第1話
「もう、ホントいい加減にしてよ!」
リーンの叫びが森の中に響き渡る。
その言葉に返す者は、誰も居なかった。
周りの反応を気にする事無く、リーンは言葉を続ける。
彼女が睨み付ける先には、一人の少年。
「いつもいつもしなくて良い怪我して! それだけでも迷惑なのにッ!」
言葉を止めたリーンは、手を上げて一方に指を差す。
その先にはアレックスに肩を抱き寄せられている、ルインの姿。
ルインは表情を青褪めさせており、その体躯は小刻みに震えていた。
「ハイポーションで何とか間に合ったから良かったけど、後少し遅かったら死んでたかもしれないんだよ!?」
その言葉を只一人へと突き刺していく。
「――カイトがルインを殺そうとしたんだよッ!」
彼女からの言葉に、向けられたカイトの身体一度、大きく震える。
彼は地面に伏せており、顔を上げる事は無い。
その身体は至る所に大小様々な傷があり、それが原因でカイトは顔を上げる事すら出来ない程に衰弱していた。
彼がこの様な状態に至ったのは、少し前の話。
いつも通りパーティーでクエストを受注し、今回はアーマースネークという鎧の様な硬さを誇るモンスターの群れの討伐だった。
アーマースネーク自体はある程度しっかりと研鑽を積んだ冒険者なら、対処は可能。
しかしその群れの同時討伐となると、難易度が一気に上がる。
それはアーマースネークというモンスターの特性。
鎧の様な硬さを持つのは鱗だけではなく、彼らの武器となる牙もまた同様だった。
それに合わせてアーマースネークの咬合力は非常に強く、牙の硬さも相まって鉄製の鎧等容易に噛み砕いてしまうのだ。
更に彼らの主だった拠点は鬱蒼とした草木に覆われた森林帯であり、比較的小柄な彼らは草葉の陰に常に隠れられる。
故に複数体を相手にする場合は一体を相手取る間もずっと他のメンバーに任せる事なく周囲を警戒し続ける必要があった。
冒険者になってから僅か四年で中間上位までパーティーランクを上げ、新進気鋭のパーティーとして有名だった彼らだが、このクエストに関しては若干ランクが劣っていたがリーダーであるアレックスの一声で受ける事となったのだ。
俺達なら出来る、その言葉でクエストを開始した四人。
最初は順調だった。
ルインが火属性の範囲魔法で鬱蒼と茂る草葉を燃やし、隠れ蓑が無くなったアーマースネーク達をアレックスとルインで殲滅していく。
それが終われば次のエリアへと進み、同じ戦法を繰り返す。
だが、受注したクエストの前情報が誤っていたのか、事前に聞いていたよりも群れの数がかなり多かった。
同じ戦法を繰り返せる内は良かったが、それもいつか限界を迎える。
数時間も経てば、ルインの魔力が切れかけてきたのだ。
故に魔力の温存の為に草葉を燃やす範囲が縮小。
更に進めば、その範囲も更に縮小。
仕舞にはルインの魔力切れにより、彼女は戦闘に参加出来なくなった。
そして同様に、防ぐ事しか出来ないカイトはそもそもアーマースネークとの相性が非常に悪く戦闘に参加出来ていなかった為、今までは攻撃技を持たないリーンの護衛を務めていたが、そこからはルインも含めての護衛として動く様になる。
無論、戦闘はアレックス只一人。
彼の戦闘力を以って何とか戦えてはいたが、それでも多勢に無勢。
徐々にジリ損の様相を呈しており、リーンが一度撤退を進言したが、リーダーであるアレックスがそれを却下。
もうすぐ終わるだろう、その言葉以降誰も撤退を進言する事は無かった。
唯一戦闘している彼の言葉だ、他の誰もが戦っているアレックスに対してこれ以上反論する資格が無いと考えたのである。
アレックスは無言でアーマースネークと対峙しては敵を切り裂くが、複数での攻撃等により致命傷は無くとも徐々に傷を負っていく。
リーンは只無言で、アレックスに回復魔法をかけ続けた。
だが彼女の魔力も限りがある。ついには底をついたのだ。
徐々にアレックスの疲労が蓄積した頃合い、それを見計らった様に一体のアーマースネークが彼の背後に忍び寄っているのを、カイトが発見する。
疲労により後方への注意が散漫となっているアレックスには、背後に迫る敵を察知する事が出来ない。
故に自分がその敵を相手するしか無いと判断したカイトは、周囲を見渡し近くにアーマースネークが居ない事を確認し、アレックスが気付いていない背後の敵へ向かい駆けだした。
敵もまた前方に集中しているのか、カイトが真後ろに迫っても振り返る素振りを見せない。
カイトは手に持った盾を振り上げ、アーマースネークに向けて振り下ろす。
その時、彼の背中にルインの悲鳴が突き刺さった。
咄嗟に攻撃を中止し後ろへと振り返れば、アーマースネークに腕を噛まれているルインの姿。
その光景が信じられず呆然と見つめていると、彼女が立っている近くの木から別のアーマースネークが飛び降り、ルインの肩に噛み付く。
何かが砕けた様な音がカイトの耳に届いたと同時に、ルインの悲鳴が絶叫へと変わった。
だが悪夢とも思える光景はそれだけでは終わらず、近くの木からアーマースネークが次々にルインへと飛び掛かり、彼女の肉を骨を噛み砕いていく。
只々呆然とそれを見つめる事しか出来ないカイト。
それを無視するかの様に、彼の横を誰かが勢い良く通り過ぎた。
アレックスが、普段は冷静な彼が、取り乱した様に大声を上げながらルインへと駆け寄り、彼女に群がるアーマースネークを全力で屠っていく。
それすらも呆然と眺めるしか出来ないカイトだったが、彼は反射的に叫んだ。
自身の身体に、激痛を感じたから。
咄嗟に顔を向けると、カイトの左脚にアーマースネークが噛み付いていた。
何かが砕けた様な鈍い音が体内に響き、力が入らなくなった左脚から地面に崩れ落ちる。
それと同時に、アレックスが相手取っていた複数のアーマースネークがカイトへと這い寄り、思い思いにその身体に牙を立てていく。
都度伝わる新たな激痛に、その都度絶叫する事しか出来ない。
残った脚が、腕が、肩が噛み砕かれる感触に怯え、恐怖し、余りの痛みに絶叫する。
だが絶叫すらも出来なくなってきた頃、新たな箇所からの激痛は唐突に終わりを迎えた。
地面に倒れ込みうつ伏せのまま動く事の出来ないカイトに、声がかけられる。
――護衛すら出来ず肉壁にすらなれず、更には無駄に怪我しに行くなんてな。
顔を向けずとも、その声がアレックスのものだとカイトは気付いた。
やがて踵を返した足音が遠ざかるのを感じる。
そして代わりに、別の誰かが駆け寄ってくる。
それが、リーンだった。
ルインは、彼女の肩を抱き寄せているアレックスの胸元に手を置き強く握りしめ、彼の身体に身を寄せる。
それはまるで生きているのを確かめるかの様に、自分以外の温もりが無いと壊れてしまうかの様に。
その姿を見る事が出来ないカイトだったが、見ずとも自覚は出来ていた。
自分が仕出かした事の重大さを。
それは現状からしても、認識可能だった。
何故ならいつまで経っても回復されないのだから。
アレックスからも、回復してやれという言葉が来ない。
そして何よりも、もしかしたらルインが死んでいたかもしれないという事に、底知れぬ恐怖を抱いていた。
カイト自身、自分がパーティーの役に立てておらず、寧ろ足を引っ張っているという事は当然ながらに自覚していた。
だが今までは、怪我をするのは自分だけだから、どこか自分の行動に責任を持てなかったのかもしれない。
無論、カイトとて痛いのは嫌であり、死ぬのは怖い。
けれど心のどこかで、仲間が助けてくれるという他力本願な気持ちがあったのだろう。
全身の痛みが徐々に麻痺してくる感覚に苛まれながら、カイトは心の中で繰り返す。
何やってんだ、俺。この言葉を。
「……そいつを治してやれ、リーン。クエストは失敗としてギルドに報告する」
不意に聴こえた声に、カイトの意識が浮上する。
その声は、アレックスだった。
彼の言葉に、リーンは怒りの感情を引っ込め、驚愕といった様相でアレックスへと顔を向ける。
「え!? な、なんでっ、ルインを殺そうとしたんだよ!?」
リーンの言葉が、カイトの心に重くのしかかった。
彼女の言葉に、ルインを抱き寄せながらアレックスは、目を瞑る。
この空間の誰もが彼の言葉を待つかの様に、静寂だけが流れ続けた。
やがて、アレックスが静かに口を開いた。
「…………ギルドの規則で、クエスト中にパーティーメンバーが死んだら、ペナルティとしてパーティーランクが降格されるからな」
決して大きくは無い声。だが、その声色は全員の耳にはっきりと届いた。
アレックスの言葉に、リーンは息を呑む。
やがて、彼女は視線を数往復させる。
アレックスとルイン、そして傷だらけで倒れ伏すカイト。
それを繰り返したリーンは一度目を閉じる。
そして暫くの後、勢い良く首を横に振りその目を開いた。
彼女の視線がカイトに固定される。
そして腰に掛けられているポーチから、液体の入った小さな容器を取り出し、蓋を開けて中身を思い切りカイトへとかけたのだった。
リーンが持っていたそれは、ハイポーション。
致命傷以外の傷であれば治癒してくれるという回復アイテム。
だがその効能に見合った価格の為、容易に使える代物では無い。
既に魔力が空となった彼女は、ルインとカイトを治す為に保険用で持っていたハイポーションを使ったのだ。
時間が経てば失血死をしたであろうカイトだったが、現時点では致命傷までは行かなかった様で身体が徐々に回復していく。
やがて、そう間を空けずに彼の身体は治癒したのだった。
痛みが無くなった身体を確認し、カイトが静かに立ち上がる。
リーンに顔を向けて、静かに口を開く。
「……リ、リーン、ありがとう」
だがリーンは完全にそっぽを向いており、カイトの感謝を受け取る気配は無かった。
それも仕方無いと、カイトは続けてアレックスとルインに身体を向ける。
そこで初めて、カイトの視界にルインが映り込んだ。
カイトが知っている彼女らしくない、青白く生気が抜けた様な顔色、縋るかの様に必死にアレックスの服を握り締めているその姿は、激しくカイトの心を揺さぶる事となった。
これが、自分が仕出かした現実。
その思いに、気付けば二人に向けて頭を下げていた。
思考も纏まらないままに、カイトは口を開く。
「ほ、本当にごめん! 俺の勝手な判断でこんな事になって、本当にごめん!」
考えるより先に口から言葉が出ている様な内容で、カイトは謝罪を繰り返す。
許してくれるまで謝るしかない。カイトの脳内はそれだけが占めていた。
カイトはとにかく、謝罪を続ける。
「次からは気を付けて絶対に二度とこんな事――」
だが、それ以上続ける事は出来なかった。
「カイト」
それはアレックスの言葉であり、
「――クエストの報告完了次第、お前はこのパーティーから追放だ」
リーダーからの宣告だったのだから。