上中下の上
日数のかかった依頼をこなして帰ってみると、集落総出で詰め寄られた。
是非会って欲しいという手紙が来たのだが私が帰らなかったため日にちをおいて確認の手紙が重なり、電話が来て、とうとう家にまでやって来たのだそうだ。
この集落には道に迷った者が訪れることはまぁまぁあるが、よそ者が狙って訪れることはとても難しく、女性一人が都会の洗練された服をみごとに着こなして家に来たときは子供達も声を失い、集落の武闘派達も質実剛健の車で乗り付けてスタイリッシュな女性が降りたときの足の運びからして呑まれてしまい、そのまま舎弟になってもおかしくなかったそうだ。
机に置かれた手紙を開けてみると、最初のうちは依頼人が私に会いたがっているので会ってくれないかとあり、二通目は依頼人が危篤に陥ったのでどうかとあり、三通目は依頼人が昏睡状態に陥ったからとだんだんディープな内容になり、この家に来たときは依頼人から遺産の相続を指定されたので是非、となったそうだ。
「めんどくせーなー」とぼやいたらみんなから怒られた。
私は学生時代にクラシック音楽にのめり込んでいたのだが、オペラにはそれほど興味がなく見に行ったこともない。くだんの依頼人は私がクラシック音楽から離れた後にデビューしたオペラ歌手で、名前は耳にしたことがあるかないかというくらいだ。
しかしその道では有名な人で、大がかりのプロジェクトで主役を張った人が急病で降板し、代理の歌手を探したがオーケストラの指揮者の眼鏡にかなう歌声の持ち主がみつからず、主催者は何人も何人も用意したがことごとく却下され、とうとう「これで駄目ならプロジェクトは中止だ」と〝最後の切り札〟として呼ばれたのが依頼人なんだとか。
指揮者は切り札氏の声を気に入りプロジェクトは続行、大成功を収め、氏はそこから輝かしい活躍を始めた……というのだが私はちっとも知らなかった。
さらにその切り札氏が私を指名して遺産相続人の一人に?
なんじゃそりゃ。
推理小説なら事件に巻き込まれる定石そのままである、嫌だよそんなんと思うのだが、みんなから何度も手紙を寄越して家まで来た彼女の苦労を考えろと説教され、
「目指してここに来られるなんて並大抵の人物じゃない。機嫌を損ねて敵に回られたら恐ろしいことになる。きちんと話を聞いて印象を良くしろ」と言われたら無碍にもできない。
すぐに電話で連絡を取り、切り札氏の家がある地域の高速鉄道停車駅で待ち合わせを決める。
待ち合わせの時間の数分前に喫茶店に入り、入り口から見やすいところに座ると、定刻ちょうどに細身で格好いい女性が到着した。
なるほど身なりにも動きにも全く隙がない、別に武術などは身につけていないようだが、まぁ集落の連中は知性に弱いわな、私も弱いけど。黒を基調としたスーツにパンツファッションに興味がなければ「すごい服だ」といか語彙が出ず、私でようやく「どこのブランドだよ!」だがその着こなしに黙らせられる。田舎者にとっては戦闘用の武器ではないが交渉事では兵器となる服である。
私を見て「はじめまして」という声が高くもなく低くもなく、テナーという声域というのか、声質も耳を覆う感触がする。
お互い名乗ってから
「すいません、私のやり方は変わってまして」と言って、鞄からB5サイズのノートと万年筆を取り出し、日にち、時間、喫茶店の名前と住所を書き始め、さらに喫茶店の内装や他のテーブルのことも書きながら用件を話し出す。
依頼人が私に頼みたいことがあったのだが連絡が取れず、死の間際まで私と会いたがって、と説明しながらノートに万年筆ですらすら今の状況を書いている。相対で座っているからこちらから見れば字は上下逆さになるのだが、書き損じが一切無い、それだけもすごいのだが、彼女の目線は下にあって字を書きながら話していて、私に突きつけるのはおでこである。
決してデコッパチではない普通のおでこなのだが、髪が真ん中から分けられていてこちらに突きつけられるのでどうしても目がいってしまう、服装、身のこなし、喋りながら誤字なし、書いてる内容も正確とすっかり呑まれてしまい、おでこから超能力を発しているかのごとく追い詰められ、そして話が一段落したときキッと顔を上げ
「依頼人の遺産を受け取っていただきたいんですよ」、
その視線に否も応もなく頷かされた。
返事にぐずっていたら店内の見取り図まで描き始めそうだ。