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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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七、先零羌にて、侮られること

「まずはどこへ向かう?」


 村人に見送られ、シーエイとティナは零晶を出た。

 長い旅になりそうだが、ティナは意外と楽しそうだった。

 話を聞くと、よほど許の修行が辛かったようだ。

 覚えることは多岐に渡り、それを夜間にやるものだから居眠りをして叩かれてひどい目にあったと愚痴を聞かされた。

 そこから解放されたのだから、楽しげなのも無理ないことだった。


「先零の盧落ろらくに向かう」

「先零とは、たしか零晶の本家の氏族だったか?」

「そう。先零の中の穏健な者が独立したのが零晶だ」

「血の気が多いのが残っていると?」

「そちらの方が羌人らしい、とも言えるけどな」

「はあ、なるほど」


 二人は馬を緩めに走らせる。


 羌族は遊牧民である。

 その盧落の位置は定まっていないため、馬を急がせて村を通りすぎてしまっては無駄足になる。


「とは言っても、それぞれの氏族の縄張りはあるから、そこから大きく外れなければ問題はないけど」

「本拠が定まらぬのは、面倒ではないのか?」

「それが草原の民たる羌だもの」


 なるほど、とシーエイは思った。

 縛られぬ自由とは考え方から違うのだ。

 本拠、拠点、中華の民は己の芯となる場所を求める。

 そこに拠って立つことが、而立じりつということなのだ。

 しかし、羌族ら草原の民は違う。

 己というものはすでにあり、どこにいても己は己である、という信念がある。

 信念があるからこそ自由の中で己を律しえる。

 自律じりつできる。


「面白い」

「漢人はやはり変だな」

「俺を漢人の代表みたいに思わないでくれ」

「私の知る漢人はお前だけだ。そしてお前は変だ。つまり漢人は変だ」

「ひどい誤解だ」


 軽口を言い合いながら、二人は進む。

 春の風が吹き込み、ティナの髪を揺らす。


「暖かくなってきた」


 髪をかきあげるティナの笑顔にシーエイは少しの間、止まる。


「……」

「どうした?」

「いや、なんでもない」

「変なヤツ」

「……行こう」


 二人は草原を笑いながら行く。


 そして、数日後。

 先零氏族の盧落にたどり着いた。


 零晶よりも村の規模が大きく、天幕も多い。

 煮炊きの煙も数多く天に伸びている。


「何者だ」


 村の周囲を警護していたらしき、先零の戦士が声をかけてきた。

 声をかけられるまでシーエイは気配に気づかなかった。

 零晶でもそうだったが、一人一人の戦士の質が漢の兵士より圧倒的に上だ。

 故里の村や、郡を抜ける時に見た兵士の姿を思い出しながらシーエイはそう感じた。


 誰何の声にティナは馬を降り、膝をついた。

 シーエイもそれにならう。


「零晶のティナでございます。シュイの教えを受けるため、参じました」


 えらく立派に話したティナに意外に思いながら、シーエイは頭を下げる。


「零晶のティナ。汝のことはわかった。だが、その漢人はなんだ?この先零の村に何の用だ?」

「俺は」

「これなるは羌に下りし者。我が旅に我が弓として仕える者でございます」


 シーエイの返事を遮って、ティナは説明した。


「ほお。奇特な奴。それにしても弓か」


 戦士の目がシーエイに止まる。


「我が目的が叶わぬのでしょうか?」


 戦士が一向に、入場の答えを出さぬことにティナはイライラしながら問いかける。

 基本的に羌族は同族の交流を制限しない。

 困っている時は助ける、というのは羌族全体の考えだ。

 まして零晶と先零はもともと同氏族。

 ここまで止められるのはティナに対する、ひいては零晶に対する侮蔑にもなりかねない。


「ああ、すまない。許見習い殿は先零の許のところに行くがいい。中央の天幕のいるはずだ」

「え、あ、はい」

「護衛殿は我らと来てもらおう。何、先零の村の中で危険なことなどあるまいよ」

「ならば。……行ってくる」

「ああ」


 そのままティナはこちらを見ずに中央の天幕の方へ向かっていった。


「惜しいな」


 ポツリと戦士のもらした声にシーエイは反応した。


「惜しい?」

「ああ。たたずまい、判断力、鍛えればよい戦士になる」

「女でも戦士になれるのか?」

「才あらば男女の別はない……と、立ち止まらせてしまったな」

「それで、俺はこれからどうなるんだ?護衛の修行というわけではないだろう?」

「そう急くな。俺は先零の戦士ガアカだ。ちと来てもらおう」


 縦にも横にもデカい。

 それがガアカの印象だった。

 背には弓、腰には鉄刀を挿している。

 鉄刀の装飾が凝っている。

 もしかしたら、ガアカは氏族の中でも上位の戦士なのかもしれない。


「俺はシーエイだ」

「シーエイ?漢人の名にしては妙な名前だ」

「本名は好きではない」

「漢人には名が二つあるものな。嫌いになるのもわかるぞ」


 漢人には名が二つある。

 一つは本名であるいみなだ。

 これはその人物の本質であり、信頼する上司や親などしか呼ばない。

 身分の低い者などがみだりに諱を呼ぶと、そのまま処罰されてしまっても文句は言えない。


 もう一つはあざなだ。

 これは普段呼んでもいい名である。

 といっても親しくないものが呼ぶと失礼にあたる場合がある。

 また、字はその家の中での関係性を示す時もある。

 例えば孟や伯という字を使っていればその家の長男であることを示している。

 仲の字は次男、叔は三男という具合だ。


 その使い分けが面倒だ、とガアカは思っているのかもしれない。

 そして、中華の名前のことを知っている彼は見た目の豪快さに反して情報を重視しているのかもしれない。


「そのようなものだ」


 ガアカは笑い、そしてシーエイを連れて村の方へ進みはじめた。

 どうやら、シーエイも入場の許可が出たようだ。


「お前を止めたのはな。許見習い殿がお前を“弓”だと紹介したからだ」

「弓だと何かまずいのか?」

「弓は草原の民である我らにとって重要な武器だ。余所者である漢人に対してそれを示すことに、いささか疑問がわいてな」

「それで」

「ということは、お前はよほど零晶の者に認められたということになる。それも弓の腕でな」


 わずかな言葉でもここまでのことがわかるのか、とシーエイは驚く。


「その疑問があるとまずいことが?」

「いいや、特に。ただ羌人に弓を認められる漢人の腕前を知りたいと思ってな」


 ガアカが案内したのは、戦士たちの詰所らしき天幕だった。

 村の外れであり、弓の的が幾つか置かれている。

 零晶では見なかった若者が弓の練習をしている姿もある。


 彼らの目が一斉にシーエイを見た。

 そしてすぐに興味なさげに目をそらした。


「どういうことだ?」

「弓の名手には特徴がある。弓を持つ手より弦を引く手の方が力を使うため肉が付き、長くなる。弓を打つ際に馬から落ちぬように太ももに肉がつくために太くなる」


 確かに練習をする者たちはそのような肉体になっている。

 対してシーエイはそのような特徴がない。

 なので羌の若者はシーエイのことを侮ったということか。


 面白い。


 シーエイの顔を見たガアカはわずかに怯んだ顔をした。


「どうした?」

「いや、ほんのわずかだが虎のような顔をしたのでな」

「虎?俺はそれほど獰猛ではないぞ」

「いや、物の例えだ。気にするな」

「それで、俺も弓を射ればいいのか?」

「あ、ああ」


 シーエイの雰囲気が変わったのを察したか。

 練習していた若者は的を射るのを止め、シーエイを囲んだ。


 羌族の使う弓は木の弓を土台に動物の腱や角や骨などを張り合わせた複合弓である。

 その威力は小型ながら、中華の長弓に勝り、草原の民が強いと言われる要因の一つである。

 欠点は製作に時間がかかること、そして接着に使うにかわが湿度に弱いことだ。

 そのため、湿度の高い中華の地ではその威力を発揮できない、とされる。

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