来る様になる、魔道具全般の動力になっているから。
魔力を貯められる石。それを使い人々は日々の生活を送っているのだ。
ハンナの言葉に今一度頭を下げたカイトはカウンターを離れ、歩き出す。
「待ってたぜ。それじゃあしっかりと、耳を揃えて払って貰おうじゃねえか」
カイトがカウンターを離れたのを見て、大柄の男が椅子から立ち上がりながらそう告げる。
それに合わせる様に他の面々も一人また一人と立ち上がり、カイトを囲み始めるのだった。
カイトは俯いたまま手に持った袋を開き、その中に手を入れる。
その光景をカウンター越しに一瞥したハンナは、やがて視線を落として通常業務へと戻っていったのだった。