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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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六、草原に台頭する者、そして旅立ちを前に

「なぜ十年も縮まった?」


 考えこんでいたティナが聞いてきた。

 族長は火に目をやり、口を開く。


「最近、漢の北が動き始めている」

「漢の北?匈奴きょうどのことでしょうか?」


 シーエイは漢初から帝国に脅威を与え続けた騎馬民族の名を挙げた。


「いや、匈奴は分裂して弱体化しておる」

「ではどこが?」

鮮卑せんぴ族じゃ」

「鮮卑?」


 シーエイの認識では、鮮卑は脅威たりえないくらいの異民族の一つだ。


「そうだ。わしらもこれまでは特に警戒もしておらなんだ。だが奴らの大人たいじん(鮮卑族の首領の誇称)の一人が圧倒的な実力を示して諸族を統一ようとしているのだよ」

「そんなことが」

「彼の名は檀石塊だんせきかい。彼はすでに鮮卑を半ば掌握しつつある。それに加え匈奴の残党、烏丸族を糾合したようだ。そして羌族の過激派も呼応しようとしている」

「そのせいで」

「檀石塊は必ず漢を襲う。ただそれまでにどのくらいの時がかかるか」

「それが十年、ということか」


 ティナは憤激を押さえて、納得したような、己をなんとか納得させたような顔をした。

 鮮卑に限らず、英雄的な人物が現れ氏族を統一し、中華に大打撃を与える。

 これは、何度かあったことだ。

 今は勢力を落としている匈奴も漢の初めには冒頓単于ぼくとつぜんうという人物が治め、漢帝国との戦いに勝利している。


 そして、今は鮮卑がそうなりつつあるのだ。


「約束を破ることになったのはこういうわけだ」


 族長はそれ以上の説明も、言い訳もしなかった。

 あとは、ティナの決断を待つだけ、というように羊汁をすする。


「その檀石塊が暴れれば羌も巻き込まれる。そうだな?」

「そうなるな」

「私が許にならなければこの零晶もガタガタになる」

「だろうなあ」

「わかった。許になる。旅に出る」

「すまぬな」


 きっと重大な何かが動いたのだ、とシーエイは思った。

 そして、そんなことを感じさせずに族長もティナももそもそと飯を食い、夕食を終えた。


「勝手に決めたが不都合はあるかね?」


 食事の後始末を終え、あとは寝るだけになった。

 ティナは帰る、と言って自分の天幕に戻っていった。


「元々、故郷を捨てた根無しですからね。特に不都合はないです」

「ティナは危うい娘だ。ここに来た時も約束をさせねば元の村に戻ろうとした」

「十年前の漢との戦、ですね?」


 趙沖が勝ち、そして羌人を何万人も連れ去った戦。

 その戦いのどこかに幼いティナもいたのだろう。

 族長は頷く。


「彼女が羌の許として生きるのなら、それでいい。何か生きる意味を持てるならそれがいい」

「生きる意味」

「死ぬことは当然。だが死に急ぐことはない。しかし無為に生きるよりは意味があったほうがよい」

「私はその旅に何を見出だせばよいのでしょうか」

「それはそなたが己の目で見つければよい。わしはその手助けをするに過ぎぬ」

「余所者の漢人にも、ですか?」

「ティナも言っておっただろう?羌族は助けを求める者を拒むことはない、と」

「確かに」

「わしは先零センレイの豪帥を紹介しよう。そこから先の道筋はそなたの器量次第だ」


 無弋爰剣から始まった羌族はおおよそ百五十の氏族に別れている、と族長は説明した。

 爰剣の直系である焼当ショウトウ氏、爰剣の曾孫であるにんの子孫が九氏族あり、忍の弟であるの子孫が十七氏族、爰剣の孫であるごうは強大化しつつあった秦国を恐れ遠く離れたところで卬氏族を形成した。

 長き時の中で、自主的にあるいは強制的に中華の地に移住した氏族もある。

 その全てに指導者である豪帥がいるわけではないが、もしシーエイが羌族の中に入るのなら、その豪帥らに顔を覚えてもらうのがよいだろう。

 そういうふうに族長は思ったのかもしれない。


「お心遣い感謝します」

「あるいは正式に許になる前にティナとの間に子を成してもいい。その子は中華の内外の羌を繋ぐ子になるやもしれぬ」

「は?子?」

「ティナは気に入らぬか?」

「そういうことでは」

「漢人はあまりにも形式を重んじる。もっともっと簡単に考えればよいのに」


 半ば冗談のように族長は笑う。

 ティナとの間に子を成す?

 確かに、ティナは野性的な魅力はある。

 シーエイも嫌いではない。

 だが、ティナとそういう関係になることは今はまだ考えられなかった。


「考えてはおきましょう」

「ふふふ、若き時はあっという間に過ぎるぞ」


 族長はひどく楽しそうだった。


 冬がやってきた。

 草原は枯れていき、川も凍りつく。

 村人は天幕にこもり、かたい干し肉を噛みながら春の訪れを待つ。

 冬至の日には、許が祭事を執り行い、ティナはその手伝いをしていた。

 そのころにはティナは夜に許の修行をし始めていたらしく、族長の天幕に姿を見せることは少なくなっていた。

 遠くの山々は白く染まり、草原にもわずかに雪が降った。

 毎朝霜がはり、夜は風が冷たく歩けないことが多かった。


 やがてゆっくりと草原は暖かくなってきた。


 シーエイは自分用に与えられた馬の世話をしている。

 黒鹿毛の気性のおとなしい馬で、シーエイの言うことをよく聞いてくれる。


「并州のあたりの匈奴には汗血馬という馬がいるらしい」


 と、同じように馬の世話をしていたトゥウンが雑談する。

 年の近いこの青年とシーエイは、この数ヶ月でよく話すようになっていた。


「血の汗を流すのか?」

「そんな怪我だらけの馬が速く走れるわけもなし、肌か毛が赤いのだろう」

「赤い馬か」

「はるか西の大苑ファルガナのあたりでは黄金馬がいると聞く」

「血の汗の次は黄金か。馬の種類もいろいろとあるな」

「匈奴はその真っ赤な馬を駆って草原を馳せるのだと言う」


 シーエイはその光景を夢想した。

 草原を駆ける深紅の馬、それに跨がるのは長身の若武者。

 絢爛たる鎧と長柄が陽光に煌めき、風をまとうように駆け抜けていく。


 自分の想像でしかないのにやけに現実的だった。


 放っておかれたと思ったか、馬がふんと鼻をならす。


「ああ、すまない。お前を忘れていたわけではない」


 と馬の滑らかな毛を撫でる。


「名は何て言うんだ?」


 というトゥウンに、シーエイは答えた。


烏騅ウスイと付けた」

「ウスイか」

「烏のように黒い名馬、という意味だ」

「なるほど黒鹿毛だものなあ」


 この騅という名は、楚の覇王が騎乗していた名馬の名前である。

 覇王が最後まで騎乗していた馬として、詩歌にもその名が残っている。

 トゥウンはその故事は知らなかったが良い名だとは思った。


「烏騅なら草原をどこまでも連れてってくれるだろう」

「シーエイ。ティナを、義妹を頼むぞ」

「トゥウン」

「家族としての繋がりもあるが、スイナとティナは俺にとって幼なじみだ。彼女がいなくなるとスイナも寂しがる」

「無論だ」

「それに、ティナが叔母さんになったことも教えなくてはならないしな」

「叔母?ん?つまり」

「俺の子だ。この夏には生まれるだろう」

「そうか。めでたいな」

「お前も、俺の子を見るために帰ってこいよ」

「ああ、約束しよう」


 友人と固く握手をかわす。

 その熱をシーエイは忘れることはなかった。


 そして、草原に春の風がさわさわと吹き始めた。


 ティナとシーエイの旅立ちの時が来たのだった。

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