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第7話

 俯きながらもカイトは歩き続け、一つの建物の前で足を止めた。

 それは四年間で随分と通い慣れた、冒険者ギルド。

 閉まっている扉から、微かな喧騒が漏れ出てくる。

 背中に背負った荷物はクエストに向かう際に必要な物だけでなく、日常生活をする上で必要な衣類や生活雑貨等も入っていた。

 通常ならばそれらは基本的にホテルや自宅に置いておく物で、クエストに出発する際に持っていくというのは高位ランクの冒険者が行える様になる、遠方でのクエストといった場合のみ。

 だが、カイトはこのままの荷物でクエストに向かおうと考えていた。

 その理由。

 それは噴水のある広場から、この冒険者ギルドまで寄り道せずに向かってきた事と関連する。



 道中でカイトは、悩み続けた。

 ホテルに泊まるのか、泊まらないのかを。

 件の女将の様子を鑑みれば、他のホテルも同様の対応をされる可能性が高い。

 だが、ホテルに泊まらないとなると、残る道はホームレス。

 野宿だけとなる。

 だからこそカイトはそこを真剣に考えた。

 本心を言えば泊まりたい、でも現実は泊まれない可能性が高い。

 思考が堂々巡りとなる中でふとカイトが思い出したのが、あの女将の言葉だった。

 ――現にあんたが泊まってたホテルは、昨晩の内に他の冒険者が皆引き払ったって言うじゃないか! 無能のあんたが泊まってる内にドジって死なれたらこっちの商売上がったりなんだよ!

 そして、続けての言葉。

 ――それに、そんだけ同業者から嫌われてるあんたを泊めてるってバレたら、それだけで客が遠退くかもしれないんだ。だからあんたを泊まらせる訳にはいかないよ。

 それらを思い出したカイトの思考が、徐々に切り替わる。

 本心を言えば泊まりたい、でも現実は泊まれない可能性が高い。

 そんな悩みから、

 今の自分が泊まる事で、マイナスになる人がいるのか。

 この様な考え方へと。

 つまりは、自分が泊まりたい以前に、自分が泊まる事で不利益を被る人がいる。

 その視点で考える様になったのだ。

 言い方を変えれば、今のカイトが滞在する事自体不利益になってしまう。

 ならば、迷惑をかけない為にも野宿をするしかない。

 そこまで考えたカイトだが、確定まで踏み込む事は出来なかった。

 何せ彼は前世でも今世においても、キャンプすらした事が無い。

 幼い頃、トレーニングのし過ぎで疲れ果て外で眠った事はある。

 だがそれは決して宿泊ではなく、昼寝に過ぎなかった。

 夜になれば親が迎えに来て、夕食を食べて自分のベッドで眠る。

 冒険者になってからも、ホテルで起きてクエストに向かい、夕方には帰還しホテルで寝ていた。

 建物の外で寝た事はあれども、建物の外で生活を完結させた事等無いのだ。

 だからこそ、最後の一歩が踏み出せない。

 街の外のどこで寝れば、モンスターに襲われないのか、自給自足は出来るのか、全てが分からないのだから。

 寝込みをモンスターに襲われ、そのまま二度と目覚める事が出来ないんじゃないか。

 カイトの背中に嫌な汗が流れる。

 野宿というものを言葉だけでなく現実問題として考えた時、カイトには到底無理だと思えてしまった。

 流石に、無理だ。

 その言葉が、カイトの中に浮かび上がる。

 そして気持ちがホテルへの宿泊へと傾きかけた時。

 カイトの脳裏に浮かび上がったのは、幼い子供の笑顔。

 自身に向けられた訳でも無い、近くで見た訳でも無い。

 だが、その笑顔が何故か頭から離れなかった。

 ケーキ屋さんになる。

 そう告げたあの笑顔。

 脳裏に浮かぶその光景に、再び決心が鈍った。

 俯いたまま、カイトの唇が小さく動く。


「……駄目だ」


 その呟きが、自身の耳に届いた。

 歩く事に再び意識を回し、改めて唇を動かす。


「……諦めちゃ、駄目だ」


 その言葉は、自分へと向けたもの。

 再び、口を開く。


「……甘えちゃ、駄目だ」


 その言葉は、自分へと向けたもの。

 その言葉は、夢へと向けたもの。


「……動かなきゃ、駄目だ」


 その言葉は、自分が目指す"弱い大人"へと向けたもの。

 そしてやはり、自分へと向けたもの。

 カイトの中で葛藤が、徐々に行動への勇気に変わっていく。

 今まで、散々甘えてきただろう。

 自分の弱さ、そして幼馴染三人の顔が浮かぶ。

 今まで、諦めてきただろう。

 自分の夢、そして両親の顔が浮かぶ。

 これからは、諦めないって決めただろう。

 幼い子供の輝いた笑顔、自分の決意が浮かぶ。

 自立。その言葉が、カイトの中で意味を持ち始めた。

 それは今世だけではない、彼の前世も含めて。

 歩みを止めぬまま、カイトは思い返す。

 今まで、必ず何かに頼って来たのではないか。

 両親、そして幼馴染達。

 それは転生してからだけではない、前世でもそうだったのではないか。

 就職の為に上京し、仕事をしながら一人暮らしはしていた。

 それを自立と呼ぶ人も多いのかもしれない。

 だが果たして、完全に実家を頼っていないと言えただろうか。

 もし仮に仕事が嫌で、はたまた病気で働けなくなった場合、実家に戻るという選択肢は生まれないという自信はあっただろうか。

 一人で泥水を啜ってでも生きていくという覚悟はあっただろうか。

 カイトは思う。

 その覚悟が無いからこそ、迷惑をかけてしまうのだと。

 その覚悟が無いからこそ、大人になり切れないのだと。

 この覚悟が今、問われているのだと。


「……有言実行」


 呟いた言葉が、カイトの中で更に意味を持つ。

 言わなくてもやれる大人にはなれない。

 だが、言わなくてやらない大人にはなりたくない。

 だからこそ。


「俺は、俺を見てもマイナスにならない、大人になる」


 その呟きを最後に足を止めた。

 俯いたまま、カイトが僅かに目線を上げる。

 目の前には、慣れ親しんだ冒険者ギルドが佇んでいた。



 満を持して、冒険者ギルドへと足を踏み入れる。

 入口の扉を開ければ、それまで漏れ出ていた喧騒が大きくなる。

 正面の奥には受付をする為のカウンター、その横の壁には数多の紙が貼られていた。

 反対側は広い空間があり、そこには多数のテーブルが並びそれぞれに人が散らばりながら気ままに飲み食いをしている光景。

 その隙間を縫う様に、給仕服を着た女性達がトレイやジョッキを手に駆け回っている。

 カイトにしてみれば、昨日までと何ら変わらない景色だった。

 静かに入口を閉じ、正面のカウンターへと向かう。

 カウンターの奥には二人、ギルド職員が座っておりそれぞれ顔を下げて何やら書類へと記入している様子。

 どうやら現在は比較的落ち着いている時間帯らしく、カウンターに職員以外の姿は見受けられなかった。

 一人の職員の前に立てば、その人物は漸くカイトの存在に気付いたらしく、手の動きを止めて顔を上げる。


「あ、昨日パーティーをクビになったボッチさんですか」


 第一声にそんな言葉を告げたギルド職員。

 背中辺りまでの淡い茶色の髪と、同色の瞳。

 切れ長の目はどこか冷たい印象を持たせる女性だった。

 突如蔑む様な言葉を吐いてきた女性にカイトは、


「……あは、は……はい、そうです」


 僅かに引き攣った頬で苦笑をしながら、肯定するだけだった。

 そこに驚愕や絶句といった色合いは無い。

 それは何故か。


「今日は何のご用でしょうか…………ああ、なるほど。いよいよ冒険者資格を剥奪して欲しくなったんですね」


 彼女がこの様な口調なのは、いつもの事だったから。

 だが、それを慣れという言葉で済ませられるのだろうか。

 けれどもカイトが苦言を呈す事は無い。


「おっ、すっかり街から逃げたと思ってたがまだ居たんだな、"おこぼれ"」


 突如、カイトは背後から声がかけられる。

 俯いたままに身体を翻せば、そこには大柄の男性が立っていた。

 男性は憮然とした表情でカイトを見下ろす。

 だが次の瞬間、男性の肩に誰かが手を置いた。


「お、おいっ、やめとけって」


 それは僅かに背の低い細身の男性であり、カイトはその男性の話し振りからして何やら大柄の男性を止めようとしているのだと思った。

 だが大柄の男性は肩を回して無理矢理、その男性の手を離れさせる。


「うるせぇ! 迷信だけじゃこっちも食ってけねぇんだよ!」


 怒鳴る様に大柄の男性が叫び、それを受けた男性だけでなくカイトもまた驚きと恐怖で身を縮こまらせた。

 先程まで喧騒に包まれていたギルド内が沈黙に変わる。

 それを察した大柄の男性が、どこか苛立った様に鼻から息を吐いた。

 再びカイトへと顔を向ける。


「てめぇのせいで昨日、ホテルを引き払う事になったんだ。せめて残りの日数分の宿泊代は払ってもらわねぇとなあ"おこぼれ"……そして、"死神"さんよお」


 カイトは見下ろしながら睨み付けてくる男性を見上げる事が出来なかった。

 彼の言った"おこぼれ"。

 それは他の冒険者達がカイトに付けた、不名誉な二つ名。

 冒険者デビューしてから破竹の勢いでパーティーランクを上げていく中、一人の落ちこぼれがおり、その者は他の仲間に助けられるだけで何もせずに報酬を貰っている。

 様々な場所で、様々な冒険者がカイト達のパーティーを見て、徐々に言われ出した仇名であった。

 言われ始めた当初は仲間が反論してくれていたが、いつしか誰も反論すらしなくなった名前。


「他の連中は、仲間を殺した奴に近付くと死期が近付くっつう迷信にビビッてやがるが、俺としちゃあてめぇが居る限り常にビビり続けるってのも馬鹿らしい話でよお」


 彼の口から再び出てきた"迷信"という言葉。

 基本的に他の冒険者達とつるむ事の少なかったカイトは知らなかったが、彼のパーティー以外では既に常識ともなっている程に浸透した言い伝えだった。

 冒険者とは、モンスター等と命を懸けて戦い、今日を生きる者達。

 故に勝つ事、ひいては生きる事に対して貪欲となるのは必然。

 だからこそ生きる為に、クエスト以外での"死"に関する物を徹底的に排除するのだ。

 そしてクエストが終わり今日を生きられた事に感謝し、腹一杯に飲んでは食べる。

 つまりはジンクス。

 彼らにとって、験担ぎとは非常に重要な知識の一つなのである。

 あのモンスターはこんな攻撃をしてくるから気を付けよう。それと同じ程度に、死なない為の教訓なのだから。

 運悪く失敗したで簡単に命を落とす職業だからこそ、運が悪くならない行動を取るのであった。

 男性の言葉に、カイトは俯いたまま小刻みに身体を震わせる。

 彼の心の中には、今朝の出来事。

 女将の言葉が蘇っていた。

 ――……泊まってる冒険者の客が昨日の夕食時に教えてくれたんだよ。

 何故、その冒険者は女将にその話をしたのか。

 その理由が分かってしまったから。

 その冒険者もまた、死にたくないからこそ、明日も生きたいが為に女将へと伝えたのだと。

 カイトは気付いてしまった。

 自分が思っているよりも、自分が迷惑を掛けている人はかなり多いのだと。

 男性が再びカイトに話しかける。


「なあ、俺って間違った事言ってるか?」


 静かな口調。

 けれどもその言葉は、カイトにとって途轍もない重圧だった。

 両親や幼馴染達だけではない。

 今朝会った、あの女将だけではない。

 ここにいる全員、いや、この街に居る冒険者全てにも迷惑を掛けていたのだ。

 自分がしてきた事、自分が仕出かした事。

 迷惑を掛けた規模の余りの大きさに、後悔の念で心臓が悲鳴を上げる。

 この中で誰が悪いのか。

 やがてカイトは、静かに口を開く。


「…………いえ……お支払い、します」


 俯いているカイトの瞳から涙が零れそうになるが、ぐっと堪える。

 それは迷惑を掛けたであろう人々への後悔であり、自分自身の浅慮への情けなさであり、幼馴染達と両親への申し訳無さ。

 全てが一挙に心へと押し寄せる事で、抱えきれない感情が心臓への痛みとして表面化してくる。


「……じゃあ、俺のやつも払ってくれよ!」


 不意に聴こえた声に、カイトは目線を上げた。

 声を上げたのは、食事の飲み物が沢山乗ったテーブルの前に座っている男性。


「だ、だったら、俺のも忘れるなよ!」


 続く様に、その横に座っていた男性も声を上げた。


「お、俺だって!」


「俺らのも払えよな!」


「わ、私もよ!」


「こっちもだぞ!」


 そして次、またその次と声が上がり始めれば、遠慮や警戒が不要と判断した他の者達も一斉に声を上げ始めた。

 もしかしたらこの中にカイトによる影響を受けず、只乗り同然で便乗した者も居るかもしれない。

 だがカイトにはそれを考える余裕等無く、全ての声を一身に受けて更に心臓の痛みが増していくのを我慢する事しか出来なかった。

 迷惑を掛けたんだから、払うしかない。

 そう考え、静かに口を開く。

 だがそれは、


「五月蠅いです。冒険者内の揉め事をカウンターに持って来ないでください……剥奪しますよ」


 カイトの背後から放たれた女性の声に遮られたのだった。

 決して大きくは無い、淡々とした口調。

 けれどもそれは、それまで騒ぎ立てていた者達全てにはっきりと届き、全員が沈黙した。

 静寂がギルド内を包む中、一人が声を上げる。


「……だ、だけどよぉハンナちゃん。俺だって困ってんだから仕方ねーだろ?」


 どこか困った様な表情を浮かべた大柄の男性が、カイト越しに問いかけた。

 ハンナと呼ばれたギルド職員は、座ったまま視線だけを彼に向ける。


「ですから、冒険者内の揉め事をカウンターに持って来ないでください、迷惑です」


「で、でもよぉ」


 ハンナの言葉を受けても食い下がる男性に、彼女の目が僅かに細まる。


「だから、カウンターから離れて勝手にやってくださいと言ってるんです。何度も言わせないでください、ノータリンですか? これ以上邪魔をするなら……剥奪します」


 彼女の言葉に男性は驚愕した様に目を見開き、慌てて首を左右に振った。


「い、いやっ、ハンナちゃんを邪魔する気は無かったんだ!」


 冷や汗を流しながら必死に弁明する男性。

 それを暫く見ていたハンナだが、やがて目線を書類に落とした。

 彼女の様子に安堵の息を吐いた男性だったが、カイトを睨み付ける。


「……後でちゃんと払えよ、"おこぼれ"の"死神"」


 そう告げて舌打ちを残し、後ろで不安そうな顔をした男性を引き連れて、自分が座っていた席へと戻って行った。

 カイトが何故、ハンナの言葉に驚愕や絶句をしなかったのか。

 それは、あれが彼女の通常営業なのだから。

 カイトだけでなく、冒険者全員に対して。


「ボッチさん。間違いました、無能さん」


 不意に掛けられた声に、思わずカイトは肩を震わせた。

 再びカウンターへと身体を向け、目線を上げればハンナと目が合う。

 温度を宿しているとは思えない瞳に耐え切れず、カイトは再び目線を下げた。

 そこに、小さな溜息が聴こえる。


「無能さんでもなく、臆病さんとでも呼んだ方が良さそうですね」


 どの色の表情も見せる事無く、ハンナは続ける。


「こちらはあなたの、悲しんでいる自分って可哀想的な感傷に付き合っている暇は無いんです。さっさと用件を言ってください」


 無情とも思えるハンナの言葉。

 だが、それを受けてカイトは目線を上げた。

 また迷惑を掛けてしまう、それが嫌だったから。

 再び合った彼女の瞳に臆しそうになるカイトだったが、何とか堪える。

 そして同時に先程の出来事を思い出す。

 大勢が思い思いにカイトへとかけた言葉。

 それを止めてくれたハンナの声。


「……ハ、ハンナさん。さっきはありが」


 礼を言うべく告げた言葉は、


「無駄話はしないでください。ああ、やはり剥奪されに来たんですね」


 にべもなく遮られ、更には「では準備してきます」と腰を上げる。

 それを見て慌てたのはカイト。


「あっ、い、いやっ、違うから! 待ってください!」


 カウンターへと身を乗り出し、焦りながらも静止の言葉を伝える。

 腰を浮かせたハンナだが、やがて静かに座り直した。


「冗談ですよ、無能さん。さっさと用件を言ってください」


 そう告げたハンナの言葉に、カイトは安堵の息を吐く。

 そして同時に気付いた。

 先程までより幾分かではあるが、心の重圧が軽くなっている事に。

 心当たりとしてハンナを見れば、彼女は黙ってカイトの用件を待っているだけ。

 だがカイトとしては、彼女が辛気臭い自分を吹き飛ばす様、一芝居打ったのだと思えてならなかった。

 それに気付き感謝を伝えようとしかカイトだったが、寸での所で中断する。

 ハンナは今、自分の用件を待っているのだ。

 それ以外の言葉は望んでいないのだと、察したから。

 ならばと、カイトはここに来た用件を口にする。

 

「……ソロになったけど、何か出来るクエストでもないかって、思いまして」


 本題を彼女へと伝えれば、ハンナの目が僅かに見開かれた。

 そして口を開く。


「……冗談ですよね?」

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