第3話
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
カイトは長い溜息を吐きながら、崩れる様にベッドへと倒れ込む。
顔を僅かに上げて頭上の窓に目を向ければ、その先はすっかりと夜の帳が降りていた。
彼が部屋に戻ってきたのは、夕方になるよりも前の時間帯。
いつの間にか過ぎていた時間に、カイトの口から再びの溜息が漏れた。
僅かな静寂。
窓から目線を逸らし、脱力して天井を見上げる。
「……明日、出ないとなあ」
呟く様に発した言葉。
それは声量以上に覇気の無い声色。
カイトは明日、このホテルを出て別の宿屋を探すつもりでいた。
理由は単純。
「……あっちにしてみたら、顔見たくないだろうしなあ」
このホテルはパーティーメンバーが全員宿泊していた。
故にカイトは、他の三人が出るよりも自分が出て明確に距離を置くべきだと考えていたのだ。
彼らの姿を思い起こせば、過去の記憶が蘇る。
カイトが魔力無しと宣告されたその日を、アレックス、ルイン、リーンは憶えていない。
それは当然であり、生後間もない頃の出来事なのだから、寧ろカイトが異常なのである。
彼が魔力無しという事実は、村という狭いコミュニティ内には瞬く間に広まった。
だがあくまでも、その事を直接的にカイト親子へと伝える人はおらず、井戸端会議といった中で幾分か話題が出る程度。
しかしそれもまた、時間の問題。
カイトが五歳になった頃、精神年齢が合わないと渋々ながらに遊んでいた村の子供達が彼をふざけ半分で揶揄い出したのだ。
魔力無しのカイト、と。
言われた当初のカイトは頭に疑問符を浮かべつつも気にする事は無かったが、それが続く様になり彼自身も漸く正しい意味に気付けた。
なるほど、イジメか。
だが、彼は特段行動を変える事は無かった。
何故なら、村の子供達とカイトでは明らかに精神年齢が異なり過ぎたから。
だからこそ子供の可愛い悪戯程度に考えており、歳が上がり徐々に陰湿化が増す中で露骨に遊びからハブられ出した時は、内心で彼らに良くやったと褒めた程。
しかしそんなカイトでも、大きな失敗があった。
それは五歳の頃に魔力無しのカイトと言われる様になった為、何故魔力無しが露骨な侮蔑の対象になるか分からず、純粋な疑問としてある日、母親に訊ねたのだ。
――何で魔力無しだと虐められるの?
カイトとしては、それが余りにも謎だった。
現段階で魔力を使わずとも生活出来ており、村の中でも魔力を使わずに家業をしている人達も多い。
魔法も使う冒険者内でなら分かる、魔法を習う学校内でなら分かる。
それがカイトの考え。
しかし現実は、それとは異なっていた。
前世と合わせて三十路一歩手前であるカイトの純粋な質問に、彼の母親は大粒の涙を流しながら彼を強く抱きしめ、繰り返す様に何度も何度も謝罪の言葉を伝え続けたのだった。
母親の豹変に驚きつつも、その時カイトの思考を埋めていたのは、晩婚で俺を産んでくれて本当にありがとう。これが若い美人新妻だったなら流石にヤバかったかもしれん、である。
仕事から帰ってきた父親にその光景を見て驚愕し阿鼻叫喚となった後、カイトは両親から理由を教えられた。
曰く、この世界で魔力を持たない者は存在しない。
だからこそ、魔力を持たないならば力を持たない。故にこの世界の誰よりも弱い存在なのだと。
前世でサブカルチャーを履修していたカイトとしては、確かにと頷ける論説ではあったが、両親の酷く悲しそうな顔を見て、二度とこの話題はやめようと心に誓ったのだった。
そして同時に気付かされた。
自身の母親について。
〇才児からの記憶持つカイトならではだが、母親が外出する頻度が段々と減ってきている事に。
それまでは特段気にせず呑気に子供達との遊びに付き合っていたが、彼自身の異名である"魔力無し"。
深く考えずとも、すぐに答えは出た。
子供がある種の確信を持って呼ぶという事は、その親がどこかしらで話しているのを子供が聞いたからだと。
カイト自身、子供からどれだけ言われようとも全く意に介さない程度の些末な問題だったが、大人が関わっているのであれば別の話だった。
徐々に外出を控える様になった母親の行動を考えれば、恐らく村八分の様な事が起こっているのではないか。カイトはそう結論付け、そこから将来について真剣に考える事となる。
そして一年が経ったある日、彼は両親に告げた。
冒険者になると。
それを聞いた両親は、彼の決定に猛反発。
父親も母親も、当然ながら我が子を心配し、ましてや魔力を持たないカイトが冒険者で生計を立てる事は出来ないと思ったからだ。
そして何より、魔力無しはこの世界で一番弱い存在。
だからこそ二人は、カイトが自ら死に近付く行為を是が非でも止めたかった。
――この子が元気に育ってくれたら、それだけで良いんですけどね。
その気持ちは、我が子が生まれたその時から一寸たりとも変わらないのだから。
普通ならば親の心子知らずとなるだろうが、大人であった記憶を持つカイトには、二人からの愛情は痛い程に理解していた。
だからこそ巣立つ時には安心して送り出して貰える様に、次の日から鍛える事を始めた。
重量のある木の枝を探し、素振りを繰り返す。
そしてカイトにとって最大の武器になるであろう、神から付与された二つのスキル"無限"、"提供"を使える様にする為に、それらのワードに関連しそうな事柄をひたすら行ってみた。
早朝、父親が家業に出かける時間に合わせて起床し、走り込みを限界まで行う。村中を走り回るからこそ、殆どの人がまだ就寝している早朝がベストだった。
体力の底上げと、"無限"というスキルがスタミナといった肉体系で発動するかもしれないという可能性にかけて。
走り込みを終えたら身体が僅かに回復するまで休み、そこからは重い木の枝を使い素振りを腕が上がらなくなるまで続ける。
これもまた、走り込みと同様の理由で。
それが終われば次はスキルを考察し、"提供"という名前から誰かに何かを提供するのか、反対に誰かから何かを提供されるのかという点で検討を進め、考えられる物を村中の人に渡し渡されを繰り返していく。
回復の早い子供の身体を活用し、カイトはトレーニングと考察を続けた。
一年、三年、五年。
そうして彼が齢一〇歳となった頃。
カイトに構ってくれるのは、両親を除けば村の中で三人だけとなっていた。
いつの間にか彼のトレーニングをほぼ毎日態々見に来ては笑顔のオーディエンスと化していたリーン。
彼が日課の素振りをしている時に興味を持ち、同じく冒険者になるという夢でトレーニングの参加を申し出たアレックス。
アレックスとリーンに引っ張られ、興味無さそうながらもカイトのトレーニング場所に来る事はやめなかったルイン。
カイトはトレーニングをしながら三人と一緒に居る内に、それぞれの強みを伸ばせないかと模索しだし、改善を施しながらカリキュラムを作り上げた。
アレックスは限界までトレーニングをした後に、彼にはスキルを研鑽する時間を設ける。
リーンは、カイトが手伝えない回復魔法というものが出せる兆しがあるまでは、とにかく回復を出来なくとも魔法が出せる様に思考錯誤してもらい、回復魔法の原型が出来た後はひたすらに、トレーニングで身体を酷使したカイトとアレックスの肉体を使って回復魔法を徐々に改良していくという反復作業。
ルインには、リーンと同じく魔法が出せる様になるまでは試行錯誤をしてもらい、原型が出来たら火や水、雷に氷や風といった様々な属性のイメージを前世のサブカルチャーで得た知識で提供し、その中でしっくりくるものがあれば、慣れるまでひたすら放ちまくって貰うそして覚えたら次というカリキュラムを組んでいた。
三人との過去が脳内に浮かんでは消え、色褪せないその光景にカイトは苦笑を浮かべた。
そしてぽつりと呟く。
「……一番成長したのって、ルインかもなぁ」
カイトはルインとの過去を振り返り、間違いないと一人頷く。
アレックスとリーンに誘われて嫌々参加する様になった。
そして他の二人がトレーニングや魔法の習得を始めても、ずっと興味無さげに見ているだけだった。
だが四人で集まる様になって一年が経つ頃。
――私もやるわ。
不意の発言に三人が揃って驚きを見せるが、すぐさま歓迎へと変わり、こうして四人での特訓が始まった。
だが、誰よりも早くルインは、自身の得意分野を今の水準まで押し上げた。
それがカイトが抱く感想。
そして彼の脳裏に過ったのは、忘れもしない昼の出来事。
アレックスの援護の為にカイトが傍を離れたその時。
背後から聴こえた悲鳴。
その後に見てしまった、アーマースネークに腕を噛まれたルインの姿。
そして続け様に彼女の肩へと噛み付くアーマースネーク。
追い打ちかの如く、一斉に飛び掛かり群がられていたルインの姿。
その全てが、カイトの心に重くのしかかり続けていた。
結果的に無事だったから良い、ではない。
結果的に傷跡すらも残らなかったから良い、ではない。
カイトが抱く後悔は、それだけでは無かった。
寧ろ、全てが一つに集約していたと言っても過言では無い。
「…………大人だろうがよぉ、俺」
右腕を上げて、目元を覆う。
頬を伝う一筋の感触を認識し、カイトは奥歯を強く噛み締めた。
「……泣く資格なんて、ねーだろ」
カイトの心境は、一つの方向性だけを示していた。
泣きたいのはルインだろ。
泣きたいのはリーンだろ、アレックスだろ。
俺は何か三人の為にしたか? してないだろ。
何様気分でパーティーに居たんだか。
カイトにとって、三人は特別だった。
非力な自分をこうして、冒険者にしてくれたのだから。
――お前、冒険者になるのか? なら俺も参加させろ。
――ねー、何で毎日続けてるのー?
――興味無いけど、二人がやってるから見てるだけ。
「……三人とも、子供だったじゃねーか」
――見ろカイト! サンダースラッシュが出来たぞ!
――えっ、治った…………った、やった! やったぁ!
――……別に、あんたに教わんなくても覚えられたわよ。
「……まだ……子供だろーが」
――おばさん、カイトは俺達がいれば大丈夫だからさ。
――まっかせといて! もしカイトが怪我してもすぐに治しちゃうからっ!
――……まあ、パーティーメンバーだから、最低限は面倒見ますよ。
「…………大人が」
――ちゃんと自分の仕事はしてよね、カイト。
――ま、どうせこいつには無理だと思うけど。
――お前が成長しないせいで俺達に迷惑がかかってるんだ。死ぬ気で努力でもして、さっさと足手纏いをやめろ。
「何やってんだよチクショウッ!」
荒げた声と共に、目元から離した右腕をベッドに叩きつける。
だがそれは吸音性脳の高い布団によって、然程音を漏らさずに静寂が訪れる。
その静寂が、カイトにとってより自分の無力さを表している様に感じ、改めてベッドを叩くが結果は変わらない。
不意に苦笑を漏らした。
「……結局、全部自分で蒔いた種じゃねーか」
冒険者となり、パーティーを組んで四年。
少なくとも、出来る事は幾つもあったはずだ。
力が無いなら、武器やアイテムで補えば良い。
力が無いなら、仲間が危険にならない様に念入りに情報収集しとけば良い。
力が無くて自分が怪我をするなら、自分でポーションを用意しとけば良い。
そのどれかでも自分はやったのか、自問自答に対する答えは全て否であった。
カイト自身、精神年齢が前世と合わせた実年齢に見合う程成熟していないという自覚はある。
けれども、前世の年齢である二〇代程の考え方は持ち合わせているという自負はあった。
しかし現実はどうだ。
剣で、魔法で、回復で、子供達に助けられているだけ。
このままで良いのか? カイトの脳内で、この言葉が浮かんでは消える。
冒険者になった当初は問題無かった。
鍛え続けたが故に、カイト自身の攻撃は通用していた。
しかしパーティーランクが上がるにつれて、徐々に状況が変化してくる。
カイトの攻撃よりも、敵の防御力が高くなり段々と弾かれる機会が増えてきた。
本来、冒険者ランクやパーティーランクが上がる毎に当然ながら個々の実力も上がってくる。
だがカイトのパーティーメンバーは、それぞれが強すぎた。
カイト只一人を除いて。
火力の高いアレックスと多彩な魔法による苦手なジャンルがほぼ存在しないルイン、そして圧倒的な回復力によって複数クエストでも休まずに行える継戦能力の高いリーン。
彼らの力によって失敗したクエストは無く、カイトのパーティーは破竹の勢いでパーティーランクを上げ続けた。
けれどその不敗神話さえ、終焉を迎えたのだ。
それは一体、何が原因なのか。
「…………俺のせいだろうよ」
拳をきつく握りしめる。
盾司へと転向したのは、カイトの攻撃が敵に通用しなくなってきたからだ。
仲間と相談し、少しでも多くの力になれる方が良いと決めて転向した。
しかし今のカイトには、それさえも疑心暗鬼を抱いてしまう。
それは何に対してか。
「……怖かったのか?」
そう呟いた瞬間、カイトの身体が震え出す。
脳裏に強襲したのは、今まで敵から受けてきた攻撃の数々。
忘れていたと思うものすら、全てが鮮明にフラッシュバックされる。
身体の震えが大きくなった。
そこでようやく、カイトは自覚出来た。
「…………痛いのは、嫌だ」
再びの涙が目から零れ落ちる。
それは恐怖による涙。
そして、
「……ごめんなぁ」
カイトの口から、謝罪の言葉がこぼれ落ちる。
誰に対しての謝罪なのか。
「……俺、ずっと逃げてるわ」
脳裏に浮かんだのはアレックス、リーン、ルイン。
そして両親だった。
カイトが自覚した事。
それは、全てから逃げ続ける様になっていた事。
反対の言い方をすれば、進む事をやめたという事だった。
カイトの中で、逃げていた事柄が列挙されていく。
いつから、強くなる事から逃げたんだろうか。
いつから、スキルを使える様になる為の考察や特訓をしなくなったんだろうか。
いつから、守る事だけ考える様になったんだろうか。
いつから、三人に守って貰えるのが当たり前と思ったんだろうか。
いつから、三人に守って貰う事に必死になりだしたんだろうか。
いつから、三人に守って貰う為に、恥も外聞も無く大人という自分を捨てたんだろうか。
いつから、三人へとこちらから話しかけなくなっただろうか。
いつから――冒険者になった理由を考えなくなっただろうか。
全てが、他の誰の責任でもない、自分自身が原因だという事を自覚したのだ。
大人である筈の自分がもっと、ちゃんとするべきだった。
でも、出来なかった。
強い大人であれば、自信を持って子供を導ける。
だが、弱い大人はどうすれば良い?
弱い大人は、どうすれば子供を導けるというのか。
「……大人って、何なんだよ」
脳裏に浮かんだのは、両親の顔。
カイトが冒険者を選んだ理由。
彼は両親に対して、冒険者が格好良いからと伝えていた。
だがその本心は、別。
「…………俺のせいで村八分にされかけてる親に、金貯めて気楽に暮らせるとこに引っ越すんじゃねーのかよ……!」
久々に思い出した、原動力。
カイトはあの時、母親の状況から現状を察して家族での引っ越しを視野に入れて将来を考え始めた。
自身が魔力無しだという事実がある以上、それを知る者がいる場所では両親が気楽に暮らす事が出来ない。
故にカイトは一年をかけて商業、工業、農業等様々な分野での成り上がりを模索した。
けれど、ほぼ全てにおいて不可能と断念。
商業ならば、卸売りや小売り等色々な形態を考えてみたが、結果的に現実見が無いと判断。
そもそも現在この世界に存在する物は多かれ少なかれ商売としてある程度流通しているのだから。
そして工業。
前世の記憶を使い商品を発明する事も考えたが、結論としては諦めるしか無かった。
何しろ商品の開発にあたって、スマートフォンやパソコン、車や電車、建物に至るまで完成品はイメージ出来ても、それを作る工程が全く分からなかったから。
そもそも材料は何を使っているのか、そしてその材料自体をどうやって作るのか素粒子物理学、化学、熱力学、機械工学、建築工学等様々な専門分野をカイトが前世で修めているのかと言えば、否。
故に発明といった前世の知識を活かせる分野も断念するしかなかった。
そして農業で成功とは、まず広い土地が必要であり更にはそこの開墾が必要。そこから農作物を年月かけて収穫し、更には土壌の品質改良や収穫物の品種改良も必要とされてくる。
何より、全てにおいて莫大な元手があってこそ、成り立つのだから。
だからこそカイトは結果的にそれらを全て諦めた。
残ったのが、冒険者だった。
当時の彼にとって冒険者の相場は分かっていなかった。しかし、例え高額のクエストが行えなくとも報酬が安いクエストを行っても地道に金は貯まるだろうと判断。
他の将来像とは違い、元手がかからないのが当時のカイトにとってはかなりの魅力でもあった。
そして自身が村から離れれば、少なくともこれ以上酷くなる事は無いだろうという思いもあり、元手が必要無い分他のものよりも早くに村を出れるだろうという判断から冒険者になる事を決めたのだ。
全ては両親が安寧の日々を暮らせる為に。
だがカイトは、いつしかそれすらも忘れていた。
全ては両親が安寧の日々を暮らせる為に。
それが今のカイトには、とても重く苦しいものに感じてしまった。
「……神様転生なら……もっと楽に俺ツエーでイージーモードにさせろってんだよ……クソッ……」
その言葉は意味も無く宙を漂い、夜の帳の中で静かに掻き消えていく。