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第5話

「ルインッ!」


「ルイン、やめろッ!」


 リーンが悲鳴の様に名前を叫び、アレックスは怒鳴る様に声を出し手を伸ばすが、駆け出したルインに届く事は無かった。

 鞘から剣を抜き、舌打ちを一つ溢してながらアレックスは慌てて追いかける。


「私のッ、私のせいだから! 今の内に二人は逃げてッ!」


 そう叫んだと同時に草原へと身体を晒したルインが、まだ距離はあれど睨み付けてくる大きな存在に対して魔法を放った。

 様子見では無い。火属性、水属性、雷属性、氷属性と自身が習得しているあらゆる攻撃を、際限なくキマラへと向けていく。

 水蒸気が、土煙がキマラを中心に大きくなっていく。

 ルインに追い付いたアレックスは思考を切り替えた。

 叱責する訳でも無く、魔法を放ち終え汗を垂れ流し肩で荒い呼吸を繰り返すだけとなったルインの遥か前方に移動し、煙に覆われるキマラを細めた目で睨み付ける。

 アレックスはルインがこの様に至った原因が分析出来た。

 恐らくルインは比較的安全策を自分が原因で取れないのだと認識し、焦りと困惑で自分を犠牲にするやり方を選んでしまったのだろうと。

 事前にそうでは無いと伝えてはいたが、足りなかったか。

 寧ろアレックスはこの様な暴挙に出たルインを責めるつもりはなく、自身が原因で引き起こされたものだと認識していた。

 こうなる可能性を懸念出来なかったリーダーである自分の責任、そしてもっと早く行動を開始し強制的に離脱のルートを取らせなかった自分の責任だと分析していた。

 だからこそ、これから自身が行うべき事柄は一つ。

 キマラと対峙する事だけ。

 そう結論を下し、徐々に煙が晴れ始めた眼前の光景を寸分の油断も無く睨み付ける。


「撃て、ない……何で、撃てないのよっ……!」


「ル、ルイン! 落ち着いて! 多分魔法を使い過ぎて魔力が無くなっただけだから!」


 アレックスの耳に、後方からの声が届く。


「魔力が……無い……無いっ……な、いッ…………いやっ、また、また噛まれ……イヤアアァァッ!」


「ルインッ! 大丈夫だから! ねぇ、ルインッ!」


 リーンの説得が届いていない様なルインの悲鳴に、一瞬だけアレックスの視線が横を向く。

 その瞬間、土煙の中から何かが飛び出してくるのがアレックスの視界の端に映った。

 視線を戻しながら反射的に剣を首の前に動かすと同時に、剣を握っている両腕に途轍もない程の衝撃が走る。

 そして全身に衝撃が走り、アレックスの身体が後方へと吹き飛ばされた。

 一瞬の困惑、刹那の理解。

 吹き飛ばされながらもアレックスが目線を前方に向ければ、無傷のキマラの姿。

 目を逸らさないままに無理やり体勢を整え足で地面に着地。

 地面に着いた後も慣性で後方へと滑る身体を、剣を地面に突き刺す事で強引に止めた。


「アレックス!」


 吹き飛ばされた事で心配したリーンの声がアレックスの耳に届く。

 キマラを注視しながら、大分二人に近付いた事をその声で確信し、まずは二人から距離を離さなければと自分の中で優先順位を定めた。


「何とか奴を遠くに誘導する。その間に二人で逃げてくれ」


「で、でも! ルインが!」


 リーンの反論に、アレックスは言葉を返す。


「俺の力不足で悪いが、ルインを頼んだッ」


 その言葉を最後に、アレックスはキマラへと跳躍する。

 名前を呼ぶリーンの声が小さくなるのを感じながら、アレックスは完全にキマラだけを考える思考へと切り替えた。

 何故なら、そうしなければ勝つどころか耐える事すら出来ないと確信したから。

 先程の一撃。それは余りにも早く、そして強かった。

 無意識の防御が無ければ、もしかしたら首元を嚙み千切られていたかもしれない。

 剣をずっと特訓してきたからこそ、幼い頃から打ち合う相手が居たからこそ身に付いた経験則による反射的な動きが出来た。

 アレックスの脳内に何かが過り、一瞬で消えた。

 迫りくる敵に対して悠然と佇むキマラに腕を振り上げ力を、そして魔力を込める。

 アレックスは自信を持つ、一番慣れ親しんだ攻撃を全力で放つ事だけを考えた。

 その動きに一切の淀みは無く、呼吸をするかの如く自然に動きが連動していく。

 そして間合いに入ったのを確信し、流れのままに振り下ろした。


「――サンダースラッシュッ!」


 持てる最大の一撃を、余すところの無い力で叩き付ける。

 だがそれは、キマラに当たる事は無かった。

 攻撃が触れる直前、キマラは俊敏な動きで後方へと飛び退いたからだ。

 相も変わらず、無傷のキマラ。

 しかしアレックスに焦りは無かった。

 何故ならば、最低限の目的を果たせたから。

 最優先事項。それは、後方の二人からキマラを離すという事。

 アレックスの中ではロジックが組み立てられていた。

 理想は、攻撃が当たり相手にダメージを与えられる事。

 ボーダーラインは、この攻撃が脅威だと感じさせ回避させる事。

 最悪なのは、キマラが避けずに攻撃を受けて無傷な事。

 そのロジックは、ルインの攻撃を受けたキマラを見て組み立てたのだ。

 ルインの魔法をキマラは避けようともしなかった。

 つまりは、ダメージが通らない攻撃は避ける事すらしないのではないか。

 その前提条件からアレックスは、例え当たらずとも最大の攻撃を最初にぶつける事を選んでいた。

 そして後方では、ルインの腕を引っ張りながら移動しようと苦悩するリーンの姿が。


「ルイン! 早く逃げないと! アレックスの邪魔にもなるよ!?」


 ルインの腕を無理やり引っ張り、僅かに移動する。

 だがすぐに振り解かれ、ルインは腕を前に突き出す。


「……出ない、出ないっ、出ないッ! 何で出ないのよッ! 出ないとッ、魔法が出ないとまたッ……!」


 独り言の様に誰に向ける訳でも無い叫びを上げ、震える身体を鎮める様に強く抱きしめた。

 震えは首の上まで伝い、奥歯が小刻みにぶつかり合う音が微かに漏れる。

 この攻防が二人の間で続いていたのだった。

 ルインに対してリーンもまた強く言えない為、どうしてもルインへの気遣いが出てしまう。

 昨日の今日。

 互いに、それが原因となっていた。

 ルインが少し落ち着いたら移動するしか無い為、リーンは彼女を気遣いながらも眉を下げた表情で前方を見る。

 アレックスの攻撃をキマラが躱す、そしてキマラの攻撃を辛うじて躱したり時には防御し後方へと吹き飛ばされるアレックス。

 その姿が徐々に小さくなっていた。

 だからこそ、彼の真意を気付いているリーンはアレックスの迷惑とならない様にルインを連れて離脱したかったのだ。

 滝の様な汗を流しつつ、必死の形相でキマラと対峙しているアレックス。

 本心を言えば、回復魔法で援護してあげたい。

 けれど自衛手段の無いリーンが参戦しても、回復魔法の恩恵以上にアレックスの負担が大きくなる。

 格上との相手では、如何に足手纏いが少ないかで対峙のしやすさが大きく変わるのは冒険者として当然の知識。

 だからこそリーンは、今アレックスの為になる離脱を行おうと苦渋の決断をしていたのだ。

 しかしそれも、事態が変わった事で忘れ去られる。


「アレックスッ!」


 リーンは無意識に叫び声を上げていた。

 キマラが飛び掛かった瞬間、横へと跳躍し回避を試みようとしたアレックスだが、跳躍の瞬間に身体が限界を迎え、力が上手く入らず地面へと膝を付いてしまったのだ。

 今まで経験の無い数段格上の相手、普段は行う事の無い無理な身体の動きを強制的に続け一つ一つの動作に尋常ではない体力と筋力、そして魔力を擁してしまう。

 だからこそ、本人ですら気付かない内に、本人の感覚ではまだ行けると思っていても肉体や魔力は限界を迎え初めており、その差異によって突如身体が言う事を聞かなくなってしまった。

 一瞬の呆然、しかしすぐに微かに震える腕で剣を構え防御の体勢を取る。

 だがキマラの攻撃力、そして質量からして、この攻撃をアレックスが防げる可能性は限りなく低かった。

 アレックスは荒い呼吸で両刃の向こうの、眼前に迫ったキマラを睨み続ける。

 だがその刹那。

 キマラの身体が、横へと吹き飛んだ。


「……えっ?」


 突然の事態に、事の成り行きを見守るしか無かったリーンが呆けた様に声を漏らした。

 錯乱状態の中、再びキマラへと手を伸ばしたルインもまた、吹き飛んで地に倒れ込むキマラを見て驚き、それに伴い思考の中に理性が戻り始める。

 二人はただ、地面に倒れたキマラを見つめる事しか出来なかった。

 アレックスもまた同様に、吹き飛んだキマラを見てはいるが、その目に一切の油断は無い。

 視線を外さないままに剣を地面に突き刺し、震える脚を無視して無理やり起き上がる。

 その時。


「おーい、ネコババしちゃってごめんねー!」


 草原に、三人にとって聞き馴染みの無い声が響き渡った。

 その直後、剣を支えに何とか立ち上がったアレックスの横に突如、女性が現れる。

 不意の事態に剣を構えようと動くアレックスだったが、身体が言う事聞かずただその女性を睨み付ける事しか出来ない。

 そんなアレックスを見ながら、その女性は呑気に笑う。


「聞く前に攻撃しちゃったけどさー、もしかして君たちも狙ってた感じ?」


 彼女からの言葉に、アレックスは改めてその女性を確認する。

 腰上程度の緑色の髪は全体的に流しており片側の側頭部分が一部、一束に纏められていた。

 大き目の目も髪と同様に緑色をしており、その目付きはどこか活発さを感じさせる。

 服装は非常に軽装であり、薄緑色の布で胸部と臀部をそれぞれ隠している程度、肩口や腹部には何も覆ってはおらず、冒険者としては見ない服装であった。

 そして何よりもアレックスが注目したのは、彼女の耳。

 人間の耳という形からは逸脱しており、横に細長く伸びている特徴的な耳をしていた。

 それを見てアレックスは一つの解を得る。


「……エルフか」


 険しい表情のまま、思い至った解を口に出す。


「そうだけど? あっ、もしかして君も人間以外に偏見を持ってるクチだなぁっ!」


 問われた女性は素直に頷くが、やがて何かに気付いたかの様に、表情に僅かな怒りを携えてアレックスへと言葉を返す。

 笑顔から怒り。

 表情がころころと変わる女性を見ていたアレックスだが、やがて溜息を吐いた。


「……さてな。とりあえずあのキマラは俺達のターゲットでは無い」


 戦闘以上にどこか疲れた様な口調でそう告げれば、女性の表情が再び変化する。


「ホントっ? やったー! じゃあ遠慮なくもらってくねー!」


 輝かせた目でそう言い、女性は鼻唄でも歌いそうな雰囲気でアレックスの前を通り過ぎ、倒れ伏すキマラへと向かう。

 その姿を見ながら、アレックスは再び溜息を吐くのだった。


「アレックス! あの人は……?」


 駆け寄っていたリーンとルインが合流し、アレックスへと問い掛ける。

 りーんからの問いに、アレックスは首を横に振った。


「分からない。だが、どうやらあのキマラが目的らしい」


 その言葉にリーンは目を瞬かせる。


「へー、そうだったんだ。もしかして凄い冒険者なのかな?」


 再びの問いに、アレックスは横に首を振るだけだった。

 そんな彼に、今まで俯きながら黙っていたルインが声をかける。


「……ア、アレックス……その、本当に……ごめんなさい……」


 尻すぼみになる声、悲痛な表情でアレックスへと謝罪を述べた。

 アレックスもまたルインへと口を開く。


「いや、ルインが気にする必要は無い。俺が」


 そこまで伝えたアレックスの表情が変わる。

 険しさを取り戻した眼差しで、慌てて顔を動かした。

 その瞬間、


「うぎゃああああっ! まだ生きてるぅぅぅぅっ!」


 倒れ伏せたキマラの下まで歩み寄り触れようと身を屈め腕を伸ばした瞬間、キマラの顔が突如動き出し、女性は食われそうになった腕を慌てて引き、珍妙な姿勢で飛び上がる事でぎりぎりキマラからの攻撃を回避した。

 僅かに距離を離して着地すれば、キマラはゆっくりと、されど確りとした足取りで起き上がる。

 それを見たリーンとルインが悲鳴を上げそうになるが、慌てて呑み込んだ。

 アレックスは只キマラを睨み付け、辛うじて一歩前に出て二人の前に立つ。

 立ち上がったキマラは、目の前の女性に対して低い唸り声を上げながら睨み付けている。

 相対した女性は、どこか引き攣った様な表情を浮かべながら冷や汗を流していた。


「……あ、あのー……もしかしてまだ、ピンピンしてらっしゃいますでしょうかー……?」


 どこか下手に出た口調でキマラに問いかけるが、当然返事はない。

 更に冷や汗を増やした女性は、引き攣った様な笑みを浮かべつつ再び口を開く。


「そ、そうだ! ほらっ、あそこに美味しそうな三つの餌がありますよー! 何と今なら無料! とってもお買い得ですよー!」


 そう言ってアレックス達を指さした女性に、今度は三人がぎょっとし顔を引き攣らせる番となった。

 一切の躊躇を見せない人を売る行為に、流石のアレックスまでもがはっきりと頬を引き攣らせる。

 アレックスは即座に打開策を考えるが、当然ながら答えは出ない。

 満身創痍のアレックス、魔力が底を尽いたルイン、回復しか行えないリーン。

 どう見繕っても、こちらにターゲットが向いた瞬間、終わりだった。

 女性の言葉が届いたのか、ここでキマラが勢い良く飛び掛かった。


「ですよねぇぇぇぇ! 分かってたよコンチクショーッ!」


 キマラの突進を、大量の涙を流しながらまたしても珍妙な姿勢で辛うじて躱す女性。


「うわぁぁぁぁんっ! 今度こそ上手く行ったと思ったのにぃぃぃぃッ!」


 そう言って泣き叫びながら走り去れば、すかさずキマラも追随し女性を狙い続ける。

 そしてキマラは女性を追い続け、やがてそのシルエットが見えなくなった。

 動かずに睨み付けていたアレックスだったが、ここで漸く警戒度を下げて息を吐く。

 それを見た他の二人もまた、同様に安堵の溜息を吐いたのだった。


「…………何だったんだろ?」


 リーンの言葉に、正しく返せる者は居なかった。


「……もしかしてキマラは、エルフの肉が大好物だったりするのかしら」


 あまりの状況変化に、理性を完全に取り戻したルインが呆然と返す。

 二人の言葉を聞き、アレックスは再び息を吐いた。


「さてな。とりあえず、早くここを離れよう。クエストは…………あいつにも望みの物を渡した訳だ、お返しに貰っておくか」


 アレックスの言葉がツボに入ったのか、リーンは吹き出して笑い始めた。

 ルインもまた、そんなリーンを見て仕方なさそうに笑みを浮かべる。

 そんな二人を眺めながら、リーンにヒールをかけて貰えるのはもう少し時間が掛かりそうだな、と密かに思うアレックス。

 日常の雰囲気、それが三人を暖かく包んでいた。

 笑顔の二人を見ていたアレックスは、僅かに目線を逸らす。

 視線の先は、女性とキマラが走り去った方向。

 今では空と草木しか映らないその景色を見つめながら、アレックスの唇が僅かに動く。


「……強く、ならないとな」


 その言葉は笑い声と風に乗り、誰に聞かれるとも無く静かに消え去った。

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