第3話:ピカイアについて
「ねえ、『フリッカー融合頻度』って知ってる?」
佐々木は徐に口を開いた。
聞きなれない言葉に僕は眉を顰める。
「えっと……フリッカー……?」
「『フリッカー融合頻度』だよ、『世界を捉える速度』のことなんだけど。」
「……『世界を捉える速度』。」
「そう。」
佐々木はつむじのそばの髪の毛を持ち上げて、ぐにぐにと弄っていた。中性的でサラッと伸びた髪の毛が、6月の湿度を受けてそこだけ無造作にはねる。
「ええと、どう説明すればいいかなあ......」
考え込む佐々木の横で、僕は何も言わずに次の言葉をじっと待つ。
今日は静かな雨が降っていた。僕らの学校の屋上には、中が空洞で屋根のある、大きな時計台が乗っかっていたから、雨の日はその中に座り込んで駄弁るのが常だった。
時計台の中は埃っぽくてそこらじゅうに蜘蛛の巣があったから、他の誰も時計台の中で昼休みを過ごそうなんて考えはしなかったけれど、だからこそ雨の日は屋上に誰もいなくなって、佐々木と話すには好都合だった。
佐々木はまた、徐に口を開く。今日の佐々木は少しだけ眠たそうに見えた。
「まず、そうだね、多くの生き物は、世界を『コマ送り』で認識しているんだけど。」
「『コマ送り』。」
「そう、『コマ送り』。」
「アニメなんかとちょうど同じようにね。目で捉えた一瞬一瞬をコマ送りにして世界の動きを認識してるわけ。」
「へぇ!」
佐々木は人差し指をピンと立てる。
「実はこれはかなり語弊のある言い方で、本当は全然違っててさ、生物の知覚ってそんなに簡単じゃないんだけど、それは本題とずれるから一旦置いておいて。」
「うん。」
佐々木は続ける。
「そんで『フリッカー融合頻度』ってのは、その『コマ送りの速さ』のことを言うんだよ。簡単に言えばね。『フレームレート』、って言うとわかるかな。1秒間にどれだけの枚数、世界の写真を撮っているかの頻度が『フリッカー融合頻度』って呼ばれるわけ。」
なんとなく納得する。
「ああ、なるほどね。『世界を捉える速度』っていうのは、『世界のコマを1秒間にどれだけの回数細かく撮るか』、みたいなことか。」
「そう!」
佐々木は眠たそうな目をすうっと細めて、嬉しそうにニコニコする。
「それで、このフリッカー融合頻度っていうのは生き物によって違ってね、今日はそれについて話したかったんだ。」
砂埃で塗れたタイルの上を、一匹の蟻が時折止まりながら、ジグザクに歩いていく。佐々木はそれをじっと見つめていた。
「ヒトのフリッカー融合頻度は、大体70ヘルツから100ヘルツらしい。一秒間に大体70枚から100枚の写真を撮って、それをコマ送りにして世界を認識していることになるね。対して、ハエのフリッカー融合頻度は250ヘルツを超える。一秒間に、ヒトの3倍から4倍の枚数の写真を撮っていることになる。」
僕は人差し指を蟻の近くにそっと置く。蟻はトコトコと僕の腕を登り始めた。
「そして実は、ヒトがハエを捕まえるのが難しい原因の一つは、ここにある。」
「へえ!」
僕は手のひらを上に向けたり、時々ひっくり返したりして、佐々木の話を聞きながら、手の上を歩き続ける蟻を眺める。
「『フリッカー融合頻度が高い』っていうことは、『動体視力がいい』、というふうに解釈できてね。時間に対して細かく写真を撮っている分、一つ一つの動きの時間変化が、より細かく把握できることになるからさ。少し論理の飛躍くさく感じるかもしれないけれど、大雑把に言えば、『フリッカー融合頻度がヒトより高い』ということは、『ものの動きをヒトの感じ方よりもゆっくり感じられる』とも言えちゃうわけ。だからほら、よく漫画のラスボスなんかが、『お前のノロい動きなんて止まって見えるわい!』とかなんとかいうけれど、ハエにとってはまさしくそんな感じでさ、ヒトの動きがゆっくり見えるんだろうね。」
「ああ。なるほどね。面白い!時間の感じ方も生き物によって全然違う、っていうことか。」
「そう。」
佐々木は体育座りをして、眠たそうに自分の膝に顔をうずめる。
「まあ、話を簡単にするために色々端折ってはいるけれど、でも僕が時々面白くなるのはさ、『それぞれの生物にとっては世界が全く違って見えている』ってことで。それは時間に限った話ではないのだけど。』
佐々木は、やはりなんとなく劇的に、僕の手のひらの上の蟻を指差す。
『その小さな蟻だって———きっと僕らとは違う世界を見ている。」
僕は手のひらの上の、真っ黒な蟻から見える世界に思いを馳せる。
この小さな蟻は。
一体何を見て、
一体何を感じて、
一体何を考えて。
時間をどう感じるのだろう。
一体何次元の世界を見つめているんだろう。
匂いは。
色は。
位置は。
味は。
磁場は。
かたちは———。
一体どう知覚するんだろう。
———宇宙だ。
この小さな蟻は、目の前の「僕」を「僕」と認識していないかもしれない。
この小さな蟻は、「風」を「風」と認識していないかもしれない。
そもそも生物と非生物の境界線も曖昧で、昨日と今日も、生と死も、3分前と、3分後も、全て同列に語る世界にいるかもしれない。
決して人間が知ることはない、知り得たとしてもそれは、「人間にわかりやすく感じられるように」切り取られた、模型としてしか知り得ない、そういう未踏の、茫漠たる宇宙を、僕の手のひらの上の1gにも満たない蟻が支えているように感じられて、僕はなんだか少し嬉しくなった。
手のひらの上の、宇宙だ。
隣の佐々木はいつの間にか目を閉じて、すうすうと寝息を立てていた。
そういえば佐々木は低気圧に弱くて、今日のように梅雨の時期はいつも眠たそうにしていたなぁと今更思い出す。
時計台の外の雨は少し強くなって、雨の音が心地よく聞こえる。夏服のシャツじゃ今日は少し肌寒かったなと思いながら、手のひらの上の蟻を、床の上にそっと帰す。
僕も佐々木と同じように体育座りをして、目をつむる。
目を閉じると、雨の音が若干遠くなったような感じがしてなんだか面白かった。
そういえばいつか、こんな風に静かな雨の日に、『最小時間』というものについて佐々木と話したことがあったなぁと、ふと思い出す。
『もの』を『原子』という『ものの最小単位』まで分解できるように、『時間』というものを『最小時間』というレベルまで分解できるのではないか———。
確か、『最小時間』というものに、とりあえず『ピカイア』という名前をつけたのだけれど、結局時間というものは人間が仮定した連続的な量だから、測定精度に限界はあっても、分解する限界があるはずはない、ということでピカイアは存在しないことになった。
でも、ごくごく短い時間、例えば数億分の1秒を、とりあえず『1ピカイア』として。
そして更に例えば、3ピカイアしか生きられない生命がこの世にいたとして。
そういう生物は、フリッカー融合頻度がヒトよりもずいぶん高くて、僕らのことを『ずっと静止している物体』としてしか認識できないことになる。
実はどこかの世界の片隅に、そういう生物が存在していて、しかし人間に認識されることなく、生まれては死んでいるかもしれない。
恐竜が誕生してから絶滅するまでの約1億年を、ちょうどそれと同じように、僕らのスケールでいう1秒間のうちに繰り返して———つまり3ピカイアの命が繁殖と盛衰を何千回と重ねて———そしてまた、人間が知らないうちに、ひっそりと絶滅しているかもしれない。
嬉しくなる。
あるいは、宇宙にとって。
蟻も、僕も、真木も、そして、佐々木も———。
3ピカイアの、たったそれだけの生命なのかもしれないなと、何となく思った。
目を閉じて思案しているうちに、途端に眠たくなって、静かな雨がまた、すうっと遠くなっていく感じがした。
『…………』
ふと、佐々木が膝を抱えて泣いていたのを思い出す。
何か、喋っている。
『…………』
しかし、思い出の中の佐々木が何を話しているか聞こえなかった。
佐々木は膝に顔をうずめて、泣き顔を隠す。
『…………』
静かな雨の音だけが、思い出の中を反響する。
睡魔に手を取られて、意識がゆっくり遠のく。
『…………』
辛そうな声が、聞こえた気がして。
『…………』
たった一つの言葉だけ、鮮明に聞こえた。
『僕を殺してくれ、佐藤。』
それが一体いつのことだったか———つまり何ピカイア前のことだったかは、思い出せないまま———僕は意識を手放した。