第4話
雲一つ無い、快晴の昼下がり。
「それで? 新しいメンバーは募集するの?」
草原を歩くリーンが問い掛ける。
「まともな奴がいれば、誘っても良いかとは考えてる」
返したのは、リーンよりも僅かに前を歩くアレックス。
そんな二人に対して、声が届く。
「ま、誰を入れても昨日までよりは絶対マシでしょうけど」
その言葉に、リーンは隣へと顔を向けた。
彼女に視界には、憮然とした表情で歩みを進めるルインの姿が映り込んだ。
ルインの言葉を受けて、リーンもまたルインへと声をかける。
「えー、でもやっぱ、相性とかって大事じゃない?」
そう言って首を傾げる。
彼女の動きにつられて微かに跳ねる桃色のボブカットを眺め、ルインはやがて目を瞑り溜息を吐いた。
「邪魔さえされなきゃ、問題無いわ」
にべもなく言葉を返したルインに、リーンは苦笑を浮かべる事しか出来なかった。
彼らが今日受注したクエストは、レッドワイバーンの討伐。
レッドワイバーン。赤い皮膚を持つ小型の翼竜。だが、翼竜の中では小型というだけであり、他のモンスターと比較する場合、中型サイズに分類される。ワイバーンの中では強い部類に入り、基本的に多くのモンスターは緑、青、赤という順で強さが増してくる。
「そろそろ縄張りに入るぞ、警戒は怠らない様に」
アレックスの言葉で、後方を歩く二人もまた警戒を開始した。
彼らにとって、レッドワイバーンは僅かにではあるが、格下とも言える敵。
だが、目的があって今回受注する事にしたのだ。
「昨日までよりは楽になると思うが、一応三人だけでの連携チェックだ。最初は動きに問題や違和感が無いか確認しながら牽制、異常が無ければ倒すという流れで行くからな」
だが手は抜かない様に、と告げればルインが言葉を返す。
「せっかくリハビリの舞台を用意してくれたんだから、ちゃんとやるわよ」
彼女の言葉を聞いたリーンは、僅かに眉を潜めながら声をかける。
「ルイン、無理はしないでね?」
リーンに対し軽く手を振りながら「大丈夫大丈夫」と気軽に返し、それを見たリーンが苦笑を浮かべる。
今回レッドワイバーンを選んだのは、二つの理由から。
一つは、三人パーティーでの連携の確認。
そしてもう一つ。
それはルインのリハビリ。
何故リハビリをするのか。
そこには昨日の出来事が関係していた。
カイトの追放が決定的となった、アーマースネークとの戦い。
その中で無数のアーマースネークに囲まれ全身を噛み砕かれかけた出来事がトラウマとなり、道中はアレックスに寄り添ってもらっていたが、ホテルに戻ってからは今朝までずっと、一人部屋に籠っていたのだ。
途中で心配したリーンやアレックスが部屋に伺うが面会謝絶。
そして今朝になり、顔色が戻り元気になった姿を二人に見せたのだった。
けれどやはりまだアーマースネークだけでなく森に対しても恐怖感が残っており、それによって開けた場所でのクエストを捜した所、草原に縄張りを作ったレッドワイバーンの討伐というクエストを見つけるに至る。
草原の中を進んでいたアレックスの足が不意に止まった。
「何か、聴こえないか?」
その言葉に、二人もまた足を止め辺りを見渡す。
リーン、ルインも耳を澄ませば、何やら微かに自然音以外のものが聴こえてくる。
「……確かに、何かの鳴き声かな?」
「そうね。何かのモンスターみたいだけど……」
二人の会話を聞き、アレックスが口を開く。
「……一応、確認に行くぞ。ターゲットの可能性も高い」
既に、今回のクエストにおけるターゲット、レッドワイバーンの縄張りに入っているのだ。
アレックスはこの声がモンスターならば、そこにレッドワイバーンがいる可能性が高いと判断。
彼の言葉に二人も了承し、慎重さを増して歩みを進める。
そして徐々に何かの声と思しき音が大きくなってきた。
それに気付いたリーンが静かに話しかける。
「これ、ワイバーンの声じゃない……?」
彼女の言葉にアレックスは頷きだけを返し、片腕を横に伸ばして後方に静止を促した。
三人が足を止め、アレックスは体勢を低く構えながら前方を睨む様に見続ける。
そして僅かな間が空き、彼は口を開いた。
「……嫌な予感がする。一旦、横の森まで移動して姿を隠そう」
そう告げたアレックスは後方へと振り返り、ルインを見る。
彼の言葉を聞いたリーンも頷きを見せてから、横に居るルインを見た。
二人からの視線を受けたルインは、やや間を空けてから小さく頷いたのだった。
彼女の肯定にアレックスも頷きを返し「それじゃあ行くぞ」と二人に言葉をかけてから慎重かつ迅速に移動を開始。
アレックスに付き従う様にリーン、ルインも体勢を低くし草原の雑草に身を隠しながら移動していく。
草原を抜けて木々が生い茂る森に入り少し進んだ所で三人は足を止めた。
「とりあえず、暫くはここで様子を見てから動きを決めよう」
アレックスの言葉に二人は迷わず頷きを返す。
それは幼馴染であり、パーティーのリーダーとして彼の行動を信頼している証だった。
木の陰に身を隠しながら、先程まで居た草原を見つめる三人。
快晴の青空、その下には緑の絨毯とも思える草が悠々と風にたなびいていた。
だがその光景は一変する。
突如、大きな衝撃音と共に草原の中央付近が巨大な土煙に覆われた。
不意の事態にリーンとルインは驚きに肩を震わせ、アレックスは睨み付ける様に目を細め、腰に下げた剣の柄へと手を伸ばした。
やがて風に流されて土煙が移動しながら薄れていく。
そして現れたのは。
「……レッドワイバーン」
眼前の光景に、リーンが呟く。
草原の中央には、赤い皮膚を持つ翼竜が倒れ伏せていた。
それを見て、ルインがアレックスへと訊ねる。
「……どうする? ターゲットから来てくれたみたいだけど」
彼女の言葉は、受注したクエストのターゲットが目の前に現れたから攻撃をするのかという問い。
その言葉にアレックスは首を横に振る。
「いや、下手に攻撃して元凶から無駄にヘイトを貰っても面倒だ」
ルインの言い分もアレックスには分かっていた。
彼女の言葉は、レッドワイバーンに近付かなくとも遠距離から魔法で攻撃出来るというもの。
だがアレックスは、下手にこの状況に介入するのは不味いと判断。
よって一向はこのまま静観の構えを取る。
そして状況が動いた。
どこかから、羽音が近付いてくる。
それは低く、それでいて力強い音。
羽音が大きさを増し、やがて三人の視界に映り込んだ。
倒れ伏すレッドワイバーンの上空から、ゆっくりと降りてくる存在。
レッドワイバーンは翼竜としては小型だが、他のモンスターも含めれば中型以上で比較的大きなモンスター。
だが、新たに現れた存在は、それよりも大きかった。
大きな鳥の様な翼、濃い茶褐色の毛並み、悠然とも威厳とも取れる鬣を風でたゆたせながら、力強い四肢で地面に降り立つ。
倒れ伏すレッドワイバーンを見下ろすその姿は、見る者に畏怖を、狙われた相手には絶望を抱かせるには十全の存在感を示していた。
かの存在を三人もまた、知識では知っていた。
「……あれは、キマラ……?」
呟いたルインの口調は、どこか呆然としている。
だが、それを指摘する者は居ない。
それぞれが只、ルインが"キマラ"と呼んだ存在を見ている事しか出来なかった。
誰もが、圧倒的な強者と思える存在から目が離せなかった。
しかしその中でリーンが、ある事に気付く。
「……あれ? でもキマラって、茶色い毛じゃなかったっけ……?」
彼女の疑問、それは三人の疑問だった。
リーンの言葉通り、モンスターに関する知識を学んだ際に、キマラとは茶色い毛を持つ大型モンスターだと教わっていたのだ。
「返り血って可能性は、ないかしら……?」
ルインの言葉に、リーンは僅かに首を傾げる。
「んー、でも、返り血であんな全身が綺麗に赤くなる……?」
彼女の言葉にルインも検討してはいたらしく、反論は無かった。
二人の会話を耳にしながら、アレックスは静かに赤褐色のキマラを見続ける。
キマラは軽く辺りを見渡し、敵が居ないと判断したのかレッドワイバーンへと勢い良く噛み付きそれを食い始める。
圧倒的強者の、食事の時間が始まった。
それを三人は只眺めている事しか出来ない。
食事をしている最中、圧倒的な格上だとしても、攻撃はせず逃げるならば可能かもしれない。
しかし実行には移せなかった。
「……あの蛇のせいで離れる事も出来ないな」
アレックスが呟いた。
彼が言った蛇。
それはキマラの尾についてだった。
他のモンスターと違い、キマラの尾は蛇の形を模しており、擬態しているだけではなくその尾自体にも蛇と同じく視覚や聴覚、嗅覚等も備わっていた。
その為、キマラの食事中でも尾だけは全方位警戒と監視を行う事ができ、それによって三人は移動する事すら出来ないでいたのだ。
反対に言えば、その知識があったからこそ攻めも逃げもしないで、無駄死にせずに済んでいるとも言える。
周囲を警戒していたキマラの尾が、その動きを止め一点だけを見つめた。
大きく息を呑む音が聴こえる。
それは、ルインだった。
彼女はキマラの尾、つまり蛇と目が合ったのだ。
そして昨日起こった出来事がフラッシュバックする。
突如現れ、腕に噛み付いていた蛇。そして骨まで噛み砕かれる激痛。
更には増えて方に噛み付かれ、噛み砕かれた。
そこから夥しい数の蛇に群がられ激痛と、二度と経験したくはないと思える絶望と恐怖。
命が無くなっていくとも思える、あの状況が鮮明に呼び起こされた。
反射的に口を大きく開き、内に留めきれない声を吐き出そうと息を送る。
「ルインッ、落ち着け……!」
その刹那、アレックスがルインの口許を手で覆い、そのまま身体を自身へと引き寄せた。
目を見開き逃れようともがくルインだったがアレックスと目が合い、それを見つめたままに荒い呼吸を繰り返す。
「大丈夫、大丈夫だから……落ち着いてくれ」
落ち着いた口調で優しくルインに向けて言い続ける。
「襲ってくる事はない……もうあいつらがルインを襲う事は無い。だから安心してくれ」
声をかけるにつれてアレックスの言葉が伝わったのか、徐々にルインの呼吸が落ち着きを見せる。
それを見て事の成り行きを見守っていたリーンが、安心した様に軽く息を吐いた。
だからと言って、状況が落ち着いたとは決して言えなかった。
キマラの尾である蛇は三人がいる方向を注視したままであり、キマラ自体が食事を止めてこちらに向かってくる可能性すらある。
ルインに向けて安心させる様に告げたアレックスではあったが、本心ではこの状況の打開策を考え続けていた。
だがすぐに結論が出る訳でも無い。
しかし、かと言って猶予を与えてくれる訳でも無い。
レッドワイバーンの肉を貪っていたキマラが、顔を上げた。
食事によって更に赤黒くなった口元が、三人が隠れている方向へと動く。
先程よりも獰猛な目付きを、森の方へと向けていた。
アレックスの額に、一筋の汗が流れる。
気付けばルインを抱えている腕とは反対で、剣の柄を強く握りしめていた。
一度目を瞑り、やがて開いた。
キマラが居る方向を見つめながら、静かに唇を開く。
「…………俺が、引き付ける。その内に離脱してくれ」
呟く様に伝えられた言葉に、二人は目を見開いた。
「ダ、ダメだよ! アレックス一人なんて!」
「そうよ! 一緒に逃げながら打開策を考えても……!」
リーン、ルインからの反対する言葉に、アレックスは首を横に振る。
彼の中では既に、検討した上で否決した案だったから。
「レッドワイバーンだって馬鹿じゃない、隔絶した力量差を感じたなら逃げる筈だ。だがこうして逃げられなかったという事は、飛行能力も上回っている証拠だろう。少なくとも俺達はレッドワイバーンよりも早く移動は出来ない」
「……あっ、じゃ、じゃあ森の中をずっと逃げ続けたらっ? それなら空から見つからないかも!」
アレックスの言葉を受け、閃いた様にリーンが返す。
彼女の言葉に賛同する様に、ルインもまた頷いていた。
「いや、駄目だ」
だがアレックスは断る。
「えっ、で、でもその方が無事に帰れるかもよ!?」
リーンが再び反論するが、アレックスは首を横に振るだけだった。
彼の態度に、業を煮やしたリーンは表情を険しくする。
「だからってアレックスを生贄みたくするのは駄目だよ!」
もっと良い方法がある、そう続けたリーンだがアレックスはキマラを注視したまま、振り返る事は無い。
そして静かに、口を開く。
「……これが一番、誰かが確実に帰還出来る方法だからだ」
彼の言葉にリーン、そしてルインが息を呑む。
その口調はまるで、既に指針を定めた様な強さがあったから。
アレックスは一瞬だけ視線を往復させ、眼下のルインを捉えた。
再びキマラを見つめながら、言葉を紡ぐ。
「……先に言っておく。ルイン、決して君を責めるつもりは無いという事だけは理解していてくれ」
要領を得ないその内容に、対象となったルインはアレックスを見つめたまま首を傾げる。
ルインに対して一瞥する事は無く、アレックスは続けた。
「確かにリーンの言う通り、森の中を中心に移動し続ければ上手く逃げ切れるかもしれない」
その言葉にリーンは表情を明るくし「だったら!」と声を上げるが、それを遮る様にアレックスは続きを話す。
「だが、こんな所にキマラが現れた以上、森の中の生態系がどの様に変わったのか分からない為、あくまで逃げ切れる可能性があるという事しか言えないのが一つ」
そこまで告げたアレックスに、リーンが再び声を上げる。
「で、でもやっぱり可能性があるならそれに賭けた方が良いと思うけど……」
彼女の言葉に、ルインも頷く事で賛同した。
しかしアレックスからの返答は無く、僅かな沈黙が流れる。
「…………昨日の戦闘、憶えてるか?」
唐突な質問。
リーンとルインの表情は揃って、怪訝なものに変わる。
アレックスが静かに続ける。
「……森の中。それはつまり、アーマースネークの群れに突っ込む可能性だってある」
「…………ぁ」
アレックスの言葉に、ルインの口から言葉とも取れない音が漏れた。
リーンの表情もまた、驚愕に染まっている。
「もし昨日の今日でルインがアーマースネークの群れを見たらどうなる? もしルインが動けなくなったら、それを俺達は見捨てるのか?」
静かだが、力強い口調。
「ほぼ使えはしないが、四人だったならその可能性も含めて森を逃げる選択肢も取れた。俺が戦っている間、ルインをあいつに背負わせ逃げる事だって出来る」
体力だけはまだあったからな、そう告げるアレックスにリーンは辛そうな表情で目を伏せた。
ルインは、再び呼吸を荒げながら震え出す。
全員が昨日の苦い記憶を呼び覚ましていた。
リーン、そしてアレックスは考える。
森を駆けアーマースネークの群れが現れる、それを見たルインがトラウマにより恐怖で身体が硬直し動けなくなってしまったならば。
彼女を捨て置いて、自分達だけで逃げられるだろうか。
否、逃げられる訳が無い。
そうなれば仮に昨日と同じ様な状況下に陥ってしまった場合、ジリ損で今度こそ誰かが命を落とす、若しくは全滅の可能性も考えられた。
彼らは昨日の今日だからこそ、より慎重に考えてしまう。
だからこそ、可能性はあれど積極的に選択出来ない択にもなってしまった。
「……奴が攻めてきそうになれば俺が引き付ける。その間に、二人は森の縁を通って安全圏まで移動したら、今日移動してきた道を通って帰還して欲しい」
ここまでの移動は、ルインの事を考えて森を避けるルートを辿ってきた。
それならば安全圏まで自身が持ちこたえれば二人は無事に帰れるとアレックスは踏んだのだ。
危険なモンスターがこの区域にまで侵入しているのを、ギルドに報告しなければならないという思いもあった。
この付近は初心者用の区域もそう遠くなく、このモンスターを野放しにしておくと犠牲が増える可能性が高い。
だからこそ誰か一人でも生きて帰れる可能性が高い方法を模索した。
そして口には出さなかったが、アレックスとしてはこのキマラの索敵能力が未知数だという点も考慮し、森の中を抜ける択を選べなかった。
何故ならキマラの索敵能力が高かった場合、鬱蒼と生い茂る木々によってこちらだけがキマラの位置が分からなくなる可能性もあったから。
だがこの不確実な懸案事項を伝えたところで、二人が納得しないのは分かっていた為、敢えて残酷な理由を懸念事項として二人には伝えたのである。
リーダーだからこそ、一番可能性の高い選択肢をアレックスは取る事にしたのだ。
だが、事態は急変する。
アレックスに抱き寄せられていたルインが強引に身を剥がし、草原へと駆け出した。