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第2話:真木について

「佐藤。」


ぶっきらぼうに名前を呼ばれて、教室に向かう足を止める。


振り返ると、尖ったつり目に小綺麗なショートカット、ラフに着崩された制服———。


1年から同じクラスの、真木(まき)だった。


僕はぎこちなく、『よう』とも『おう』ともつかないような返事をした。


「あー……えっとさ。」


真木は、耳のピアスの跡をめんどくさそうに掻きむしった。


「えっと……何?」


気まずさを感じて、僕は真木から目を逸らす。


「お前、数学のプリント、まだ出してねぇだろ。」


虚をつかれた感じがして硬直する。


「あぁ、うん。」


「放課後までは待つからさ、早めに。よろしく。」


僕の返事を待つ素振りもなく、真木は教室の方にスタスタと歩いていった。


そうか、アイツ、数学の係だったっけ。


僕も同じ教室に戻ろうとしていたところだったけれど、なんとなく真木にはついていきたくない感じがして、教室とは逆方向のトイレに向かった。


真木を見ると思い出したくない光景が頭を掠める。佐々木が死んでから、僕は真木と上手く話せなかった。


突き当たりを曲って男子トイレのドアを開けた。トイレには誰もいなかったけれど、個室に逃げ込む。安っぽい芳香剤の匂いがした。


鍵をかけて、ドアの方に体重を預け、大きく息を吐く。



真木、曇り空、アスファルト、水たまり、体温———。



コンクリートの壁に頭を軽くぶつけて、その光景を振り払おうとする。鈍い音も、鈍い痛みも、今はなんとなく、他人のことのように感じられた。



なにか別のことを考えろ。


別のことを、なにか。



すぐに思い浮かんだのは、さっきまで朗々と飲料Aについて語っていた、佐々木の綺麗な横顔だった。


額と、長い前髪の間に右手を突っ込んで右目の周りに手を当てる。



今の佐々木は一体『何物』なのだろうか。



目を閉じて、右目に自分の体温を感じながら、思案する。


“地縛霊”。その言葉が一番しっくりくる気がしたけれど、その言葉は“なんとなく”実情と反している感じもした。


地縛霊という言葉が『一番しっくりくる気がした』というのは、死んだはずの佐々木が昼休みの屋上に限って現れたので、『地縛されている幽霊』という表現は、一応は的を得ている気がしたからだった。


ただ、僕がイメージする幽霊より、彼はずっと鮮明で、ずっとリアルで、ずっと、「生きている佐々木らしかった」し、佐々木が『昼休みの屋上』に地縛されるような最もらしい理由は、どれだけ考えても特に見つからなかったから、地縛霊という言葉は『“なんとなく”実情と反している感じもした』。


ちなみに、佐々木はどうやら僕以外の人には見えていないようだったから、僕は、『今の佐々木は僕の作りだした幻想である』なんて考察もしたけれど、この前、佐々木は僕が名前も聞いたことのないアマゾンの動物について、目を輝かせて語っていた。今の佐々木が僕の作りだした幻想であれば、『僕の知らないことについて』楽しそうに語るということはおそらく有り得ないので、この説は却下された。


また、『僕も実は死んでいて、2人で仲良く死後の世界で暮らしている』なんてことを考えたことがあったけれど、そうであれば佐々木は昼休みの屋上に限らず、死後の世界の教室で、僕と気だるそうに授業を受けているはずだったから、やはりその線も薄い。


結局いつ考えても、今の佐々木が一体何物であるかは、よくわからなかった。



でも、それでいいと思っている自分もいた。


今の佐々木が何物であるかを暴く必要性は、どこにもなかったからだ。


例えば、佐々木に直接触れて、佐々木が物理的に、そこに存在するかどうかを確かめるということも出来たけれど、もし今の佐々木に触れてしまえば、風を受けた綿毛のように、佐々木が空中に霧散して消えてしまうような感じがして、気が進まなかった。


また、佐々木に『君は本当は死んでいるんだ』と告げてしまえば、佐々木が自分の死を自覚して、絶望して消えてしまうという未来も考えられないことはなかったし、それは別としてなんとなく、『君は本当は死んでいるんだ』と伝えることは佐々木に申し訳ない気がして、やはり気が進むことではなかった。


僕は佐々木と話をするのが好きだったから、現状佐々木と話ができるだけで嬉しかったし、上記のような理由で、今の佐々木が何物であるかを暴くためにすることは、すべて気が進まなかったから、今の佐々木が何物であるかわからないままで問題はないと考えていたのだった。



だんだんと思考が落ち着いてきて、さっき頭を打ちつけた壁にもたれる。


僕は、目の前に書かれた小さな落書きを、読むわけでもなくぼんやりと眺める。


佐々木が何者であるか考えるといつも、疑問に思ってしまうことがあった。



『佐々木は本当に生きていたのだろうか』———。



もう教室に佐々木の席は無かったし、僕の周りの世界は、佐々木がいないことを当然のこととして動いていた。


それに、佐々木が死んでから数ヶ月間の、佐々木のことについては無理にでも触れないようにする、あのギクシャクとしたぎこちなさがどこにも見られなくなったから、『佐々木が生きていたこと』、それ自体が信じられない気分になるのだった。


また、今の佐々木と話すと、『白昼夢を見ている気分に』なって、どうも自分が生きている現実というものに懐疑的になったから、『佐々木なんてもともと存在していない』という考えも、もっともらしく、腑に落ちてしまうときがあった。



けれど。



『佐々木君が亡くなりました』とホームルームで告げられた日の帰り道。


一日中教室に降りていた、ざわめきや、すすり泣きや、沈黙が、外の世界には、どこにもなかった。


やけにうるさい音を上げて、通りを急ぐバス。


コンビニの無機質な冷たい光。


特に面白くもない広告を、大袈裟に垂れ流す街角のディスプレイ。


その、どれもが『いつも通り』だった。


どうしようもなく、むかついた。


むかついて、それで、泣いていた。


悔しかった。


佐々木が死んだことは、おそらくはこの世界の大部分の様相を、何一つ変えやしなくて、


誰かにとっては、昨日も、今日も、明日も、何も変わらずに過ぎていく日常で、


偉そうに光を放つ、空の人工衛星も、佐々木が死んだことなんて歯牙にもかけず、明日も馬鹿みたいに、天気がどうとか、雲の様子がどうだとか、そんなことしか気にしない。


今日何人かで手を取り合っておいおい泣いていた、佐々木と話したこともないはずのクラスの奴らは、どうせ明後日にはなんにもなかったような顔で、アイドルや、テレビの人気番組や、ドラマの話に花を咲かせるんだろう。


そのとき僕は全てが腹立たしくなって、街の隅の公園で、ずっと泣いていた。


そのときの涙の感触が、僕の頬にはずっと残っていて。


その、頬に残った涙の感触は、しかしどうしようもなく、『佐々木が生きていたことの証左』だった。



『佐々木は、生きていたんだよな。』



思い出の中の、辛そうな、振り絞った声が、頭の中で反響する。


「ああ。」


声の主を思い出す。


アイツは、すすり泣きやざわめきやらが渦巻く、あの教室の中で、一人だけ、曇った空の方を、何も言わずじっと眺めていた。


今より髪がずっと長かったが、ネコを彷彿とさせる尖ったつり目は、やっぱり、ずっと変わらないままだなと、ぼんやり、今更当たり前のことを感じる。


僕は、姿勢のいいそいつが、あの時泣いていたか、それとも泣いていなかったか思い出そうとして———授業開始のチャイムが鳴って現実に引き戻される。


まずい、授業か。


個室のドアを開けて、洗面台で手を洗う。


アイツの凛とすました横顔が、頭から離れなかった。


蛇口を捻って石鹸を流す。


鏡に写った自分の顔は、『いつも通り』だった。


『佐々木は、生きていたんだよな。』


アイツは。


———真木は。



佐々木のことが好きだった。

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