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空は青く、白い雲が気持ちよさそうに動いている。風に揺れる道端に咲く花をティアナは迎えに来た馬車から眺めていた。
家に着くと、出迎えた侍女の様子がいつもと違った。
「ティアナ様、お帰りなさいませ。それで、あの…」
「…もしかして、ルイス様がいらっしゃっているの?」
1か月前と同じような侍女の反応にそう尋ねれば、大きく頷いた。連絡が来ていただろうかと心配になり、後ろに控えるマヤを見ると、意図を汲んだように首を左右に振る。
「客室でお待ちです。今日は、旦那様も奥様もいらっしゃらなくて」
焦っている侍女の様子に合点がいく。相手をできる人がいないから、ティアナの到着を心待ちにしていたのだろう。ティアナは一つだけ息を吐くと、すぐに客室に向かった。
「ティアナ嬢、おかえり。学校は楽しかった?」
ノックをし、部屋に入るとルイスがティアナを迎え入れた。
「…今日、お越しになるとは思いませんでした」
「うん、そうだろうね。言ってないから」
「…」
「昨日の様子がおかしかったから、心配で来ちゃったよ。ちょうど、時間が空いたから」
「…なんでもないと言ったはずですわ」
「うん、確かに聞いた。じゃあ、言い方を変えるよ。君に会いたくて、時間がたまたま空いたから、連絡もせずに会いに来ちゃったんだ」
「…」
「ほら、そんなところに立ってないで、こっちに座ってよ」
ルイスはまるで自分の家であるかのようにティアナを手招いた。その反応に、ティアナはしぶしぶ従い、ソファに座る。
「今日のお土産は君の好きなカフェ、ハイデローゼのマドレーヌだよ」
「別に好きだなんて言って…」
「この前持ってきたときに口角が数ミリ上がってたよ。好きで間違いない、だろ?」
言葉尻を取られ、言われた言葉にお茶の用意をしていた侍女から小さく歓喜の声が上がった。別の人が言えば引かれてもおかしくない台詞だと思うが、さすがイケメンだなと隣に座る婚約者の顔をティアナは盗み見た。
「ん?」
「いつも、ありがとうございます。でも、毎回何か持ってこなくても大丈夫ですわ」
「いいんだ、俺が楽しいからね。聞いても教えてくれない君の好きな物を探すのも楽しいよ」
「…」
思わずティアナはルイスから視線を外した。ルイスは度々ティアナに欲しいものや好きな物を聞いてくるが、いつもティアナは答えることはしなかった。
「それに、ティアナ嬢とおいしい物を食べたい俺のためでもあるし」
「…」
「ねぇ、ティアナ嬢」
「はい」
「…これで、聞くの最後にするから、もう一度だけ聞いてもいい?」
「え?」
「昨日、何かあった?」
それは真剣な顔と声色だった。心配されていることがわかるから、ティアナは視線を逸らすことができなかった。
「俺じゃあ、頼りにならないかな?」
「…マヤ」
ルイスの質問に答えることなく、ティアナは信頼している侍女の名前を呼んだ。突然のことであるが、マヤは即座に反応する。
「はい」
「少し、みんなと外に出ていてくれるかしら。もちろん、扉は開けたままでいいわ」
「…」
「お願い、少しでいいから」
「承知しました」
マヤは一拍置いてすぐに、了解を示した。他の侍女に声をかけて外に出る。客室は、ティアナとルイスの二人だけになった。
「ティアナ嬢?」
「…事業提供を、父に申し出てみます」
「え?」
「だから、婚約を破棄しましょう」
ルイスだけに聞こえるようにティアナはそう告げた。貴族同士が公的に結んだ婚約はそう簡単には破棄できない。だからこそ、ルイスと内密で作戦を練る必要があった。
ティアナの突然の申し出に、ルイスは怪訝そうな表情を浮かべている。確かに、ティアナはルイスの質問には答えてはいない。けれど、昨日の出来事があって、自分なりに考えた結果だった。
ティアナは、ルイスに幸せになって欲しいと思ったのだ。
「ごめん、今なんて?」
思いも寄らぬ話にルイスが戸惑っているのがわかる。けれど、ティアナは話を続けた。口を動かすことを止めれば、言うはずのないことを言ってしまいそうに思えたから。
「ガイラ家の領地で見つかった鉱脈は王家を支えるドリアス家にとって必要なものだと思います。それに、一つの貴族が力を持ちすぎないよう制御する思惑もドリアス家にはあったでしょう。…けれど、父はこの国が不利益になることは決してしませんわ」
「…それで?」
「政略結婚は必要ありません」
「…」
「結婚という形でつながりを作らなくても、両家が協力していく未来は築けるはずですわ。おそらく、父は、私の結婚相手を探しており、両家の思惑が合致した結果の婚約なのでしょうが、私の結婚は別の人でも問題ありませんし、結婚しなくてもこの家を守っていけると思っております」
「…」
「私はこの家の一人娘として生まれ、この家と領地を守って行くことを幼い頃から教えられてきました。確かに未熟ですが、これからは父の仕事に同行し、学んでいきます」
「…」
「私は幸いにも勉学は嫌いではありません。今以上に努力をすれば、父も納得してくれるはずですわ。もちろん、私ではドリアス家と協力していく上で、ご迷惑をかけることはあるかもしれませんが、今はまだ父がおります。父はまだ40代半ば、隠居まで時間はありますわ」
「…」
「いかがでしょうか?」
「婚約破棄して、他の人と結婚するって?……どうしてそんな話になるの?」
ずっと黙って聞いていたルイスが口を開く。その言葉に含まれていた怒気にティアナは気づかなかった。だから言葉を素直に受けとり、伝わりやすいように一度頭の中で整理すると、まっすぐルイスを見る。
「ルイス様の望みは、恋愛結婚をすること。そしてブライト家とガイラ家、両家の関係を強化すること。それならば、事業提供で両家を結びつけ、ルイス様は恋人と結婚すれば、全てうまくいきますわ。ルイス様が家を継がないのなら、身分の低い方でもよいのではないでしょうか」
「いや、だから!なんでそんなことを考えたのか聞いてるんだけど」
「…ルイス様と婚約してから、とても親切な方々が多くおりましてね。マリア・ベルネット様との関係を教えてくれるのですよ」
「…マリア嬢?」
「はい。お二人は恋人だったのでしょう?それを我が家が引き離してしまった。ただ、たまたま領地で鉱山を引き当てたというたったそれだけの理由で」
「それで、自分は身を引くって?」
「ええ」
「ねぇ、ティアナ嬢。……それって嫉妬?」
「…はい?」
「マリア嬢の名前が出てから急に目線が合わなくなったよ?」
「…たまたまですわ」
「でも、急に婚約破棄なんて、どう考えてもおかしよね?」
「…」
「俺のこと、好きになった?」
「何を…」
「だって、そんな顔してる。言っただろう?女性の表情を読むのは得意なんだ。特に、ティアナ嬢の表情を読むのは、得意になったはずだよ」
自分がどんな顔をしているのか、ティアナにはわからなかった。確かに話の脈絡はなかったかもしれない。けれど、それはルイスのことを考えた上で出した答えだった。
周りからルイスの噂を聞くのが好きだと言えば嘘になる。ルイスとマリアが並んでいるところを想像すれば、胸は苦しくなった。けれど、それは嫉妬なのだろうか。
好きになったのかもしれない。毎回手土産を持ってきてくれるマメさも、ティアナのことを理解して、結婚後も学校に通っていいと言ってくれる優しさも。
ティアナに他国のことを教えてくれるときのキラキラした表情も、自分の表情の変化に気づいてくれるところも。
その全てに心引かれていたのは事実だ。けれど、認めたくなかった。